第3話『恋人との帰り道』
午後7時過ぎ。
特に何か問題が起こることはなく、今日のバイトが終わった。サクラがずっと店内にいてくれたおかげで、いつもよりも時間が経つのが早く感じられたほどだ。午後6時過ぎには、一紗が文芸部の友達と一緒に来てくれたし。
学校の制服に着替えるため、俺は男性用の更衣室に行く。
着替える前にスマホを確認すると、数分ほど前にLIMEでサクラから、
『バイトお疲れ様。従業員用の入口前で待ってるね』
というメッセージが届いていた。そのことにほっこりとして、待ってくれる人がいることの幸せを感じる。
俺は『了解!』という文字付きの敬礼する白猫のスタンプを送り、学校の制服に着替える。これから家に帰るけど、杏奈もいるのでちゃんと着よう。バイトだけでなく、学校でも先輩だから。
学校の制服に着替え終わった俺は更衣室を出て、出口前のところで杏奈のことを待つ。
その間に、いくつかのスマホゲームにログインし、ログインボーナスを回収する。プレイしない日もあるけど、毎日ログインはするようにしている。ゲームによっては、何日か連続でログインすることでもらえるボーナスもあるし。
「お待たせしました」
スタッフルームから、四鷹高校の制服姿の杏奈がやってきた。
「待ちましたか?」
「ううん、そんなことないよ。それに、ゲームのログインボーナスを回収してたらあっという間だった」
「ふふっ、そうですか。先輩らしいですね。文香先輩も待っていますし、帰りましょうか」
「そうだな」
杏奈と俺はスタッフルームにいる店長達に一言挨拶して、従業員用の出入口から外へ出た。
そこには、スクールバッグを肩にかけ、スマホを見ているサクラが。扉の開く音や俺達の足音に気づいたのか、すぐにこちらを向いた。俺と目が合うとニッコリと笑みを浮かべ、小さく手を振る。
「お疲れ様、ダイちゃん、杏奈ちゃん」
「ありがとう、サクラ。待っててくれてありがとな」
「ありがとうございます、文香先輩」
「いえいえ。バイトを頑張った2人に、ささやかだけどご褒美をあげるね」
サクラはスマホをバッグにしまって、俺達の目の前までやってくる。そして、右手で俺、左手で杏奈の頭を撫でてくれる。撫で方が優しいのでとても気持ちいいし、バイトの疲れも取れていく。
「あぁ……とてもいいご褒美です! 気持ちよくて疲れが取れますね!」
「俺も同じことを思ったよ」
「良かった。……あと、ここに来たときに頭を撫でてくれてありがとね、ダイちゃん。杏奈ちゃんも臨機応変に対応してくれて。実はあの子達とここに来るまでの間に、『恋人の速水君がシフトに入っているなら、頭を撫でてもらったどうかな? 他のファストフード店ではスマイル0円だし!』って言われてさ……」
照れくさそうに言うサクラ。やっぱり、頭撫で撫ではサクラ自身が考えたんじゃなくて、友達から提案されたことだったのか。
「なるほどね。店長が許可してくれたし、俺もサクラの頭を撫でられて良かったよ」
「撫でられている文香先輩はもちろんですが、ちょっと恥ずかしそうに『頭撫で撫でしてください』って言う姿も可愛かったです!」
「他の店員さんやお客さんがいたから本当に恥ずかしかったよ。2人や友達もいたから何とか言えたの」
近くにある街灯の灯りもあって、サクラの顔が赤くなっていくのが分かる。あのときのことを思い出しているのだろうか。
「そうだったんですね。可愛い文香先輩も見られましたし、一紗先輩も来てくれましたので今日もいいバイトになりました。もちろん、大輝先輩が教えてくれたからですよ!」
「お気遣いどうも。今日もいい接客をしてたよ、杏奈」
「えへへっ」
指導係の俺に褒められたからか、杏奈は嬉しそうにしている。
サクラに頭を撫でてほしいと言われたときの対応は……まあ、サクラもお礼を言っていることだしいいか。むしろ、ああいう柔軟さは見習った方がいいかもしれない。
その後、四鷹駅の南口で杏奈と別れて、俺はサクラと2人きりで帰路につく。
4月も下旬に突入したけど、日が暮れると肌寒くなるなぁ。繋いでいるサクラの手から伝わってくる温もりが心地良く感じられる。
「こうして、ダイちゃんと一緒に家に帰るのはいいね」
「俺もだよ。帰る家が同じなのがまたいいよな」
「そうだね。恋人になったから、同居じゃなくて同棲になるんだよね」
「そうだな。サクラと同棲……いい響きだ」
「いい響きだね。耳が心地良くなったよ」
そう言って、サクラは「あははっ」と楽しそうに笑う。それにつられて俺も声に出して笑った。
恋人となったサクラと手を繋ぎながら、同じ自宅に向かって歩いている。幸せな状況過ぎるし、一時はわだかまりもあったので、今も夢を見ているんじゃないかと思えてしまう。そう思って舌を軽く噛むと、確かな痛みが感じられた。
「そういえば、マスバーガーにいるとき……一緒にいた友達の言葉に乗せられて、昨日のダイちゃんとのこと話しちゃった。私のベッドで寝たこととか、お風呂に入ったこととか、キスしたこととか。……ごめん」
「気にしないでいいよ。基本的に……友達とか親しい人なら、サクラが俺について色々と話してもいいよ」
「そう言ってくれると……安心する。ありがとう」
サクラはほっと胸を撫で下ろしている。
「実は俺も……ベッドで寝たとか、お風呂に入ったっていう杏奈と羽柴の推理に顔色で反応しちゃって。だから、2人には俺達が何をしたのかは知られてる。こちらこそごめん」
「ううん、いいんだよ。まあ、親しい人だったら、私とどんなことをしたのか大まかには話していいかな。一緒にお風呂に入ったとか、ベッドで寝たとか……キスしたとかそのくらいなら。だけど、その……私の胸がCカップだとか、私の胸に顔を埋めた感触がどうだったとか、そういう感じの話は誰にもしないでほしいな!」
「わ、分かった。そこは気をつけるよ」
さすがに、サクラの体のことについては誰にも言わない。一紗とか和奏姉さんとかが訊いてきそうだけど、気をつけなければ。
気づけば、家の近くにある四鷹こもれび公園の近くに辿り着いていた。この公園は結構広く、日中はここで遊んだり、ゆっくりと過ごしたりする人を見る。ただ、暗くなった今は全然人がおらず、静かで寂しさを感じさせる。
公園の中に入り、街灯に照らされたベンチの近くまで歩いたとき、
「ねえ、ダイちゃん」
俺の名前を呼ぶと、サクラは急に立ち止まり、俺のことをじっと見つめてくる。何か言いたいことがあるのかな。
「水曜日って確かバイトはないよね?」
「うん、ないよ」
「だよね。私の記憶は正しかったか。私も水曜日は部活がないから、放課後にデートしない? といっても、今のところはオリオとか四鷹駅の周りにあるお店に行きたいなって思っているんだけど。……どうかな?」
上目遣いで俺を見てくるサクラが可愛らしい。
いったい、何を言われるのかと思ったら、デートのお誘いか。3年前にサクラと距離ができてしまうまでは、サクラの部活がない日は学校帰りにオリオや駅周辺のお店に行くことは何度もあった。
あと、放課後にデートなんて、まさに学生カップルらしいことじゃないか。今のサクラの提案への答えはもちろん、
「いいよ。サクラとの放課後デート楽しみだな」
受け入れるに決まっている。むしろ、バイトとか、外せない用事がない日の放課後は必ずデートしたいくらいだ。
サクラはとても嬉しそうな笑みを浮かべる。
「私も楽しみだよ! あと、放課後デートもいい響きだね。また耳が心地良くなった」
「それは良かった」
「ふふっ、幸せな気分です。じゃあ……約束のキスをしてもいいかな?」
「もちろんさ」
誰かに見られるかもしれないけど、初めてのキスはこの公園だったし、今日は教室でクラスメイトのいる前で何度もキスしたんだ。ここでキスしよう。
「ありがとう。……まあ、そんなの関係なくダイちゃんとキスしたいって思っていたんだ。お店でダイちゃんから頭撫で撫でのサービスをされたとき、キュンってなったから」
「そうだったんだ」
今の言葉に俺はキュンとなったのですが。本当に俺の恋人は可愛い女の子だと思う。
俺はサクラの両肩を掴み、そっとサクラに唇を重ねる。キスしたいというサクラの言葉もあるので長めに。サクラの唇って本当に柔らかいなぁ。あと、マスバーガーではアイスコーヒーを飲んでいたからか、サクラからコーヒーの匂いがほのかに香った。コーヒー好きだから、幸せな気持ちがより膨らんでいく。もちろん、ドキドキもしてくる。
しばらくして俺から唇を離すと、目の前にはうっとりとしたサクラの顔が。灯りは近くにある街灯しかないけど、サクラの頬がかなり赤くなっているのが分かった。
「暗い屋外でするキスって結構ドキドキするんだね。気持ち良かった」
「俺も良かった」
「そう言ってくれて嬉しい。……帰ろっか」
「ああ」
俺は再びサクラと手を繋いで、自宅に向かって歩き出すのであった。




