魔王と呼ばれた責任(2)
ミレとマルナがこれまでに経験したことを踏まえると、その声かけはあまりにも自然すぎるものだった。
魔王らしい言葉。悪の主らしい言葉。
そんな言葉をかけらていたなら、ミレはすぐにでも飛び起きて、その剣をフィセラの首元に突きつけていただろう。それがステージ管理者達の守りを超えられるかどうかは別として。
ミレはパチリと瞼をあげて、ゆっくりと立ち上がる。
倒れていたその場所から移動しないようにだ。
バランスを崩さないように体を起こす様子は不自然だったが、彼女の周囲を針のような殺気が囲っているとすれば納得だ。
元居たその場所ならば殺気を防げるなどと言うことはないが、心体がそこを安全と思ってしまうのだ。
立ち上がり、顔を上げ、敵を見据える。
その頃には、蘇生から意識を取り戻した瞬間の子鹿のような姿をもう無かった。
既に英雄の出立ちを取り戻していた。
「久しぶり。まぁ、2時間も経っていないけど」
フィセラの言葉にミレ達は笑うしかなかった。
2時間。
2時間の間に3度死に。3度生き返った。
その事実に言葉が出るはずもない。
「さぁて、それじゃ……どうする?何か話したいことある?今ならまだ、聞いてあげられない話もないわね」
マルナがしっかりとフィセラを見据えて応える。
つい先ほど、彼女の記憶の中ではたった数分前、自分たちの命を奪ったレグルスやカラそしてベカが視界に入っているはずだが、それでもマルナはフィセラから目を逸らすことはなかった。
「あなたは何者なんですか?」
「……魔王」
そう宣言しようとするフィセラ。
ゴクリと、誰のものか分からない唾を飲む音が静かに鳴る。
「て、そっちが言ってきたんでしょ。何者って聞かれてもさぁ……」
緊迫した空気を、間の抜けたフィセラの言葉が緩和させる。
「確かにね。さっきはかっこつけて魔王がナンタラて言ったけど、別にそんな……、私は魔王だ!って訳じゃないし……」
調子を狂わされるミレとマルナ。
何かの罠なのかと周囲を見ても、黙る管理者がいるだけだった。
「なら何なんだ!?魔王じゃないなら、お前は何だ?」
ミレの問いに、フィセラは答える言葉を迷った。
自分が何者なのかを正しく言葉にすることは難しい。
だからこそミレはそう問いただしたのだが、またしてもフィセラの答えは核心のあるものではなかった。
「絶対魔王じゃないとは言わないよ。どっちかと言ったら多分魔王寄りだし……、かなり魔王寄りだし、まあほとんど?」
飄々とした態度を崩さないフィセラに、ミレは苛立ちを押えられなかった。
「もういい!これだけは答えろ!お前は……、敵か?味方か?」
これには流石のフィセラも困惑した。本当に困惑した。この状況で味方かどうかなんて言葉が出るとは思わなかったのだ。
「敵よ。でもまあ、見方によっては味方にも見えるかもね…………、ギャグじゃないからね」
言葉が掛かってしまったことを独り気にするフィセラ。
だが、誰も笑っていなかった。
笑みを浮かべるものさえ皆無であった。
――ギャグだって言ったら笑うのかこいつら……。
今なお態度を変えないフィセラに、ミレは我慢できずに怒号を発した。
「人類の味方かどうかを聞いてるんだ!」
その瞬間、フィセラの微笑みは消えた。
ミレの怒号を受けてでは無く、彼女の口にした言葉に対してだ。
――聞かなきゃ分からないほど、私が良い奴に見えてんの?
「人類のって、それはあれ?より多くのためなら少数の犠牲は仕方ないとか言う系のひと?世界と、たった一人の少女の命を天秤にかけられるひと?」
フィセラはそう言うと、真剣な顔つきから一転突然に笑い出した。
――そういう正義面した天使ども殺しまくった手前、そうですとは口が裂けても言えないわよね。
フフフと笑う彼女に対して、誰も声をかけることが出来なかった。
――それに、あんなクズどもと一緒にされるのも…………心外だな……。
そして、フィセラはミレの問いに答える。
「この私が人類の味方?…………んな訳がねえだろ馬鹿が」
ミレとマルナは、居並ぶステージ管理者たちは、フィセラの感情のない瞳に息を呑んだ。
これほどに冷たい瞳と、そして初めて聞く彼女の本心に驚いたのだ。
フィセラは長いため息とともに、天井を仰ぎ見た。
「はぁ~。そういう風にしてあげてるんだからさあ、あんたらはこう言うだけでいいのよ」
顔を上に向けながら、下目でミレ達を見下しながら続ける。
「こいつは言葉が通じない。だからとっとと殺し合おう、ってさ」
この空気の中で、ミレとマルナは意外なほど落ち着いていた。
フィセラの殺気に当てられた尚である。
もとより、舌戦など期待していなかった。
殺し合おう。それが剣を抜いてもいい合図ならば、そちらの方が楽だった。
そちらの方が、ずっと得意なのだから。
もはや何を言っても、戦いが始まる。
そう思って心に余裕が出来たミレがフィセラに対する。
「時々いるんだよ。そういう奴がよ。まさか、魔王にもいるとは思わなかった」
「なに?」
いい顔で自分に話しかけるミレを見て、フィセラは内心嬉しかった。
彼女が自らに定めた決まりを守ることが出来そうであったからだ。
――私が戦うのは私よりクソな奴と……私よりもいい奴って決めてんの。
色々なことを言ったが、フィセラには魔王と呼ばれる自覚はあった。
そして、その魔王に挑もうとする者たちの相手もしなくいてはいけないことも理解していた。
ミレとマルナ。魔王への挑戦者にふさわしい2人だ。
その2人がフィセラの問いに答える。
「てめぇのイカれてる考えを、在りもしない揺るがぬ信念だと履き違える勘違い女だよ!」
フィセラの瞳に若干、あるいは、かなり怒りの色が浮かび上がる。
――ああ、やっぱりクソの方だな。
「それ悪口?」
精一杯の抵抗としてなのか、そう口にするフィセラ。
それにミレは涼しく返す。
「いいや、これが戦いさ」
同時に2人が武器に手をかけようとしたその瞬間。
フィセラは玉座の載せていた手の指でトンと音を鳴らした。
「じゃ、場所を変えよっか」
すると、玉座の横に控えていた長髭の老人、ヘイゲンが手に持つ杖で床を叩いた。
淀みない洗練されたその動きにミレ達は反応することも出来なかった。
ドンという、心臓を揺らすような低い音が鳴ると、一瞬だけミレ達の視界がかすんだ。
そして、転移した。
玉座の間は直接日光を取り込む造りではなかった。
そのため、昼間(疑似太陽)であろうとも、一定の薄暗さがある。
だからこそ、突然転移させられたミレ達はその明暗の差に目が眩んだ。
視界が白く霞む中で理解した。
すぐ頭上に太陽があることを。
常人ではどうにも出来ないその現象を、ミレ達は肉体操作で抑えてすぐに視力を取り戻す。
そこで見ることとなった。
石畳の大広場。
そこから20メートルほど地面を高くしたところにある館。
その20メートルの差を下から見ると、そこはまさしく壁。
その壁には何十もの旗が掲げられている。
棒が斜めに突き刺さり、その先に重量のありそうな布が下がっていた。
バタバタと音を立てながら揺れるその旗の下に、彼女は立っていた。
気づくと玉座の後ろにあった真っ黒な大斧を携えている。
暴れる旗はまるで彼女の降臨に拍手を送っているように見えた。
照りつける太陽の下に立っているはずなのに、彼女は、フィセラだけは闇と共にあった。




