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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
本編

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胡蝶の好きなもの



 松の並木道を歩きながら、相変わらずここは涼しいところだと胡蝶は目を細めた。樹林が強い日差しを遮ってくれるおかげで、日傘も必要ない。地面には枯れ落ちた松の葉がびっしりと敷き詰められていて、薄い布団の上を歩いているような気分だ。耳を澄ませば小鳥のさえずりが聞こえ、地面にあちこち転がっている松ぼっくりはとても可愛らしく、見ているだけで心が和む。



「相変わらず、ここにある松は見事なものね」

「樹齢百年を越えるものばかりですから」

 

 並木道を抜けて青空市場に着くと、お佳代は言った。

 

「お嬢様はここでお待ちください」


 胡蝶は素直にうなずき、物陰に隠れて乳母を待つことにした。食材選びは衣装選びに似ていて、とても心踊る作業なのだが、遠目で見られるだけでも満足しなければと、自分に言い聞かせる。キャベツや人参、じゃがいもに玉ねぎといった定番のお野菜から、見るからにおいしそうな林檎、真っ赤なトマトが山積みになっていて、つい生唾を飲んでしまう。


 林檎やトマトはそのまま食べても美味しいけれど、バターで炒めると甘味が増して、また違った食感を楽しむことができる。特にトマトは、チーズや卵との相性もいいし、炒め物やスープにも使える。いくらあっても困らない万能野菜だと、重宝していた。他の地域では、ミニトマトを味噌汁の具材としても使うらしいが、今度試してみてもいいかもしれない。


 ――野菜を買ったら、次は卵ね。


 農家は、鶏を飼っている家庭がほとんどなので、いつだって新鮮な卵を手に入れることができる。この青空市場でも、ざらっとした白いのや褐色のもの、桜色、大きなものから中くらいのものまで、様々な色や形をした卵が売られていた。


 胡蝶にとって、卵は毎日でも食べたい――何が何でも欠かせない食材の一つである。まずコロンとした見た目が可愛い、そして新鮮なものは生でも食べられるし――アツアツの白ご飯にかけて、お醤油をたらして食べると大変美味である――茹でても焼いても、ソースをかけてもお塩をかけても、美味しくいただける。


 最近では、溶かしたバターに溶いて下味を付けた卵を流し込み、手早くお箸をかき混ぜて、プレーンオムレツを作るのに夢中だ。半熟に仕上げて、噛むというよりは飲むという感覚で食べてしまう。

  

 ――それで最近体型が気になって、ちょくちょく運動しているわけだけど。


 料理が楽しくて、楽しすぎて、最近ではフライパンを見るだけで鼻歌が出てしまうほどだ。今日は買ったばかりの卵で、お昼にパンケーキを焼こうと決めていた。お佳代がご近所さんから大量のハチミツをおすそ分けしてもらったので、早く使いたくてうずうずしているのだ。


 ――料理が好きというより、単に食いしん坊なだけかしら?


「……こんなところで何をしておられるのですか?」


 食い入るように市場を眺めていると、不意に後ろから声をかけられて、ビクッとしてしまう。


「あら、コン。驚かさないでよ」


 彼は神出鬼没だ。近くに人がいる時は絶対に姿を見せないくせに、胡蝶が独りでいると、呆れたように話しかけてくる。実を言えば、彼が何者で、誰の命令で自分を警護しているのか、何となく察しはついていた。けれどそのことを指摘したら、また姿を変えて現れるか、最悪、別の誰かと交代されてしまう恐れがある。


 それだけは嫌だった。


「ここで何を?」

「何って、買い物をしているかあさんを待っているのよ」

「それなら家でもできるのでは?」

「コン、貴方、私がこのまま運動不足に陥って、ぶくぶく肥え太ってもいいというの?」

「それはそれで可愛らしいと思いますけど」


 予期しなかった返答に、うっと言葉に詰まってしまう。

 けれどこのままやり込められるのも悔しいので、


「だったら……貴方がお嫁にもらってくださる?」

 

 軽い調子で言ったつもりが、声が少し震えてしまった。こわごわ相手の顔を見るが彼は無言だ。お面をつけているので表情もわからず、「はあ」とため息をついてしまう。


「そんな嫌そうな顔しなくても……」

「していません」


 コンは慌てたように口を開いた。


「だいたい仮面をつけているのに、私がどんな顔をしているかなんて、わからないでしょう」

「見なくても雰囲気でわかるわ」

「出していませんよ、そんな雰囲気」

「いいのよ、慰めてくれなくても。どうせ私なんて……」

「胡蝶様」


 改まった口調で呼ばれて、はっと彼を見ると、


「どうか自棄にならないで、御身を大切にされてください」


 そうきたか、と胡蝶は微笑んで答える。

 

「好きでもない相手と結婚させられて、一年で離婚された女の嫁ぎ先なんて、歳の離れた男性の後妻におさまるか、一生独身を貫くしかないのよ。もっとも私の場合は、独り身なんて許されないから、いずれ誰かの後妻として嫁がされるでしょうけど……」


 なんだか愚痴っぽくなってきたと思い、口を閉じる。近い将来、そうなることがわかっているからこそ、ここでの暮らしがいっそう楽しく、かけがえのないものに感じられるのかもしれない。

 

「いいえでも、まだ駆け落ちという手もあるわね」


 辰之助の言葉を思い出してポツリとつぶやくと、


「させませんよ。それだけは」


 断固とした口調で言われて、「冗談よ」と苦笑いを浮かべる。


「本当に?」

「……もちろん」

「ちなみにその駆け落ちのお相手は誰なんです?」

「空想上の生き物」


 しれっと答えると、コンは怪しむような視線を向けてきた。


「その美貌で、哀れな田舎者を誘惑しないでくださいね」

「あら、コン、知らないの? この村、若い人は町へ出て行ってしまって、ほとんどお年寄りしか住んでいないのよ?」

「それは幸いでした」

「だからお父様も、私の幽閉場所にここを選んだのでしょうね」

「どこの誰が幽閉されているんですか?」

「心配しなくても、かあさんが戻ってきたら、まっすぐ家に帰るわよ」


 噂をすれば何とやらで、


「お待たせしました、お嬢様」


 ホクホク顔でお佳代が現れると、コンは姿を消してしまった。

 まるで忍者みたいだと、感心してしまう。


「今、誰かとお話していませんでした?」

「片目の潰れた黒狐さんよ」

「へぇ……それより、甘いさつまいもを買ってきましたから、今日のおやつにでも食べましょう」

「いいわね、私、バターをたっぷり塗って食べるのが好きなの」

「余ったらお味噌汁にでも入れましょうかねぇ」

「私だったら、すりつぶしてきんとんを作るわ」

「まっ、おいしそ」

 



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