11.若い夫婦となって
――宵闇を進む馬車の中では、煌びやかな衣装に身を包んだレオたち兄妹が、静かに向かい合っていた。
2人はロウガの目論見通り、わざわざ説明を受けずとも、誰もが一目でそうと理解してしまうほど――見事なまでに、『若い貴族の夫婦』という体をなしている。
しかし、2人の間に流れる空気は、仲睦まじい夫婦とはとても言えないものだった。
〈麗紫商会〉の近くまで怪しまれずに移動するためと馬車に乗り込んで以来、2人は一言も言葉を交わしていない。
……そこにあるのは、〈仕事〉を前にしてのものとはまた別種の緊張感だった。
さすがにこのままでは計画に支障が出るんじゃないか――と、御者をしているロウガはお節介を承知で、振り返りざま馬車の仕切りの窓を開け、中に言葉を投げかける。
「頼むぜ、おい。2人とも、せめて仲の良いフリだけでもしてくれよ?」
「分かってる。
――おいマール、大丈夫だな?」
「え? あ、えっと……」
さすがにそのままでは目立つからと、黒髪のカツラを被って俯いていたマールは……沈黙を破って唐突に投げかけられた兄の言葉に、すぐには答えられずにいた。
「何だ? 僕のような親不孝者とは、たとえフリでも仲良くしたくはないか?」
「そ、そうじゃありません! そんなのじゃ……!」
むしろ、フリ、ということに納得がいかないのだと言いたくなるマールだったが……どうしてもそれを口に出来なかった。
……喉につかえた正直な気持ちを形にする、思い切りが出ない。
「……なら、会場に紛れ込んだら僕に合わせるようにしろ。
嫌な思いをしても、それを押し隠して社交の場で愛想良く振る舞うのは、処世術として幼い頃から叩き込まれただろう?」
感情を押し殺しているのか、それとももう妹を妹と見ていないのか……。
淡々と告げられるレオの言葉に、マールは不思議そうに質問を返す。
――なぜか今度は、すんなりと声が出た。
「……兄様も、なんですか?」
ごくごく自然な風の問いかけに、こちらも、眼帯が目立たないようにと黒い前髪を長く垂らしたカツラを被るレオは、その前髪を所在なげにいじりながら――先よりはどこか柔らかくなった口調で答える。
「敵は作らないに越したことはない――と、爺やが口うるさかったからな。
……おい、何が可笑しい?」
くすりと笑みを漏らしたマールを、レオはじろりと睨め付ける。
……しかし、そもそも怒気らしい怒気を含んでいないそれは、マールに何の威圧も与えなかった。
「……いえ。嫌なことは嫌とはっきりさせる、我慢して愛想を振りまくなんてゴメンだ――と、自分を曲げない、兄様の子供の頃の姿が目に浮かぶようで。
それで、つい可笑しくて」
「……ム。憶測で勝手に決めつけるな」
「憶測というか、分かるんです、何となく。
……わたしも、そうでしたから」
「お前なんかと一緒にされたら、甚だ迷惑だ」
レオはふんと鼻を鳴らす。
向けられる言葉自体は相変わらず――いやむしろ、普段より辛辣だったかも知れない。
だがマールは、頭に来るよりも先に、どこかほっとしたような気持ちの方を強く感じていた。
「しかし、正直なところ……マール。
まさか、お前がこの話に乗ってくるとは思わなかった」
多少なりと言葉を交わしたことで、張り詰めていた空気が和らいだためか――レオは真顔で、そんな感想を話し始めた。
「お前、あまり口に出しては言わないが、僕らが盗賊をしていることを快く思ってなかっただろう?
……だから、その片棒を担ぐような真似なんて、絶対に引き受けるわけがないと思っていたんだけどな」
「確かに……複雑な思いはします。
でも、兄様たちにお世話になっていることへの、お返しをしたい気持ちはありましたから……わたしで役に立つなら、って。
それに――」
……マールの脳裏に、彼女を説得に訪れたときのロウガの話が甦る。
実際のところロウガは、バシリア卿たちが彼女自身を捜していることは伏せていたし、説明も概ね要約したものだったので、細部に至るまで明らかにしたわけではない。
しかしその中には、ちゃんと事実として伝えられ――そして、彼女にとってはひたすらに大切な話が、確かに存在していたのだ。
盗みという非合法な行為に、直接では無いにせよ手を貸す――。
その事実に因る自らの葛藤など、彼女自身が取るに足らないことと振り切るほどのものが。
あるいは、また兄の怒りを買うかも知れないと思いつつも……こればかりは退くわけにはいかないとばかり、強い意志を秘めた瞳で、マールはレオを見据えた。
「お母様が陥れられるというのなら……それを黙って見過ごすわけにはいきません。
お母様とお父様を守るために、わたしに出来ることがあるのなら――それを為すことは、わたしの役目……いいえ、使命だと思いますから」
レオは案の定、眉をひそめて何かを反論しかけたが……しかし今回はその言葉も、感情も、長いため息に変えて空に溶かしてしまう。
そして――ただ「そうか」とだけ頷いた。
それからは、2人とも押し黙り、ロウガから到着したことを告げられるまで、ただ馬車の心地よい揺れの中で、軽快な車輪の音に身を任せることになった。
やがて、人通りの少ない場所で馬車を降りた2人は、昨日のうちにロウガが確保した露店まで路地を進む。
もとはそこまで人気の無い場所ではないはずだが、ロウガたちが上手く人の通りをいなしているのだろう、辺りはまさに人一人居ない状態だった。
その代わりに露店が背にした高い壁の向こうから、いかにも華やいだ、お祭り騒ぎのざわめきと音曲が――どことなく遠い世界の出来事のような隔たりをもって、路地に降り注いでいる。
「この壁、登るんですか……?」
壁を見上げて、マールは目を瞬かせた。
断崖のようにそびえ立つそれは、彼女には露店を足場にしたところで、とても登れそうには見えない。
また、仮に上に手が届き、よじ登れたとしても、そんなことをすれば着ているドレスがボロボロになって、とてもパーティーに紛れ込むような真似は出来ないと思える。
しかし、眼帯を右目側にずらしていたレオはまるで意に介した様子はなく――。
ただ「大人しくしていろ」とだけ告げるや否や、マールの背中と膝下に手を入れてひょいと抱き上げた。
いきなりのことに小さく声を上げ、反射的に兄の首にしがみつくマールの様子に……端で見ていたロウガがからからと笑う。
「おう、いいねえ。
そうしてると、どうしたって初々しい若夫婦にしか見えん」
「えっ? ええと、その……っ!」
今の体勢で改めてそう言われるとさすがに照れるのか、赤くなったマールは所在なげにレオとロウガの顔を見比べる。
反してレオは、面倒そうに鼻を鳴らしつつ、さっさとやれ、とロウガを視線で促した。
からかい甲斐が無い、とばかり肩を竦めたロウガは……。
懐から数本の棒手裏剣を取り出すや、器用に手の中でくるくる回していたかと思うと――ふっと壁に向き直り、それらを迷い無い動作で立て続けに投げつける。
そして、露店の前に移動し、片膝を突いて手を差し出した。
「俺の馬車も、正門の近くに移動しておくが……警備に怪しまれるおそれもある。
他に若い奴の馬車も待たせておくから、場合によってはそちらを使え」
「分かった。
――手を離すなよ?」
後の一言をマールに向かって告げるや否や、レオはロウガに向かって走り込む。
ロウガは、そのレオの足を差し出した手で受けると……レオが地面を蹴り出すタイミングに合わせて思い切り跳ね上げ、露店の屋根に跳び上がらせた。
さらにそこからレオは、壁に刺さった棒手裏剣を足場に1回、2回と跳躍を繰り返し――最後にはひらりと、まったく手を使うことなく壁の上に舞い下りる。
「に、兄様……っ」
「――まだだ。落ちたくなかったら下手に動くな」
思わずぎゅっと目を瞑るマールを抱え直し――レオは闇の中、足を揃えるだけの幅すらない狭い壁の上を、明るい方に向かってただの地面のように駆けていく。
そしてある程度まで近付くと……マールの背中に回していた手を伸ばして口を塞いでやりつつ、一気に暗闇の真っ直中に飛び下りた。
「……着いたぞ。
ここからは、お前も集中していけよ」
マールをそっと地面に下ろし、明るいパーティー会場に合わせて眼帯を左目側に戻しながら……レオは小声で告げる。
曲芸じみた動きに無理矢理付き合わされたマールは、少しの間酔いでもしたようにふらふらしていたが……。
やがて姿勢を整えて辺りを見回し、そこが大きな庭の一角の、植え込みと建物で陰になっている場所だと気が付いた。
「……いけるか?」
植え込みの陰から、その向こう、既にパーティー会場の一部として多くの人間で賑わっている庭園の様子を窺っていたレオに確認されると――。
マールは手早く身だしなみを整え直して頷き、レオが差し出した腕に、自然に自分の腕を絡ませた。
「もう少し朗らかに、自然に笑ってろ。
お前はその方が似合う」
「……えっ」
――思いがけないレオの言葉に、状況も忘れて目を丸くするマール。
しかし当のレオは普段通りの調子で、先ほど壁から飛び降りたときのものだろう、マールの頭に付いていた木の葉を払い除けると……
「ガキが上品に笑ってもおかしいだけだ」
そうつっけんどんに言い放ちがてら、近くの客の注意がこちらに向いていないときを見計らい、マールを引いて植え込みの陰から滑り出す。
そして――さりげなく、パーティーの盛り上がりの中へと紛れ込んだ。




