若き英雄の出立(2)
ユーゴとケネスは同時にその声の主のいる方向へ顔を向けた。
そこにいるのは、手に弓矢を持った若い女兵士だ。
女は金色の髪を耳の下程度の短さに整え、二人には白い肌で映える赤い唇を持ち上げた。
ユーゴはニコリと笑みを向ける女の名を呼んだ。
「シャモネ!危ないだろ!」
シャモネ・パーシェン。
ユーゴやケネスと同じ西方精鋭隊第14部隊の兵士である。
カル王国では有名な商家の4女なのだが、活動的な性格と手先の器用さで入隊を果たした弱冠19歳の新兵だ。
「危ないのはどっちですか?離れて見てましたけど、模擬戦闘だと忘れてませんでしたか?」
「ああ、まったくだ……」
シャモネの言葉に、ケネスは小さな声で同意を示した。
ユーゴはそんなケネスを睨みながら、シャモネに言い返す。
「本番を想定して行うのが模擬戦闘だ。このぐらいは問題ないんだよ」
「何が問題ないだ。死ぬわ……」
「うるさいぞケネス!それよりも見ろよこれを」
ユーゴがケネスに見せたのは、彼が握る木剣の柄である。
刃の部分は燃え尽きており、短い柄部分しか残っていない。
その短い柄に矢が刺さっている。それも、ユーゴの指とは2センチも離れていない場所に突き刺さっているのだ。
「……よかったな。当たらなくて」
ウワ、と言葉を漏らしたケネスに向かってシャモネが声を大きくした。
「当たらなかったんじゃなくて私が命中させたんです!」
そうして話始める3人。
ユーゴとケネスの戦いを見物していた兵士たちはこのタイミングで散っていた。
ユーゴはシャモネが持つ弓矢を見て話し始めた。
「お前の訓練はどうした?後衛は別のメニューじゃなかったか?」
「とっくに終わらせてますよ。私みたいな精鋭隊の弓使いともなると、他の兵士とは練度が違います」
1年目の新兵が胸を張りながらそう言い始めた。
ケネスはそれを笑おうとしたが、それよりも先にシャモネがあるものを指さす方が速かった。
そこにあるのは、2人が目を細めてようやく輪郭が分かる距離にある上半身のみの藁人形だ。
藁人形が10体ほど並んでいるが、そのうちの1体だけが異様に大きかった。
それが頭や腕、胸、腹に百を超える矢が突き刺さり、ただ大きく見えているだけと気づくには時間がかかった。
この遠距離だ。
藁人形に当てられれば良し、と言う訓練だろう。
だと言うのに、シャモネはおそらくいとも簡単に人形を射抜いたのだ。
兵士は皆、一度は弓矢を触る。
どんな戦闘になっても対応できるようにではあるが、大抵は適性なしとなればその後はほとんど触れることが無い。
つまり、今木剣を振るユーゴとケネスの弓矢の腕はあまり良くないということだ。
だからこそ、2人はシャモネを素直に賞賛したくはなかった。
「1人で矢を使い過ぎだ。あれは誰が回収するんだ?」
「あんなに打たなくても実戦だったらとっくに死んでるぞ」
他の兵士が見物するほどの戦いを見せた2人とは思えないようなことを言うユーゴとケネス。
シャモネはその2人の馬鹿な顔にあきれて何も言うことはなかった。
「……なんなんですか」
その時、シャモネが広場の端にある者を見つけた。
「あ、隊長だ」
西方精鋭隊第14部隊隊長、ダンケン。
今日は彼を含めたカル王国軍の幹部の招集された会議がこの軍舎であったのだ。
ダンケンはその間の訓練をユーゴ達に命じて、今は会議に参加しているはずである。
シャモネの言葉を聞いて、ユーゴは真剣な顔でダンケンを目で追った。
「会議は終わったのか」
「みたいだな。後ろにいるのは誰だ?他の隊の隊長か?」
「う~ん。すごい若そうですよ。眼鏡の男の子と、カッコいい女の人です」
ユーゴ達には人影しか見えない距離だというのに、シャモネは性別を口にした。
彼女にはこの程度の距離ならば、彼らの目の色さえも判別できることだろう。
3人はダンケンの動向を待った。
そして、彼らの予想通りにダンケンは隊の皆に集まるように命じた。
当然、この場所にはユーゴ達以外にも第14部隊員がいる。
ユーゴとケネスの戦い見持っていた見物人の中にも、シャモネの射撃を見ていた者たちの中にもいる。
そんな20ほどの兵士たちが、ダンケンの号令の十数秒後には彼の目の前に整列していた。
「あー、そうだな。何から話すべきか」
ダンケンはガシガシと頭を掻いて、自分の隣に立たせた2人に目を向けた。
続けて彼はキョロキョロと周囲を見渡して、この話を聞く者がいないかを確かめた。
「皆分かってると思うが、この訓練大会は全国の精鋭隊を動かすためのカモフラージュだ。本当の目的は、南の都市のフラスクで始まる作戦だ」
ユーゴ達は黙ってダンケンの話しを聞いていた。
彼らに驚くような素振りは無い。
この場に来るまでに聞いた噂や隊の仲間の推測のとおりだったのだ。
「会議では任務だぁ作戦だぁ、こぞって言葉を濁してたが、規模を考えればこれは<戦争>だ」
隊員の一人が声を上げた。
「……敵は?」
「ジャイアントだ」
また一人、疑問を口にする。
「ジャイアント族がフラスクに?いったいどこから現れたんですか?」
「奴らは……、いやお前たちは知らなくていい」
何か隠し事がある。
全員にそう思わせる回答だ。
だが、これ以上の質問が許されないことも理解できた。
「明日の早朝、王都に残ってる精鋭隊全隊と共に出る。訓練は終わりだ。今日はもう休め、それじゃあ」
「隊長!」
話を終わらせようとするダンケンをユーゴが止めた。
「……その人たちは?」
ユーゴが視線を送ったのは、ダンケンの隣に立たされた2人の若い男女だ。
「ああ、忘れるところだった。今回のせんそ、……作戦期間のみ入隊する2人だ。自己紹介しろ」
「はい!魔術部隊から来ました。クロード・ティオンです。よろしくお願いします!」
厚い丸眼鏡に、おかっぱのような黒髪の男。いや、男の子と言った方がいいほどに童顔である。
身長は160あるかどうかという程に小さい。
そして、その背丈と同じほどの杖を持っていた。
「同じく、魔術部隊から限定配属となりました。ゾラ・ローリエです」
肩に着く程度のグレーの髪の毛と、青色の瞳が特徴的な女だ。
隊員の男たちには、彼女に正面から見つめられて目を合わせ続けられる者はいないだろう。
それほどの神秘的な美しさである。
そして、腰には短剣と見間違えそうな短い杖が差してあった。
威勢よく挨拶をするティオンと、彼とは対照的な挨拶をしたローリエ。
この2人の共通点でありユーゴ達との違いでもある、肩にかけたマント。
それはカル王国軍において彼ら自身が口にした部隊<魔術部隊>の特徴であった。
そんな魔術師2人の入隊を第14部隊の面々は快く受け入れようとした。
ティオンのこの発言がなければ。
「あの、ユーゴ・デルヴァンクールさんですよね?僕、お母さまには大変お世話になりました」
この発言に隊員たちは天を仰ぎ目を背けた。
ローリエは分かりやすくため息を吐いている。
「でも先遣隊の失踪事件で……、本当に残念です。お母さまからユーゴさんの話は何度も聞いていました。ユーゴさんの使う魔法についてぜひ教えてください!」
ユーゴは少し困ったように笑いながらも、ティオンに手を差し出した。
「魔法については君の方が詳しいはずだよ。でも、あとで色々と話そう」
ティオンはその握手に応じて両手でユーゴの手を握る。
「はい!ぜひお願いします!」
ユーゴがティオンの長すぎる握手から手を離すとき、偶然ローリエと目があった。
ずっと黙っていた彼女だが、その時は目を伏せて会釈をした。
彼女もティオンと同じく、彼の母を知っているのだろう。
ユーゴは軽く頷いて応じた。
そして、ダンケンは今が好機とみて口を開いた。
「王都を出ればフラスクまでは何日もかかる。話はいくらでもできるさ。今日のところは、王都でしか出来ないことをしておけ……」
意味ありげなことを言って、ダンケンは解散を命じた。
ユーゴのみを残してである。
ケネスやシャモネが、また明日と言って軍舎の出口に向かっていく。
ユーゴはその背中を見送ることは止めて、ダンケンに向き直った。
なぜ自分だけを残したのか、そう問う前にダンケンが歩き出した。
「それじゃ、俺は娼館にでも行ってこうかな」
「え?あの?」
「お前には王都でしか出来ないことがあるだろ?」
そう言ってダンケンは首を傾けた。
その方向には、ユーゴのよく知る男が立っていた。
「…………まさかでも俺は、あれ?」
ユーゴが振り返った時、すでにそこにダンケンの姿は無かった。
ものすごい速度で走り去っていく彼の背中が遠くに見えるのみであった。
ユーゴは長く湿ったため息を吐きながら、仕方なくその男の下へ向かう。
足取りはとても重かった。
「……こんな場所で呼び出したのは、上司として話があるってことでいいんだよな?」
「お前が家に帰ってこないからだ。ユーゴ」
そう言ったのは、ユーゴの家で彼の帰りを待つ男だった。
それは彼の父親であり、三極の1人ニコラ・デルヴァンクールであった。




