18.親として
「わしも若い頃は、街を楽しむのに、忍んで宮廷を出ていたものだからな……町民に溶け込むのには慣れておるのだ。
まあ、久々なので不安もあったが……なんの、お前たちの様子を見る限り、まだまだ大丈夫なようではないか」
ただの街の酔っ払いのような格好で酒瓶を叩いて陽気に笑う、国王ガイゼリックその人。
そんな主にアスパルは……信じられないといった面持ちで、臣下としての礼も忘れて王に詰め寄る。
「陛下、どうしてここへ……!
王宮でお待ち下さいと申し上げましたのに……!」
そのアスパルの問いにすぐには答えず、王はロウガを見た。
「――それよりもまず、そこのお主の、先程の問いに答えようか。
わしが、難事の多いことを承知で、テオドラの願いを容れてマールを引き取ったのは……あの娘の父親が、自らの命を擲ってまでわしの窮地を救ってくれた恩人だからだ。
その恩人が今際の際に、たった一つ願った、娘の幸せ――何としても叶えねば、義に悖ると思ってな」
「ほう……義を以て義に応える、か。
……いいねえ、陛下。頭を張る男ってのは、やっぱりそうじゃねえとな」
ロウガの失礼な物言いに、アスパルはあからさまに眉をひそめるが――王は気にした様子もなく小さく首を横に振った。
「もっとも、今にして思えば……あの男が願った娘の幸せとは、一人の女としての、ただただ純粋な幸せでしかなかったのかも知れん。
わしは――あの娘を、正式に皇女として、という形は無理でも……。
いずれ旧皇国領を預ける者のところへ嫁がせてやれれば、形は違えど故郷に帰せることになり、また、皇族の血筋も残せると、そう考えたのだが……。
しかしそれは、むしろ余計な世話だったのやも知れぬな。
結果として、あの子には……却って苦難を与える結果になってしまったように思う」
「さて……そいつを決められるのは、俺でも陛下でも、ましてや実の父親でもない。
……あの嬢ちゃん自身だけなんじゃねえか?」
ロウガの答えに、王は髭に隠れた口もとだけで笑う。
「……もっともだ。
わしが思い悩むこと――それ自体が、既に傲慢であったのやも知れぬな」
「ま、第三者の意見としては、悩むほどのことでもないってところかねえ。
……あの嬢ちゃんを見る限りはな」
そんなロウガの一言を受けた王は、簡素に感謝を述べると、改めてアスパルに視線を移す。
「さて――アスパルよ。わしが自ら出向いた理由だったな」
そして、神妙な面持ちで口を開いた。
「理由、などと言うほどのものでもない。レオの言った通りだからだ。
……本意でなかったとはいえ、長らく放っておくことになった息子に会うのに、人が連れてくるのに任せて待っているなど、いくら親でも礼を欠くというもの。
それに、だ――」
続けて王はついとレオを見上げる。
「……死んだものと諦めていた息子が生きているやも知れぬと聞いて、大人しく座して待っていられる親がいるものか」
「……良く言う。
ガキの頃、勝手に病気扱いして爺やの屋敷へ厄介払いし、その後は会いにも来なかった薄情者が」
いかにも不愉快だとばかりに顔を背けて吐き捨てるレオ。
――その台詞に、むしろいち早く反応したのはアスパルだった。
「それは誤解です、殿下。陛下は――!」
「構わぬ、アスパル」
王は手を挙げて制したが、それを振り切り、アスパルはレオに向き直る。
「いいえ、言わせていただきます……!
――殿下。殿下は、御母君が皇国のご出身であることもあり、ご幼少の頃より、次期王位について何らかの含みを持つ者たちから命を狙われておいででした。
そして、当時は陛下の政治的基盤も今よりずっと不確かで……だからこそ、そうした悪意ある貴族の力も、国を安定させるために上手く利用する他なかった。
つまり、殿下のお命を狙っている疑いがあるからといって、その犯人を強硬なまでに探り、罰していくのは難しかったのです。
……ですから陛下は殿下を守るため、病気を騙って信用の置けるオーデル家に預けられ、その後も足を運ばれぬようになさったのです――王位継承候補としての興味も、父親としての愛情も無く、扱いに困る厄介者だと……。
殿下のことを、わざわざ危険を冒して暗殺するほどの存在ではない、と……そう政敵に信じ込ませるために」
「……やっぱりか。
まあ、大方の事情はそんなことなんじゃないかとは思っちゃいたが。
――なあ、レオ?
お前だって、それぐらい、考えないことはなかっただろう?」
わざとらしく少しばかり声を大に口を差し挟むと、ロウガはしたり顔でレオを見る。
一方レオは険しい表情のまま、悪態を吐くでもなく無言で、王を見下ろしていた。
ともすれば、憎悪の顕れのようでもあるその視線を――しかし王は、涼やかに受け止める。
「――言い訳はせぬ。
アスパルの言ったような事情があったのは確かだが、それも、わしの王としての力不足がゆえ。
そして、結果としてお前に父らしい振る舞いをしてやれなかったのもまた事実なのだ――恨むも憎むも、好きにすればよい。
……だが――」
まるで巨石のように泰然とした王は……思いの丈を軒並み、その眼に込めているかのようだった。
威圧感などとは違うが、確かにそこにある力強さに、当然自らの意志で目を向けていたはずのレオは……しかしいつの間にか、引き寄せられて目が離せなくなっているような錯覚すら覚えていた。
「どうか、テオドラだけは赦してやってくれ。
……余命幾ばくもないあやつの、最期の慰みに」
「! 何だと――っ?」
父の口を突いて出た思いがけない言葉に、レオは胸に渦巻く複雑な感情の一切を忘れてただただ目を見開いた。
――母がもともと身体が弱いことは当然知っていた。
何年も前から、ずっと病気がちで後宮に籠もっているという話も聞いていた。
しかし、特に後者については、これまで抱き続けてきた憎しみもあって、どうせ仮病か、それでなくても大した患いでないに違いないと思い込んでいた。
死が、間近に来ているどころか、いずれ来るということすら考えになかったのだ。
だから……彼は驚くしかなかった。
感情を置き去りに、子供のように素直に。
しかし、彼が我に返り、改めて胸ぐらを掴みかねない勢いで父に問い直そうとしたそのとき――悲鳴のように甲高い声が、けたたましく彼とロウガの名を呼ぶ。
弾かれたように振り返った2人が目にしたもの――。
それは、通りの人混みを割り、息せき切って、文字通り2人の前に転がり込んでくる……1人の少年だった。
「フレド……?
おい、どうした、大丈夫か!?」
慌てて屈み込んで身体を支えてやるレオ。
そのレオに、相当必死になって走ってきたらしいフレドは、滝のような汗を拭うのももどかしげに、必死に訴えかける。
「た、大変だ、アニキ……大変だよ!」
「! まさか……!」
父の発言に驚いていたレオより、冷静でいたためだろう――。
先んじて事態を予測したロウガの表情が、一気に険しくなる。
果たして――フレドがままならない呼吸の下、何とか形にしたのは……。
彼が想像した通りの、最悪の事態を告げる言葉だった。
「ね、姉ちゃんと、マールが……! さらわれた……っ!
連れてかれちまったんだ!!」




