長雨の理由
そうして翌日の昼過ぎ頃、辺境伯領北部の国境沿いにある村に到着した。
近くの森からはウーヴェの案内で馬車を走らせたものの、途中から、言葉に形容しがたい酷い臭いが漂ってきて、全員が緊張に包まれた。
どこか甘みを含んだ、けれども吐き気を感じる生臭さ。
ガイウスはこの日、初めて生き物の腐った臭いがどれほど気持ち悪いものか知った。
村に到着した時、ウーヴェは口と鼻を手で覆って震えていた。
馬車からガイウス達が降りても、なかなかウーヴェは座席から動けずにいる。
「ウーヴェ、これを巻いておけ」
と、ガイウスがハンカチを渡すとウーヴェは素直に口と鼻を隠すようにつけた。
多少はマシになるかもしれないが、この酷い臭いからして、本当に生存者はいないのだろう。
「つらいなら、ここにいろ。村の様子は俺達で確認する」
まだ村の入り口で、ここから見る限りは遺体なども見当たらない。
同じ村の者達の死んだ姿を見れば、ウーヴェはその記憶で苦しむ。
まだ未成年のウーヴェが見るにはあまりに重く、つらく、悲しい現実である。
しかし、ウーヴェは顔を上げると馬車から降りた。
「ガイウス、守る……約束した……もう逃げない」
両手を握り、少し震えながらもウーヴェが言う。
「みんな死んだ……分かってる」
「……そうか。そうだな……」
ウーヴェが覚悟したのであれば、これ以上ガイウスが口を挟むのは違うだろう。
ガイウスは小さく頷き返すことしか出来なかった。
ガイウスは袖で口元を多い、セルヴァン様もハンカチで口元を押さえていたが、団長を含めた騎士達は眉根を寄せているが剣の柄に手をかけたまま周囲を警戒している。
ウーヴェが耳を澄ませ、首を横に振った。
「村の中、音、しない……誰もいない」
ウルフィー族は身体能力が高いというが、五感も鋭いのかもしれない。
ゆっくりと歩き出したウーヴェの後をガイウス達は追った。
土を踏み固めただけの道を進み、木造の家々の角を二度曲がる。
歩く度に臭いが強くなり、そして、村の中心に着いた。
村の中心は広場になっていたが、そこには赤黒い山があり、虫が涌いていた。
その山がなんなのか理解した瞬間、ガイウスは目を閉じ、顔を逸らした。
この村に住んでいたウルフィー族全員の亡骸である。
前にいたウーヴェの体がぶるぶると震え、膝をつき、天を仰いだウーヴェは顔の布を外すと口を開いた。
けれども、その口から出たのは叫びでも悲鳴でもなく、狼の遠吠えだった。
怒りと憎しみ、嘆きと悲しみの咆哮は少し掠れているが、森全体に響き渡る。
何度も、何度も、遠吠えを繰り返しながらウーヴェは泣いていた。
たまらず、ガイウスはウーヴェを抱き締めた。
聞いているこちらまで息が詰まりそうな、悲痛な咆哮が、やがて嗚咽に変わる。
「……あの遺体の山の下から、大きな魔力を感じます」
副団長の言葉に、セルヴァン様が頷き、ウーヴェに問う。
「ウーヴェ君、皆様を炎で弔って差し上げてもよろしいですか?」
ガイウスに縋りつくように抱き着いたまま、ウーヴェが小さく頷いた。
セルヴァン様のスキルは『炎を操る』というもので、炎を生み出し、火力を望むように操作出来る。
山に近づいたセルヴァン様が「どうか安らかに……」と祈りを捧げ、炎を灯す。
すぐに山全体に火が回る。白く美しい炎が広がると熱気を感じた。
ウーヴェは泣きながらもジッと燃える山を見つめていた。
その間に騎士達が村中を捜索したが、やはり生き残りはおらず、ウーヴェの話した『黒ローブの者達』もいない。
燃える山に向かってセルヴァン様や団長、騎士達が胸に手を当てて彼らの魂が救済されることを願った。ガイウスが教えると、ウーヴェもそれを真似て祈りを捧げる。
「少しだけでも持って帰るか?」
大量に残った灰を見つめるウーヴェに問えば、首を横に振られた。
「ウルフィー族、自然、大事……死んだら、土に還る……望む」
「なるほど」
灰はそのままにしておけばいい、ということだろう。
「ウーヴェ君、あの辺りを掘り返しても大丈夫ですか?」
「……ん、いい」
セルヴァン様の問いにウーヴェが頷き、騎士達がまだ熱が残っている灰とその下の地面を掘る。
土や雨水と混ざっていく灰を、ウーヴェは目を細めて眺めていた。
……安易な慰めは良くないか。
代わりに、その肩に腕を回し、軽く頭を撫でた。
ウーヴェは手に握っていたハンカチで自分の顔を乱暴に拭き、背筋を伸ばす。
「ガイウス、ありがとう……」
ウーヴェなりに今は心の中で着地点を見つけたのだろう。
今後、ウーヴェが村のことを思い出してつらくなったり、悲しくなったりしても、孤独を感じないように気を配ってやることしかガイウスには出来ない。
「オレ、みんなの分まで、生きる」
そう言ったウーヴェの横顔は凛としていた。
地面を掘っていた騎士達が不意に声を上げる。
「団長、副団長セルヴァン様!」
「ここに何かがあります!」
それに団長が近づきながら声をかける。
「掘り出せそうか?」
「やってみます!」
騎士達が土を掘り、人の頭ほどの大きさの何かを持ち上げた。
途端にウーヴェが獣の唸り声を上げながら後退る。
「嫌なやつ、それ」
と言うので、全員がそれに視線を向けた。
人の頭ほどの楕円形をした不思議な形のそれは、金属で作られているらしく、硬質そうだ。
表面には模様のようなものがびっしりと描かれていて、どこか不気味な印象を受ける。
セルヴァン様がそれを検分する。
「……これは恐らく魔道具ですね。副団長様、魔力の流れは感じられますか?」
「いいえ、多量の魔力を有しているようですが、魔力が漏れ出たり、魔法が発動したりといった気配は感じられません」
「そうですか。……ふむ、ここから開けられそうですね」
楕円形の端に僅かにへこみがあり、セルヴァン様がそこを示す。
騎士が穴からその魔道具らしきものを運び出し、地面に置いた。
セルヴァン様が魔道具の端のへこみに手をかけ、慎重な手つきで力を入れると、楕円形のそれは丁度真ん中から縦に真っ二つに開いた。外の模様も不気味だったが、内側は真っ黒で、中央に赤黒い拳大の宝石のようなものが一つ埋まっている。
……もしかして、これは魔石か?
一般流通はあまりないが『魔石』とは、魔力を宿した特別な宝石である。
宝石全てが魔力を宿せるわけではなく、何かの理由により魔力を宿した一部の宝石をそう呼ぶ。
この大きさの魔石を売れば平民ならば一生遊んで暮らせるほどの金を得られる。
しかし、ガイウスが見たことのある魔石とは随分と様相が違う。
以前、見た魔石はもっと透明度が高く、色も輝きも美しかった。
この魔石は触れるのも躊躇ってしまいそうなほど赤黒く、禍々しい。
セルヴァン様も同じことを思ったのか、魔石をハンカチで包んで魔道具から外す。
「これは……」
魔石がはまっていた場所には小さく何かの紋章が彫られている。
どこかで見覚えがあるなと思っていると、副団長が呟いた。
「……パルドゥームスの……?」
その言葉に思い出し、ハッと息を呑んだ。
確かに、それは隣国パルドゥームス王国の王家の紋章だった。
ウーヴェが低く唸る。
「……パルドゥームス……」
ウルフィー族はパルドゥームスで酷い迫害に遭って逃げてきた。
それだけでも隣国に対して良い感情は持っていなかっただろうが……。
「落ち着け、ウーヴェ。……これが隣国の仕業だとは考えにくい」
「……なんで?」
「悪事をする時に、見つかるかもしれない道具に自分の名前を書いたものを使うか?」
「……ない」
ウーヴェが唸りをやめて考えるように視線を地面に向ける。
「そうだ。それに、どの国でも王家の紋章は公に出している。真似て彫ることは誰でも出来る」
「……誰かが、パルドゥームスの、名前、使った?」
「その可能性が高い」
情勢的に考えるとエヴァイスト王国とパルドゥームス王国の反目を狙った別の国の仕業という可能性が高い。
現在の両国は不可侵協定を結んでいるが、これは数年に一度、話し合いによって続けるか否かが決まる。逆を言えば、どちらかが拒否すれば不可侵協定は簡単に消えてしまうのだ。
この国とパルドゥームス王国が不仲になり、戦争が起これば、どちらか、もしくは両方が疲弊するだろう。その時に両方の国土を得ようと狙いにくる国もあるはずだ。
……もし、そういったことを狙っているとすれば……。
「セルヴァン様。急ぎ、他の村も確認するべきです」
「ええ、そうですね。……これが長雨と関係があるのは確かでしょう」
セルヴァン様が空を見上げた。
釣られてガイウスも空を見上げ、そこでようやく気付く。
ずっと降り続いてた雨は、いつの間にか止んでいた。
* * * * *
ガイウス達が国境沿いに向かってから一週間。
そろそろやることがなくなってきたと思い始めた頃、雨が止んだ。
ここに着いてからずっと降っていた雨が上がり、薄日が差してくると、屋敷の人々も街の人々も外に出て全員で雲間から覗く青空に歓喜の声を上げた。
中には『また雨が降るのでは』と素直に喜べない者もいるようだが、とりあえず、雨が止んだことで街はまるでお祭りのように賑やかになり、夜も飲めや歌えやの大騒ぎになったとか。
そんなふうに街が活気を取り戻した翌日、ガイウス達が帰ってきた。
けれどもすぐに辺境伯様に報告しなければいけないことがあるらしく、全員が辺境伯様の執務室に行き、それが終わるのをわたしは部屋で待った。
「待たせたな、ルイザ」
戻ってきたガイウスの後ろにはウーヴェもいた。
室内に二人が入ってきたので、わたしがガイウスに抱き着いた。
「お帰りなさい、ガイウス」
「ああ、ただいま。だが、抱き着くと汚れるぞ?」
「そんなこと気にしませんわ」
背伸びをして、ガイウスの頭を引き寄せて頬に口付ける。
ガイウスの後ろでウーヴェが両手で顔を覆いながら、指の隙間から見ているので笑ってしまった。
ガイウスも同じように返してくれて、それから、少し嫌がるウーヴェを引きずるように、ガイウスは入浴をしに行った。
時間がかかるかと思ったが、お茶をしながら待っていると二人はすぐに戻ってきた。
テーブル席にガイウスとウーヴェも座り、ようやく調査の結果を聞くことが出来た。
「まず結果から言うが、長雨の原因の可能性が高い魔道具らしきものを、国境沿いの村で見つけた」
ウーヴェの村に最初に行ったが、村人は全員死亡しており、その遺体の下に魔道具が埋められていたらしい。
遺体を火葬する際の熱で魔道具が壊れたのか、魔法は展開していなかったが、中には魔石が入っており、それを発見した後から少しずつ村周辺の天気が回復し始めたという。
その後、国境沿いの四つの村を回ったものの、やはり他の村も同様だったそうだ。
四つの村のうち二つはウルフィー族で、他は人間の村で、どの村でも住人は全滅。同じように村の中央広場に積み上げられ、その下に魔道具が埋められており、全部で五つの魔道具を回収してきた。
魔道具を調査するスキルを持つ者がいないため、王都に魔道具を持ち帰って調べるそうだ。
ただ、辺境伯様お抱えの魔道具師によると『空中の水分を増やし、気温を変化させるもの』であることは分かっているらしい。
しかも、村人の血肉から魔力を吸収して魔法を発動させていたのだとか。
……なんて悪趣味な魔道具なのかしら。
その魔道具には隣国パルドゥームスの王家の紋章が彫られていたが、紋章を彫ること自体は誰でも行えるため、両国の仲を悪化させるために第三国が企てた可能性もある。
「でも、その魔道具が長雨の原因で間違いありませんわね」
わたしの言葉にガイウスとウーヴェが首を傾げた。
「どういうことだ? まだ王都できちんと調査をしなければ分からないだろう?」
「え? ……あら、もしかしてご存じありませんでしたか? 水分の多い空気が上空に上がると雲が出来て、雨になりますのよ。温かいスープに蓋をすると、蓋の裏に水滴がつくでしょう? 湿った冷たい空気が空に上がり、雲になり、水分が収まりきらなくなると雨が降るのです」
「……つまり、あの魔道具は周囲の水分量を増やして気温を下げていた? 確かに、村の辺りは今思い返せば気温が低かったような気もする。……そうか、直接天気を操る大きな魔法でなくとも、雨を降らせることは出来るのか……」
ガイウスがぶつぶつと呟き、その横にいるウーヴェは理解出来ていない様子でキョトンとしている。
その魔道具が各村に埋められていたということは、明らかな悪意を持って辺境伯領に雨を降らせていたということになる。
「……待てよ? いや、だが……もしかして……」
ガイウスの表情が更に難しいものになる。
「どうかなさいましたの?」
「ああ……今までの雨は、辺境伯領だけでなく隣国パルドゥームスにも降っているはずだ。あちらでも水害が出ていたとして、もし魔道具の件でこの国が抗議をした場合、パルドゥームスから『長雨をわざと降らせて水害を引き起こしたのはエヴァイスト王国だ』と言われるかもしれない」
「両国の関係が更に悪化し、最悪、戦争が起こるかもしれませんわね」
「そうだな。どちらの国も水害を受けている。その原因が隣国にあるかもしれないと広まれば、民の不満が高まり、両国共に後に引けなくなるだろう」
わたし達が話している間、ウーヴェはずっとポカンとしていた。
ちなみにその後、ガイウスからウーヴェをわたしの護衛として雇う話も聞いた。
ウーヴェも了承しているそうで、わたしも彼を辺境伯領に残しておくには不安があったので、本人が頷いているなら反対する理由はない。
「ああ、それと、ウーヴェは十五歳だそうだ」
「まあ、未成年だったの? わたしより歳下かもしれないとは思っておりましたが……」
……本当に体が大きいだけの子供だったのね。




