第22話『シスター再び-前編-』
およそ1ヶ月ぶりに再会した和奏姉さん。
和奏姉さんはロングスカートにブラウスを着て、ベージュのトレンチコートを羽織っている。大きめのバッグを肩にかけている。姉さんがお店に入ったからか、お客様の多くが姉さんのことを見ていて。さすがだ。中には、
「凄く綺麗な人だよね。モデルさんかな?」
「どうなんだろう? でも、芸能人みたいな雰囲気があるよね」
「あの人すげー美人だな。あの店員に話しかけたけど彼氏か?」
「雰囲気が似ているから、姉弟とか親戚じゃね?」
と話すお客様もいて。和奏姉さんは以前、四鷹駅周辺で読者モデルや芸能事務所にスカウトされたことがある。見る目がありますね、女性のお客様達。あと、男性客のお客様達、正解です。姉弟です。彼氏じゃないです。この姉はブラコンですけど。本人にその自覚がありませんけど。
当の本人である和奏姉さんは周りの話し声を気にしていない様子。俺の担当するカウンターの前に立ち、俺と目が合うとニッコリと笑う。
「ひさしぶり」
「ひさしぶりだな、和奏姉さん」
「毎日スマホで大輝の写真を見ているけど、やっぱり生で見るのが一番いいね。大輝の匂いも感じられるからかな?」
「そ、そうか」
笑顔でさらりと言ってしまえるところにブラコンの深さを感じる。隣のカウンターにいる杏奈もこれには苦笑い。
カウンターの前にお客様が全然いないからか、和奏姉さんは杏奈が担当するカウンターの前へ移動する。そのことで、店内にいるお客様の多くの視線も動く。
「実際に会うのはこれが初めてだね、杏奈ちゃん」
「は、はいっ! こうして実際には初めましてですね。小鳥遊杏奈といいます。四鷹高校の1年です。お、弟さんにはバイトや学校でお世話になっています」
実際に会うのは初めてだからか、杏奈は緊張気味。ただ、そんな杏奈が可愛いと思っているのか、和奏姉さんはニコッと笑いながら「いえいえ」と言う。
「こちらこそ弟がお世話になってます。速水和奏です。関東女子大学文学部国文学科の2年生です。よろしくね」
「よろしくお願いします!」
「ふふっ。……画面越しに見る杏奈ちゃんも可愛いけど、実際に会うと本当に可愛いね。歴代の友人の中でも指折りの可愛さだ」
和奏姉さんは優しい笑みを浮かべながら右手を伸ばし、杏奈の頭を撫でる。
姉さんの手が頭に触れた瞬間、杏奈は「はうっ」と可愛らしい声を上げる。頬をほんのりと赤くして和奏姉さんのことを見つめる。
「……ありがとうございます。和奏さんは……本当に綺麗な人です」
「ありがとう。あっ、百花ちゃんもひさしぶり!」
「ひさしぶりだね、和奏ちゃん! メッセージはしょっちゅうしてるし、電話もたまにしているけど、実際に会えると嬉しいよ。連休中にサークルの友達と旅行に行くし、ここで会えて良かった~」
「百花先輩と和奏さん、そんなに仲がいいんですね」
「百花ちゃんとは同じ学年で、アニメや漫画好きだからね。知り合ったのは、去年帰省したときに、大輝と一緒にバイトをしていたことがきっかけなんだけど」
「なるほどです」
「おぉ、和奏君。ひさしぶりだね」
気づけば、萩原店長がフロアに姿を現していた。小さい頃からの知り合いだけど、和奏姉さんは店長にちゃんと頭を下げる。
「店長さん、おひさしぶりです」
「ひさしぶりだね、和奏君。まさか、こんなに早くまた君と会えるとは」
「交際し始めた弟と幼馴染カップルの顔が見たくなって。あとは、杏奈ちゃんと一紗ちゃんにも会いたくて帰ってきちゃいました」
「そうか。いい帰省になるといいね」
「はいっ! ……いつまでもここにいたら邪魔になっちゃうね。今日は杏奈ちゃんのところで飲み物を買おうかな」
和奏姉さんがそう言うので、杏奈は姉さんのことをしっかりと見て、「いらっしゃいませ」と言う。
「店内でお召し上がりですか?」
「持ち帰りで。ホットコーヒーのSサイズを1つください。ガムシロップとミルクはいらないです」
注文事項を一気に言ったな。中にはこういうお客様もいるので、杏奈にとって接客のいい勉強になるだろう。
「ホットコーヒーのSサイズをお1つ。ガムシロップとミルクはなしですね」
「はい」
おっ、慌てることなく、ちゃんと和奏姉さんの注文した内容を間違えずに確認できたな。
「合計230円となります」
「じゃあ……300円で」
「300円お預かりします。……70円のお返しになります。少々お待ちください」
杏奈は和奏姉さんの注文したホットコーヒーを用意する。バイトを始めたときと比べて落ち着いて働けるようになってきたな。
「お待たせしました。ホットコーヒーのSサイズになります。熱いのでお気をつけください」
「ありがとう。……大輝、私は勝手口の近くで待ってるね」
「分かった」
「じゃあ、またね」
和奏姉さんは俺達3人に手を振り、萩原店長に軽く頭を下げてお店を後にした。
和奏姉さんが帰省してきて、バイトが終わるまで残り10分ほどなのもあり、萩原店長は俺と杏奈に今日はもう上がってOKと言ってくださった。俺達はそのご厚意に甘え、カウンターを後にした。
更衣室で私服に着替え、杏奈と一緒に従業員用の出入口から外に出る。そこにはホットコーヒーを飲んで微笑み和奏姉さんの姿があった。
「和奏姉さん」
「……おっ、大輝に杏奈ちゃん。お疲れ様。意外に早く終わったんだね」
「店長が上がっていいって言ってくれたからさ」
「そうなんだ。店長さんらしいな。杏奈ちゃんが出してくれたホットコーヒー凄く美味しいよ。あと、さっきはいい接客をしていたね」
「ありがとうございます」
和奏姉さんは杏奈の頭をポンポン、と叩く。そのことに、杏奈はさっきカウンターで頭を撫でられたとき以上に嬉しそうな表情を見せた。
「そうだ。連絡先を交換したいんだけど、いいかな?」
「もちろんですよ!」
杏奈はとても喜んだ様子で、和奏姉さんと連絡先を交換する。
「よし、これでOKだね。いつでも連絡してくれていいからね。私、四鷹高校のOGだから、高校のことを訊いてくれても構わないし」
「分かりました。ありがとうございます。心強いです」
杏奈にはこの春に四鷹高校を卒業したお兄さんがいるけど、気軽に話せるOBOGがたくさんいることに超したことはないか。女性同士だから話しやすいこともあるだろうし。
「杏奈ちゃんは明日家に遊びに来て、泊まるんだよね。楽しみにしているよ」
「はい! あたしも楽しみです! じゃあ、あたしはこれで失礼しますね。また明日です」
「ああ、また明日な」
「また明日! ……大輝、荷物を持ってくれる?」
「ああ」
和奏姉さんのバッグを持つと……おぉ、重いな。春休みに帰省したときの荷物よりも重い気がする。春休みよりも1泊多く泊まるからかな?
杏奈とはお店の前で別れて、俺は和奏姉さんと一緒に帰路に就く。
「あの杏奈ちゃんって子、明るい雰囲気のいい子だよね」
「ああ。仕事の覚えも早くて、何よりも一生懸命で。いい子だよ、杏奈は」
「そっか。あと、大輝もちゃんと先輩しているみたいで安心したよ。部活にも入ったことがないから、後輩ができたらどうなるんだろうって心配もあって。学校の部活ならともかくバイトだからさ。バイトを続けていたら、いずれは通る道だし」
「俺も最初は不安だったけど、初めての後輩が杏奈で良かったって思ってる」
「そっか。……杏奈ちゃんもきっと、先輩が大輝で良かったって思っているんじゃないかな。大輝に向ける楽しそうな視線や表情を見るとそう思える」
嬉しいな。小泉さんや百花さんに褒められたときも嬉しかったけど、和奏姉さんに言われると心にくるものがある。
「きっと、大輝に対する好意も含まれているんだろうけど」
和奏姉さんのそのことにドキッとする。
「……姉さん、知っていたのか? 杏奈が俺を好きなこと」
「うん。1週間くらい前かな。フミちゃんと電話で話したときに。この前、テレビ電話をしたとき、杏奈ちゃんの様子を見たら、大輝のことが気になっているのかなって思えて。フミちゃんに訊いたらビンゴだった。告白もしたみたいね」
「……ああ。その告白とかもあって、サクラに告白する勇気が出たんだ」
「なるほどね」
今でも……あのときのことを思い出すとドキドキして、少し胸がキュッと痛む。杏奈からの告白を断った流れで、サクラに好きだって告白したから。
「それでも、大輝と一緒に楽しくバイトをしている。大輝の恋人のフミちゃんとも、友人や先輩として仲良くしているみたいだし。それはとても素敵な関係だと思うよ」
「……ああ」
「杏奈ちゃん可愛い子だから、浮気しないように気をつけなさいね」
「もちろんさ」
サクラを傷つけてしまうことは、もう二度としないし……したくない。杏奈も一紗も魅力的な女の子だから、気をつけないと。
和奏姉さんと色々と話していたのもあり、告白の舞台となった四鷹こもれび公園の入口まで辿り着いていた。公園の中に入り、少し歩いたところで姉さんは立ち止まる。
「さすがに、今の季節になると完全に葉桜だね。散った花びらも全然ないや……」
和奏姉さんは消えゆくような声でそう言った。このこもれび公園は、春休みに姉さんが帰省したときに行ったお花見の会場でもあるからな。
「お花見をしたときが満開だったからか、この1ヶ月が大きく感じるよ。大輝もフミちゃんと仲直りして、交際を始める仲までに発展したし」
「前回帰省したのが1ヶ月ちょっと前なのが信じられないくらいに濃密だったよ」
前回の帰省はサクラが引っ越してきてから2日後のことだった。だから、サクラと住み始めてからも、まだ1ヶ月ちょっとなんだよな。
「じゃあ……」
急に和奏姉さんははっとした様子に。どうしたんだ?
「大輝とフミちゃんが付き合い始めたから、今後はナンパを断るときにブラコンって嘘をつくのはまずいんじゃ……」
何かあったのかと思ったけど、そんなことか。
というか、今もナンパを断るときに「ブラコンだと嘘をついている」んだな。サクラと付き合うことを報告したとき「俺のことが好きなんだなぁ」とか言っていたのに。どうやら、和奏姉さんが自覚なきブラコンなのは今後も変わらなさそうだ。
「俺は別にいいけど。それでナンパを円満に断ることができるんだろう?」
「うんっ! スマホにある大輝とのツーショット写真を見せて、大輝との仲良しエピソードを話すとすぐに『もういいよ』って言ってくれるよ」
「……へえ」
きっと、俺のことを話す和奏姉さんを見て、ナンパしてきた人達は「こりゃかなりのブラコンだ」って思って諦めたんだろうな。
「まあ、これからも断るカードに俺を使えよ」
「ありがとう、大輝。お礼にコーヒーを一口あげよう。飲みかけだし、冷めてきてるけど」
「それでもかまわないよ」
和奏姉さんが口を付けたものを飲んだり食べたりすることは数え切れないほどにしているからな。
和奏姉さんのホットコーヒーを一口飲む。人肌程度の温かさなので、バイト明けの体にはちょうどいい。
「美味しいな、ありがとう。さあ、帰ろうぜ。サクラと小泉さんが待っているからさ」
「そうだね!」
俺達は再び自宅に向かって歩き始める。和奏姉さんは俺の横で楽しそうに歩き、ホットコーヒーを美味しそうに飲むのであった。




