第6話『親子水入らずの時間-後編-』
お母さんが体と顔を洗い終えたので、今度は私がバスチェアに座り、お母さんが私の後ろで膝立ちする形に。
鏡越しで見るお母さんはいい笑顔だ。髪や体、顔を洗ってさっぱりしたからなのか。それとも、これから私の髪と背中を洗うからなのか。理由はどうであれ、笑顔のお母さんを見ると嬉しくなる。
「今度は文香の番ね。髪と背中、どっちから洗ってほしい?」
「髪からお願いします」
ダイちゃんとお風呂に入るときは、いつも髪から洗ってもらっているし。
「了解。じゃあ、髪から洗っていくわね」
「うん、お願いしますっ」
私がそう言うと、お母さんは鏡越しに私と目を合わせ、ニッコリと笑ってくれた。
私はお母さんに髪を洗ってもらい始める。……凄く気持ちいいなぁ。目を瞑っているとそのまま眠っちゃいそう。泡が落ちてこない限りは目を開けていよう。
「文香。洗い心地はどう?」
「とても気持ちいいよ」
「良かった。じゃあ、こんな感じで洗っていくわね」
「うんっ」
ダイちゃんと同じくらいに気持ちがいい。ただ、体が覚えているのかな。頭から伝わってくるお母さんの手つきに懐かしさを覚える。鏡を見ると、柔らかい笑顔で私の髪を洗うお母さんが映っている。その姿にも懐かしさが。
「あたしよりも長いから、文香の髪は洗い甲斐があるわね」
「ふふっ。私は逆にお母さんの髪は量的に洗いやすかったよ」
「そうだったの。セミロングだけど、ツヤがあってサラサラに保てていて凄いわ」
「ありがとう」
3年前の春。ダイちゃんと距離を取るようになった例の事件をきっかけに、それまでショートヘアだった髪を伸ばし始めた。髪を伸ばせば、ダイちゃんに少しでも大人っぽいと思ってくれるかなと考えたから。
仲直りして、恋人として付き合い始めてからだけど、ダイちゃんが今の髪にしたことについて「いい感じに大人っぽくなったと思う」って言ってくれて凄く嬉しかったのを覚えている。
「凄く嬉しそうな顔をしているわね。今の長さが気に入っているの?」
「うんっ」
お母さんの方に振り返り、お母さんの顔を直接見ながら返事した。
昔と比べて、髪を乾かしたり、雨が降った日に髪をセットしたりするのは苦労する。それでも、ダイちゃんが褒めてくれたから、これからも髪の長さは今のままにしていくつもりでいる。
その後すぐに、シャワーで髪に付いたシャンプーの泡を落としてもらう。お湯の温かさと流れが気持ちいいなぁ。洗い流した後にタオルで拭いてもらうのも。
「髪はこれでOKね」
「ありがとう」
お母さんが拭いてくれた髪をヘアグリップで纏める。もうすっかりと慣れたけど、使い始めた頃はどう纏めようか悩んだり、纏めるのに手こずったりしたなぁ。
「じゃあ、次は背中を洗ってあげるわ」
「うん。タオル掛けに桃色のボディータオルがあるの。それを取ってくれる?」
「……これね」
お母さんから私のボディータオルを受け取り、私はいつも使っているボディーソープを泡立てていく。
「文香の背中……引っ越す前と比べて大人っぽい雰囲気になったわ。肌もより綺麗だし。これも大輝君のおかげかしら?」
「きっとそうだと思う」
ダイちゃんに背中を洗ってもらったり、スキンシップをしたりしているからかな?
あと、お母さんも背中を見て綺麗だと思い、それは好きな人のおかげなのかと考えるとは。親子だなぁ。そう思いながら、お母さんにボディータオルを渡した。
「じゃあ、洗うわよ」
「お願いしまーす」
お母さんに背中を流してもらい始める。……気持ちいいなぁ。背中を洗うのもダイちゃんと同じくらいに気持ちがいい。
「文香、どう?」
「気持ちいいよ、お母さん。今の強さでお願いできるかな?」
「分かった。……ここ何年かは一緒にお風呂に入ることは少なくなったけど、ちょうどいい洗い加減って意外と覚えているものなのね」
「確かに。私がお母さんの髪と背中を洗ったとき、特に力加減を変えてって言わなかったもんね」
「うん。文香が小学校1、2年くらいまでは私と入るのが当たり前だったもんね」
「たくさん洗ってきたから、両手が覚えていたのかも」
「そうかもね」
ふふっ、と私はお母さんと一緒に笑い合う。浴室だから、その笑い声はよく響いて。小さい頃もお風呂に入ると、お母さんと話して、声に出して笑うことが多かったな。
私が大きくなるにつれて一緒にお風呂に入る回数は減って、今は住む場所が離ればなれになってしまった。あと何回、お母さんと一緒にお風呂に入れるのかな。
「……みか。文香」
「う、うん?」
「背中、洗い終わったわよ」
「ありがとう、お母さん。あとは自分で洗うよ。お母さん、もう洗い終わっているから、先に湯船に浸かってて」
「ええ、分かったわ」
私はボディータオルを受け取り、背中と腰以外の部分を洗い始める。
お母さんは両手を洗って、一足先に湯船に浸かる。お湯が気持ちいいのか「あぁ~」と可愛い声を結構長く漏らしていた。
「温かくて気持ちいいわ。温もりが身に沁みる~」
「ふふっ、良かった」
「あと、湯船が広いから凄くのんびりできるわ。3月まで住んでいたマンションも、今住んでいるマンションも十分に広いけど」
「広いお風呂だよね。ゴールデンウィークには和奏ちゃんと青葉ちゃんと3人で一緒に入ったんだよ。あと、ダイちゃんと和奏ちゃんの3人でも」
「前に話していたわね。このお風呂なら、和奏ちゃんと青葉ちゃんはもちろんだけど、大輝君と和奏ちゃんの3人でも入れそうね」
和奏ちゃんと青葉ちゃんのときも、ダイちゃんと和奏ちゃんのときも色々なところに触れた状態で湯船に浸かった。でも、みんな好きな人だから、決してゆったりとは言えなかった状況がむしろいいと思えた。
鏡越しにお母さんを見ると、お母さんは肩までお湯に浸かってまったりしている。この広いお風呂を堪能しているようだ。そんなお母さんを見てほっこりした気分になりながら、私は体と顔を洗っていった。
「お母さん、私も入るね」
体と顔を洗い終えた私はお母さんにそう言う。
お母さんは「はーい」と言って、それまで伸ばしていた脚を折り曲げ、体育座りのような体勢になる。
私も湯船の中に入り、お母さんと向かい合う形で腰を下ろした。
「あぁ、気持ちいい」
外のジメッとした蒸し暑さは嫌だけど、お風呂の温かさは快適だ。
お母さんはダイちゃんよりは小柄なので、ダイちゃんと一緒に入っているときよりもゆったりと感じられる。向かい合って座っているけど、足が少し触れるくらい。
私が湯船に入ったからか、お母さんは鎖骨から上の部分だけがお湯から出ている。ほんのり赤くなっている顔に気持ち良さそうな笑みが浮かんているのもあり、艶っぽさを感じる。
「どうしたの? あたしのことをじっと見て」
「……湯船に浸かるお母さんが綺麗だなと思って」
「ふふっ、ありがとう。文香は引っ越す直前よりも大人っぽい姿になったわね」
「そう?」
「うん」
しっかり頷くお母さん。
大人っぽくなった理由は、おそらくダイちゃんだろう。恋人として付き合うようになったり、ゴールデンウィーク頃からバストアップマッサージをしてもらうようになったり、肌を重ねたりするようになったから。ダイちゃんが心身共にいい刺激をもたらしてくれるから、今の私になれたのだと思っている。
「大輝君はこういう文香の姿を見てドキドキしていそうねぇ」
「その可能性はあると思う。ゴールデンウィーク明けぐらいから、ダイちゃんと湯船に浸かるときは、ダイちゃんを背もたれにするの。そのとき、ダイちゃんに後ろから抱きしめてもらって」
「いいわよね、その体勢! 私もてっちゃんと入るときはその体勢になることがあるわ」
「そ、そうなんだ。……その体勢でお風呂に入っていると、背中からダイちゃんの鼓動がはっきり伝わってくるの」
「あらぁ、いいじゃない」
「ふふっ。それで、振り返ってキスすると鼓動が激しくなって。まあ、私も結構ドキドキするから勘違いかもしれないけど」
「きっと、大輝君も結構ドキドキしているのよ。お風呂でも愛を育んでいるのね! お母さんキュンキュンしちゃうっ!」
お母さんはとっても可愛い笑顔になり、普段よりも高い声でそう言ってくる。興奮しているようにも見えて。そんなお母さんの反応を見ていたらドキドキしてきたよ。
「ダイちゃんに抱きしめられて、キスするのが幸せで。ダイちゃんと一緒だから、お風呂も凄く気持ち良くて。だから、お風呂に入るのは引っ越す前以上に好きになったよ」
「ふふっ、そうなのね。これからもそう思えるように、大輝君とは仲良く付き合っていってね」
「うんっ」
「じゃあ、約束の意味も込めてハグしようか。大輝君との話を聞いたら、あたしも文香を抱きしめたくなっちゃった。それに、小さい頃や引っ越す直前に入ったお風呂では、湯船の中で抱きしめ合ったし」
「……分かった。いいよ」
お昼にお母さんを抱きしめたとき、温かくて、柔らかくて、いい匂いがして幸せな気持ちになったから。
お母さんはニッコリとしながら、両腕を広げる。
私はお母さんにゆっくりと近づいて両腕の中に入り、お母さんとそっと抱きしめ合った。お互いに裸だから、お昼のときよりも温もりが強く、柔らかくて。ピーチのボディーソープの甘い匂いがドキドキした気持ちを穏やかにさせてくれる。
「体は大きくなったけど、抱き心地の良さは変わらないわ。文香はどう?」
「……落ち着く。温かさや柔らかさが昔と変わらないからかな」
「ふふっ。良かった」
至近距離でお母さんと見つめ合い、笑い合う。ダイちゃんが相手だとドキドキするけど、今はお母さんだから気持ちが落ち着く。
「ねえ、お母さん。今日ってどこで寝るの?」
「客間で寝るつもりよ。荷物もそこに置いてあるわ」
「そうなんだ。……お母さんさえ良ければ、私の部屋で一緒に寝ない? 2ヶ月半ぶりに会ったし、次に会うのは……早くても夏休みだろうから。一緒に寝たいなって。もちろん、ふとんや荷物は私が運ぶから」
お母さんの目を見ながら、そうお願いしてみる。
高校生の娘にこんなお願いをされて、お母さんはどう思うだろう? お母さんがどう返事をするのか期待と不安が入り交じり、鼓動が少し早まった。
「もちろんいいわよ」
そう言うお母さんの声は凄く優しくて。今の言葉が本当だと示すように、お母さんの笑顔が優しいものになっていく。そのことに嬉しい気持ちがどんどん沸いてくる。
「ありがとう、お母さんっ」
「いえいえ。一緒に寝たいって誘ってくれて嬉しいわ。こちらこそありがとう」
「うんっ」
私の部屋で一緒に寝られるのが嬉しくて、お母さんへの抱擁を強くする。それに応えるように、お母さんも私のことを強く抱きしめてくれた。
お風呂から出て、ダイちゃんにお風呂が空いたことを伝えたとき、今夜はお母さんと一緒に私の部屋で寝ることを伝える。そのことをダイちゃんは快く受け入れてくれた。
髪を乾かしたり、スキンケアしたりした後、お母さんと一緒に客間から荷物とふとんを私の部屋に運んだ。
それからはお母さんと一緒に冷たい紅茶を飲みながらお喋りしたり、ダイちゃんを誘って3人とも好きなアニメを観たり。お母さんとひさしぶりに過ごす夜をたっぷりと楽しんだ。




