第1話『相合い傘』
6月10日、水曜日。
今日は起きたときから雨がシトシトと降っている。明日以降も雨予報の日が続くので、今日のうちに梅雨入りが発表されるだろう。
今日もサクラと一緒に、学校に向けて家を出発する。ただ、既に雨が降っているので、俺の傘で相合い傘をして。2年生になってから、雨が降っているとこの形で登校するのが普通となった。
「シトシトと降る雨にジメッとする空気。今日には梅雨入りしそうだね、ダイちゃん」
「そうだな。明日以降も雨予報だし。むしろ、今日発表しないでいつ発表するんだって感じだよ」
「ふふっ、そうだね」
サクラは楽しそうに笑うと、俺の左腕にそっと腕を絡ませてくる。サクラと恋人として付き合うようになってからは、相合い傘のときにこうして腕を絡ませることも多くなった。
サクラが腕を絡ませてきたことで、左腕にサクラの温もりが伝わってきて。俺は半袖のワイシャツ、サクラは半袖のブラウスを着ているので、サクラの肌の柔らかさも。この時期特有のジメッとした暑さは嫌だけど、そんな中で感じるサクラの温もりはとても心地いい。
「今年も梅雨の時期が来るんだね」
「そうだな。個人的にはあまり好きじゃないなぁ。雨が降る日が多くなるし、空気も今みたいにジメッとするから」
「私も同じ理由で梅雨は好きじゃないなぁ。ただ、たまに雨が降っていても涼しくなる日があるじゃない。そういう日は結構いいなって思う」
「確か、梅雨寒って言うんだよな。俺も涼しくなる日は快適でいいなって思う」
「そうなんだ。ダイちゃんと好みが似ていて嬉しいな」
えへへっ、と声に出して笑うサクラ。
思い返せば、梅雨になるとサクラはあまり元気がなかった日が多かったな。ただ、その分、晴れた日にはとても元気になったけど。
「でも、今年は去年までよりも梅雨が好きになれそう」
「どうしてだ?」
「だって、登下校のときとかお出かけするときとか……こうしてダイちゃんと相合い傘ができるじゃない。腕を絡ませばダイちゃんとくっつけるし、制服やバッグが濡れにくくなるし」
サクラはそう言うと、俺に優しく笑いかけてくれる。そんなサクラの笑顔はほんのりと赤らんでいて。今の言葉もあってサクラが本当に可愛らしい。今のサクラを見ているとドキドキしてきて、体が結構熱く感じてきた。ただ、この熱さは嫌だとは思わない。
「そっか。俺も……サクラと同じ理由で、今年は梅雨がいいなって思えそうだ」
「ふふっ、そうなると嬉しいな」
サクラはより腕を絡ませてくる。そのことで、サクラの甘い匂いがほのかに香ってきて。
相合い傘をすると、雨が降っていないときよりもくっついて歩くし、傘を差しているから二人だけの空間にいるような雰囲気を味わえるし。相合い傘ができる日が多くなるから、去年までよりも梅雨がいいと思えそうだ。
「蒸し暑いから、ちょっと歩くだけで汗ばんでくるね。……あ、汗臭くない? 大丈夫?」
「……汗の匂いも混じっているけど、いい匂いだって思うよ」
「良かったぁ」
サクラは安堵の笑みを浮かべ、胸を撫で下ろす。これからの季節は特に汗を掻きやすくなるからなぁ。サクラも人並みに汗は掻くし、汗について恋人の俺にどう思われるか不安だったのだろう。
「ちなみに、俺は大丈夫か? 俺もちょっと汗ばんできたけど」
「全然汗臭くないよ。むしろ、ダイちゃんの汗の匂い好きだし。最近、お風呂に入る前、ダイちゃんが服を脱ぐと凄くいい匂いがするもん」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
恋人に汗の匂いを気に入られると嬉しいな。ただ、匂いが嫌だと言われたらどうしようかと思っていたので、ほっとした気持ちにもなる。さっき、サクラはこういう気持ちを抱いていたのだろう。
「そういえば、今日はサクラの三者面談だな」
「うん。午後2時半から。一紗ちゃん曰く、中間試験の結果を中心に学校生活のことや進路について話すみたい。中間試験は理系科目含めて平均点は取れているし、担任は去年から続いて愛実先生だから、平和な時間になるって思いたいな」
「赤点教科もないし、きっと平和な面談になるさ」
俺がそう言うと、サクラはニコッと笑って「うんっ」と頷いた。
「今日は美紀さんが家に来るんだよな。何時頃に来るんだっけ?」
「お昼前にはこっちに来るって。だから、学校が終わって家に帰ったらお母さんに会えると思うよ」
そう話すサクラはいつも以上に明るい。美紀さんと会うことが楽しみなのが伝わってくる。
「最後に美紀さんと会ったのは春休みだから……2ヶ月半くらいか」
「2ヶ月半なんだ。もっと前のことのように思えるよ。ダイちゃんと一緒に暮らし始めて、わだかまりもなくせて、恋人同士になれたからかな」
「色々あったもんな。俺もサクラが家で暮らし始めて、御両親が名古屋に引っ越していったのがもっと昔のことのように感じるよ」
サクラとの関係を良い方向へ大きく変えることができて、毎日濃い時間を過ごすことができているからそう感じられるのだと思う。そして、そんな感覚になれるのはとても幸せなことなのだろう。
「……よく考えたら、最後に美紀さんと会ったときは、俺とサクラは幼馴染だったんだよな。だから、サクラの恋人として美紀さんと会うのは今日が初めてになるのか」
「そうなるね」
「……何だか緊張してきた」
美紀さんとはこれまで数え切れないほどに会ってきたし、サクラと付き合い始めてからも電話やメッセージで話したこともある。それでも、実際に会うとなると、段々ドキドキしてくる。恋人の母親だから。
「大丈夫だよ、ダイちゃん。お母さんは昔からダイちゃんのことを気に入っているし。ビデオ通話で付き合うことを報告したときも、お母さんは笑顔でおめでとうって言ってくれたんだから。それに、私も一緒にいるから」
ね? と、サクラは俺に優しく微笑みかけてくれる。そんなサクラを見ていると頼もしさを感じてくる。段々と緊張が和らいでいく。
「ありがとう。サクラの言う通り、美紀さんとは昔からたくさん会っているもんな。それに、サクラがいれば大丈夫そうだ」
「……良かった」
ニッコリと笑いながらサクラはそう言った。
「ところで、サクラは緊張はしなかったのか? 俺と恋人同士になった直後、俺の両親と直接顔を合わせることに」
「緊張は全然しなかったなぁ。小さい頃からたくさん会っているし、ダイちゃんの家に住み始めてから1ヶ月近く経っていたから。ただ、ダイちゃんと付き合うことになったって報告することは緊張したよ」
「そっか」
確かに、1ヶ月近くの間、俺の両親とは毎日顔を合わせているんだもんな。俺と付き合い始めたことで、両親と顔を合わせることに緊張はしないか。
「ただ、ダイちゃんが一緒だったから、緊張する中でも優子さんと徹さんにダイちゃんと付き合うことの報告ができたんだよ。だから、今回は私の番。もし、緊張することがあったら、私がダイちゃんを支えるから安心して」
真剣な眼差しで俺を見つめながら、サクラはそう言ってくれる。声のボリュームは決して大きくなかったけど、力強さが感じられて。サクラの優しい言葉に胸が温かくなる。気付けば、頬が緩んでいた。
「ありがとう、サクラ。そのときは頼りにするよ」
「うんっ」
明るい笑顔を見せて、サクラはしっかりと首肯する。
サクラと色々話していたから、気付いたときには四鷹高校の正門がすぐそこに。もっとサクラと相合い傘をしていたかったな。学校まで徒歩数分の近さであることがちょっと嫌だと思ったのは、これが初めてかもしれない。




