後日談:ウーヴェの本能と居場所
辺境伯領から王都に帰ってきて、一月が経った。
色々なことがあったものの、今はもう特に問題は起きていない。
元婚約者もその家も、浮気相手も、裁判中である。そのうち処罰も決まるのだろう。
……わたしはもう関わる気はありませんけれど。
そんなことより、最初は馴染めるか心配していたウーヴェも今は護衛や商会員とも仲良くなり、毎日楽しそうにわたしの護衛をしてくれている。護衛達にはウルフィー族であることや特徴なども伝えてある。
特に護衛は気の良い人達で、空いた時間にウーヴェに読み書きや常識を教えているらしい。
読み書きについてはガイウスから頼まれたと言っていたが、ウーヴェが「勉強、楽しい」と喜ぶ様子を見る限り、一方的なものではないのだろう。
ただ、ウルフィー族の本能を抑えるのはなかなか難しいようだ。
吠えることはないが、唸ったり、食べ物の匂いに釣られたり、そういうところはこれから覚えさせていく必要がありそうだ。
ちなみに誕生日についてウーヴェに訊いてみたが、そもそもウルフィー族に誕生日の概念はなく、年が変わると全員歳が上がるという大雑把な数え方だった。
ウーヴェという名前も受け継がれていくもので、村で最も狼獣人の特徴を色濃く宿した者に与えられる。
そして、いずれウーヴェは群れの長──族長や村長に近いらしい──になる予定だったそうだ。
……まあ、それはともかくとして……。
目の前の光景にわたしは笑ってしまった。
「ウーヴェはティッシュが気に入ったようですわね」
今日はトイレットペーパー以外に、王城に納品する分のティッシュも召喚していた。
以前は中身だけしか召喚出来なかったけれど、スキルレベルが上がり、外装の箱ごと出せるようになった。外装は中身に合わせてバラの絵柄にしてある。
召喚しているとウーヴェが不思議そうな顔でティッシュ箱を見ていたので、一つ余分に出して、使い方を教えた。
「この箱のここをちょっと押して……そう、そこを引っ張ると封が開けられますわ」
ビリリ……と外装の箱の封をウーヴェが開ける。
厚紙の切り取り線に合わせて破くという感覚は面白いものだ。
ウーヴェは目を丸くして取った厚紙の欠片を見つめている。
「中にティッシュという柔らかい紙が入っているの。口を拭いたり、手を拭いたり、色々なことに使えますのよ。それで、ここをちょっと引っ張り出して……」
中のティッシュを少しだけ引っ張り出す。
箱から頭を覗かせているティッシュにウーヴェが鼻を寄せ、スン、と匂いを嗅ぐ。
「花、匂い、する」
「ええ、これはバラの香りですわ」
ウーヴェがもう一度、スン、と匂いを嗅いだ。
「さあ、このティッシュを摘んで、上に引っ張ってみてちょうだい」
ウーヴェは素直にティッシュを摘み、上に引っ張った。
シュッと音がして箱からティッシュを一組取り出せたが、驚いたのかウーヴェが手を離し、ティッシュがひらりひらりと宙を舞って足元に落ちる。
それを、ウーヴェがジッと見つめていた。
「ごめんなさい。驚かせてしまったかしら?」
足元に落ちたティッシュと自分の手を、ウーヴェが交互に見る。
そうして、また箱から頭を覗かせているティッシュを摘み、引っ張った。
シュッと音がして、引き出したティッシュをウーヴェが手を上げて宙に放り出す。
ふわり、ひらりと不規則な動きで落ちるそれに、手を伸ばしたウーヴェの表情は輝いていた。
「ティッシュ、おもしろい……!」
その言葉を発した後、ウーヴェはまたティッシュを箱から引っ張り出す。
どうやらティッシュを使うことよりも、引っ張り出す感触と舞い落ちる動きが気に入ったらしい。
護衛達が止める中、ウーヴェはティッシュの魅力に取り憑かれてしまった。
……そういえば、前世でも動物や小さい子がこういう遊びをしていたわね。
わたしが眺めていると倉庫の扉が開き、ニールさんが顔を覗かせた。
中の様子を見て、キョトンとした顔でニールさんが小首を傾げる。
「あの、奥様、この状況は一体……?」
「ウーヴェがティッシュを気に入ったみたいで、ああして遊んでいるのですわ」
視線で示せば、ウーヴェがまだティッシュを引っ張り出し、護衛達が周りで「ああ!」「勿体ない……!」と騒いでいて、それが余計にウーヴェを楽しくさせているように思えた。
扉を閉めてこちらに近づきながら、ニールさんが苦笑する。
「それはまた、随分と高価なオモチャをウーヴェは見つけてしまいましたね」
ティッシュはトイレットペーパーよりもずっと値段が高く、王族にしか卸していない品だ。
それを、ああも惜しげもなく引っ張り出して遊ぶというのは贅沢な遊びなのかもしれない。
「止めなくてよろしいのですか?」
倉庫の中でティッシュを降らせて楽しんでいるウーヴェにわたしは笑った。
「ええ。あれはウーヴェにあげたものですから、あの子の好きに使えば良いのですわ」
「勿体ないですねえ……」
ニールさんと並んで、騒ぐウーヴェ達を眺める。
あんなに楽しそうに声を上げてはしゃぐウーヴェは初めて見た。
……歳相応の姿を見ることが出来て、少しホッとしましたわ。
拾ってからずっと、ウーヴェは恩を返そうと頑張ってくれている。
ガイウスと話したが、もしウーヴェが他の道に進みたいと言った時は、笑顔で背中を押して送り出そうと決めてある。この子の人生はこの子のものだ。今はまだ、他の選択肢が思いつかないだけかもしれない。
床に落ちたティッシュをウーヴェが蹴り上げ、それがふわりと舞う。
箱の中身を全て出し尽くしたウーヴェが次に見つけた新しい遊び方だった。
あちこちに舞うティッシュを護衛達が何とか回収しようとするが、ふわふわと動くそれに翻弄されていて、見ているこちらもなんだか楽しくなってくる。
「……本当に、勿体ないですねえ……」
しみじみともう一度、ニールさんが呟いた。
「ティッシュを丸めて投げ合わないだけ、可愛いではありませんか」
「そんな遊び方まで……いえ、確かにそれをされると困りますね」
「そうでしょう? あの程度なら問題ないですわ」
ティッシュを丸めて球にして、野球みたいなことをされたら商品に傷が付くかもしれない。
それに比べれば、ティッシュを放り投げたり、蹴り上げたりするくらい、可愛いものだ。
……ちょっと埃が舞うのは気になりますけれど。
ハンカチでそっと口元を覆う。
とりあえず、全てのティッシュを護衛達が集めたところで手を叩く。
「ウーヴェ、そろそろ遊びは終わりですわよ」
手招きするとウーヴェが素直に来たので、その頭を撫でる。
「楽しかったかしら?」
「すごく、楽しい。ティッシュ、好き」
期待の眼差しを向けられ、わたしは苦笑した。
「続きはまた今度にしましょうね」
「ん」
素直に頷くウーヴェの後ろで、護衛達がホッとした様子で汚れたティッシュを抱えている。
スキルで紙袋を召喚し、全部中に入れて、ウーヴェに紙袋を渡す。
「遊ぶ時は片付けまでするのがマナーですわ」
ウーヴェは紙袋をしっかりと抱えて「分かった」と頷いたのだった。
護衛達にはわたしのポケットマネーから、いくらかだが密かに特別支給を出しておいた。
* * * * *
ウーヴェ・ウルフィエルがガイウスとルイザの群れの一員となって、しばらくが経った。
王都の暮らしにはまだ慣れないものの、同じ護衛の仲間達とは仲良くなれてきたとウーヴェは思う。
護衛は八人いて、基本的に四人一組で、一日ごとに変わる──隔日交代制という──らしい。
そこにウーヴェが加わったことで時々、三人一組になり、二日続けて休みを取ることも出来ると護衛仲間達は喜んでいた。
ウーヴェは週に一度だけ休みをもらっている。
正直、二日に一度の休息はあまりに暇すぎてつまらない。
だから、ウーヴェは望んで週に一度だけの休みにして、その分、沢山稼いでいる。
稼いだ金は好きに使っていいと言われたが、今のところ、ウーヴェは貯めていた。
ウーヴェの好きな屋台の食べ物は銀貨一、二枚あればお腹いっぱい食べられるし、服などの生活に必要なものは最初にガイウスが全て用意してくれたので、あまり金の使い道がない。
ガイウスが「本当に欲しいものが見つかったら使えばいい」というので、貯金している。
箱に金が貯まっていくのは意外と嬉しい。
キラキラした金が沢山あると喜ぶ人間の気持ちが少し分かった。
用があって宿舎に行き、戻る途中で護衛に声をかけられた。
「ウーヴェは今日も護衛かい?」
四十代前くらいの女護衛……ケイトリンの言葉に頷き返す。
暗い緑の髪に枯れ葉色の目をした、気の良い人物だ。
「ん」
「ウーヴェは仕事熱心だねえ」
「護衛、やる、楽しい」
「立ちっぱなしでつらい時もあるだろう?」
ケイトリンの問いにウーヴェは首を横に振った。
「ない。森、狩り、する……立つ、歩く、多い。これ、簡単」
「なるほど。森を歩き回っての狩りよりかは、まだ楽かもしれないねえ」
森の中を獲物を追って何時間も歩き回ったり、待ったりするより、護衛の仕事のほうがいい。
周囲を警戒する必要はあるが、守るべき対象が決まっていて、近づくものに気を配ればいいからウーヴェにとってはこちらのほうがずっと体力的にも楽だった。
「ルイザ、見る、面白い。発見、多い」
それに、ルイザのそばについてその様子を見るのも結構楽しい。
毎日同じことの繰り返しのように見えて、実は毎日違う。
「ああ、奥様はちょっと変わったお人だねえ。不思議と目を引くし」
「最初はお貴族様らしく鼻持ちならないかと思ったが、気さくで大らかで、俺達にも気を遣ってくれるしな」
別の護衛の男……ラッセルが話に入ってきて、ウーヴェの背中を二度叩く。
それなりの強さだが痛くはない、絶妙な力加減だった。
「ルイザ、優しい」
「そうだな、奥様は優しい」
「……『は』?」
首を傾げたウーヴェにラッセルが声を潜めて言う。
「旦那様も普段は優しいし誠実だけどよ、馬鹿にされたり約束を反故にされたりした時の旦那様はすげぇ容赦ないからな。ウーヴェ、優しそうに見える人間ほど、怒らせると後が怖いんだぜ。お前も旦那様達を怒らせないよう、気を付けろよ?」
「ん、分かった」
元より、群れの長であるガイウスと番のルイザに牙を剥くつもりはない。
ウーヴェは二人に可愛がられている自覚がある。
群れの長に気に入られるのは良いことだし、従うのは当然のことだ。
ウルフィー族の群れでは、長に逆らうと群れから追放されても文句は言えない。
それくらい、群れの長は絶対的な存在だった。
「こら、ウーヴェに変なこと教えるんじゃないよ」
ケイトリンがラッセルの頭をスパーンと叩く。
気持ちいいほど軽快な音に、ラッセルが叩かれた後頭部を自分の手で押さえた。
「別に変なことじゃないだろ? ウーヴェはもっと色々なことを知って、覚えて、考えないといけないんだ。俺達みたいな人生の先達が教えてやるのはいいことじゃねーか」
「それはそうだけど、教え方ってもんがあるでしょうが」
「ウーヴェだってもうすぐ十六歳になるんだ、そんな細かく気にしなくたって大丈夫だって」
もう少ししたら年が変わる。
そうしたらウーヴェは十六歳になり、成人を迎える。
数日前にガイウスから「何か気になる職業はあったか?」と訊かれたが、ウーヴェは特に他の仕事に興味は感じなかった。
群れに入った以上、一生、ウーヴェはこの群れにいるつもりだ。
そのことを伝えるとガイウスは嬉しいような、困ったような、変な顔をしていた。
ウーヴェはこの群れが好きだ。ガイウスとルイザも好きだ。
だから、追い出されない限り、ここにいる。
外から聞こえた鐘の音にウーヴェは顔を上げた。
「そろそろ、時間……オレ、行く」
「っと、もうそんな時間かい。引き止めて悪かったねえ」
「いい」
こうして護衛のみんなと話す時間もウーヴェは好きだ。
ウルフィー族ではこんなふうに気楽に話すことなんてなかったから新鮮で、でもとても安心する。
自分の意見を言って、笑って、話し合って、一緒に食事を囲む。
ルイザに拾われてから、ウーヴェは『新しい』と沢山出会ってきた。
「俺達は今日は非番だから、護衛の仕事は任せたぞ」
ラッセルの言葉にウーヴェは頷いた。
「ん」
そうして、ウーヴェは隣の家に戻り、ルイザのところに行った。
外出の身支度を終えたルイザはいつもよりキラキラしていて、綺麗だ。
こちらに気付いたルイザが微笑みを浮かべる。
「お使い、お疲れ様ですわね」
手招きをされて近づけば、頭を撫でてもらえる。
ガイウスとルイザが頭を撫でてくれると嬉しくて、幸せな気分になれる。
ウーヴェが強いのは当たり前で、何が出来ても以前は誰からも褒めてもらえなかった。
あの頃の寂しかった気持ちが、二人に撫でてもらうと消えていく。
「今日も一日よろしくお願いしますわね、ウーヴェ」
ずっとこの群れにいたいとウーヴェは思う。
この、温かくて優しい、日向のような場所がウーヴェの今の居場所である。
* * * * *




