12.カードは切られた
――王宮の離れにある自室で、ガイゼリック王は、徐々に白む空を睨め上げていた。
先程まで彼の身支度を整えるためにいた侍女たちも、今は仕事を終えて部屋を辞しており……。
そこにいるのは、王であるとともに、祭司としても大祭を取り仕切るべく、普段の礼服よりもむしろ華美な僧服といった趣の、ゆったりと余裕のある服を纏った彼だけだった。
昨夜王宮に戻って以来、ろくに休みもせず、大祭の準備を続けつつ朗報を待っていた彼だったが――ついにそれがもたらされることはなく、無情にも夜は明けていく。
このまま時間までにマールが戻らず、最悪の事態となったとき、どう動くべきか――。
その問題が、彼の眉間に、より一層色濃い皺を刻み込ませていた。
自らの進退については、そもそも王となったときから覚悟は済ませていることだ。
仮に、自分が退位するのが国のためになるという確証があるなら、喜んで玉座を捨てもしようと。
……だが、失脚がバシリアの策によるものとなればそうもいかない。
その後、自分がこれまで、国のため、民のためにと推し進めてきた、民意も積極的に政に取り入れるための新議会の設立案など、様々な改革が白紙に戻されてしまうのは間違いないからだ。
加えて、テオドラを含めた、周囲の人間の処遇の問題もある。
バシリアも、取り立てて国を混乱させたいわけではなく、速やかな譲位を望むはずであるから、王自身を断罪するような真似はしないだろう。
いやむしろ、擁護さえするかも知れない。
しかしその分、王の権力を最大限削り取るため、協力者は何かと理由を付けて国の中枢から切り捨てられることになるのは明白だ。
反逆の首謀者として吊し上げられるテオドラはもちろんのこと、アスパルやその妻たるユニアも、決してただでは済まないだろう。
国と、そして、自分に連なる者たち――。
その両方を、王位を捨ててでも何とか護る術はないものかと彼が思考を巡らせたのは、何も今朝にかけてだけではない。
マールが姿を消してからというもの、ずっと思案してきたことだ――それだけに、既にして幾つかの案は持ち合わせている。
しかし、バシリアに連れ去られたと思っていたマールの本当の所在を知り、そんな思案をする必要もなかったと一度は眉を開いた矢先だけに……。
用意していたはずの案のどれもが、今ではどうしようもない下策に思えてならなかった。
(――それでも、少しでも最良に近い道を選ばねばな……)
そうして、王が改めて意を決していると……部屋を訪れる者の声があった。
応じて振り返れば、やってきたのは、騎士としての正式鎧の上に、儀礼用の外衣を纏ったアスパルだ。
ついに待ち望んだ報せが届いたのかと一瞬期待するも――堅い表情からそうではないと理解した王は、公人としての顔を崩すことなく、アスパルと向かい合う。
「諸侯皆揃い、謁見の間にて、祭祀の前に是非にと、陛下より一言賜るのをお待ち申し上げております。――どうか、御出座を」
「……そうか、分かった。
では――行こうか、アスパル」
「お供、いたします」
僅か一言に、どれだけの思いを乗せていたのか――。
その重さを察しながらも、しかし小さく頷くにとどめ……王はアスパルとともに、謁見の間へと向かう。
――果たしてそこには、領地へ赴任している者を除き、央都に留まる大貴族のすべてが揃っていた。
そうそうたる顔ぶれとはまさにこのことだろう――国策を決めるような会議の場でも、こうして全員が一時に顔を合わせるのはなかなかあることではない。
それは言わずもがな、〈聖柱祭〉の重要性を示すものであり……同時に、王の失策を責め立てるのにこの上ない舞台ということでもあった。
拝礼をもって迎えられた王は、諸侯への月並みな労いと、大祭への意気込みを言葉少なに語る。
その挨拶が終わるのを見計らい……1人の老貴族が「失礼ながら」と手を挙げた。
「……ロクトールか。何事か」
来たな、と思いながらも、そんな感情はおくびにも出さず……至って平静に、王はその老貴族――ロクトール・バシリアを見やる。
「は。僭越ながら……大祭を始めるにあたり、今このときにこそ、長らく惑わされておいでになった陛下の御目を覚ませてさしあげるのが、臣下の務めであると決意いたしまして」
「……どういうことだ?」
「お集まりの諸侯にも、ご存じの方はいらっしゃると思うが――」
一度、ぐるりと他の貴族たちを見回してから、バシリアは改めて王に向き直る。
「第四妃テオドラ様におかれましては……陛下のご寵愛を受けながら、その陰で、祖国の滅亡は我が国に責があると逆恨むばかりか――。
挙げ句、皇国の復興を目論み、我が国の民に様々な害を為す皇国の残党どもを、陰ながら支援している――という疑惑がございます。
さらに……昨今入手した情報によりますれば、あろうことかその目的のため、陛下との間にもうけられた王女を殺め、代わりに皇国の遺児を密かにすり替わらせるような真似までされたとのこと」
「ロクトール……。
貴様、今、己が何を申しているか……分かっているのだろうな?」
王はぎろりとバシリアを睨み付ける。
――が、その底知れぬほどに迫力のある視線を真っ向から受けても、己の勝利を確信しているだろう老獪な貴族は、まるで怯むことがない。
「伊達や酔狂でこのようなことが申せましょうか……すべては確証あればこそにございます、陛下。
――お聞き下さい。
我が調査の手が近づいていることを悟ったのでしょう、テオドラ様はその皇国の遺児……マールツィア様の名を騙る娘を密かに、繋がりのある皇国残党へと引き渡したのです。再興を掲げる上で旗頭となる、かの者を失うわけにはいきませぬからな。
……信じ難いことではありましょうが、これは事実。
大祭に備えて、皇国残党どもの動きを警戒していた我が手の者より報告が上がってきておるのです――昨夜襲撃した、奴らの集会より逃げ出した参加者の中に、確かにマールツィア王女らしき少女の姿があった、と。
つまり――」
ここまで強い口調で捲し立て、再度バシリアは諸侯を見回す。
「マールツィア様はご病気で療養中という話さえ、テオドラ妃による狂言であり――。
その屋敷は、今、まさにもぬけの殻ということだ!」
……諸侯の間にざわめきが広がる。
その中で、しきりに同調する者たちもいるのを、王は見逃さなかった。
そのほとんどが、親バシリア派であったり、何らかの縁故があったりする者であり、いわば一種の回し者だったのだが……。
真実を知らぬ貴族に対し、バシリアのそれを妄言と看過出来ない程度の影響力にはなったらしく――戸惑いを含んだものも含めて、諸侯の目は王へと向けられる。
王は依然険しい表情のまま、重々しい口を開いた。
「なるほど。して、毒婦にまんまと騙されていた我が目を覚ますべく、これよりマールツィアの屋敷へともに向かい……この大祭を前に不在であるという動かしがたい事実を直に確かめよ、ということか」
「仰せの通りにございます」
……恭しく一礼するバシリア。
ここでその要求を突っぱねるような真似をすれば、それがなおさら諸侯の不審の念を増すことは明白だった。
しかもそうしたところで、結局マールが〈聖柱祭〉に出席出来ないのであれば、何の解決にもならないのだ。
……であれば、取るべき道は一つしかない。
「よかろう、貴様の言に乗ってやる。
――皆、供をせよ!」
大股に、謁見の間の中央を進み行く王。
その背に、アスパル、バシリアを始め――諸侯がぞろぞろと付き従った。




