孤児院と拾いもの
その後、ジャストール卿が御者に声をかけ、孤児院に向かった。
雨降りだからというのもあるだろうが、やはり街中はあまり人が歩いておらず、活気がない。
長雨のせいで作物にも影響が出始めているというし、水害もあり、ずっと朝も夜も雨が降り続いていて、今後の生活への不安や心配から塞ぎ込んでしまうのも分かる。
それに雨が降ると出掛けるのが億劫になってしまうものだ。
しばらく馬車が街中を走り、小さな教会の前で馬車が停まった。
「こちらがリィンデル孤児院のある教会です」
侍女が差し掛けてくれた傘の下、馬車から降りて、教会を見た。
小さく、古く、けれどもよく見るときちんと手入れがされている。
ジャストール卿に促されて教会の中に入れば、老齢の司祭が出てきた。足が悪いらしく、少し片足を引きずっており、杖で補って歩いていた。
「ようこそ、お越しくださいました。お祈りでしょうか?」
「ええ、それもありますが、少し孤児院を見学させていただきたくて。……申し遅れました、わたしはガイウス・バッシュの妻でルイザと申します」
「ガイウス……もしかして黒髪に赤い目をした方ですか?」
「はい、こちらで育ったガイウスがわたしの夫ですわ。突然訪問してしまい、申し訳ありません。どうしても夫の育った孤児院を見たくて来てしまいました」
老齢の司祭が嬉しそうに微笑み「さあ、どうぞこちらへ」と案内をしてくれる。
そうして、応接室に通された。
途中、シスターに声をかけてお茶の用意まで頼んでくれた。
ソファーに座ると司祭がニコニコと笑顔で訊いてくる。
「ガイウスはお元気ですか? 彼は年に数回、手紙と共に寄付金を送ってくださっていまして……そのおかげで毎年、毛布や薪に困ることもなく、過ごせております」
「そうなのですね。夫もこちらに戻って来てはいるのですが、この長雨の原因を調査するために領地内を動き回っているのです。それから、こちらは少額になってしまいますが寄付させていただきます」
「ああ、ありがとうございます。これで屋根の修理が出来ます」
司祭がホッとした様子で言う。
話によると、長雨のせいで屋根が傷み、雨漏りをしてしまっているそうだ。
この司祭は濡れた床で滑って転んでしまったのだとか。
本人いわく「少し足を挫いただけですので」とのことだったが、心配だ。
……後でお医者様をお願いしておきましょう。
シスターが来て、お茶を出してくれた。安い茶葉だが、きっと、これがこの孤児院で出せる精一杯のものだと分かる。経営が厳しい場所では客人に茶を出すことも出来ない場合もあるので、この孤児院はそれでもまだ良いほうなのだろう。
ガイウスのこれまでについて簡単にだが説明すると、司祭は自分のことのように喜んだ。
「あの子は昔から他の子達の面倒を見てくれて、孤児院のためにと幼いうちから辺境伯様の下で働いて、その給金をいつも寄付して──……本当に、優しくて良い子でした」
その後、シスターに孤児院を案内してもらえることとなった。
シスターは四十代前後くらいで、ここに来たのは十年ほど前らしく、ガイウスのことは知らないが、毎年かなりの額を寄付してくれるここ出身の商人だということは知っているようだ。
歩いていると、どこからともなく、ピチョン……ピチョン……と水音が聞こえてきた。
……いくつも雨漏りしているところがあるのね。
歩いているとバケツが廊下に置いてあった。
「申し訳ありません、雨漏りをしているのでお足元にお気を付けください」
「大丈夫ですわ」
それから、孤児院の中を案内してもらった。
教会と同じく古いが、こちらも綺麗に掃除がしてあり、所々に修理をした跡が見える。
どの部屋も狭くて、きっと、毎日子供達は身を寄せ合って暮らしているのだろう。
……ガイウスもその一人だったのよね。
ガチャリと音がして近くの扉が開き、振り向けば、子供達が顔を覗かせていた。
「シスター、あめふってきたあ」
「ぽたぽたしてる〜」
……雨は先ほどからずっと降っているはずだけれど……?
「あら、食堂も雨漏りしてしまったのね」
シスターが困り顔をする。
扉がもっと開き、中からやや大きな男の子が出てくる。
「何か入れもの持ってくる」
その男の子が廊下の向こうに駆け足で消えていった。
シスターがこちらを見たので、わたしは頷き返した。
「子供達が不安がりますから、見に行きましょう」
「ありがとうございます」
シスターと共に子供達のいる部屋に入ると、部屋の一箇所、その天井から僅かだが水が滴っていた。
そのせいで床が結構濡れていて、これでは司祭が滑って転んでしまうのも頷けた。
わたしはポケットの中に手を入れて、心の中で『吸水紙召喚』と願った。
望んだ通り、折り畳まれたやや厚手の吸水紙がポケットの中に出てきたので、それを引っ張り出す。
「良ければこちらをお使いください。水を拭き取るのに使う紙です」
「まあ、そんな……紙なんて高価なものを……」
「濡れた床で子供達が転ぶと危ないですもの」
吸水紙の何枚かをシスターに渡し、わたしが床に膝をついて拭き始めると、子供達が近づいてくる。
「それなぁに?」
「お水を拭き取るための紙よ。こうすると、ほら、床が綺麗になるでしょう?」
「わー、すごい! おもしろーい!」
「ぼくもやりたい!」
わたしはまたポケットに吸水紙を召喚し、取り出して子供達に配った。
「みんなで拭いて綺麗にしましょうね。……シスター、その紙を雫が落ちるところに置いてください。少しの間でしたら、水滴を吸収してくれますわ」
「あ、は、はいっ」
子供達と共に吸水紙で濡れた床を拭く。
それが楽しいようで、子供達が「つめたーい」「お水なくなったあ!」と騒いでいたが、みんなしっかりと床を拭いており、普段から掃除をしなれているのが感じられた。
後ろで扉が開き、声がする。
「入れ物持ってきた!」
先ほど出ていった男の子がボウルのようなものを持って戻ってくる。
それを水滴が落ちる場所に置こうとしたので、その下に吸水紙を広げてから置かせた。
「濡れて燃えにくいかもしれませんが、使い終わったら燃やすことが出来ますわ。……そうだわ、使っていないお部屋はあるかしら? 屋根の修理が終わるまで、この水を吸い取ってくれる紙が使えるように沢山用意しましょう」
「やったー!」
「つかってないへや、こっち!」
と、子供達に手を引かれ、シスターと共に部屋を出る。
そうして、すぐそばの小さな部屋に案内された。
元は倉庫だったのだろうが、今は何も置いていないのだとか。
「すぐに用意するから、廊下で少し待っていてもらえる?」
子供達に訊くと、素直に頷いてシスターと共に部屋を出ていく。
幸い、わたしの魔力は十分にある。この部屋いっぱいの吸水紙を出しても余裕だ。
召喚で部屋いっぱいの吸水紙を出し、扉を開けると、子供達がスカートにくっついてくる。
わたし越しに部屋を見て「かみいっぱーい!」と子供達が歓声を上げた。
「これで床を拭いてください。あちこち雨漏りしているなら、拭く布を用意するだけでも勿体ないでしょう? それに、外から帰ってきた時に靴の裏を拭けば、床が濡れないので子供達も安全に歩けますから──……」
「そんなのあったって意味ないだろ」
先ほどボウルを持ってきた男の子が言う。
それにシスターが「リアン!」と注意するが、男の子は不満そうな様子である。
「そうね、これはわたしの自己満足よ。先ほど寄付をしたから、そのお金で屋根が直せると司祭様がおっしゃっていたわ。これはそれまでの応急処置に過ぎないでしょうね」
「直したって雨が続けば、またどうせ壊れる」
「わたし達は王都から来たのよ。夫と騎士団、セルヴァン様が長雨の原因を調べているわ。きっと、原因が分かれば雨を止められる。だから、もう少しだけ我慢してちょうだい」
「……原因が分からなかったら?」
ガイウスと同じようなことを言う男の子にわたしは微笑んだ。
「『信じる者は救われる』と言うでしょう? わたしは夫を信じているわ」
* * * * *
それから孤児院でしばらく過ごし、馬車に乗って後にした。
思いの外、孤児院に長く滞在していたようで、気付けばティータイムを過ぎている。
長雨のせいか閉まっている店も多くあり、雑貨やドレスを見る気分にもなれず、今日はこのまま辺境伯家に戻ることに決めた。
車窓の外の景色を眺める。やはり、外は薄暗い。
馬車の屋根を打つ雨音は少し強くなっていた。
……なんだか、無性にガイウスの顔が見たいわ。
孤児院の子供達にガイウスの幼い頃を重ねてしまったからだろうか。
ぼんやりと外を眺めていると、不意に細い路地の前を横切った。
その路地の奥に、地面に転がっている人影が見えて、思わず立ち上がった。
「馬車を止めて!」
わたしの言葉にジャストール卿がすぐに御者台のある前方の壁を叩いた。
馬車が停まり、わたしは雨の中に飛び出した。
急いで先ほどの細い路地に駆け込めば、見間違いではなく、本当に人が倒れていた。
慌てて駆け寄ろうとしたわたしの肩が掴まれる。
「夫人、不用意に近づいてはいけません。……私が確認いたします」
ジャストール卿の言葉に、我に返る。
卿が倒れている人物に近づき、軽く肩を叩いたが反応がない。
薄汚れた焦茶色のローブは長く、ボロボロで、大きさからして大人に見える。
遅れて来た侍女がわたしに傘を差しかけてくれる。
他の護衛や騎士達が警戒する中、ジャストール卿がゆっくりとその人物を抱き起こし、その顔を見て何故かハッと息を呑んだ様子で表情を強張らせた。
そっと近づきジャストール卿の腕の中を覗き込むと、やや灰色がかった褐色の肌に白髪の、まだどこか幼さの残る顔立ちの少年がぐったりと目を閉じていた。背は高いが痩せている。
わたしと同じか少し下くらいの年齢だろう。
少年と称したけれど、もしかしたら青年かもしれない。
「ジャストール卿、この子を連れて帰ってもよろしいでしょうか?」
「それは……その、彼は恐らくウルフィー族の者でして……夫人は大丈夫なのですか?」
「大丈夫とはどういう意味で……いいえ、今は介抱するほうが先ですわ。連れ帰っても問題がないのでしたら、この子を馬車に乗せてあげていただけますか?」
「かしこまりました」
ジャストール卿が彼を抱き上げ、後ろについてきていた馬車に乗せる。
わたし達も馬車に戻り、急いで辺境伯家の屋敷に戻った。
屋敷に到着し、彼を馬車から降ろすと使用人達が驚いていたけれど、お願いすると彼を着替えさせ、体を拭いて、ベッドに休ませてくれた。
その間にわたし達も着替え、彼が休んでいる部屋に案内してもらった。
そこには先にジャストール卿がいて、心配で様子を見に来たというよりかは、見張っている雰囲気を感じる。
ベッドのそばの椅子に座るとジャストール卿も同じように、近くの椅子に腰掛けた。
「夫人は『ウルフィー族』をご存じないようなので、僭越ながら私がご説明をしてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いいたします」
「このレイノルズ辺境伯領は隣国との国境があります。その国境沿いにはいくつかの小さな村があり、山深いそこには『ウルフィー族』という部族が昔から住んでいます。彼らは遥か昔、隣国パルドゥームスの北部の山岳地帯にいましたが、迫害を受け、逃げてきたのです」
隣国パルドゥームス王国は身分制度が絶対的で、特に王侯貴族は選民意識が強く、平民であっても他国の者には冷たいという。恐らく、昔からそういう国民性なのだろう。
だが、この『ウルフィー族』はパルドゥームスでは賎民とされてきた。
その理由は彼らが主張する『自分達の祖は狼獣人であった』というものからくる。
遠い昔、まだ誰もが魔法を扱えた時代、この世界には人間以外にも多くの種族がいたという。
しかし、戦争や飢饉、種族として存続出来ずに多くの種族が消えていった。
現在残っているのは『人間のみ』とすら言われている。
そうして、パルドゥームスでは『存続している人間こそが最も力ある種族』とされてきた。
獣人という種族は名前の通り、獣の特徴を持つ種族で、あまり魔法は得意ではないが、その代わりに非常に身体能力が高い種族であったらしい。『ウルフィー族』は獣人の中でも狼を祖に持つ部族だと主張し続けた。
パルドゥームスの人々は彼らを『獣に落ちた人』と見下し、差別し、迫害した。
この国ではそういったことはないが、一度迫害された『ウルフィー族』は国境沿いでひっそりと息を殺すように代々生きてきたという。
「実際、彼らの中には稀に驚くほど高い身体能力を持つ者が生まれました。ここはパルドゥームスに近いので、ウルフィー族に偏見を持つ者も多く……彼らも必要以上の接触をしないため、我々にとってもウルフィー族は謎に包まれた者達なのです」
「そうだったのですね……」
「この灰色がかった褐色の肌に雪のように白い髪は『ウルフィー族』特有の容姿ですが、街で彼らを見かけたのは初めてだったので不覚にも驚いてしまいました」
つまり、この国──……というより、辺境伯領の人々にとっても『ウルフィー族』はあまり好まれていないのだろう。人は理解出来ないことや自分の知らない存在、己と違う容姿を恐れるものだ。
「しかし、どうしてウルフィー族である彼が街に来ていたのか……」
話を聞く限り、閉鎖的な部族だというのは確かである。
よほどのことがない限り、村を出るとは思えないが──……。
「……村、襲われた」
小さいけれどよく通る低い声に顔を向ければ、彼がゆっくりと起き上がった。
視線が絡み合った瞳は淡い金色で、でも、燭台の明かりが揺れると僅かに銀色がちらつく不思議な色合いをしていた。




