ヨモギ茶は苦い、がそこがいい
その日、縁側に座ってヨモギ茶を飲みながら、胡蝶はポカポカ陽気を楽しんでいた。夕食の下ごしらえは既に済んでいる。お佳代はおやつを食べ過ぎたと言って散歩に出かけてしまったので、独りでのんびりしていた。お茶を飲み終えて身体が温まったせいか、ついウトウトしていると、いつの間にかコンが目の前にいて、仁王立ちしていた。
「そこで寝ないで。せめて家の中に入って、戸締りしてから寝てください」
「あら、眠るつもりなんてないわよ」
あくびを噛み殺しつつ、慌てて背筋を伸ばす。
「それよりコン、貴方が仮面を付けている理由が分かったわ」
「……何ですか急に」
「しらばっくれてもダメよ。この前、紫苑に全部聞いたんだから」
「もしかしてカマかけてます?」
内心ギクッとしながらも、
「貴方を警護のために寄越したと言っていたわ」
強気な口調で続けると、「あのシスコン皇子め」と小さく悪態をついていた。
その言葉を聞いて、確信する。
「一眞様でしょう? 貴方」
彼は観念したようにため息をつくと、「ついにバレてしまいましたか」と言い、その場に跪いて謝罪する。「これまでの非礼をお許し下さい」
コンの正体が、紫苑と繋がりのある誰か、もしかすると一眞の同僚か部下かもしれないと、予想はしていたものの、まさか一眞本人だとは思いもよらなかった。
「謝る必要はないけれど、どうして子どもの姿に化けているの?」
「陰ながらお守りしろと殿下に命じられまして。それに本来の姿で貴女に接触すると殿下が焼きも……いえ、貴女様の評判に傷が付く恐れがあると判断した次第です」
それは気の毒に、と胡蝶は同情する。
「私のほうこそ、ごめんなさい。貴方のことを気安くコンだなんて呼んでしまって。紫苑にはすぐに手紙を書くわ。よりにもよって皇子付きの護衛を私のところへ寄越すなんて。陛下が知ったら、絶対にお許しにならないでしょう」
「どうか殿下を叱らないであげてください。あの方が私を選んだのは、私のことをもっとも信頼しておいでだからです」
「そして誰よりも優秀だから、そうでしょ?」
「確かに私は混ざり者なので、普通の人よりも鼻は利くし、力も強い」
だからこそ彼には、紫苑のそばにいてもらいたいとあらためて思った。
「一眞様、今すぐ紫苑のもとへお戻りください。私のことはお気になさらず」
「それは……できません。殿下の命令に背くことになる」
「正確には、貴方が仕えているのは紫苑ではなく、陛下のはずよ。陛下のご命令で紫苑の教育係をなされているのでしょう?」
痛いところを突かれたように一眞が黙り込むと、胡蝶は微笑んで言った。
「あの子は幸せ者ね。こんなにも一眞様に慕われて」
「……皇子付きの女官の件、胡蝶様は本当にお受けにならないのですか?」
探るような視線を向けられて、首を傾げる。
「ええ、お断りしました」
「どうしてです? 殿下には、貴女のような女性こそふさわしいのに」
「まあ、そんなに買いかぶらないで。私以上に美しく、優秀な女性はごまんといますわ」
「ですが殿下は、貴女様のことを強く望まれている。正妻が無理なら女官にして欲しいと、殿下自ら陛下に掛け合ったのですよ。陛下はもちろん反対されましたが、それでも辛抱強く粘って、貴女の了承を得られれば女官にしても良いと、最後はしぶしぶ――」
「ええ、あくまで形だけだと紫苑は言っていました。けれどそれでは、周りの人達を騙すことにもなる。私は一年間、北小路清春の妻でしたが、結局、妻としての役目は果たせずじまいでした。ですからもう二度と、同じことは繰り返したくないのです。それにどうせ結婚するのなら……どうしたって避けられないのであれば、今度こそ、妻としての役目を果たしたい。少しでも私のことを気にかけてくださる殿方の元へ嫁ぎたいと……お恥ずかしながら、まだ希望を捨てられずにいるのです」
「だったらなおのこと、殿下は貴女様のことを……」
何か言いかけた一眞だったが、「自分の口からは言えません」と下を向いてしまう。
構わず胡蝶は続けた。
「私は紫苑のことを弟のように可愛く思っています。姉として、あの子の心の支えになりたいとは思いますが、愛人としての立場では、それもできなくなってしまう」
「でしたら仮に……仮にですよ。殿下が異性として貴女を愛するようになったら?」
「それこそ、互いの首を絞めることになりますわ。それに結婚は無理だから愛人になれと言われた時点で、百年の恋も冷めると思いません? ありえない話ですけど」
「……確かに」
神妙な様子でうなずく一眞を見、胡蝶はくすくす笑う。
「話がそれてしまいましたわね。ということで、私の警護は不要ですから、一眞様は紫苑の元へお戻りください」
「何が、ということで、ですか」
「私には警察官の兄がいますのよ。何の心配もいりませんわ」
「ええ、とても頼もしい方だと聞いています。警察学校を優秀な成績で卒業されて、柔道では黒帯、剣道や空手でも有段者とか。ですが今回の相手は普通の人間ではないので」
「どういうことですの?」
「北小路子爵を殺したのは、おそらく私と同じ、混ざり者です」
絶句する胡蝶に、一眞は申し訳なさそうに続ける。
「異能力者である我々の大半は軍に入るか、国務に従事するかのどちらかなのですが、中には愛国心を持たない輩もいまして、反社会的勢力と通じて、暗殺や人身売買に手を染める者も少なくありません」
そういえば麗子夫人には、昔から黒い噂が付きまとっている。やれ反社会的勢力とつながりがあるだの、その幹部と不倫しているだの、その男から非合法な薬を買っているだのと、社交界でもまことしやかに囁かれていた。皇后が彼女を嫌うのもそのためで、麗子夫人は下位貴族からは恐れられ、高位貴族からは嫌厭されている。
「以前、蛇がこの家の軒下に隠れていたでしょう? あの蛇を持ち帰って調べたところ、混ざり者の使い魔だと判明しました。どうやら、胡蝶様のことを監視していたようですね」
ただでさえ蛇は苦手なのに。
ショックのあまり、吐き気がしてきた。
「生物を操る力は厄介です。一般人には気づかれにくいですから。もちろん、私がここにいる限り、胡蝶様には指一本手出しさせません。殿下もそれをお望みでしょう」
心強い言葉だったが、そこまで彼に頼っていいものかと、戸惑ってしまう。
――でも、私が死んだら、かあさんや乳兄弟たちが悲しむ。
もちろん紫苑も、悲しんでくれるだろう。それにしても、麗子夫人にそこまで恨まれているとは思わず、彼女の顔を思い出すだけで胃の辺りがきりきり痛んだ。




