第2話『人によっては桃源郷』
メイド服姿のサクラの撮影会を終え、俺は体温計で現在の体温を測る。
さっき起きたときには熱っぽさはなかった。だけど、メイドサクラを撮影したことで興奮し、今は体に熱を帯びている。だから、今は体温が高くなっているかもしれない。
――ピピッ。
計測が終わった。さて、今の体温はどのくらいだろうか。
「……37度2分か」
熱を帯びた状態でこの体温。これなら、結構良くなってきていると言えるじゃないだろうか。
「微熱だね、速水君」
「そうだな」
「ただ、今朝は38度以上あったからね。結構な回復だと思うよ、ダイちゃん」
「じゃあ、このまま順調に回復すれば、明日は学校で大輝君に会えるかもしれないわね」
「そうだな。今日はこのままゆっくりしているよ」
ただ、頭痛やだるさもなくなった。中間試験が近いし、試験勉強をした方がいいかもしれない。だけど、また頭痛が起きたり、熱が上がったりしてしまう可能性もある。今日はあまりやらないでおくか。
「さっきまでずっと寝ていたから、背中中心にちょっと汗掻いちゃったな」
「じゃあ、私が汗を拭いてあげるよ、ダイちゃん」
「ありがとう。お言葉に甘えるよ、サクラ」
メイド服姿のサクラに体を拭いてもらえる機会なんて滅多にないだろうし。
「あと、新しいインナーシャツに着替えた方がいいね」
「そうだな」
「私、その様子をすぐ近くで見ているわっ!」
頬を赤くし、興奮気味に話す一紗。俺を見ながら「はあっ……はあっ……」と荒い息づかいになっている。インナーシャツを着替えるってことは、自動的に上半身裸になるからな。
「俺はいいけど……サクラはどうだ?」
「見るくらいならかまわないよ。上半身は水泳の授業で見られちゃうんだし」
「確かにそうだな。一紗、見るだけだからな。暴走はしないでくれよ」
「……こ、心がけるわ」
「約束するとは言ってくれないのか」
「だって、素肌を晒した大輝君をまだ見たことがないから。どんな反応をしてしまうのか、自分自身でも未知数なのよ」
「……そうか」
何だか怖い。今朝起きたとき以来に体に悪寒が走った。
「安心して、速水君。一紗が暴走しそうになったら、あたしがちゃんと抑えるから」
「頼りにしてるよ、小泉さん」
小泉さんが側についていてくれるなら安心かな。普段、部活で使う体力をここで発揮してくれるだろう。
それから、サクラは1階の洗面所からバスタオルを持ってきて、部屋のタンスから新しいインナーシャツを出してくれた。シャツを出す際、一紗がサクラと一緒に引き出しの中を覗いていた。いつも黒や紺色のパンツを穿いていることがバレてしまった。ちょっと恥ずかしい。
「汗拭くから、寝間着の上着とインナーシャツを脱いでくれる?」
「ああ、分かった」
「大輝君。脱げる? 病人なんだから遠慮しなくていいのよっ!」
興奮した様子でそう言って、一紗は俺の目の前まで迫ってくる。両手の指をワキワキと動かしていて。
「き、気持ちだけ受け取っておくよ。あと、見るだけっていう約束だったよな?」
「そ、そうだったわね。ごめんなさい」
「一紗はこのクッションに座って大人しくしようね」
小泉さんはテーブルの周りに置いてあるクッションの一つに一紗を座らせ、後ろから一紗の両肩を掴む。あの体勢なら、何かあっても一紗を抑えてくれるだろう。
サクラ達に見守られながら、俺は寝間着の上着やインナーシャツを脱いでいく。サクラと小泉さんには上半身裸の姿を見られたことがあるけど恥ずかしいな。プールじゃなくて自分の部屋だからだろうか。
「きゃーっ!」
インナーシャツを脱いだとき、一紗の黄色い声が部屋中に響いた。
「綺麗な肌! ほどよく付いた筋肉! 素晴らしい体ね! 何て素晴らしい景色なの! 爽やかな汗の匂いも感じられるし、ここは桃源郷だわ! 上半身裸の大輝君の姿を水泳の授業でも見られるなんて! 四鷹高校に進学して良かったわ!」
キラキラと目を輝かせ、一紗は普段よりも高い声でそう言った。さっきまでとは比べものにならないくらいに興奮している。
まったく、恋人のいる人に対する言葉としてはどうかと思う。しかも、その恋人がいる場で。それでも、一紗らしいと思う気持ちが勝った。
「一紗ちゃ~ん。興奮する気持ちはよく分かるけど、一旦落ち着こうか。あと、体が前傾姿勢になってきているよ~」
「あと、呼吸が乱れてきているね、一紗」
「大輝君の素晴らしい体を目の前にしたら凄く興奮してしまって。裸身の呼吸ね」
「呼吸って。一紗はどんな技を出すんだよ」
そうツッコんだけど、一紗自身が裸にならなければ技を出せない気がする。
「一紗。あたしと一緒に呼吸を整えようか。あと、何かしでかすかもしれないから、今のうちに羽交い締めしておくね」
そう言うと、小泉さんは一紗のことを羽交い締めにする。
「もう、こんな体勢になったら、呼吸が整いにくいと思うのだけど。ただ、背中に柔らかいものが当たって気持ちいいわ……」
羽交い締めにされているのに、満足そうな笑みを浮かべるとは。漫画やアニメでも見たことないぞ。さすがは一紗と言うべきか。
俺はベッドの近くにあるクッションに腰を下ろす。
「じゃあ、まずは背中を拭きますね。ご主人様」
「本物のメイドさんみたいだな。お願いします」
すると、程なくして背中にバスタオルの柔らかな感触が。その感触はゆっくりと上下に動く。
「どうかな、ダイちゃん」
「気持ちいいよ」
「良かった。じゃあ、こんな感じで拭いていくね」
「ああ」
サクラが拭いてくれるおかげで、背中の汗っぽさが取れていく。バスタオルの柔らかさもあって、凄く気持ちがいい。
「いい光景ね。昔からお互いに風邪を引いて汗を掻いたときは、背中を拭いてあげたりしたのかしら?」
「毎回ではないけど、サクラに拭いてもらったことはあるよ。ただ、和奏姉さんが拭いてくれたことの方が多いかな」
「私も同じ。ちなみに、春休みにここへ引っ越してきた直後に風邪を引いたときは、ダイちゃんが私の背中を拭いてくれました」
「その日、速水君はバイトがあってね。帰ってくるまでの間、文香は速水君が看病してくれたことを嬉しそうに話していたんだよ」
「もう、青葉ちゃんったら。照れちゃうよ……」
そう言うので、ゆっくりとサクラの方に振り返る。すると、サクラははにかんだ様子で俺のことを見ていた。メイド服姿なのもあって本当に可愛いよ。
春休みにサクラが風邪を引いた頃は、俺達の間にはわだかまりが残っていた。だから、俺のいる場ではクールで落ち着いた感じで振る舞っていて。
あの日はバイトから帰ると、サクラは部活終わりにお見舞いに来た小泉さんと2人で談笑していた。親友の小泉さんと2人きりだから、俺に看病されたことを嬉しそうに語ったのだろう。
「照れる文香さん、可愛いわ。やっぱり、こういう経験は何度もあるのね」
「そうだね。でも、ここまで立派な体になってから汗を拭くのは初めてだよ。……背中はこのくらいでいいかな。前の方も拭きますか?」
「うん、お願いするよ」
「かしこまりました」
メイドさんらしく返事をすると、サクラは前の方に回り込んできて、俺と向かい合うようにして座る。バスタオルで胸元のあたりから拭き始める。
サクラの姿が見えているから、背中のときよりも「拭いてもらっている」って感覚になる。サクラの温かな吐息がかかって、ちょっとくすぐったい。段々とドキドキしてきた。
「今の2人を見ていたら、次の作品の構想が浮かんできたわ。風邪を引いた主人の汗を拭き取るメイド。上半身裸の主人はメイドを抱き寄せ、そのままベッドに……あぁ、妄想が止まらな~い!」
「さすがは文学姫。あと、体がかなり熱いよ。このままだと、今度は一紗が学校を休むことになるよ。ちょっと落ち着こうか」
「そうね」
一紗の顔が頬中心に結構赤くなっている。今も羽交い締めしている小泉さんが感じている熱は相当強いと思われる。
一紗は小泉さんと一緒に何度も深呼吸。そのおかげか、顔の赤みが和らぐ。この2人、いいコンビになったと思う。
「ダイちゃん、こんな感じでいいかな。一通り拭けたと思うけど」
「さっきよりもスッキリしたよ。ありがとう、サクラ」
お礼を言って、サクラの頭を優しく撫でる。そのことでサクラの髪から、シャンプーの甘い匂いがほんのりと香ってきて。サクラが柔らかい笑顔を見せてくれるので気持ちが落ち着くのであった。




