ウーヴェ・ウルフィエル
彼は憔悴しており、言葉を続けようとしたものの、咳き込んでしまう。
震える体に思わず立ち上がり、大きいけれど、小さく見える背中をさする。
わたしはそばのテーブルから水の入ったグラスを取って差し出した。
「お水は飲めるかしら?」
彼が小さく頷き、グラスを受け取って一息で水を飲み干した。
水を飲んだからか、彼の腹部からグゥウウウッと大きな音がする。
「お腹は空いているようね。食事は出来そう?」
彼がまた小さく頷いたので、メイドに頼んで消化に良いものを持ってきてもらうことにした。
……待っている間に話を聞いておくべきね。
彼の持つグラスに水を注いでいるとジッと見つめられた。
「拾って、くれた……ありがとう」
「あら、わたしが拾ったとよく分かりましたわね?」
「動けなかった、けど……聞こえてた」
どうやら拾った時に意識があったらしい。
「……数ヶ月、前、オレの村、襲われた……みんな、逃げられなかった……オレだけ……」
彼の手が力強く握られる。眉根を寄せ、彼はその拳を額に押し当てた。
拳も、体も、震えている。それが怒りからくるものか、恐怖からくるものかは分からない。
ただ、俯いた彼の髪の隙間から雫が一滴、シーツに落ちた。
ジャステール卿と顔を見合わせた。ジャステール卿が彼に問う。
「一体、誰に襲われたんだ?」
「分から、ない……突然、黒いローブのやつらに、襲われた……みんな、殺された……黒ローブ、村の中心に何か、埋めた……良くないもの……オレ、逃げた……」
「うーん……」
ジャスティール卿が困った顔をする。あまりに情報が少なすぎる。
困っているうちにメイドが食事を持って戻ってきた。
麦をミルクで煮て、蜂蜜を加えた、いわゆるオートミールのようなものだ。
それが載った盆を受け取り、彼の膝の上に置く。
「とにかく、今は食事を摂って元気にならないといけませんわ」
「……食べて、いい……?」
「ええ、どうぞ。熱いからゆっくりね」
彼が震える手でスプーンを握り、器の中身を掬い、一口食べる。
彼の目から涙がこぼれ落ちた。彼は泣きながら一生懸命、食べ進める。
わたしがハンカチで拭っても嫌がる様子はない。
……まるで小さな子供ね。
身長はガイウスよりやや小さいくらいだけれど、もしかしたら実年齢はわたしの予想よりもっと下かもしれない。
彼が食べるのを眺めていると慌ただしい足音が遠くから近づいてくる。
そうして、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「ルイザ!」
そこにいたのはガイウスだった。
遅れて、セルヴァン様と団長様が後ろから顔を覗かせる。
三人とも彼を見て目を見開き、固まっている。
当の彼は今ので涙が止まったらしいが、食べる手は止めない。
「まあ、皆様、ガイウス、お帰りなさい」
立ち上がってガイウスに近づけば、抱き締められる。
「ウルフィー族を拾ったと聞いたが、大丈夫かっ?」
「この通り何も。……それよりもガイウス、あなたは『ウルフィー族』だからと偏見を持っていらっしゃるのではなくって? あなただって生まれのせいで見下されたり、遠巻きにされたりしたら嫌でしょう? 教会でも『隣人を愛し、慈しみなさい』と説いているではありませんか」
わたしの言葉にガイウスだけでなく、全員が驚いた顔をした。
ガイウスがふっと柔らかく微笑む。
「……ああ、そうだな。彼らも俺達の『隣人』か」
「ええ、そうでしてよ。しかも彼は村が襲われて、命からがら逃げ延びたそうですわ」
「ウルフィー族の村が襲われた? どういうことでしょうか?」
話を聞いていたセルヴァン様が部屋に入ってくる。
食事を終えた彼がもう一度、言った。
「知らない奴らに、みんな、殺された」
セルヴァン様が眉根を寄せ、彼に質問をして、彼が答えるというのを繰り返す。
そこから、彼の状況が分かってきた。
数ヶ月前に突然彼の村が黒いローブを着た集団に襲われた。
けれども今の『ウルフィー族』のほとんどは普通の人間と変わらない身体能力しかない。
しかも『ウルフィー族』はスキルを持たないそうだ。スキルは神が『人間にのみ与えた能力』で、身体能力の高かった獣人はスキルを与えられることはなかった。
……それでは、反撃する術がなかったということ?
黒いローブの集団に村人は女子供、赤ん坊まで殺された。
彼は最後まで抵抗したが敵わず、なんとか隙を見て逃げ出した。
彼の住んでいた村は北部の国境近くにあり、そこからここまで、いくつもの村や街を転々としてきたという。
「村に埋められた、もの、良くない……気持ち悪い……危険……だから、離れた……」
「どのようなものが埋められたか分かりますか?」
彼はその問いに緩く首を横に振った。
セルヴァン様と騎士団長様、そしてガイウスが難しい顔で考えている。
さすがのわたしでも彼の話を聞いて、妙な引っ掛かりを覚えた。
……数ヶ月前に、北部の村が襲われ、何かが地面に埋められた……。
ガイウスが顔を上げ、セルヴァン様に声をかける。
「セルヴァン様、至急、北部の村を調査しましょう。……もしかしたら、他にも襲われた村があるかもしれません。その地面に埋められた何かが気になります」
「ガイウスもそう思いましたか。……君、襲われたのは数ヶ月前だと言っていましたが、それはこの長雨が降る前のことでしたか?」
「……逃げてから、雨、降り出した」
彼の言葉に全員が顔を見合わせる。この長雨の原因に何か関わりがあるのではないか。
雨が北部を中心に降り続いていることを考えると、関連性が高いように思えた。
セルヴァン様が問う。
「君は国境沿い近くの村の場所を知っていますか?」
「知ってる」
「それらの村に案内していただけますか?」
ジッと彼はわたし達を見た後、こっくりと頷いた。
「では、彼の体調が良くなり次第、村に案内してもらいましょう」
「騎士団も連れて行くべきですね」
「国境沿いとなると……すまない、ルイザ、数日戻れなさそうだ」
セルヴァン様と騎士団長様が言い、ガイウスが申し訳なさそうにわたしを見た。
だから、わたしはガイウスを抱き締めた。
「お気になさらずに。原因を見つけることに専念してくださいませ」
「ああ、ありがとう」
そういうわけで、ガイウス達は彼と共に国境沿いの村に向かうこととなった。
……あら?
ガイウスから離れ、ベッドの縁に腰掛ける。
「そういえば、まだ名乗っておりませんでしたわね。わたしはルイザ・バッシュ、そちらにいるガイウスの妻ですわ。あなたのお名前をおしえていただけるかしら?」
「……ウーヴェ」
「そう、ウーヴェというのね。まだ体がつらいかもしれないけれど、体調が良くなったらガイウス達の案内をお願いしても大丈夫?」
彼──……ウーヴェがもう一度頷いた。
「オレ、体強い……寝れば治る……明日、行ける」
そうして翌朝、ガイウスはセルヴァン様と騎士団、そしてウーヴェと共に出掛けて行った。
国境沿いまで行って、調査をしてくるとなると一週間はかかるかもしれない。
少し寂しいが仕方がない。わたしは笑顔でガイウス達を送り出した。
* * * * *
馬車に揺られながら、ガイウスは正面に座っているウーヴェを見た。
珍しい白髪にやや灰色がかった褐色の肌、顔立ちは整っているが、まだどことなく幼い雰囲気が感じられる。口数はあまり多くないようで、ずっと車窓の外の景色を眺めている。
ウーヴェの言葉が本当ならば、彼のいた村は村人が全滅し、彼だけが残されたということになる。
……行く当てはあるのだろうか。
ガイウスも『孤児だから』という理由で馬鹿にされたり、差別されたりしたことがあったというのに、無意識に『ウルフィー族だから』とウーヴェに警戒してしまった点をルイザに指摘され、反省した。
今のウーヴェは一人だ。恐らく頼る当てもなければ、帰る場所もない。
人々は『ウルフィー族だから』と遠巻きにして、関わろうとはしなかったのだろう。
それ故に路地裏で行き倒れていたのをルイザが見つけた。
「ウーヴェ」
と声をかければ、ウーヴェがすぐに振り向いて小首を傾げた。
薄い金色の瞳は近くで見ると銀をまぶしたように煌めき、神秘的な輝きを宿している。
「君は何歳だ?」
「……十五」
まさかの未成年だった。背は高いが、幼く見えるのは当然であった。
「これから君の村にも行くが、君の言う『嫌なもの』がなくなったら村に残るのか?」
「……分からない……オレ、一人……」
「ウルフィー族の別の村に行くというのは?」
「……違う群れ……入る、難しい……」
ウーヴェにいくつか質問をして分かったが、同じウルフィー族でも村同士の交流はあまりないらしい。村によっては対立しているところもあるそうだ。そして、どの村も閉鎖的なのだろう。
だからウルフィー族同士でも受け入れてもらうのは難しいようだ。
もし彼が村に残ったとしても、村人達が全員殺された場所に一人で住むというのはつらいし、まだ未成年のウーヴェが一人で生きていけるかも分からない。
……俺は周りの人達に助けてもらえたが……。
この辺境伯領ではウルフィー族のウーヴェを助けてくれる者はいない。
「これが終わったら、俺のところに来るか?」
セルヴァン様が驚いた様子でこちらを見る。
「ガイウス、それは……」
「うちの商会も、王都も、他国から様々な容姿の者が来ています。皆、容姿の違いは気にしないでしょう。一人くらい、我が家の使用人が増えても問題ありません」
ウーヴェを見れば、理解出来ていない様子でまた首を傾げる。
「俺の家で使用人として働くなら、住む場所も食べるものも困らない。王都は人が多いが、だからこそウーヴェの容姿もそれほど目立たない。……ウーヴェは何か得意なことはあるか?」
「戦う、得意……オレ、先祖返り……身体能力、高い」
「それならルイザの護衛をするのはどうだ?」
ルイザは毎日倉庫に出掛けるが、護衛達にも休日が必要なので、もう少し護衛を増やしたいと思っていたところだった。身体能力が高いなら護衛に向いているだろう。
少し考えるふうに目を伏せたウーヴェだったが、すぐに顔を上げた。
「護衛、なる」
そう言ったウーヴェの目はしっかりとガイウスを捉えていた。
流されての返事ではないというのは確かだった。
「ルイザ……助けてもらった……オレも、助ける」
「ああ、そうしてくれ。ルイザは時々、予想もつかないことをするからな」
「……分かる。オレ、拾った……」
ウルフィー族の自分を助けるということが、ここでは一般的な考えではないとウーヴェも理解しているようだ。事実、ガイウスも話を聞いた時はとても驚いた。
だが、ルイザはそういったことを気にするような性格ではないのだろう。
助けが必要な人がいて、自分が助けたいと思ったから助ける。
そういうところが好きだし、尊敬するし、ルイザらしい。
……俺の妻はいつだって自由だな。
これからも、そうであってほしいとガイウスは思った。
「だが、ウーヴェ、一つだけ約束してほしいことがある」
ガイウスの真剣な表情にウーヴェが警戒したように顎を引いた。
「何……?」
「ルイザは俺の妻だ。それは忘れないでくれ」
ウーヴェは見目が良いので、王都に行けば目立つだろう。
ルイザ自身についての心配はしていないが、ウーヴェがルイザに惚れては困る。
ガイウスの言葉にウーヴェは首を傾げた。
「……ルイザ、ガイウス、夫婦。分かってる」
それがどうしたのかという表情のウーヴェにガイウスはホッとした。
夫婦だと理解しているなら大丈夫だろう。
「ルイザ、オレ助ける……恩人……ガイウスも、恩人」
どうやら、自分を助けてくれたルイザを恩人として慕っているらしい。
そのルイザの夫であるガイウスも彼にとっては恩人と認識したようだ。
「オレ、ルイザ、ガイウス……守る」
無表情だが、どことなくやる気に満ちているウーヴェにガイウスは笑った。
「そうだな。俺は剣の扱いもそれなり程度だから、守ってくれると助かる」
「……ん、オレ、護衛だから」
体は大きいが、仕草や言葉遣いはまるで子供である。
小さく閉鎖的な村での暮らしでは、教育などもなかったのかもしれない。
「とりあえず、王都に戻ったら読み書きくらいは覚えてもらうがな」
と言うと、ウーヴェが肩を落とした。
「……勉強、嫌い……」
「読み書きくらいは出来ないと困るぞ? 誰かに騙されるかもしれない」
「嘘、匂いで、分かる」
「ウルフィー族は皆、そうなのか?」
驚くガイウスに、ウーヴェが首を横に振った。
「オレだけ……先祖返り、だから」
先祖返りというのは、恐らくウルフィー族の言う『狼獣人の特徴』が色濃く出た者のことを示す言葉なのだろう。
だが、そう答えたウーヴェの表情はどこか暗い。
他のウルフィー族よりも特徴が強く出るということは、もしかしたら、部族の中でもウーヴェの扱いは他の者と違っていたのかもしれない。
……ウーヴェはそれをあまり良く思わなかったのか。
自分だけ特別扱いされたり、他と区別されたりするというのは良い気分ではないだろう。
俯くウーヴェは見た目よりも小さく見えた。
ガイウスは手を伸ばし、その頭に触れる。
「嘘を見抜けるのはいいことだ。何か悪事を企んでいるような者がルイザに近づこうとしたら、その時はウーヴェが止めてくれるか?」
「……ん、分かった」
頭を撫でると気持ち良さそうにウーヴェが目を細める。
最初は警戒してしまったが、ウーヴェはガイウスが危惧していたような危険人物ではなかった。




