私のもの
麗香視点です。
いつもの時間。
今日は病院の廊下にいつもの足音は響かない。
どの病室もまだ誰も訪ねては来ない静かな朝。
その静寂さに、寂しさと、安堵。
もう彼女にワザと嫌われるようなことをしないで良いのだと、彼女が朝早くから私のためだけに訪ねてこなくて良いのだと。そう安堵してしまう。
誰も訪ねてこない病室はやけに広く感じられて。
私はこのままここで一人朽ちていくのがお似合いかもしれないな、なんて思った。
リシア、いや□□にはこのままどこか違うところで幸せを見つけて欲しい。
今の彼女は人見知りながら、ちゃんと勇気を出してコミュニケーションが取れる。
私なんか居なくても、もう。
朝早く起きて弁当を作って訪ねてくる必要も、夜遅く帰って自分のことをすませる必要もないのだ。
私のそばに居れば、きっとあの子はずっとああだろう。
これで、良かったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
それからさらに数日が経って。
その間□□は一度も訪ねてこないことに胸をなでおろす。
紫杏と龍斗はなにも言わない。ただ時折やってきて、最低限のことを済ませてくれる。それでいい。
後は静かに私は--
「麗香さん!」
ドアをガラッと開けて、あの声が入ってくる。
私は思わずそちらを見てしまう。
「遊びに来ましたよ?」
「□□…なのか?」
「ええ、もちろん!」
そこにいたのは、髪をばっさりと切ってショートに、さらに毛色を明るい茶色に変えて。
メイクもいつもと雰囲気が違って落ち着いて綺麗な感じで。
普段と様変わりした□□が立っていた。
「どうして、ここに…」
「遊びに来たんですけど?」
□□はあっけらかんとそう繰り返す。
君は、私に振られてひどいことを言われて…もう来ないのでは。
「振られてしまいましたけど、遊びにくるなとは言われてませんから。」
「確かに…そう、だが。」
だが振られた赤の他人の病室に来る必要など、これっぽっちもない。
「髪切って染めてきたんですけど、どうですか?」
「あ、ああ…」
「やった、麗香さんの今の好みにあえばと雰囲気を変えてみたんですよ。」
私が見た目が好みじゃなくなったと言ったから、髪を切って染め、メイクを変え…そこまでして。
「最近色々サボってたなとおもったんで、ゆっくり休んで美容に気遣ってから来ました!」
□□はニコッと笑う。
私は、君にひどいことを言ったんだぞ?
今は、赤の他人だ。
「ふふ、この前のシュークリーム。私も買ってきたんですよ。今回は食べましょう?」
紙袋を漁ってシュークリームを出すと、紙皿に並べる。
「どうして。」
「はい?」
「どうして、君は、ここまでしてくれる…?」
思わず心の底からの問いが口をつく。
どうして、私なんかにここまで。
「そりゃ、麗香さんが欲しいからですよ。」
「私が欲しい?」
「その端正な顔も、艶やかな髪も、美しい体も、ちょっとお馬鹿さんな性格も。全部全部私のものにしたい。私だけが独り占めしたい。」
そう語る□□の目が熱を帯びていく。
ああ。
「ふふ、私、どうやら欲しいものへの執着心が強かったみたいで。麗香さんの全部が欲しいと思って、ここに毎日。他に方法が見つからなかったので。」
「私にひどいことをされたり、言われたりしてもか…?」
「良いんですよ、幾ら言ってくれても。その分私に依存していただければいくらでも…。私は、私の為にやってるので。」
□□はベッドサイドに腰掛けて、私の顔を覗き込む。
「あれから、どうしたら麗香さんはまた私のものになってくれるだろうって考えて。恋愛、下手くその初心者なので綺麗になることと、尽くすこと。後、これくらいしか解らなくて…」
□□は懐から出した封筒をこちらに渡す。
中身は一体…
「今まで買ったアニメのグッズ、処分してきました。麗香さんへのお小遣いにしてください。」
「どうしてそんなことを…これは、受け取れない。」
「受け取ってください、麗香さん。」
□□はそのまま私に覆い被さるようにして、顔をすぐ近くまで寄せて話す。
「私、麗香さんのこと養いますから。もしこのまま、ずっと体が動かなくても、私が麗香さんのことお世話させていただきますから。だから、また、私のものになってくれませんか…?」
□□の顔が今まで見てきた中で一番色っぽく上気する。
至近距離でそんな顔で見つめられると、私はクラッとくるどころでは済まない。
「…断ったら?」
「了承してもらえるまで、また何度でも通って尽くさせてもらいます。」
ああ、君は。
「愛してもらえなくても?」
「構いませんよ。私、麗香さんが私のものになれば、またこの前みたいにふらっと失いそうにならなければ、後は何でも我慢できます。」
君はずっと私をこんなに。
「死んでも君のものだけにはならないと言ったら?」
「うーん、その時は生まれ変わって違う人になってからアプローチしますかねえ。」
愛してくれているのだな。
「どうして。」
「私がお姉さまの全部が欲しいから、です。」
「私の為ではなく、自分の為と?」
「最初から一貫してそうですが。私、案外気が短いので、お姉さまの為ならもっと早くからぶち切れてると思います。」
「それは怖い。前はもう少し私の為って気持ちもあったろ?」
「どっかの誰かさんが急に居なくなろうとするもんだから、気持ちも変質しちゃいました。」
私たちは見つめ合い、笑いあう。
そうか、最初から私は間違っていたのだ。
紫杏たちは、リシアが自分がやりたいから毎日通っていたということをよく理解していた。私と違って。
それなのに私は、私の為にわざわざ重荷を背負って欲しくないと見当はずれなことを。
彼女は、背負うのではなく、私が欲しくて所有していただけなのに。
「私の持つもの全部あげますし、何でもしてあげます。だから、もう一度私のものになってくれませんか?」
私はなんて愚かだったのか。
そうだ、私は純粋に全てを差し出してでも私を求めてくれる、そんなところを愛していたはずなのに。
いつの間にか、君がそういう人だと忘れていた。
「とても魅力的な提案だ。今からでも、間に合うかな?」
「今から始まるんですから、大丈夫ですよ。」
リシアはじっとこちらの目を見て、少し逡巡しながらさらに口を開く。
「その。キスしても良いですか。」
「もう君のものだ。いつでも、ご自由に。」
そう答えると、リシアは少し照れくさそうにするが、覚悟を決めたのか目をつむってそのまま顔をさらに寄せてくる。
かわいいな、本当に。
そうして、二つの唇が合わさると、そのままさらに私を求めるように舌が私の唇をつつく。
最初からハイペースだなと苦笑しながら口を少し開けてリシアを迎え入れると、初めてだけあった拙い感じでリシアの舌が私を求める。
--私がこんなに幸せにしてもらっていいのだろうか。そう思えるくらいには幸せだ。
「…ふぅ。難しい、ですね?」
「これからいくらでも練習したらいい。もうずっと君のものだって、約束する。」
「当たり前です、手放しませんよ?」
リシアは私に抱きつくように体を寄せる。
傷に障らないよう、重さをかけないように。
「すまない。謝らなきゃいけないことがいっぱいあるな。」
「所有物のやったことなので、全部許して上げます。」
「ただその、毎日リシアが体を拭くのだけは恥ずかしいから…」
「ダメですよ。あなたはもう私のものなんですから。」
リシアはいたずらっぽく、仕返しするように私に笑いかけた。




