第百四十三話:神へのミッション(終)
「しかし、ホントに白い部屋だな」
飯高町の倉庫前に設置した閉鎖環境適応訓練設備「モビーディック」の中央にあるホワイトルーム。俺はそこに入り込み、その完璧な出来栄えに感心していた。
この部屋は他のブロックと違い、当初の計画よりかなり遅れて完成したのだが、それは俺が相当な無茶を言ったためだ。
この部屋は音、温度変化などの外部刺激が一切無いように作られている。構造物が何一つ無いただひたすら白い部屋の中で人の精神がどれだけ耐えられるか―― そういうテストのための部屋なのだ。
俺がそのテストを知ったのは中学生の頃読んだ剣豪漫画でだった。暗く閉ざされた洞窟の中、夜目も聞かず平衡感覚もおぼろげな環境で剣士が成長していくという話だ。
なんでもそのテスト、短時間だとちょっとした体の不調くらいなら治ってしまい、今まで勉強したほとんどの事が思い出せてしまうのだという。素晴らしいじゃないか。その後は地獄みたいな苦しみに襲われるらしいが。
「まあ……なんだかんだ言ってアレも漫画だからなあ」
100%真に受けたわけではないが、興味はアリアリ。そんな俺のたっての願いで作ってもらったのがこのホワイトルームと言うわけだ。本当に継ぎ目一つ無い真っ白な部屋で、上下左右の壁・天井・床からは均一な淡い光が浮かび、影すらできないようになっている。
この施工は壬生重工と壬生建設が共同して行ったが、彼等いわく稀代の傑作だそうだ。
実際、扉と壁の隙間すら1mも離れただけで見つけられなくなるなどの工夫が随所に散りばめられており、素人目に見ても素晴らしいの一言に尽きる。30分もいると遠近感が無くなって平衡感覚もおかしくなってくるのも面白い。
「ホント、悪趣味よね」
「いいじゃん。こういう部屋欲しかったんだよ。それになんとなく『あいつ』が出てきそうな気がしないか?」
「ふふ。それこそ悪趣味よ」
8畳部屋くらいの空間だが、果てしなく遠くまで続いているようにも感じるし、妙に狭いような感じもする。「あいつ」が出てきた白い部屋もこんな感じだった。俺はその部屋を感慨深く眺めていた。眺めるものなど何もないのに。
市川さんはそんな俺を慈しむような目で見ている。俺がその視線にウィンクで返そうとしたその時――
ゥワン
一瞬、耳鳴りがしたと思ったら部屋の温度がはっきり分かるほど下がった。おかしい、この部屋は耳鳴りや温度変化とは無縁の部屋の筈だ。
「あ……」
市川さんが何かを見つけたらしい。その視線の先にはビジネススーツを着た男性の姿があった。当然、今日の俺にそのような人物との約束はない。
「ああ……ついに来たか」
俺にはそれが誰だか解っていた。この世界の新たなオーナーにしてシミュレータを司る上位存在。俗な言葉でいうと二代目「あいつ」だ。
「ようやくのお出ましですね」
俺が口を開くと、ビジネススーツを着た男性は少し困った顔をした。肝心の意思疎通が出来ないようだ。「あいつ」の世界に現れた時と同じく、外交使節としてこちらの世界の慣習に則った姿をしてきたんだろうに、うっかりしたのか男性は翻訳機を持ってきていないようだった。
「&@ ◆P! #」
「困ったわね。とりあえず敵意はなさそうなんだけど……」
『はじめまして。こんにちは』
突然、俺のショルダーバッグに入っていたアケビから音声が出た。
急いでアケビを取り出すと、アケビは今まで見たことのない色とパターンで光っている。なるほど、アケビは翻訳機だったのか。
「やあ、よかった。翻訳機をお持ちでしたか。前任者からお聞きかと思いますが、我々がこの度あなた方の世界の運営母体となりました。私は『ヌンチウス』と申します。こちらの銀河群のリソース管理担当者様で間違いありませんか?」
「俺だ。間違いない」
慇懃無礼な感じがしないでもないが、ファーストコンタクトはこんなものだろう。慇懃無礼に聞こえるのはこの翻訳機がまだ若いからかも知れないしな。
アケビは本格稼働を開始して、完全な同時通訳をしているようだ。それだけでなくアケビは相手の話す音声を俺達の認識から消し去り、翻訳結果だけを俺達に聞こえるように演出していた。改めてそのテクノロジーには感心させられる。
「良かった。では早速ですがお話を。我々が運営を引き継いだ事について、何かお聞き及びになっておられますか?」
「ああ、貴方達はこの世界の生物の多様な進化と行動選択についての知見が欲しいとのことだった。この理解であっているか?」
「……概ね正しく伝えられているようですね。ですが我々としてはあなたがたを眺めているだけでは若干物足りないのです」
「他に何かご希望が?」
「ええ、今日私がここに来たのはそのことについてです。我々はこの世界の住人に一つ注文を出したいのですよ」
ほら来た。ただ挨拶のためだけに上位存在が俺のところに来る筈がない。
「また俺に人口を減らせというのか?」
「いえいえ。前運営時代のようにリソースが足りなくなったらまたお願いするかも知れませんが今日はそういうことは申しません。あなたという人間を、そして地球という惑星の人達を見込んでのお話です」
ということは、俺一人では何ともならない案件ということだな。
「我々は自分達の持つ世界シミュレータのバリエーションを増やしたい。このこともご存知ですよね?」
「ああ、それがこの世界の次元陞爵の直接の理由だと聞いている」
「では話は早い。地球人類に、新たな世界シミュレータの設計開発をお願いしたいのです。要件定義はシンプルで『知的生命体がシミュレータの中で発生するよう設計されていること』。これだけです」
「この世界の物理限界だと実行速度は恐ろしく限られたものになると思うが」
「そこは目を瞑ります。光速に縛られた物理法則を持ったこの世界ではそこは頑張ってもどうしようもありませんからね。期限はこちらの惑星が三千回公転するまででいかがでしょう?」
3000年か……3000年で世界シミュレータの開発ができるかってことだな……。
「出来なければ?」
「この世界の継続価値無しと判断してシミュレータを停止します」
「ず、随分勝手なオーダーね……でも断ったらすぐに終了なのよね?」
「おっしゃる通りで」
「助け舟と言ってはなんですが、入れ知恵を一つ。その翻訳機、翻訳機だけではなく様々な機能が搭載されていると聞いております。この世界でも使える様々な新技術の概要や世界シミュレータの簡単なスケルトンのソースコードなども入っているそうですよ」
「……それならなんとかなるかも知れないな」
ソースコードがあってもそれをコンパイルするコンパイラも、動かすコンピュータも無いんだがそこは知恵と勇気と小細工で乗り切ろう。
そうなると懸念材料は3000年という期日だ。身体はともかく脳はレグエディットでいじれない。3000年経過するより前に脳がイカれてしまうんじゃないだろうか。
「責任者として管理者と管理者が指定する人間の身体については劣化しないようにも指定できます。これはまあ、僅かな特典をケチって開発が頓挫されたらこちらも困るからでして……」
やれやれ。飲むしか無い無茶なオーダー、少しの特典……運営が変わっても俺の生き方は何も変わらないな。
「わかった、ヌンチウスさん。そのオーダー受けよう。でもどうして俺なんだ? 前の運営がいた世界ではきちんと政府を通したと聞いていたが」
「簡単です。この銀河群には全権を保有する政府が存在しないからですよ。だったらお願いするのに一番適しているのは次元を超えたオーダーを受けたことがある人、つまりあなただ。そうでしょう?」
「……そのとおりだな」
ヌンチウスは丁寧に、自分への連絡方法などを俺に渡して一礼をするとすうっと消えていった。定時報告は百年毎にお願いしますと別れ際に言っていたが、その言から察するにどうやら俺は老衰では死ねない体になったらしい。でも、それって特典なのか?
「消え方は同じなのね」
「ああ……」
俺達はもとに戻った白い部屋の中でしばらく立ち尽くしていた。半ば呆然として。
3000年が長いか短いかなんて全くわからないけど、次のミッションが降って来た。いいさ、どうせ俺の人生なんてずっとこんな感じだ。
ついに死ぬことすら許されなくなったってのは納得が行かないけど、開発をやめたら世界ごと終了。それも大味だが不思議と納得が行く。
サボっても挫けても裁くのは自分自身、か。ふふ。今までベンチャーの社長にずっと言ってきた言葉だな。
「大変なことを引き受けたものね。同情するわ」
「市川さん。東京へ帰ろう。まずは計画を立てないと」
「そうね。3000年分のガントチャートを作らなきゃ。きっと面白いプロジェクトになるわ」
「まずはチームビルディングからだよ。どこかリラックスできるところで合宿だ! 相田とダグと、エマも呼んでおいてくれ」
さあ、どうやって実装しよう。いやいや、まずは巨大なシステムを開発するための資金づくり、体制づくり、人材の発掘からだな。
市川さんがガントチャートを引き、相田が資金を作る。貴子さんが体制を構築して俺は人材を発掘する! その横にはシャーロットが居て俺と皆を支える……うん完璧だな!
★★★★★
「驚いたな。今度獲得した世界の知的生命体というのはここまでアグレッシブなものなのか」
「ええ、我々観測班も驚いています」
上位存在の世界では影山達の作る世界シミュレータの事が話題になっていた。期限は地球時間で3000年。これは彼等にとっては過酷と言えるほど短いオーダーだったのだが、影山達は最初の30年ですでにその骨格を作り上げていたのだ。
この時影山は影山物産の枠を飛び越え、米国を始めとした数々の研究施設やベンチャー、そしてIT系の大企業を資本系列に加えた巨大組織を形成していた。もちろん、彼の周囲にはいつまで経っても歳を取る様子を見せない数名のスタッフが居て彼を支え続けている。
「この分だと、300年程で完成してしまうのではないかと」
「いや、30年で半ばまで来たのだ。100年とかかるまい」
「百年ですか? いやまさか……しかしそんな……」
「ヌンチウスさん、こちらに来てあなたもご覧なさいよ。私はまだ彼等の感情表現というのに疎いんですが、その私が見ても彼等はあんなに楽しそうに……」
自らを観測班と言っていた者がヌンチウスをシミュレータの可視化モニターの前に呼び寄せた。そこには影山が周囲を叱咤激励し、それに応えるスタッフ達の気迫のこもった姿が映し出されている。
「本当だ。私の話を聞いた知的生命体は皆絶望したような顔をしていたのに、彼等ときたら全然そんなことはないね」
「完成が楽しみだ。彼等の作るものなら、今までとは違った面白いものが見られるに違いない」
「ええ、そうですね。本当に」
(終わり)
皆様、長い間のお付き合いありがとうございました。
皆様の応援のおかげでなんとか完結に至ることが出来ました。
今後しばらくはこの作品の校正を行います。次回作は未定で…どちらかというと外伝を優先するつもりです。
「あのキャラクターのその後は?」など、外伝のリクエストがありましたら個人メッセージ宛にお願いします。
一旦システム的に「完結」を設定しますが、外伝や何かでこの設定は変更されるであろうことを予めご了承下さい。




