4.とある娼婦の家の事情
「……ん、よし。あとは火にかけて……と」
味見を済ませたスープ鍋をかまどに移し、少年はふうと息をついた。
「これでしばらく煮込んでりゃ、美味いスープが完成ってわけ。
安物通り越してクズみたいな野菜とか肉でも、こうすれば充分役に立つんだよ」
お玉で鍋の縁をこんこんと叩きつつ、少年は得意気に後ろを振り返る。
そこに立つ、金髪の少女――マールは、感心しきりといった表情で何度も頷いていた。
「フレド君、お料理も上手なんだねぇ……」
「いや、マールが出来なさ過ぎなだけだろ」
小生意気にそう言って肩を竦める、マールより歳も背丈もやや下の少年。
フレドという名の彼は、サヴィナの弟で……仕事であまり家にいられない姉に代わり、家事をこなしつつ、まだ幼い2人の弟妹の面倒を見るしっかり者だ。
――勢いでレオの下を飛び出した後、サヴィナに誘われ、居候として厄介になることになったものの……。
何もしないわけにはいかないと手伝いを申し出たマールが、一番初めにしなければならなかったのは、まず家事そのものを覚えることであり……。
勢い、フレドがその教育係にあたっていたのだった。
「まー……こないだまでお姫サマやってたんだから、しょーがねーのかも知れねーけど」
さりげないフレドの一言に、マールが顔を跳ね上げる。
「ふ、フレド君……そのこと、知ってたの?」
「そりゃなー。
下のチビどもはちっさすぎて、昔のことなんて覚えてねーだろうけど……オレや姉ちゃんはそれなりにレオのアニキと付き合い長いから、アニキがもともとは王子様だったってことも知ってんだ。
その妹なんだから、マールも王女様だってことぐらい、いちいち聞かなくても分かるだろ?」
時折、スープ鍋を掻き回しながら……フレドは何でもないことのように語る。
それを聞いて、なるほどもっともだとマールも納得した。
同時に、フレド個人に対してではなく、秘密を知られているという事実に対しての、反射的な警戒も胸中に浮かんだが……それを察したように、フレドが言葉を付け足す。
「心配しなくても言いふらしたりしねーよ、オレも姉ちゃんも、絶対に。
オレたちゃ貧乏だけどさ、だからって心まで貧乏になりたくねーからな。
……レオのアニキを裏切るようなマネなんて出来っかっての」
「……うん。ありがとう」
「べ、別に、いちいち礼を言われることでもねーよ!」
マールに微笑みかけられたフレドは、つっけんどんに言って、ぐるぐるとやや速くスープ鍋を掻き回す。
「それにしても、フレド君って……兄様のこと、すごく慕ってるんだね」
「当たり前だろ。
アニキは、オレたち姉弟の命の恩人なんだからな」
「……そうなの?」
マールの何気ない疑問に、フレドは信じられないという顔で振り返る。
「何だよ、知らねえのか?」
「兄様、昔のことほとんど話してくれなかったから……」
「あ〜……まあ、レオのアニキらしい、っちゃーらしいか」
どこかしら嬉しそうな響きのある声で言って、フレドはまたスープ鍋に向き直った。
そして、マールに背を向けたまま、訥々と語る。
「……オレたちの母さんはさ。ウソかホントか、地方の小さな家柄だけど、それでも貴族の生まれなんだ――って話でさ。
下町の一職人に過ぎない父さんと一緒になってからも、貧乏くさいのはイヤだってゼイタクに金を使いたがる人だったんだ。
そんなだから、ただでさえロクに金なんて無いのに、ますます貧乏になる一方でさ。
挙げ句に病気になって、その薬代でさらに借金がかさんで……結局、オレたちに借金だけ遺して死んじまったんだ」
「その……お父様は?」
恐る恐る尋ねるマール。
しかし、フレドは怒りも哀しみも見せることなく――かといって冷たく無表情になるでもなく、どこか達観したような雰囲気で淡々と答えた。
「死んだよ。母さんが死んだら気が抜けちまったのか、同じような病気になって、こっちはあっさり死んじまった。
――で、借金まみれで親もないオレたちは家も追い出されて、路頭に迷うことになった。
オレが6歳、姉ちゃんが16歳のときだから……6、7年ぐらい前の話かな。
そんとき……ほら、姉ちゃんて結構美人だろ? で、歳も歳だから、残ってる借金のカタに身売りされそうにもなったんだけど……後に残されるのがヨチヨチ歩きのチビまで含めたオレたちだけじゃ、やっぱり不安だったみたいでさ。結局逃げたんだよ。
で、姉ちゃん、稼ぎは悪くてもオレたちと離れずにすむように――って、色んな下働きの手伝いとか、必死になってやってたんだ」
「…………」
スープ鍋の様子に意識を傾けながら語っていたフレドは……。
聞いているマールが、いつの間にか沈痛な面持ちで俯いているのに気付くと――「馬鹿だなあ」と、それを笑い飛ばした。
「こんな話でいちいち落ち込んでたら、ずっと地面見て歩かなきゃなんねーぞ? 下町ならどこにでも転がってるようなありふれた話なんだからさ。
それに、もっとどうしようもない悲惨な話だっていくらでもあるんだぜ?」
「それは、その……そうかも知れないけど……」
「まあいいや。……ともかく、姉ちゃんは必死に働いてオレたちを養おうとしてくれたんだけど、女の身だし、そううまくいくもんでもなくてさ。
――で、もうどうしようもないってとき出会ったのが……レオのアニキだったんだ。
アニキは、自分だってどう見たって浮浪児な身なりで、金なんてゼンゼン持ってなさそうなのに、でも食い物を調達してきてくれて……オレたちの命を繋いでくれた。
いや、オレたちだけじゃない――。
貧民窟の中でも特に酷い場所に屯してた、オレたちみたいな浮浪児を……何人も、アニキは面倒見てたんだ」
フレドの話を聞きながら、マールは……レオの独白の内容とそれを照らし合わせていた。
人売りの監禁から逃げ出して以来、生きるために何でもやったという兄が……。
自分のために、そして同じように親に捨てられたり、親を喪ったりして、自身の力だけで生きることを余儀なくされた子供たちのために――と、この頃から既に盗みに手を染めていたのは想像に難くなかった。
「でも、それは……盗んだお金で、だよね?」
ぽろりと、そんな一言がマールの口から零れ出る。
現実を前にして、それが所詮は青臭い正義感で、甘えた理想論に過ぎないことは、屋敷という温室から出て生活している今のマールは身に染みて理解もしている。
しかしそれでも、彼女はそんな否定の一葉を差し挟まずにはいられなかったのだ。
時と場合によっては、現実の辛酸を散々に舐めてきた相手にそれは、挑発とも成り得る危険な発言だろう。
しかしフレドは彼本来の性格なのか、そのことに怒りも失望もせず――あっけらかんとした調子で反論を始めた。
「そうだよ。
でも、オレたちみたいなガキは、そうでもしなけりゃマトモに生きていくだけの金なんて稼げなかった。
それに、アニキが助けてくれなけりゃ、オレたち姉弟以外にも、とっくに死んじまってる奴らはいっぱいいたはずさ。
……しかもアニキは、誰彼構わず盗むようなマネは絶対に許さなかった。
いや、それどころか、オレたち――アニキに助けられて、アニキを慕って、いつの間にか周りに集まってたオレたちの――その誰にも、アニキは盗みなんて許さなかったんだ。
お前たちじゃヘタ過ぎて足が付く、とか何とか言ってさ。
で、結局いつも、自分だけでそれなりに金を持ってるヤツの家に忍び込んでは、全部じゃなく、一部だけを盗んできてた。――そう、ほんの一部。
アニキのところに集まってたオレたちが、何とか生活出来るだけの分を、さ」
――お玉を振りかざして、フレドは熱っぽく語る。
聞いていてマールは、なるほどあの兄らしいと思っていた。
随分な皮肉屋になっていたが、それでも芯の部分は、彼女の記憶の中……幼い頃のままである兄と同じなのだと。
だからこそ、そうして人を思いやる兄が、盗みに手を染めなければならなかったという事実に、マールは心が痛んだ。
同時に、フレドの主張を振り返ると、兄の行為をたしなめる気も萎えてくる。
だがだからといって、それを心の底から全面的に肯定する気にもなれないのだ――やはり罪は罪なのではないかと。
「……でも、それを一番自覚してるのはきっと、兄様自身……」
「あん? なんか言ったか?」
小さく小さく呟いたマールの独り言を微かに聞きつけたフレドが尋ねるが、マールは何でもないと首を振った。
「あ、でもフレド君、盗みをするのってやっぱり危険だよね?
サヴィナさんとか、反対したりしなかったの?」
「そりゃあ賛成はしてなかったよ。
でも、そうしなきゃ生きていけないのも事実だったから、反対もしなかった。
……まあ、レオのアニキも、ウチの姉ちゃんにはイマイチ頭が上がらないから……やめさせようと思えば、ホントにやめさせられたかも知れないけどさ」
「……そう。そう言えば、サヴィナさんって兄様よりちょっとだけ年上だったっけ。
もしかしたら……」
……母が違い、そしてその母の実家たる貴族の思惑の違いもあって、同じ男性を父としながらも、疎遠だった兄弟――。
その中でも、旧敵性国だった皇国の下級貴族を母とし、さらに年少ということもあって、年長者からは特に軽んじられ、疎んじられていたレオとマールを……しかしただ一人、気に掛けてくれていた姉の存在を、マールは思い浮かべていた。
もしかしたら兄は、無意識に、サヴィナに姉ユニアを重ねていたのかも知れない――と。
「とにかく、だ。
オレが言いたいのは、アニキが助けてくれなかったら、オレも、姉ちゃんも、そっちで寝てるチビどもも……こうやって小さくっても一つ屋根の下で生活するだなんて、出来やしなかったってことだよ」
フレドの真っ直ぐな言葉に、マールは頷いた。
――頷くしか、なかった。
彼女自身の倫理観がどうあれ――そもそも彼女自身もまた、そんな兄の盗賊としての技に頼った者であるのは、疑いようのない事実なのだから。
「……ああ、それから、もう一つ」
ふと眉尻を上げたフレドは、お玉をマールの鼻先に突き付ける。
思い悩んでいたマールは、いきなりのことに、叱られた子供よろしく……ついつい背中をぴんと伸ばしてしまった。
「家事がダメなのはまあ、これから叩き込むからいいけどさ。
……朝起きられないのは、それ以前の問題だからな。ちゃんと自分で起きろ!」
「えと……はい。ごめんなさい……」
そして――年下の少年からのその一喝にも、彼女は頭を垂れる他なかった。




