58 道中
「―― 本当に構わぬのか、専門技術者の町とやらを私に勝手に見せても?」
「お見せして減るものではありませんし、ジギスムント様への使いも送りました。何も問題はないでしょう」
シュヴァルツブルクの郊外の森の中にあるといわれる<隠れ里>。城下町を散策中に偶然出遭ったフェリクスを相手に、何気なく口にした「専門技術者の町とやらを私も見てみたいものだな」が、フェリクスの手配によって、実現される運びとなったヴォルフラムは困惑していた。それに――
「それにしても恐ろしく整備された道だな。馬車がほとんど揺れぬ。いったい如何ほどの資金を投入し、これほど無駄な……いや、辺境伯殿にも、何かお考えがあるのであろうが」
「この道はシュタットからの物資をシュヴァルツブルクに運び入れるのにも使う道です。彼の地で作られる物の中には精密で高価なものも多いので、出来るだけ振動を加えたくはないという面もあります」
「……迂遠な言い回しだな。他にも意図があるというようだが、そこは自分で考えろ……と。時にノイシュタット子爵、卿は今、シュヴァルツバルトコインとやらの手持ちはあるか?あれば是非、見てみたいのだが」
「ええ、もちろん。こちらに」懐からコインを入れた袋を取り出すフェリクス。皇帝金貨、帝国銀貨、小型銀貨、そして銅貨のそれぞれを一枚ずつ手の平にのせ、ヴォルフラムの前に差し出す。
「ほぉ……これはなんとも精巧な……これなら偽造も容易ではあるまい」
「ええ、おそらく現状、これらの通貨を偽造出来るような技術を持つ国は、ごく僅かにございましょう」
「……我が領内のコインとは比べ物にならぬな。これはもはや芸術品だ。これもまた商人たちの言うところの、信頼とやらに繋がっているというわけか……はぁ」
武門の棟梁として生まれたグライフ家の当主としては、様々な感情が混ざり合うが、事実は事実として認めるしかなく、溜息をつくしかないヴォルフラム。
「いったい何をどうすれば、我が領とこれほどの差がつくというのだ。我が家臣にも優秀な者は数多くいるが、ジギスムントの懐から湧き出る金の泉の正体は、いったい何だというのだ……」
「……それはもちろん<知への投資>にございましょう。ジギスムント様はそれを理解し、大きな勝負をし、今のところ、勝利しているといったところではないでしょうか」
「<知への投資>か。あまり難しいことは私には理解できぬが、それが正解であったということは、私にも理解できる。私も、君を我が領に連れ去れば、同様のことが可能かな?」
ジギスムントの金の卵が、この少年フェリクスであるという情報は、様々な角度から彼の耳にも入ってきていた。しかし、彼はまったくそれを信じていなかった。シュヴァルツブルクで、彼を目の当たりにするまでは。このまだ成人にも至っていない少年のひとつひとつの判断に、シュヴァルツブルク家の人間たちが、真剣に耳を傾けている姿を見て、ようやくそれを理解した。だが、それでも半信半疑であるというのが、ヴォルフラムの率直な感想であった。
「<知>は持ち運びが可能です。書物によって。今向かっている専門技術者の町では、帝国語訳された様々な書物の印刷も行っております。<知>の普及こそが我々の使命であり、ひいては帝国全体の繁栄にも繋がります。是非とも、今回ジギスムント様が各選帝侯様に送られた目録の中にある書物の精査には、人員をお割きになられるよう、お勧めいたします」
「なぜ君たちが、その知とやらを独占し、自分たちだけの繁栄を望まぬのかは正直理解できぬが、頂けるというのなら、頂いておこうか。しかし……」
「しかし?」
「私はそれほど読み書きが出来ぬのでな。下の者にそれらを与え、有用である知識が上がってきても、それの正否の判断がつかぬ可能性がある。それでは困ると思ってな。私ももう少し真面目に読み書きを勉強せねばならぬのか……この歳にもなって」
「勉学は永遠でございます。死ぬまで時間をかけても、深遠には届きませぬが、勉強を始めるのに遅いということはありません。いつでも、終わりのない旅を始めることができます」
「なっ……普通こういった時は、適当にやんわりと『貴方様なら出来ます』くらいの返事をしておくものであろう。それを何だ……目を輝かせて『勉学とは永遠』とは。偽りはないようだが、困った話だな、これは」
そう言って、初めて笑顔らしい笑顔を見せるヴォルフラム。そして、選帝侯会議の中でも提案されていたシュヴァルツブルクで新設される学校への留学に、自身の子息を混ぜることも検討しだすヴォルフラムであった。




