56 玉懸
深夜、星の見える城内のテラスにて。
「―― で、サビールというのが、君の母国というわけか、バルデ?」
「……ああ、そのとおりだ」
一瞬だけ、フェリクスに視線を向け、そしてすぐにまた空を見上げるバルデ。
「サーリマという王女が、君を産んだ未婚の母上というわけか……で、戻るのか?」
「馬鹿を言え。何を今さら」
「馬鹿なのか? 政情も安定せぬようだが、母上のことが心配にはならぬのか?」
「心配は心配だが……俺が戻って出来ることなど、何もあるまい」
「サビールについて答えていたあの男とは、あの後も何か話したのか?」
「ああ、少しだけな……彼の方から勝手に訪ねてきたよ。あいつは王宮仕えの上級召使いのひとりだったからな」
◇
「〇〇殿下、お久しぶりに御座います」
「サルマーンよ、殿下はよせ、何をいまさら。それよりも、お前、今はイルマーニアに仕えているのか?」
「はい、アル=ナフル様がお亡くなりになられ、王宮は荒れに荒れてしまい……」
「母上はいま、どこにいる?」
「遠い親戚でもあらせられる隣国のザハル王のもとに」
「はっ、よりによって、あのザハルのもとへか。昔から母上にご執心のようであったが、<不義の子>である俺ことは、心底憎んでいた男ではないか。これはもう、なんと言えばよいのやらだな」
「はい……ただザハルのもとであれば、決して悪い待遇を受けることはないかと」
「たしかにな。彼の者であれば、母上のことを悪いようにはするまい。なんせ、あいつは母上のことを女神か何かとすら考えている節があったからな」
「ときに〇〇殿……いえ、バルデ様。アル=ナフル様より<首飾り>を頂いたという記憶などは御座いませんか?」
「首飾りだと? これのことか?」
バルデは胸元から、首に掛けていたそれをサルマーンに見せた。
近づき「触れても?」と訊ね、バルデの許可を得て、それを検めるサルマーン。
「やはり……間違い御座いません。これは王が後継者に手渡す王の証、玉懸に御座います」
「なっ!……この安っぽい玉がか?いやいや、まてまて、なぜそんな物を俺に手渡したというのだ、あのじじいは!」
「後継者がいなければ、いっそのこと……ということかもしれませんね。あの御方なら……」
「いったい何て物を餞別代りによこしてんだよ、あいつは……」
困った風に怒りながらも、わずかな喜色が、バルデの顔色に混じっていることも、サルマーンは見逃さなかった。
◇
「―― とまあ、こんな感じだ」
そう言い、胸元に手をやり、フェリクスに誇らしげに玉懸を見せるバルデ。
「おいおい、これからは君のことを殿下と呼ぶべきかな、バルデ様?」
「はっ、冗談はよせ。それにしても困ったものだ。こいつを母上のところに届けてはくれぬかとサルマーンに頼んだのだが、あいつめ、体よく断りやがった。どうしたものか」
「叔父上ふたりのどちらかに、高値で売りつけるという手もあるぞ?」
「悪くないな、それも!」
「冗談だ。いや、冗談ではなく、君が売りたいのなら、そうすればいいが、ともかく御母堂の無事が確保される形でこそ、使うべきであろうな」
「まったくだ。こんなもの、俺にとってはどうでもいいが、使えるものならなら使わないとな」
「今後、万が一、母上の行く先に困るようなことがあれば、ノイシュタットでなら受け入れるから、そのへんは上手く伝えておくがいい」
「ほぉ~、さすが頼りになるね、我が主君殿は」
これはバルデの本音であり、フェリクスの心遣いに感謝するバルデであった。
玉懸は、本作オリジナルのイルマーン教圏での<王の証>である。玉佩をイメージし、ネックレスにしたのだが、佩は腰にかける物という意味なので、そのまま使うことも出来ず、それっぽい造語にしてみた。




