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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う

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14.虎穴に入る


 ――大商人や貴族ともなれば、自らの住居は、金に飽かせて当世風の建築様式に則ったものを、名うての建築士に作らせたりするものだ。

 しかしさすがに、オルシニにはまだそこまでの財力は無かったのだろう――。


 かつて一端(いっぱし)の小金持ちが所有していたものを買い取ったらしい彼の屋敷は、人よりも神に基準を合わせているとされる、直線的で朴訥とした装飾と縦に大きく空間を使う造りが特徴的な、神殿などに多く見られる前時代的建築様式――。

 それを中途半端に真似たような、どこかちぐはぐな印象を与える造りをしていた。


 本来の様式通りであれば、どこか人を圧する威厳めいた雰囲気を備えるのだが……俗物的に住みやすさなどをも追求した結果か、そうしたところがまるで無いというあたり、ある意味庶民的だとは言える。


 敷地自体もさして広くはないそんな屋敷の、低い石塀を夜陰に乗じて乗り越え……一気に庭を突っ切ったレオたちは、難なく母屋へと辿り着いた。

 しかし、前回と同じく、裏口の鍵を開けようとドアに取り付いたところで――レオは不審そうにロウガを見上げる。


「開いてるぞ?」


「……なに?」


 ロウガの疑問に答えるように、レオはドアノブを静かに回し、奥に押しやる。

 ――音もなく、ドアは内に向かって動いた。


「乱暴にこじ開けた感じじゃない。

 腕の良い鍵師が手際良く開けたか、それとも……予め開けられていたか、だ」


 言いながらレオは、ぞわりと総毛立つような嫌な感覚を覚えていた。


 ――何かヤバい……という、本能的な警鐘だ。


 これまで過酷な状況を生き抜く中で培われた経験に、盗賊として磨かれた勘によって補強されたその危険察知は、ただの虫の知らせと片付けるには重い。


 それでなくとも、希望に浮かれた頭が予感と勘違いするおめでたい感覚に比べ――いわゆる『悪い予感』というのは、往々にして当たるものだ。


「盗みに入られたばかりの家が、昨日の今日にうっかり戸締まりを忘れた――なんておめでたい考えは、残念ながら持ち得ねえなあ……俺は」


 ロウガもまた、同じような感覚を覚えたのだろう――。

 言うや否や彼は、伏せるばかりに身を屈めて、辺りの敷石や屋内の床をさっと目で追った後、しばらく耳を澄ませる。


 自分たちより先、しかもほんの少し前に誰かがここを通って中に入ったらしいことは、うっすらと残された真新しい足跡からレオも予想がついたが……。

 それ以上は、聴覚を始め、夜目を除く五感すべてにおいて、彼より遙かに優れた感覚を持つロウガの報告待ちだった。


「……どうだ?」


 身を起こしたロウガは、レオの問いに小さく頷いて答える。


「人の気配がほとんど無えな。ただ……話し声がする。

 方向と構造を付き合わせて考えるに、恐らくはオルシニの寝室の方だろう」


「つまり……人払いをした上で、裏口の鍵を開けて招き入れた人間がいるってことか?」


「これで相手が秘密の愛人とかなら、まだ話として分かりやすいんだが……」


 君子危うきに近寄らず、か。

 それとも、虎穴に入らずんば虎児を得ず、か――。


 レオとロウガ、2人の考えが揺れる。


 これが盗みに侵入し(はいっ)ただけであれば、予感に従って無駄な危険を冒さずにさっさと引き返し、次に万全を期すのが賢いやり方であり、迷うほどのものではない。


 ……だが、今回は勝手が違う。

 狙うのは形の分からない情報であり、調査なのだ。

 危険だと本能が訴えるそれこそが、求めるものかも知れないのである。


 やがて――逡巡すること、僅か。


 微かな光さえ照り返さないよう、刀身までも黒くツヤを消して造られた短剣を抜き、振り返ったレオに――ロウガも同感だとばかりに頷き返した。


 意見の一致をみた2人は、感覚を研ぎ澄ましたままに……気配を殺して屋敷内へと忍び込む。


 そして、円を描くような形で作られた階段を上り、目的の階層に辿り着いたところで……唐突に屋敷中に、ガタンという大きな音が響き渡った。

 それに合わせて、聞こえてくる男の声が、一気にはっきりとしたものになる。


「――まさか、ワタシもアッカドのように……っ!」


 だがそれは、単に声を潜めるのを止めただけ、という感じではない。

 切羽詰まったかのような――明らかな異常をそこに感じ取ったレオたちは、足取りを速める。


「ま、待て、まだあの娘の――!」


 そこでいきなり、その先の言葉がくぐもった声に掻き消された。


 ……2人とも、それが悲鳴だと即座に理解する。

 それも、一撃で致命傷を受けたのがはっきりと分かる――悲鳴にもならない悲鳴だと。


「くそったれ、一体何が……!」


 悪い予感通りといえばそうだが、しかし同時に予想外でもある出来事に唇を噛むレオ。


 逸る心を抑えつつ、あくまで慎重に先を急いだ彼らが、声のした部屋へ辿り着く頃には――もう声も物音も止み、屋敷の中は痛いほどの静寂に立ち返っていた。


 そんな中、短剣を床に置き、ドアの鍵を調べるレオ。


 それは可動箇所のない単純な〈固定障害(ウォード)錠〉ではあったが、状況が状況だけに、解錠に際してはいつも以上の緊張感に邪魔されることになった。


 しかし、だからといって失敗はもちろん、手間取るような彼ではない。

 物音を立てないように細心の注意を払いながらも、いつも通りに黒曜石の棒鏡で内部構造を探り、最適な合鍵を差し入れ――実際の時間にしてものの数秒で、(ボルト)を動かして鍵を開けてしまう。


 その後、ドアの脇にやや退き、腰を落としたまま、ロウガと視線だけで合図を交わすと……レオはそっとドアを押し開く。

 続けてロウガが、物陰から襲いかかる猛獣のように音も無く素早く、ドアの隙間から部屋に躍り込んだ。


 室内のような狭い場所で、ヘタに入り口近くで団子状になっては、互いに動きを阻害してしまって援護どころか邪魔になることの方が多い。

 そこで、戦闘能力に優れるロウガを先行させた上で、レオはいつでも飛び出せるよう短剣を逆手に構えつつも動かず、様子を窺っていた。


 しかしさしたる間も置かず、ロウガが投げかけてきた自分を呼ぶ声に……室内に危険が無いことを察し、すぐに後を追う。


 ――再び雲間から顔を出した月が、淡く照らし出すその寝室は、いかにもこの屋敷の印象をそのままあてがったような造りをしていた。


 調度品や装飾が、一つ一つはそれなりに高価なものであるにもかかわらず……ちぐはぐで調和が無く、安物を並べるよりも雑多な雰囲気があるのは、正しく審美眼を備えた人間がやることを、見よう見真似でなぞっただけだからなのかも知れない。


 そして、そんな部屋の中……主人のオルシニは、自らの血溜まりの中に仰向けに倒れていた。


 その見開かれたままの瞳が最後に映したのは、驚きか、恐怖か――。

 どちらにせよ、彼が既に事切れているのは明らかだった。




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