8.娼婦の品位、鳩の真意 −4−
「じゃあ……兄様のために?
兄様を諦めさせるために、今のお仕事……」
腰を浮かせて前のめりになるマールに、サヴィナは「まさか」と首と手を振った。
「言ったでしょ、わたしのワガママと意地だって。
……わたしはただ、わたしの望みのためにこの道を選んだだけ。
レオ君の申し出を断る以上、弟たちと生活していくためには、この道しかなかったってだけなのよ」
「兄様は……反対しなかったんですか?」
「その場にいたら、絶対に認めなかったでしょうね。
……でもその頃――もう4、5年ぐらい前になるかな。その頃、レオ君はしばらく央都を離れていたから。
かいつまんで言えば……たった1人で盗賊をしていたレオ君は、悪い地回りに目を付けられて捕まっちゃったのね。
で、逃げ出しはしたんだけど……そいつらが、レオ君が世話をしていたわたしたちにまで危害を加えようとしているのを知って――その地回りのお頭を弾みで殺してしまったの。それで、そこの構成員から追われることになって。
……そのとき、あの子を匿い、わたしたちを助けてくれたのが――当時はまだこの国へ来たばかりで、大した勢力もなかったオヅノさんたち今の〈蒼龍団〉だったのよ。
レオ君の才能を認めたオヅノさんは、ほとぼりが冷めるまで央都を離れるよう勧めて……同時に、その期間を利用してロウガと一緒に、自分の〈忍〉とやらの技術を叩き込んだのね。
そして、わたしは――」
一度言葉を句切り、サヴィナはおどけた様子で小さく肩をすくめた。
「レオ君が央都に不在だったその間に、オヅノさんが纏めてくれた契約を受けて、こうして今の仕事に就いたってわけ。
――ああ、でも勘違いしないで。
オヅノさんは無理強いはしなかったし、纏めてくれたその契約も、わたしだけでなく弟たちのことも考えてくれた……他の地回りの下で営業してる娼館なんかとは雲泥の差の、とても条件の良いものだったんだから」
そうオヅノたちを弁護するサヴィナの言葉が本心からのものであることは、マールにも良く分かった。
短い期間ながら彼女自身オヅノたちと接して、堅気とは違う彼らならではの怖さを感じはするものの……同時に、掲げた義侠心の名に恥じない行いを心がける、一種高潔な精神を備えた人間であることは理解していたからだ。
法は破ろうとも、人としての義に悖るような行いはしない、と。
「ですけど、その……兄様は納得しなかったでしょうね」
「ええ、そりゃあ怒ったわよ。それこそ、オヅノさんを噛み殺さんばかりの剣幕でね。
だから、自分の意思でこの道を選んだんだって、わたし自身が説得して……納得させたわ」
「そのとき兄様に、さっき話してくれた理由は……」
「そうね、言ってない。
わたしはわたしで出来ることをして、家族を養うって覚悟を伝えただけ。
……だって、本人に言うことじゃないものね」
「……そうですね」
柔らかく同意して、マールはぺたりと、浮かせていた腰を落とす。
気が重いような、楽になったような……何とも形容しがたい妙な心地だった。
ただ、それを面には出しにくくて、彼女は何とか笑顔を作る。
「じゃあ、わたしも黙ってます。
兄様、ひねくれてるところあるから、そんな話を聞いたらそれこそ真逆の人間を目指しそうですし」
「ありえるわね。レオ君は――」
微笑み混じりに相槌を打ち、続けようとしていた言葉を……サヴィナはとっさに呑み込む。
理由は、マールにもすぐに分かった。
近づいてくる足音と、話し声がしたからだ――男2人の。
一瞬、もうレオたちが助けに来てくれたのかと期待するマールだったが――それはすぐに打ち砕かれた。
聞こえてくる声は、レオのものでもロウガのものでもなく……つい最近聞いたばかりの、心象のせいか、耳障りとしか感じないものだったからだ。
「……あいつら、ね」
さすがに緊張した面持ちでそう呟くサヴィナに、マールは無言で頷き返す。
……やがて、2人がいる牢の前にやってきたのは、傭兵風の身なりの男たちだった。
その格好に逞しい体躯も相まって、粗野な雰囲気もあるものの……彼らがただのごろつきではなく、むしろ訓練された兵士のようにスキが無い厄介な存在であることを、マールたちは察している。
「――何用ですか」
居住まいを正し、王女としての威厳を以て問いかけるマール。
それに対し、男たちは小さく嘲笑うように唇を歪めたかと思うと……サヴィナに視線を向ける。
「いえ、姫様に用というわけでは。間違っても手は付けるなと、きつく言われておりますので。
……ただ、そちらの女は別ですから。
暇を持て余す我々の相手でもしてもらおうと思いましてね」
「――ッ!」
生まれて初めてと言って差し支えないほどの険しい表情で、男たちを睨み付けるマール。
ついでに、下町の生活で覚えた罵詈雑言でも叩き付けてやろうかとも思ったが……却って男たちを楽しませるだけのような気がして、それは何とか思い止まった。
そんな、今にも噛み付きかねない形相のマールの肩に優しく手を置くと――サヴィナは静かに立ち上がる。
「仮にも、姫様のお世話を言い付かった身。
ただの遊び女としてでなく、それ相応に優しく扱っていただけるなら、喜んでお相手いたしますわ」
妖艶に笑うサヴィナにも、男はさして表情を変えることなく……
「お前次第だな」
と、鉄格子を開けて、油断ない動きでサヴィナだけを牢から引っ張り出した。
そして、俯いたまま肩を震わせる少女を一瞥した後、元通り鍵を掛けようとしたその瞬間――。
「――待ちなさい!」
怒声とともに、マールが勢いよく立ち上がった。
「暇潰しと言うなら、私が先に相手をして差し上げます」
「ご理解いただけませんでしたか?
あいにくと、姫様には手を――」
男がやれやれとばかりに先の言葉を繰り返そうとしたそのとき……。
マールが鉄格子越しに、男の提げている長剣をぞんざいに爪先でつついた。
そして――フンと、男たちを鼻で嗤って踏ん反り返る。
「まず、剣で相手をして差し上げようと言うのです。
あなた方が私を負かすことが出来たなら、そのときはどうぞ、彼女を好きなようになされば良いでしょう。
……出来れば、ですが」
自信たっぷりに言い放つマールは、もう一度足グセ悪く、男の長剣を蹴った。
男たちは一瞬表情を強張らせるものの……負けじと、薄ら笑いを浮かべて言い返す。
「これはお戯れを。
そりゃあ姫様も、手慰み程度に剣術はお習いになったかも知れませんがね、我々のそれとは――」
「臆病者」
男の反論を遮って冷たく言い放ち、マールはさらに剣を蹴る。
「こちらの剣はお飾りで、使い物になるのはもう一振りの……だらしなくぶら下げている方だけですか? とんだ見かけ倒しですね」
「な……!」
どう見ても、女というよりは子供という表現がまず先に来るような少女……その可憐な唇が愛らしい声で紡ぐ、想像とあまりにかけ離れた侮蔑に、意表を突かれた男は思わず絶句する。
しかし当のマールは、ぞっとするようなせせら笑いとともに、なおも畳みかけた。
「ああ、それとも……どちらもお飾りの役立たず? なるほど、それなら気にするほどのこともありませんね。
――行きなさい、サヴィナ。図体が立派なだけの木偶の坊が相手では、却ってあなたが不満かも知れませんけれど……そこは我慢してお相手して差し上げなさいな」
大きなため息をつき、マールはもう用はないとばかりに鉄格子に背を向ける。
そして、そのまま牢の奥に戻ろうとするのを……頬を引きつらせた男が呼び止めた。
「――待てよ、姫様。
ここまでコケにされて黙っているわけにもいかないからな……。
あからさまな挑発だが、乗ってやろうじゃないか……アンタの提案に」




