犯人
* * * * *
月明かりが薄く照らし出す夜の路地裏を、一つの影が早足で進む。
ルイザ・ビードン──……いや、ルイザ・バッシュは王都から出掛けているらしいと聞いた。
あの『トイレットペーパー』という商品。あれは恐らく、商会で作ったものではない。
……あれは、きっとルイザが……。
ルイザ・バッシュのスキル『紙製品召喚』は紙を出すことが出来る。
最初にそれに気付いた時に感じたのは、ふざけるな、という怒りだった。
役立たずのスキル。雑紙しか出せない無意味なスキル。
……そうでなければいけなかった。そのはずだったのに……!
商家のバッシュ家に嫁いでから何かがあったのだろう。
そうだとしても、そんなこと関係ない。
……ビードン家だろうと、バッシュ家だろうとルイザは『役立たず』でなければいけない!
出来る限り足音を消しながら、目的に近づいた。
先日、レイノバッシュ商会の倉庫の一つに火を放った。
その倉庫にはトイレットペーパーが保管されていると、商会の下働きの一人に金を握らせて聞き出した。あれがなくなれば、商会は約束日に客に商品を届けられなかったとして信頼を失う。
しかも、今はルイザがいないので商品を補充することも出来ない。
商会の評判は落ち、ルイザと夫が帰ってきた時には既に遅い。
もしかしたら、まだ他にもトイレットペーパーを保管した倉庫があるかもしれない。
倉庫が燃えてから四日。警備が厳しくなっているものの、見張りは少なく、巡回が頻繁にあるだけ。巡回の時間さえ把握すれば忍び込むことは容易い。
他の倉庫と隣接している更に細い道に入り、置かれた木箱の陰に隠れる。
周囲の音に耳を傾けたが、自身の速い鼓動以外は聞こえてこない。
それに、思わず口角が上がる。
……今度こそ、後悔させてやる……!
そうしてスキル漏洩の裁判などしている余裕など、なくしてやる。
懐からマッチ箱を取り出し、マッチに火をつける。
この小さな火で、レイノバッシュ商会とルイザは今度こそ潰れる。
隠れていた木箱にマッチを寄せ、木箱に火が移る。
瞬間、木箱が爆発した。
──……いや、何かが木箱を壊し、内側から飛び出した。
それがなんなのか認識する前に、腹部に強い衝撃を感じ、地面に倒れる。
「同じ、匂い」
どこか幼い少年とも、青年ともつかない声が頭上からする。
けれども、あまりの痛みに意識が消えていった。
* * * * *
「まあ! もう犯人が捕まったんですの!?」
そろそろ寝ようとしていた時、屋敷に訪問者があった。
倉庫を警備してくれている騎士の一人で「放火犯だろう人物を捕縛しました!」と報告され、わたしはつい立ち上がってしまった。
犯人は現場に戻ってくるとは思っていたが、前回の放火からまだ数日しか経っていない。
もしも次も倉庫を狙ってくるとしたら、警備の気が緩む一、二週間後くらいだと考えていたので、犯人のせっかちさに驚いた。早く捕まるのは良いことだが。
「はい、火を放ったところを隠れていたレイノバッシュ商会の警備の者が捕まえました。バッシュ男爵のおっしゃっていた通り、警備を手薄にしたところに誘い込まれておりました」
「あら、あなた何かしていらしたの?」
ガイウスを見れば、頷き返される。
「ああ、ちょっと……ウーヴェを派遣した。彼なら犯人かどうか、同一人物か分かるからな」
「もしかして、ここ数日ウーヴェが昼間によく寝ていたのは……」
「夜に張り込みをしていたからだ」
「ウーヴェは未成年ですのよ!? こんな夜中に警備をさせるなんて!」
わたしの言葉にガイウスが慌てた様子で言う。
「ウ、ウーヴェが『やりたい』と言ったんだ! 俺も止めたが『オレ、信頼、ない……?』とか言われたら、止めるに止められないだろうっ? 安全面を考えて警備員は増やしていた!」
ガイウスのウーヴェの真似は意外と上手かった。
……まあ、それはともかくとして……。
確かにウーヴェは現場に残っていたマッチや箱の匂いを嗅いで、犯人の匂いを覚えている。
誤認逮捕しないためにも、ウーヴェの協力は必要だっただろう。
「……ウーヴェについては分かりましたわ」
「そうか。……犯人の顔を確認したいんだが、構わないか?」
ガイウスの問いに騎士が「問題ありません」と頷いた。
その後すぐに外出の支度をして、馬車で倉庫に向かう。
夜中で人気がないこともあって普段よりも短い時間で倉庫に着く。
倉庫の周囲は明るくなっており、警備員や騎士達が集まっている。
わたし達が到着し、馬車から降りるとウーヴェが駆け寄ってきた。
「ルイザ、ガイウス……犯人、捕まえた」
「偉いわ、ウーヴェ。でもあまり危ないことをしてはいけませんわよ?」
「ん、平気……あいつ、弱い」
あいつ、とウーヴェが指差した先には後ろでに手枷をつけられて座り込んでいる人物がいた。
ランタンの明かりに照らされたオリーブグリーンの髪には見覚えがある。
ガイウスも気付いたのか、わたしを抱き寄せた。
「まさか……ティペット伯爵令息?」
呟きが思いの外、響き、その人物──……元婚約者が顔を上げた。
「っ、ルイザァアァッ……!!」
まるで親の仇でも見つけたかのような、憎しみのこもった声で名前を呼ばれる。
それに一瞬驚いたものの、次に感じたのは怒りだった。
「商会の倉庫を燃やしたのが、まさかあなただったなんて……。わたしを捨てて満足していたのではなかったのかしら? 自ら手を汚すなんて、あなたらしくないですわね」
「黙れっ! お前のせいで俺達は社交界にいられなくなったんだ!」
「まあ、わたしは何もしておりませんわよ? 確かにトイレットペーパーを両家に渡らないようにはしましたけれど……あなた方が社交界から爪弾きにされたのは、王家主催の夜会で騒ぎを起こして王族の不興を買ったからではありませんか」
トイレットペーパーが手に入れられないくらいで爪弾きになどならない。
笑われはするかもしれないが、一番の理由は彼ら自身にある。
「陛下や王妃殿下に、私達の話をしたのはお前だろう!?」
「訊かれたので、ありのままを説明しただけですわ。わたしとわたしのスキルを『役立たず』と罵り、一方的に婚約破棄したあなたと、婚約者のいる男性と浮気をした令嬢。陛下も王妃様も誠実さを大事になさる方ですから、当然ではないかしら?」
「うるさい!! 男爵家に格落ちした分際で、私を見下ろすな!!」
騒ぐ元婚約者に溜め息が漏れた。
「失礼な方。……それに『格落ち』というなら、今のあなたはどうなのですか? 放火という重罪を犯して、今後も伯爵令息という立場でいられると思っていらっしゃるの? 陛下はきっとあなたの罪をティペット伯爵家に問い、伯爵家はあなたを捨てますわよ」
「そ、そんなはずない! 私はただ一人のティペット伯爵家の嫡男だぞ!? この程度のことなど、伯爵家の力を使えば揉み消せるはずだ!!」
元婚約者の言葉に騎士達が不快そうに眉根を寄せる。
……愚かな人。元から、こんな人だったかしら……?
以前からそれほど親しい仲ではなかったが、ここまで感情に身を委ねて後先を考えない行動を取るような人物ではない……と思う。社交界でも、むしろ紳士的だと言われて令嬢達からそれなりに人気があった。
しかし、今の彼は人が変わったように感情を剥き出しにしている。
「すみません、騎士団の中に鑑定を行える方はいらっしゃいませんか?」
……もしかしたら……。
「ルイザ? 急にどうしたんだ?」
ガイウスが戸惑った様子で問いかけてくる。
「今のティペット伯爵令息は以前とまるで別人のようです。追い詰められて人が変わった可能性もありますが……もしかしたら、なんらかのスキルによる影響を受けているかもしれません。投獄後でも構いませんので、一度彼の状態を確認してみたほうがよろしいかと」
「承知いたしました。陛下にもそのようにお伝えいたします」
「はい、お願いいたします」
そうして、まだ騒いでいた元婚約者は犯罪者用の馬車に放り込まれる。
犯罪者でも貴族の扱いは王族の指示を仰ぐ必要があるため、元婚約者は王城の貴族牢に入れられ、陛下の裁きが下るのを待つこととなるだろう。
走り出した犯罪者用の馬車を見送った。
……なんだか複雑な気分ですわ。
婚約破棄をされた時に『役立たず』と言われたのは傷付いたし、今でも思い出すと不愉快な気持ちになるけれど、犯罪者になって破滅してほしかったわけではない。
ただ『わたしは無能ではない』と証明したかった。
一方的に婚約破棄をされた件は恨んでいたが、それについてはティペット伯爵家とベインズ子爵家がトイレットペーパーを含めたレイノバッシュ商会の品を手に入れられなくなったことで、もういいと思っていた。
王家主催の夜会で絡まれたのは、わたしにとっても予想外だったのだ。
あの夜会でのことについて責められても、こちらの責任ではない。
思わず溜め息を吐くと、ガイウスとウーヴェに声をかけられた。
「お疲れ様、ルイザ。……大丈夫か?」
「ルイザ、疲れ……良くない、早く、寝る」
どうやら二人を心配させてしまったらしい。
わたしは微笑み、頷いた。
「大丈夫ですわ」
「いや、あまり顔色が良くない。ウーヴェの言う通り、先に帰って休んだほうがいい。俺はもう少しここに残ろうと思うが……ウーヴェ、ルイザを屋敷まで送ってくれるか? それと、護衛達に声をかけて屋敷の警備を厚くしておいてくれ」
「ん、分かった」
二人のやり取りに、つい、ガイウスの服の袖を掴んでしまう。
それにガイウスが目を丸くしてわたしを見下ろした。
「ルイザ?」
「あ……いえ、なんでもありません」
袖から手を離したが、その手はすぐにガイウスに掴まれた。
ガイウスがウーヴェに顔を向ける。
「さっきの指示はなしだ。俺も屋敷に戻る。……ウーヴェ、少しの間ルイザを頼む」
ウーヴェが頷き、ガイウスがわたしの手をウーヴェの頭に乗せた。
ガイウスは「少し待っていてくれ」と言い、騎士達のほうに歩いていった。
それを目で追ったが、ウーヴェがぐりぐりとわたしの手に頭をこすりつけてきたので、意識が引き戻される。そのまま頭を撫でた。ウーヴェが嬉しそうに小さくグルル……と唸った。
周囲に人気がないので良かったが、誰かに聞かれるとまずいかもしれない。
「ウーヴェ、人前では唸ったり吠えたりしてはいけませんわよ? ウルフィー族を知らない人が多いから驚いてしまいますわ。……屋敷では良いけれど、気を付けましょうね」
「ん……オレ、無駄吠え、しない」
……ますます狼というより犬みたいですわね。
だが犬の祖先は狼なので、当たらずとも遠からずといったところなのだろう。
頭から手を離すと、ウーヴェはわたしのそばで立って『待て』をしている。
しばらく待っていればガイウスが戻ってくる。
「待たせた。さあ、帰ろう」
「よろしいのですか?」
「ああ、騎士達と必要な話は済ませてきたし、貴族の犯罪については陛下にお任せしたほうがいい」
ガイウスが褒めるようにウーヴェの頭を撫でる。
その後、わたし達はガイウスに促されて馬車に乗った。
帰りの馬車の中でウーヴェが、くあ、と大きく欠伸をする。
少し眠そうに目元を擦る仕草が幼く、まだ未成年なのだと改めて感じた。
「何はともあれ、これでもう商会の倉庫が燃やされることはないな」
そう言ったガイウスの声は心底安堵した様子だった。
「ええ……ごめんなさい、ガイウス」
「なんで君が謝るんだ?」
「だって、元とはいえ、わたし絡みのことで商会に損害を出してしまったわ……」
ギュッとガイウスに抱き寄せられる。
「君は何も悪くない。悪いのは放火をした者で、その理由が君を恨んでだったとしても、そこに君の責任はないだろう? ティペット伯爵令息は行動に移さないという選択肢もあったが、感情に任せて後先考えずに行動してしまった。全て彼自身の責任だ」
ガイウスの言葉を聞いて、萎れていた気持ちが戻ってくる。
……そうだわ。全く責任がないとは言えないけれど、放火の責任はわたしにはないわ。
元婚約者を追い詰めたという意味では責任はあるかもしれないが、放火をしないという道もあったのに彼は犯罪に走った。その選択の責任までわたしが負う必要はないのだろう。
「……ありがとうございます、ガイウス。もう大丈夫ですわ」
「そうみたいだな。……顔色も少し良くなっている」
わたしの顔を覗き込み、ホッとした表情でガイウスが微笑む。
手を伸ばし、ガイウスの顔を引き寄せ、頬に口付ける。
「やっぱり、あなたと結婚して良かったですわ」
ガイウスが嬉しそうに目を細めた。
「俺も、君と結婚出来て良かったと常々思っている」
お返しとばかりにガイウスがわたしの頬に口付ける。
ガイウスに抱き着き、愛しています、と伝える。
ルイザ、と呼ばれて顔を上げれば、そこには幸せそうなガイウスの笑顔があった。




