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その言葉の先は、シラフで聞かせて  作者: 黒乃きぃ


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1/3

01

 金曜日の夜。定時を二時間過ぎた頃、ようやっと週明け一番に提出が必要なデータ処理にカタを付ける。ぐっと伸びをすれば、バキバキと嫌な音が静かなフロアに響いた。


「何、ちなっさん終わったの?」

「終わったからお先」

「ああ〜まだ終わらん」

「ご愁傷様、助けたいけどそっちのシステムログインできないからごめんね」

「良いよー。ちなっさん気をつけて帰ってね」

「はーい、じゃあお疲れ様」


 同じフロアで残業していた同僚二人と声を掛けあって、明かりの少なくなった廊下に足を向ける。コートを羽織りつつ、諸事情あって電源を落としていたスマートフォンの電源を入れる。着信通知が数百件溜まっているのを確認して溜息を吐いた。

 廊下の窓から階下を覗いて、念の為そこに人影がないのを確認してから会社を出る。急ぎ足で大通りを抜けてタクシーに飛び乗って、駅とは違う方向へ。


 白砂茅夏、三十歳。半年前に別れたはずの元カレが、本日メンヘラ化しました。ちなみに元カレがメンヘラやストーカーになるのはこれで六人目。最早呪いの域だ。



「あ、次の交差点で」

「はい。……こちらでよろしいですか?」


 繁華街の喧騒から、一本奥まった路地へタクシーでタクシーを降りる。タクシーが走り去るのを確認してから、目の前の雑居ビル―――の、地下へ降りる。重たい木製の扉を押し開けると、ふわ、とアルコールの香りが鼻を掠めた。


 

「こんばんは、空いてる?」

「チナツ、お疲れ。カウンターで良いな?」

「おっけー」


 会社から二駅、自宅からも二駅。つまりは会社と自宅の中間地点にあるバー。偶然見付けてから数年、ほぼ毎週通っている私はそれなりに常連で、マスター達からは名前で呼ばれている。


「今日遅かったな」

「残業で」

「あー! ちなっさん来た!!」

「おーお疲れ様」


 とりあえず、と軽くカシスソーダを頼みつつカウンター席へ。いつもより遅く来たから、珍しいと問うマスターに力なく返す。

 スツールにどかっと腰を下ろしたところで、聞き慣れた高い声に呼ばれた。振り向けば、常連仲間の女子二人がそれなりに酔っ払った様子でそこにいた。


「連絡したのに既読つかないから、今日来ないんかと思った」

「ごめんて。色々あって電源切ってたの」

「色々?」

「あー…これ見て」


 ぽい、と不在着信の通知のオンパレードを二人に見せる。瞬間、二人の顔が面白いくらい引きつって『ドン引き』とあからさまに書かれた。そうだよね、私もそのリアクション。


「ちなっさん、いつ彼氏出来たの?」

「いやコレ元カレ」

「えっあの半年前の?」

「そう。告白してきた癖に浮気したから別れた奴」

「……半年前?」

「半年前。ちなみに一切私は連絡してない。貸してた本があったからブロックしてなかっただけ」

「おう……」


 二人が何とも言えない顔になる。分かる、私もそのリアクションしたい。


 元カレとは飲み屋で知り合った。何回かサシ飲みして、告白された時に特に相手もいないしと了承して付き合って一年。相手の浮気が発覚。というか浮気相手からSNS経由でコンタクトを取られて、心底面倒くさい思いをした。特に好きで付き合ってた訳でもないしと秒速で別れ話をして、二日掛かってどうにか別れたのが半年前。貸していたまあまあお値段の張る限定カバーの小説だけ返してほしくて、それを待つためだけに私はブロックしていなかった。の、だけれども。


「まあ半年だし、もうあの本はなかったものと思うか…」

「貸してたんだっけ?」

「そう。…まあ保存用にもう一冊ずつあるから諦めるかあ」


 ポチ、と元カレの連絡先をブロック。流し見した復縁希望の長文お気持ちポエムなメッセージに、貸した本のことが一切書かれていなかったので多分相手は忘れている。ならもう戻ってこないものだと思うしかない。そして、本が戻ってこないなら別に連絡先を残しておく必要性もないのだ。


「潔い…」

「まあねえ。マジで私の方に未練はないし」

「浮気男に未練なんてないわな」

「それ」


 

 私の潔さに、はわ…と両手で頬を押えるユナと、浮気男と元カレを吐き捨てるアヤネ。二人ともこの店で知り合った常連仲間だ。

 

 アヤネはこの店の近くのカフェの店員。ツーブロックの黒髪と、切れ長の涼やかな目元がその辺の男よりイケメンだとファンが多いらしい。確かに一度カフェに顔を出したらめちゃくちゃファンぽい女性客にきゃあきゃあと騒がれていた。

 一方のユナは現役女子大生。恋に恋する乙女だが、如何せんザルなもので、一杯飲んで『酔っちゃった…』な女の子になんだかんだ軍牌が上がる合コンでの出逢いに見切りをつけたらしい。フワフワのミルクティーカラーのロングヘアが可愛い、選り取りみどりできちゃう感じの子なのになあ、というのが私とアヤネの意見である。



「ちなっさん毎度毎度元カレのメンがヘラりますけど、そんな沼らせてるんです?」

「メンが…」

「ヘラる?」

「メンヘラ」

「いやそれは分かる」


 この間飲み屋で知り合ったお兄さん達が使ってて面白い言い回しだったから、というユナの発言とそのノリに一瞬アヤネとフリーズする。ちなみにアヤネは聞けば私の二つ下である。


「沼らせ…ねえ」

「でも確かに皆が皆、別れ話になるとメンヘラだったりストーカー化するのはめっちゃ気になる」

「私が一番知りたいけども」


 沼らせ、なあ。口の中で呟く。

 申し訳ないが私は良い彼女ではなかった。そもそも元カレを好きでもなかったし。まあ一応の情はあったけれども。キスも、その先もしたし、好きだと言われれば好きだと返した。ただそれだけで、まあ浮気されるのも致し方ないかなと我ながら思った。でもまあ好きと言ってきたのはそちらなので、と浮気された瞬間バッサリと別れた。ただそれだけである。元カレが浮気さえしなけりゃ、多分まだ付き合っていたとは思う。


「そもそも私に執着心がないことは事前に言ってたし、追いすがられてもねえ…って話なんだよね」

「まあちなっさん、恋多きっていうか来る者拒まずなだけっぽいし…」

「いやほんとそれなの。それ向こうにもめっちゃ言ったよ?」

「好きで付き合うんじゃない、って?」

「今誰もいないから付き合っても良いよって」

「うわあ」


 私の回答に頭を抱えるアヤネ。と、その向こうで頬を膨らますユナ。


「私と同じくらい酒豪なのに! どうしてちなっさんにはそんなに男寄ってくるんです?」

「え、知らない」

「即答て」


 私のバッサリした返しに、すんっとなるユナ。美少女は無表情でも可愛いねえ、と愛でれば嘘泣きしながら胸に埋まりに来たので抱き締めてあやしてやる。


「ユナは可愛いから、私みたいに変なのに捕まらないようにだけしなね」

「うぅ〜…それ以前に男がよってきません…!」

「マスターに仲介頼めば?」

「……ここに来づらくなるの嫌」

「それは分かる」


 ポンポン、と頭を撫でればユナの機嫌は戻ったらしい。うだうだ言いながら、明日はサークルの集まりがあるからと帰って行った。もうそんな時間、と思ったものの、残業のせいでいつもより遅く来たんだったと腕時計に目をやって苦笑した。



 ユナはうじうじ言っていたが。ぶっちゃけて私が一番疑問に思っている。私はユナみたくとびきり可愛くも、アヤネみたいに綺麗でもない。ザ・平凡顔だ。スタイルは…まあそれなりに出るとこ出ちゃいるが、細身の華奢なタイプでもないし。髪はそれなりに手入れはしているものの、長いだけ。というかインナーカラーをガッツリ入れているので男ウケは悪い方だと思う。

 見た目だけで言えば、十人中十人がこのよくつるむ三人の中で一番微妙というに違いない。ただまあ多分、整いすぎな二人よりも平凡過ぎるくらい平凡なので取っ付きやすい…の、かもしれない。だいたいこの店で声掛けてくる男も、私を足掛かりに二人のどっちかに話し掛けてるし。



「そういえばアヤネ、この間言ってたアプリ男子は?」

「あー飲みには行ったんだけど…潰しちゃった」

「潰したかあ」


 まあうちらのペースで飲んでたら弱い人は無理だろうな、としみじみする。とはいえ初手で潰したにも関わらず、まだ連絡は来るというアヤネの頬は、アルコールと別の熱が浮かんでいた。


「まあ酒に強い人がタイプ! とかでもないなら、次は潰さないようにして会ってみたら良いんじゃない?」

「うーん…」

「なんか引っかかるの?」

「いや…向こうが引いてないかなって」

「引いてたら連絡来なくるんじゃない?」

「そうかな…そっか」


 下手に酒に強い分、そして酒飲みであるが故に自分より酒に弱い男性に対して自信を持てないアヤネの気持ちはめちゃくちゃ分かる。でもきっと、と肩を叩けば、アヤネはようやっと微笑んだ。

 どんな人かはまだまだ知っていかなきゃいけないタイミングだし、そこで身構えすぎてもねえとアヤネの話に相槌を打ちながら、二杯目にモスコミュールを頼む。


「私も今日はこの辺で」

「残業なかったらもっと飲めたのになあ」

「それはそう。…ちなっさんも飲みすぎ気をつけてー。お疲れ様!」


 初手のカシスソーダ、二杯目モスコミュール。その後にスクリュードライバー、もう一杯モスコミュール。四杯目まで来たところでアヤネが帰っていく。アヤネは沿線的に終電が早いので致し方ない。もう少し胸がときめく恋バナを聞きたかった。とはいえ出だしがそもそも二時間以上遅かった自分のせいなので、帰っていくアヤネを片手を上げて見送る。



「あれ、今日もう一人になったのか?」

「残業の弊害。ジンジャーハイボール」

「ほいよ。あー、あとこれ」


 女ひとりになったのに気づき、マスターが声を掛けてくれる。空のグラスを揺らせば、悪酔いするぞ、とサービスで出されたナッツを有難く摘んだ。



「あれ、三人娘の長女ちゃん一人?」

「はい?」


 酔いつぶれるのを心配されたのか、ジンジャーハイボールというより凡そジンジャエールを飲んでいると、聞き慣れぬ声に呼ばれる。その呼び名も聞きなれないものだったけれど、それは明らかに私に掛けられたもので。え、と顔を上げると同時、私の真横に細身の男性がするりと身を滑らせてくる。スツールに腰掛けるのではなく、マスターにビールを注文しつつこちらに目線をやる男性。見かけたことはある。多分、話すのは初めて。


「えっと?」

「あー。常連の若い女の子三人がいっつも集まってるから、勝手に三人娘って呼んでたんだよね」


 ほら、あっちのテーブル。指し示された方には、あまり絡みはないけれど常連で顔見知りな男性達がかたまって座っている。この人もそのグループに居るのなら、顔は見た事あっても話したことはない人だ。


 赤っぽい髪色に、フレームの太い黒縁眼鏡。細身のスラリとしたその人は、多分私よりだいぶ歳上。唇の端で微笑むのが何となく、手慣れてる人だなという印象を抱かせる人だった。



「俺は浩太。君は?」

「茅夏です」

「チナツちゃんね。横、いい?」

「いいですけど…連れの方は?」

「俺も常連でかたまってるだけだから、別に離れても大丈夫」

「そうなんですね」


 コウタさんの頼んだビールが出てくるのを待って、乾杯する。


「よろしくね、チナツちゃん」



 ニコ、と笑う切れ長の目元が色っぽくて。分かりやすいイケメンではないけど、イケメンだな、なんてぼんやりしたことを思った。多分、だいぶ、酔ってる。

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