10.真闇に踊る
明ければ、〈聖柱祭〉が始まるその夜――。
父王と夫の許可を得たユニアは、一人静かに、眠る義母の側に付き添っていた。
幸いにしてテオドラは特に苦しむ様子もなく、穏やかに眠っている。
痩せ衰えながらも、内なる心の有り様が表れているのだろう――美しさに通じるものを失っていないその顔立ちを見るにつけ、ユニアは逆にそれを痛々しくも思ってしまう。
テオドラほどの体調なら、病気を理由に〈聖柱祭〉を欠席することは許されるだろう。
いやむしろ、身体を第一に考えるなら、祭礼に式典にと忙しく動かねばならず、決して楽ではない大祭への参加など控える方が当然だ。
しかし、ユニアには分かっている。
強い心と、それに伴う責任感も併せ持つこの人は、王族の一員としての役目を果たすべく、病を押して参加し――そして我が身の辛苦はひた隠しに、民へ穏やかな笑顔を向けるのだろうということが。
……そして、知ってもいる。
その強い心を持つゆえに――時として感情を抑え、こうしなければならないと信じた行動を取れる、強い意志があるゆえに――文字通り、身を引き裂かれんばかりの苦しみを味わってきたのだということを。
――すべては8年前に遡る。
大貴族たちの中に、レオの命を狙う動きがあるという話を聞いていたテオドラは……単身屋敷を脱け出し、自分に会いに来てくれた息子を、まさにその大貴族たちに囲まれていたその場で、そうだと認めるわけにはいかなかった。
病気療養という名目で郊外に隠棲させているからこそ、野望持つ人間から守られていたという一面もあるというのに……そんな病弱なはずの子供が、実は1人で央都へ来られるほどに元気だったと分かればどうなるか――と。
最悪の事態を恐れたテオドラは、息子を想えばこそ――その場では感情を抑え、冷たくあしらう他はなかったのだ。
無論、本意ではないのだから、彼女はすぐさま使用人の1人に、密かにレオを保護するよう命じてもいた。
しかし――彼女の不運はそこにあった。
後日、何者かに殺された死体となって発見されて初めて、その使用人が、主を裏切り、何者かと通じていたらしいことが判明したのだ。
結果、知らなかったこととはいえ、守ろうとした息子を、みすみす自ら凶手へ引き渡すような真似をしてしまったことへの激しい後悔と自責は……並々ならない心労として、もともと強くはなかった彼女の身体を蝕むことになった。
そしてその一件のあと、ユニアは自身の目で見ることになる。
塞ぎ込む母を心配して、無邪気に縋り付く幼いマールに……「どうしてあなたが――」と言いかけた、暗い表情のテオドラを。
いかにこのとき、既に心労が祟って大きく体調を崩していたとはいえ……。
しかし、実の娘同様に可愛がってきたマールに対し、決して言ってはならない言葉を――実子の死を嘆き、義子の生を妬み、やり場の無い怒りをぶつける最低の言葉を――結果として言い止まりこそすれ、胸に抱きはした自身の心に、誰より恐怖していた……そんな義母の姿を。
そうしてテオドラは――病気を理由に、マールとの接触も避けるようになったのだ。
自分の弱さで、この上、マールまで傷つけるような真似はしてはならない、と。
そう――なまじ強い心を持つゆえに。子供らに深い愛情を抱くゆえに。
テオドラは自身の孤独を当然のことと受け入れて、8年もの間、辛苦に耐えてきたのだ。
「……お義母様」
ふと視線を上げれば、つい先ほどまで雲に遮られていたはずの月の光が、寝所へと射し込んでいる。
雲間を縫い、闇を優しく照らす光――それが神の慈愛であるならば、どうか義母の下へこそ届くようにと、ユニアは祈らずにはいられなかった。
* * *
……なかなかどうして、思った以上に面白い見世物になった――と。
傭兵たちを率いる年配の隊長は満足していた。
何十年とバシリア家に私兵として仕えてきた彼にとって、第一に遵守すべきは何より主命であり、それを妨げるようなものは極力切り捨てるべきだという信念がある。
つまるところ、特に何をするわけでもない待機状態にあるからといって、その間に女を弄ぶなど、彼個人にすれば――あくまで命令を逸脱しかねないという理由のみにおいて――以ての外なのだが、若い部下たちの士気を保つ上で、そうした娯楽が必要なこともまた理解していた。
それゆえに、本来の仕事が疎かにならないよう、きっちり神殿の警護の人員も割いた上で――交代まで間がある部下には、自分に報告を上げさえすれば、後はしたいようにさせていたのだ。
もっとも、今回は捕らえた王女の扱いについて、決して殺さないようにと指示を受けていたため……万が一を警戒して、こうして自らお目付役として出張ってきたのだが――。
それでこんな見世物が見られたのだから、なるほど、億劫がらずに動いてみるものだと彼は目を細める。
……舞うように軽やかに戦う王女の細腕に、既に部下は2人が屈し――今は3人目が剣を交えているところだった。
まったく、予想外と言っていい。
だが、だからといって状況が覆るわけでもない――こうして完全に掌握した状況下での予想外は、むしろ純粋な刺激として楽しめる。
だから彼は部下の不甲斐ない姿にも、今は余裕をもって事の成り行きを見守っていたのだ。
果たして……事態は、彼の掌握している状況の範囲内に落ち着こうとしている。
良く善戦したものの、息が上がり、明らかな疲労が見て取れるようになった王女は――3人目の容赦ない攻めに対して、もはや完全に防戦一方だった。
そろそろ決着が付くだろう――彼がそう思ったまさにその瞬間。
王女の剣が、猛攻に耐えきれず……ついにその白い手を離れて宙を舞った。
「……終わりか」
彼とて、まだ女への興味を失うような歳でもないが……若い部下たちと違って、仕事を脇に置いてでも楽しもうとするまでに飢えてはいない。
この後のことまで監視する気もない彼は、見世物の終幕をやや残念にも思いながら……腰掛けていた木箱からゆらりと立ち上がった。
――刹那。
彼の熟練の戦士としての眼が……広間の中央を、風を切って何かが閃くのを垣間見る。
「――――っ!?」
しかし、それが何かと視線を追う間もなく――。
パンッと、何かが割れる軽い音がしたと思った瞬間――広間は、いきなり真っ暗闇に塗りつぶされた。
……角灯が割られた? 何者かが明かりを消した……!?
すぐにそう状況を理解し、さらに、突然の事態に混乱する部下のものとは別の……広間に侵入してくる、何者かの微かな気配を察知するものの――。
完全に視界を奪われた状態では、とっさに反応することもままならない。
いや――すぐに行動したところで、間に合っていたのかどうか。
自分の鼻さえ見えないような暗闇の中、侵入者は一直線に部下に肉薄し、さらに最小限の的確な動きで無力化しているらしく――。
微かな物音は瞬く間に、次々に重なり合ううめき声だけに変わっていく。
そんな中、女のものと分かる足音が遠ざかるのを聞き取り、慌ててそちらへ向かおうとするが――その瞬間。
自らの背後に迫る気配をも感じた彼は、とっさに、振り返りざま蹴りを放つ。
あくまで勘を頼みとする一撃だったが、彼には、当たるという確信があった。
しかし――
そんな熟練者の、研ぎ澄まされた感覚すら嘲笑うように……蹴りは空を切る。
そして、かわされたと驚く間もなく――立て続けに重ねられた、相手の膝蹴りと思しき反撃が、恐ろしいほど正確に彼の鳩尾を打ち抜いた。
ただでさえ蹴りを外して体勢を崩していたところへ、視認による心構えさえ出来ない不意を突いた痛打を受け、隊長はたたらを踏む。
かろうじて無様に倒れないよう、踏ん張りはしたものの……膝に力が入っていないのを悟られていたのだろう。
相手は息もつかせぬ動きで、そんな彼の両腕を背中にねじり上げつつ脚を払い――自らが馬乗りになるような形で床に押し倒した。
「――動くな」
背中越しに降ってきたのが若い男の声だと理解したそのときには、既に喉元には冷たいものが押し当てられ――彼は、生殺与奪の権を完全に握られたことを悟った。
「貴様、王の手の者か……!」
せめてもの抵抗とばかり、彼は虚勢を張る。
それに対し、相手の男はあからさまな冷笑を漏らすと……押し当てた凶刃でひたひたと喉を叩き、ゆっくりとした口調で答えた。
「……お前たちの主に伝えておけ。
我ら神聖帝国をあまり甘く見ないことだ――とな」
「――! まさか、貴様……っ!」
ハッとなって、見えないことも忘れて思わず背後の人間を確かめようと首を動かす――が、その瞬間、彼の頭は思い切り石の床へと叩き付けられた。
気絶こそしなかったものの、あまりの衝撃に眼の奥に火花が散る。
そうして、彼が正体を失っているうちに――いつしか、彼を抑え込んでいた男は足音も無く、その姿を消していた。




