プロローグ『春の終わり。冬服も終わり。』
特別編4-胸膨らむ夏の始まり編-
5月19日から22日まで、高2になってから初めての中間試験が行なわれた。また、1年生の杏奈にとっては高校生になってから初めての定期試験だ。
実施された試験の答案は、試験明けの授業で返却された。
試験前と試験期間中の勉強会のおかげもあり、俺は全教科80点以上を取ることができた。サクラと杏奈は平均点以上。かなり苦手な科目がある一紗と小泉さん、羽柴も赤点を取ることなく、中間試験を乗り切ることができた。
教科によっては、赤点を取ってしまうと特別な課題をこなしたり、放課後に補講を受けたりしなければならない。赤点の教科が多いと、入っている部活の活動禁止やバイトの禁止処分もある。だから、みんな赤点を一つも取らずに中間試験を終えられて本当に良かった。
「今日もお疲れ様でした、大輝先輩」
「うん、お疲れ様、杏奈」
5月29日、金曜日。
午後7時過ぎ。
マスバーガーでのバイトが終わった俺達は、従業員用の出入口からお店の外に出る。今の時期だと、この時間でも空がまだうっすらと明るいのか。あと、夏も目前だけど、今の時間だと涼しいな。バイト上がりの今の俺にはとても心地いい。
「この時間になると涼しいな。夏になっても、夜はこのくらい涼しいといいよな……って、どうしたんだ? 杏奈」
杏奈が俺のことをじっと見ているのだ。
「冬服姿の大輝先輩を見ていました。季節が春の間の学校って今日が最後だったじゃないですか。ですから、しばらくの間、冬服姿の先輩が見られなくなるので。一旦見納めです。まあ、スマホに冬服姿の先輩の写真はありますけど……生で見ておきたくて」
「なるほどな」
俺達の通う都立四鷹高校では、校則により、6月から9月末まで夏服となる。
来週の月曜日は……6月1日か。お互いに部活や生徒会に入っていないから、週末に学校へ行くことはない。よって、俺達が冬服を着るのは今日で一旦終わりになる。だから、俺の冬服姿をじっと見ているなんて……可愛い後輩だ。
杏奈の考えを知ると、俺も冬服姿の杏奈をじっと見てしまう。杏奈はボタン全開の状態でジャケットを着ている。杏奈の冬服姿も10月になるまで見られなくなるのか。
色々と考えながら杏奈を見ていると、杏奈は頬をほんのりと赤くし、はにかむ。
「じっと見られると、何かちょっと恥ずかしいですね」
「もし嫌だったならごめん」
俺がそう言うと、杏奈はかぶりを振った。
「そんなことないです。むしろ嬉しいくらいですよ。だって、好きな人に見られているんですから」
えへっ、と杏奈は可愛く笑った。
1ヶ月以上前に、杏奈から告白されて振った過去がある。それでも、「好き」という言葉を言われると、心がほんのりと温かくなる。
まもなく暑い夏になるけど、精神的な温もりは俺にとっての癒しとなるだろう。
「夏服姿の大輝先輩が楽しみです。まあ、去年、オリオとかで羽柴先輩達と一緒にいる夏服姿の大輝先輩を見かけたことがありますが」
「そっか。俺も杏奈の夏服姿を楽しみにしているよ。一度も見たことないから」
「あたしは1年ですからね。楽しみにしていてください」
杏奈は明るくて可愛い笑顔を見せる。
四鷹高校の制服は、ネクタイやリボン以外の色やデザインは夏服になってもあまり変わりがない。ただ、リボンやネクタイの色が夏服になると赤から青に変わり、半袖のワイシャツも解禁される。そのことで雰囲気が変わる生徒もいる。だから、夏服姿になった杏奈がどんな感じになるのか楽しみだ。
マスバーガーの前で杏奈と別れ、俺は帰路に就く。
今日の夕ご飯はサクラと母さんが一緒に作るらしい。母さんはもちろんだけど、サクラも料理上手なのでどんな夕食なのか楽しみだ。夕食のことを考えたら、バイトの疲れも少し取れてきた。
――ぐううっ。
結構大きくお腹が鳴ってしまった。周りに人があまりいなくて良かったよ。
「腹減ったな……」
3時間ほど接客のバイトをした後だからかな。それに、昼休みにお弁当を食べてから、口にしたのは、バッグに入っている水筒の緑茶やラムネ味のタブレット菓子。バイトの休憩中に飲んだアイスコーヒーくらいだし。
腹が減っていたり疲れがあったりしても、家でサクラが待っていると思うと、歩くペースが自然と速くなっていく。
速いペースで歩いているから、体が段々熱くなっていく。でも、それが不快には感じなかった。
歩くスピードを落とすことはせずに、俺は自宅に辿り着いた。
「ただいま」
家の中に入ると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。台所からジューという音も聞こえてくるので、夕食は揚げ物系かな?
『おかえり~』
サクラと両親の声が聞こえてきた。土間を見てみると、父さんの革靴も置かれている。今日は定時に仕事を上がれたんだな。
台所から桃色のエプロン姿のサクラが姿を現し、俺のところにやってくる。そんなサクラは柔和な笑みを浮かべていて。本当に可愛らしい。
「ダイちゃん、おかえり」
「ただいま、サクラ」
「バイトお疲れ様」
労いの言葉をかけると、サクラは俺にキスをしてくる。唇から伝わるサクラの温もりや柔らかさのおかげで、学校やバイトの疲れが取れ、幸せな気持ちに包まれていく。
少しして、サクラの方から唇をゆっくり離す。サクラは俺と目が合うとニッコリと明るい笑顔を見せてくれる。
「ありがとう、サクラ。いい匂いがしているけど、今日の夕ご飯は何だろう? 何かを揚げているような音が聞こえるから、揚げ物系かなって推理しているんだけど」
「正解だよ、ダイちゃん! 今夜は鶏の唐揚げです!」
「おっ、鶏の唐揚げか! それは凄く楽しみだな」
「ダイちゃんの大好物だもんね」
ふふっ、とサクラは声に出して笑う。
夕食が唐揚げだと知って、さらにお腹が空いてきた。今日はバイトもあったから、凄くたくさん食べられそう。
それから程なくして、サクラは笑うのを止めて、じっと俺のことを見てくる。
「どうしたんだ? 俺のことをじっと見て」
「……10月になるまで冬服姿を見られないからさ」
「ははっ」
思わず笑い声が漏れてしまった。
「バイト上がりに杏奈も同じ理由で俺をじっと見ていたよ」
「そうだったんだ。スマホに冬服姿のダイちゃんが写っている写真は何枚もあるけど、じっと見たくなっちゃうんだよね」
「なるほどな」
「もちろん、ひさしぶりの夏服姿も楽しみだよ。あと、杏奈ちゃんは1年生だから夏服姿は見たことないし、一紗ちゃんは去年は何度か見かけたことがあるくらいだから、2人の夏服姿も楽しみだなぁ」
「そうだな。あと、俺もひさしぶりのサクラの夏服姿が楽しみだよ」
去年の9月末以来だから……8ヶ月ぶりになるのか。あのときは、多少は話すようになったけど、まだまだわだかまりのある時期だった。
この夏がサクラと仲直りして、恋人になってから初めての夏服期間になる。制服の衣替えでこんなに楽しみだと思えるのは初めてだ。
サクラと目が合うと、サクラは優しく微笑みながら一度頷いた。
「さあ、ダイちゃん。もうすぐ夕ご飯ができるから、着替えておいで」
「ああ」
「……ご飯を食べたら、一緒にお風呂に入ろう? 今日は金曜日だから、ダイちゃんと楽しい夜をたっぷり過ごしたいなぁ」
上目遣いで俺を見つめ、普段よりも甘い声でサクラはそう言ってくる。本当に可愛すぎる。『ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ・た・し?』って訊かれるのもいいけど、こうして要望を言われるのもいいな。
「ああ、そうしよう。サクラ」
そして、今度は俺からキスした。さっきのキスよりも、唇から伝わるサクラの温もりは強くて優しかった。
それから、俺は制服から私服に着替え、サクラと母さんが作った夕食を4人で食べ始める。鶏の唐揚げだけでなく、フライドポテトやオニオンリングもある。
大好物の唐揚げはもちろんのこと、ポテトやオニオンリングもとても美味しい。さすがはサクラと母さん。それを言葉にして伝えると、2人はとても喜んでいた。
あと、ポテトとオニオンリングはマスバーガーのメニューにもあり、まかないで食べることもあるけど……こっちの方が俺の好みだな。
バイトもしてとてもお腹が空いていたから、いつもよりもたくさん食べました。ごちそうさまでした。




