16.詰問するは悪魔か
――いったい、何がどうしてこうなってしまったのか……。
ジュリオは未だ、目の前の出来事を理解出来ずにいた。
のこのことこちらの縄張りへたった1人でやって来たオヅノを、彼はいかようにも料理出来るはずだった。
彼ら〈長靴党〉の縄張りを拡大する上で邪魔だった〈蒼龍団〉の頭を、さしたる手間も掛けずに始末出来る、この上ない機会だったはずなのだ。
しかし、実際には――。
20人からなる、彼の手下の中でもとびきり屈強な男たちは、その暴力に物を言わせてたった1人の小太りの中年男を血の海に沈めるどころか……。
ある者は子供のような泣き声を、またある者は女のような呻きを上げて――1人残らず全員が、机や椅子、酒瓶などの残骸に溢れかえった酒場の床に転がっていた。
「殺しちゃっても良かったんだけど。ね」
腰を抜かしてへたりこんだジュリオに顔を近付け、変わらぬ愛想の良い笑顔でオヅノは告げる。
乱闘の始まりを告げる鐘となった、ジュリオの酒瓶の一撃で葡萄酒の赤に染まったオヅノの表情は……浮かべる笑みと言葉の落差に、恐ろしいほどの凄みを纏っていた。
「一応、全員生かしておいてあげたよ。
……もっとも、利き腕は完全に壊したから、二度と悪さは出来ないだろうけど。ね」
「いい、いったい、アンタ……な、な、何モンなんだよ……っ!」
抗うのはもちろんのこと、腰が抜けて逃げようにも逃げられず……恐怖の直中に取り残されたジュリオは、震える唇で必死に、その問いかけを絞り出した。
いかに国の名うての騎士であろうと、果ては人を喰い殺す猛獣であろうと――。
こうまで一方的に、しかも3分にも満たない短い時間で、これだけの人間を再起不能にするなど出来るハズがなく……。
そんなことをやってのけるのは、もはやこの世の者ではない、と――。
どう見ても鈍重そうなオヅノが、目の錯覚を疑うほどの動きで男たちの攻撃を避け、返し、そして潰していくさまをまざまざと見せつけられたジュリオは――真実、そんな怖れを抱いていたのだ。
「大袈裟だねえ。別にアタシは魑魅魍魎でも何でもないよ?
……ただ、キミたちよりは、多分……そうだねえ、少なくともケタ2つは多く、人を殺めたことがあるだけ。慣れているだけだよ」
「は…………?」
ジュリオも、この場の部下たちも、手を血で汚したことがないわけではない。
むしろ、他の地回りとの抗争などで、殺した数を競い、誇ったりすらした。
しかしそれでも、せいぜいが多くて十指に余る程度でしかない。
そこからケタが2つも増えるとなれば……村落どころか、小さな街でもまるまる1つ皆殺しにするほどの数だ。到底想像が及ぶ範囲ではない。
ただ、そんな彼にも……目の前の人間が、悪魔や化け物ではなくとも、それに限りなく近い――決して逆らってはならない存在だということだけは、はっきりと分かった。
「さて……それじゃ、改めて質問しようか。ね」
オヅノの言葉に、ジュリオは糸の切れた人形のように、かくんと頷く。
……答えない、という選択肢は今の彼にはなかった。
単なる意地の問題ではなく、余計なことを話したりすれば、それこそ今度は自分までアッカドたちのように消されるかも知れない、という恐れがあったのだが……。
命の危険なら、今まさに目の前に迫っているのだ――まずこの状態から逃れなければ、後の心配も何もあったものではない。
「まず、オルシニには何を頼まれていたのかな? 人捜し?」
「あ、ああ……そ、そうだ!
15年ぐらい前、高貴な人間から装飾品の細工を頼まれただろう細工師を捜せ、って……!」
「ふむ……アッカドのことか。
しかしそれだけの手掛かりで、良く見つけ出せたものだ。ねえ?」
もっと詳しい話を聞いていたんじゃないのか、と言下に匂わせるオヅノに、慌ててジュリオは首を振った。
「ほ、本当にそれだけしか教えられなかったんだ!
ただ、カネ払いは良かったから、いざとなったら偽者でも掴ませればいいと思って、若い連中に捜させていたら……た、たまたま、昔、そういう仕事をしたって洩らしたことがある、異国人の細工師がいるってな話が入ってきて……」
必死に説明するジュリオ。
オヅノは微笑を浮かべたまま、少しの間その様子を観察していたが……やがて小さく頷く。
「……ふむ。嘘ではないようだね。
しかし酒にでも酔っていたのか、アッカドはその何気ない一言でいらぬ不幸を我が身に招いてしまったわけだ。
ところで――もしかすると、捜し人はもう1人、いたんじゃないかな?」
「あ? あ、ああ。
その……後から新しく頼まれたんだが、女を……」
「名前は?」
「し、知らねえ……!
偽名を使っている可能性があるから、知っても無駄だって……特徴だけを教えられたんだ。
ええと、長くてややクセのある金髪で、ハッキリとした目は、深い青色の瞳をしていて……確か、歳は15……あ、だ、だけど背は低めで細身だから、多少それより幼く見えるかも知れない……とか……。
あ、ああ、それに、総じて美しいと感じる娘だ、それなりに目立つはず、だとも……。
それから――そうだ!
余所から引っ越してきたとか、田舎から出てきたとか、そんな理由で、昔から央都に住んでいない人間のはずだ、って……!」
何とかして助かろうと懸命に記憶を探って言葉にするジュリオに対し……。
オヅノは聞こえないほどの小さな声で「やはり」と呟いていた。
「で、その娘はまだ見つかってない。そうだね?」
「そ、そうだ。オレたち以外にも、幾つかの地回りが捜しているはずだが……どこも、まだ見つけちゃいないはずだ。
……ああ、間違いない!
い、いざとなりゃ、横からかっさらおうと、様子を見張らせていたからな……!」
「ふむ、結構。じゃあ次。
――アッカドとオルシニを殺したのは、誰の指示かな?」
「アッカドは……確かに、オルシニの指示で、散々酒を呑んで酔い潰れているところを、運河に投げ入れて……殺した。
だけど、オルシニを直接殺ったのはオレたちじゃない!
オレたちは……言われた通り、屋敷に火を付けただけなんだ。本当だ!」
「言われた通りに。ね。……誰に?」
「それは……分からない。――い、いや、本当だ、本当にそうなんだ!
きっとオルシニの仲間か、もっと上のヤツなんだろうが、使いの人間だけ寄越して……オルシニの代わりに、これからはこちらの指示に従えって……」
「それで、素直に聞き入れた、と?」
「何て言うか……ヤバい感じがしたからよ……!
それに、オルシニから依頼されてた人捜し、そのまま続けて結果を出せば、報酬は3倍出すって……前金まで気前よくたっぷり払ってくれたんで……」
「その相手への連絡はどうやって取るのかな?
それと、オルシニが殺された理由については、何か聞いたかい?」
「連絡は……こちらからは、取れない。向こうから接触してくるだけなんだ。
後は……オルシニの殺された理由?
そ、そんなの知るかよ、何にも聞かされてない! 死んだってことだって、後から知ったぐらいなんだ!」
またじっとジュリオの目を――その奥を射抜くように見つめて、オヅノは小さくため息をつく。
そして……よいしょ、とゆっくり腰を上げた。
「……まあ、そうだろうねえ」
「も、もう……いいのか?」
「これ以上、キミから聞けることはなさそうだから。ね」
「た、助かった……」
髪の間に残っていた葡萄酒の瓶の欠片を、鬱陶しそうに払い落としていたオヅノは――大きく安堵の息を吐き出すジュリオを、きょとんとした顔で見下ろす。
「おや? 誰も、話せば助けるなんて言った覚えはないけれど」
「――ンな――っ!」
「先に吹っかけてきたのはそっちなんだし、落とし前は付けてもらわないと。ね?」
オヅノはニコリと嗤った――かと思うと。
床についたジュリオの右手を情け容赦なく踏み砕きつつ、もう一方の脚で顎を痛烈に蹴り上げる。
右手を縫いつけられたせいで、吹き飛んで力を逃がすことも出来ないジュリオの身体は、急に糸を引き上げられた操り人形のようにびくりと大きく仰け反った後――反動のまま勢いよく、床に顔から叩きつけられた。
溢れ出る涙と、口から何本もの歯とともに沸いて落ちる血の泡で顔中ぐしゃぐしゃにしながら……ジュリオは、言葉にならない嗚咽を漏らす。
「キミのお父上とのよしみもある。命までは取らないよ。
……もっとも、もう地回りの頭を張るのは無理だろうから……その命、足を洗って、これまでの罪を償って真っ当に生き直すのに使うんだね。
――もしも、だ。
もしも、この上まだ、無辜の人々の人生を踏みにじってでも何かを得ようとするのなら――」
オヅノはジュリオの右手を砕いたままの足を、ぐり、と軽く踏み直した。
ジュリオは左手で床を掻きむしって、か細い悲鳴を上げる。
「今度こそ、殺すから。ね。
簡単には死なないように、でも決して助からないように……完全に殺してしまうから。分かったかい?」
ジュリオは、泣きじゃくりながら必死に首を縦に振った。
無我夢中といった感じに、何度も。
「いい子だ、くれぐれも忘れないように。
――さて、じゃあアタシはこれで失礼しようかな。
すっかり酒臭くなった身体も綺麗にしたいし。ね」
オヅノは酒場奥のカウンターへ近付き、身を隠すようにして震えていた主人に、店の修理代と倒れている男たちの世話代だと、謝罪がてら金貨の袋を手渡すと……。
まるで、一杯引っかけてご機嫌で帰る酔っ払いよろしく――軽快な足取りで、その凄惨な場を立ち去っていった。




