第5章 第4話 奴隷
俺たちを乗せた船は、サンドラを出発してトーチに到着。ここで一泊することにする。すでに業者が多数入り、俺たちが造ったばかりの新しい露天風呂の周りには脱衣所や売店が作られている。
程なくして総支配人が飛んでくるようにやって来た。当然の様にスイートルームをすすめられるが、他の部屋も見てみたいからと、一般の客室に泊めてもらった。スイートよりは落ちるが、俺からすれば十分な部屋である。
本当にこの街は来るたびごとに成長している。商店も立ち並び、行き交う笑顔の親子連れ。人口は1万人を優に超えている。何でも共和国における最先端スポットとして話題になっているそうだ。俺からしても、今後ユファインの開発に向けて大いに参考になっている。
温泉にゆったり浸かった後は、フミと2人で夜店をひやかして回る。これで浴衣に花火でもあれば風情もあるのだろうが、それは是非ユファインで実現したいものだ。『アイアンハンマー』のみなさんは、そろってベランダでエールを片手に寛いでいた。
俺とフミもエールを飲みつつ、しみじみ思うのは、これに良いつまみでもあればいいのだがなあということ。
お酒がすすむということは、酒自体の旨さだけではない。そこにはいい肴が必要不可欠である。いつか、海の幸を肴に酒を楽しみたいものだ。
翌朝、ホテルの従業員一同の総お見送りで港まで馬車で向かう。歩いても大した距離ではないのだが、「まあまあ、ご遠慮なさらずに」と、乗せられてしまったのだ。
◆
午前中にトーチを出発した俺たちの船は、昼にはトライベッカに到着。ここでは、バランタイン侯が自ら迎えに来てくれた。
「運河の建設、ありがとうございました。クリークの報告では、国の連中は工事の速さとクオリティーに目を丸くして驚いていたようですよ」
いたずらっぽく笑う侯爵。
「ところで、報酬の60憶はグランに渡しておきました。彼はやはりやり手の様ですね」
グランはその金を大通り周辺の整備に充てているらしい。いくつか店舗も作り、そこにテナントとして入ってもらう商人の選定にかかっているとか。そして、最終的な決定は、俺の判断を待ってから行えるように、お膳立てを整えてくれているそうだ。
運河にはライリュウを住まわせ、それらをおとりにラプトルの罠を増設。その他、遊覧船で運河をめぐるドラゴンツアーなるものも企画して、俺の裁可を待っているのだとか。
街の工事も、ハウスホールド経由で犬耳や猫耳の亜人たちを何十人も雇って働いてもらっているらしい。教会にはサンドラに使者を送って複数のシスターを派遣してもらう手筈を整えてくれているそうだ。山エルフやドワーフの職人もどんどん雇い入れているという。
「いやあ、本当に彼は惜しかったなあ」
「素晴らしい人材を紹介してくださいまして、ありがとうございました」
俺はこの際、ずっと心に秘めてきた思いを侯爵に打ち明けてみた。
「私は今は恵まれた境遇ですが、侯爵様に会う前は、騙されて借金を背負わされ奴隷落ち寸前でした。世の中、不幸にも奴隷落ちを余儀なくされている人も数多くいるかと思います。あくまで自分の出来る範囲でのことですが、そんな人たちを一人でも助けたいと思います」
「具体的にはどうするのですか」
「領内を発展させて富を増やします。領地を豊かにして領内から奴隷落ちする人を無くします。その上で、自分の出来る範囲で奴隷を買い取り、良い環境で働いてもらって奴隷から解放します」
俺の言葉を聞いた侯爵は、静かにこう言った。
「……分かりました。明日早速、トライベッカの奴隷商人の所に案内しましょう」
翌日俺は、そこで衝撃的な光景を目撃することとなる。
◆
俺が、バランタイン侯とクラークさんに連れられ、やって来たのは、トライベッカの裏通り。この辺りは、あまり表だって貴族が出入りする場所ではないようで、俺たち一行はあくまでお忍びの体を取る。
そこで、一軒の問屋風の商店に着き、手代の案内で店内へ入った。
「これは、これは領主様」
揉み手しながら現れたのは、中年のちょびひげ店主。
「いい奴隷が入荷しておりますよ。どうぞご覧ください」
「いや、今日は奴隷を買いたいのではありません。現状を見に来ただけです」
侯爵の言葉に軽く顔を引きつらせる店主。何かやましいことがあるのかも知れない。
「はっ、はい、それではこちらへ」
若干、焦っているような店主に案内され、俺たちは、店内に入る。
俺は、ひょっとしたら、異臭の漂う薄暗い部屋で鎖につながれている半裸の奴隷たちを想像したのが、案内されたのは、両側にずらりとワンルームマンションの様な扉が並ぶ長い廊下。
部屋は、外から窓を開けることが出来、鉄格子越しに中の様子を見ることが出来る。
多くの奴隷は、昼間仕事があるときは、働きに出て、夜はこの個人の部屋で寝る。新しい主人に買われるまでは、ここで一人暮らしをするのが、この店のスタンダードらしい。
「ここにいるのは全て借金奴隷達です。魔力や技能、体力や年齢で値段が分かれています」
部屋は50室ほどあり、年齢がまちまちの男性奴隷が住んでいる様だ。今は昼間なので、部屋にいるのは半分ほど。俺は、全体を見回してから店主に質問してみた。
「この中で、元善良な一般市民だったのに、不本意な状況で奴隷落ちした人はいるのかな?」
「……はい。それは……ここにいるすべての奴隷が、善良な市民や農民でした」
!
俺はその言葉を聞いて、後頭部をいきなり丸太でぶん殴られたような感覚になった。
……。
その後、女子のフロアで40人の奴隷を見たあと、犯罪奴隷も見学。この世界の闇を直接見過ぎた俺は吐き気を抑えるのに必死だった。
そしてこの奴隷制度を通して、俺はこの世界、特にアルカにおける基本的な考え方を、改めて噛みしめることとなった。
例えば犯罪者を刑務所で懲役刑にするにはコストがかかる。死刑や島流しにすれば、コストはほとんどかからないが、利益を生むことも無い。ところが、犯罪者を奴隷に落としてしまえば、コストの削減どころか、働かせたり、売れたりすれば国の利益になる。
そんな考え方に基づき、奴隷は国の財産として使役され、売れるものは売りさばかれる。
奴隷商人に対して、俺はマフィアの一員の様なイメージを持っていたのだが、実は彼らは国から委託されて、免許を持った堅気の商売人であった。もっともそれでも多少は、何かあるらしいが。
「私のこれまでの考えは、いささか幼過ぎたのかも知れません。ですが、もし、私でも手におえそうな奴隷が見つかりましたら、少しずつですが、買いたいと思います。どうか、その時は連絡をください。あと、奴隷落ち寸前の善良な人の情報も欲しいです」
俺は、バランタイン候と奴隷商人にそう言い、商館を後にした。
◆
奴隷たちの、まるで光を失ったかのような瞳が頭から離れない。その瞳には見覚えがあるからだ。そう、元の世界の俺の……。
この国、いやこの世界の闇は深く、一度奴隷落ちした者は、そこから抜け出すチャンスはほとんどない。まるで、いったん非正規になると、正規の職に中々就けない日本の社会に似ていて吐き気がした。
俺はこの世界で一体、何ができるのだろう。いや、俺は自分の思想や信条に基づいて、活動してもいいのだろうか。
昨日、俺が見た奴隷たちは、どう見てもまともじゃなかった。借金奴隷ですら、死んだ魚のような目をした生ける屍。俺も、あんなふうに生気を亡くした目をして、電車の中で死んだんだろう。
犯罪者や、病気の奴隷は、はっきり言って正視に耐えられなかった。仕事が休みの者ばかりということもあるかもしれないが、精神と肉体のどちらか、あるいは両方を病んでいるように見えた。
彼らを救うのは、俺じゃなく、教会や医療機関の方が妥当だろう。俺なんて、例えチートの魔法が使えたとしても、決して全能じゃないのだから。
一般奴隷でさえこれなのだ。畜奴隷なんて想像もつかない。
奴隷問題は、現状の俺には少々、荷が重いようだ。出来る範囲での努力目標にしておこう。
ただ、今日俺が見た奴隷たちは、奴隷落ちして半年以上の者ばかりだったという。奴隷になったばかりの者や、奴隷落ちする直前の者の中には、俺の力で救える者もいるのではないだろうか。
げっそりとして帰ってきた俺をフミが気遣ってくれた。理由は何も聞かず、ただただ黙って静かに寄り添ってくれている。
その日の晩、フミは一言も俺に話しかけず、ずっと黙って俺の横で一晩中添い寝してくれた。元の世界の記憶が蘇り、悲しくないのに涙が流れる。
俺はフミに癒されて、トライベッカを後にしたのだった。




