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緋色の月を愛でる夜は――  作者: 二上 ヨシ
第一章  ~ポエニクスの涙を探す~
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15.社交パーティーの夜

「わあ、感激」

 アルキスが書庫で知り合ったという、伯爵の娘からもらったピンク色のロングドレスに、ルナは嬉しくなって声を上げた。

「女帝も急にパーティーに誘うんなら、ドレスを仕立てる時間ぐらいくれてもいいのに」

「ドレスの一着や二着、持っているのが普通だと思われたのでしょう」

「全く……私は治療をしにきただけなのに」

 そう言いつつ楽しそうにドレスをつまんで回ると、とても良い香りが舞った。

 その様子に、正装姿のアルキスも目を細めた。

 アルキスの方もどこかからか借りてきたのか、それとも抜かりの無い彼のことだからこっそり持ってきていたのか。頭の天辺からぴかぴかに磨かれた靴の先まで、いつも以上に凜々しく、『婦人キラー』などと密かに称されるに相応しい魅力を惜しみなく振りまいていた。

「お美しいですよ、お嬢様。今宵のパーティーに、一段と華を添えられるでしょう」

「い、いいわよ無理しなくって」

 ルナはゴージャスなルージュを引いた唇に、はにかみながらも嬉しそうな笑みを浮かべる。

「いいえ、お嬢様。今夜のあなたは、本当に特別です」

 差し出されたアルキスの左腕に、ルナは軽く手を添えると同時に、ますます気持ちが高揚するのを感じた。綺麗なドレス、きらびやかな会場、自分をよく理解してくれている執事のエスコート。

 それに、秀麗な皇子が頭をよぎる。

「ジェイは絶対に来るなって言ってたけど、第二皇子に会える折角のチャンスだもんね」

「ですが、くれぐれもご無理はなさらず」

「ええ。それにしても……」

 ルナは青ざめた顔で目を伏せる。アルキスは、ルナが女帝との会合を前に余程緊張しているらしいとその心を案じる。

「コルセットって、ものすんごく息苦しい」

 げんなりするルナに、アルキスは「お嬢様らしい」と笑った。

 

 ○$○$○

 

「アナベル様は、何でまた今宵のパーティーにルナ様を」

 身支度を調えるジェイドの後ろで、秘書官のロイが顔をしかめる。『こちら側の者』など、あの女は蛇蝎の如く嫌っているであろうに。

 嫌な予感しかしない。

「知るか。だが案ずるな。俺からルナにきつく来るなと言ってある」

 ジェイドはネクタイを締め終わると、鏡に向かってビシッとスーツの襟を整えた。丁寧に固めた頭髪を撫で、会場中の女たちの目を惹きつける正装姿の自分をルナに見せてやろうかなどと気楽なことを考える。

「アンドレア元宰相殿が、横領の罪で投獄三百年の刑に」

 ジェイドの手が一瞬止まる。

「それがどうした。アンドレアは確かによく俺に尽くしてくれたが、罰は受けてしかるべきだ」

「何を呑気な。これで四人目ですよ? あんた様の側近がこんなことになるんは」

 冤罪とは言い切れないが、決定的な証拠もなしの有罪。何か裏の力が働いていることは、間違いなかった。

 ジェイドは自嘲気味に笑う。

「怖いなら、お前も俺から離れたらどうだ。先代当主の不祥事でつぶれかけた家を立て直したお前なら、他にいくらでも引き取り手はあるだろう。無理をして俺の側にいる必要は無い」

 ロイはため息をつきながら眼鏡を外すと、胸ポケットから取り出した手巾でそれを拭く。

「いや、それがそうでもないんです。先代側の直系子孫とこっち側の傍系子孫とのお家騒動で、ゴッタゴタにモメとるんを嫌がられとって。まだまだ先代の借金もありますし、見捨てんといてください」

 いつもは眼鏡の下に隠れている切れ長のロイの目が、冗談めかしたように細められる。

 幼少期からこの秘書官は、大事で重い話の最中ですら、こうしてすっ惚けたような返答をする。だがその調子のいい口ぶりとは裏腹に、彼の頭の中はいつも冷静な分析と厚い忠誠心に満ちていることをジェイドは知っていた。

 女帝側から幾度となく莫大な給与を提示され、何度も引き抜きを受けながらも、幼い頃から仕え続けたジェイドのために蹴り続けていることも承知。

「ならその机に積み上がった書類の山を、俺が帰ってくるまでに片付けておけよ、ロイ」

「…………え」

 ロイは雪山のように連なる書類を見つめながら、予想外の言葉にぽろりと眼鏡を落とした。

 

 

 フォンテユーヌの間は王宮内でも一段と天井が高く、巨大なシャンデリアや壁画の壮大さに目を奪われる。選ばれし各地の最賓客たちだけが集う、壮大なホールだった。

「ジェイド皇子、一段とまあご立派になられて」

 ジェイドは次々に投げかけられる巧言令色こうげんれいしょくに辟易としていた。今日だけで『立派』という言葉は既に二桁は聞いているし、そのどれもが声の抑揚さえ変わらない。

 無愛想に会釈しかしない自分に、誰も彼もまあよくそんな笑顔を振りまきながら話しかけられるものだ、とジェイドは冷めた目で婦人を見つめていた。

 会場は料理の良い香りが立ちこめ、大勢の客で賑わっていた。だが、同じ顔ぶれ、同じ話。客の仕草や顔つき、パーティーの光景までもがいつもほとんど同じ。

 ジェイドの脳裏を、ルナのことがよぎった。自分で来るなと言ったが、彼女がここにいるだけで、随分気持ちが変わるだろうにとため息をつく。

 いつもなら酒に逃げるところだが、あいにくルナに禁酒令を出されていたために甘いジュースを口にする。

「あら? どちらの家のご夫妻でしょう。お似合いですわね」

 知った顔ぶればかり中、滅多に聞かない言葉に興味を覚え、ジェイドはグラスを傾けたままそちらへ目をやってジュースを喉へ詰まらせかけた。

「げっほげほ、ル……ルナっ」

「あら、あのご夫妻をご存じですの、ジェイド皇子」

 やっと言葉を発したジェイドに、婦人は嬉しそうに頬を赤くする。

「あれは夫婦ではなく、ただの主従関係にあるだけの二人だ! 失礼!」

 何がジェイド皇子を怒らせたのかと、あたふたして青ざめる婦人を置いたまま、ジェイドは人混みの間を縫って、ルナとアルキスの元へ急いで駆け寄った。

「何をしに来た」

 後ろから腕を掴まれたルナは、少々驚いたように振り返ったが、すぐに状況を察したらしい。

「ご心配なく。お手は煩わせません。私専用のエスコート兼、ボディーガードを連れてきましたから」

 ちらりと満足げに執事を見上げるルナに、ジェイドはムスッと仏頂面になった。彼女が嬉しそうに自分以外の男を頼りにするのは、全くもって面白くない。

「誰と来ようと関係ない。俺は来るなと言ったはずだ!」

「もう来たんだから手遅れです。それより、レディーが着飾ってるんですけど?」

 ジェイドは腰に手を当て、首を傾げるルナを上から下へ流し見た。

 艶やかな唇、ほんのり色づいた頬、アイシャドウの美しい目元。それにいつもよりはっきり見える胸元の膨らみと、腰のくびれ。

「どうです、……ジェイ」

 遠慮がちに尋ねてくるルナに、正直、ジェイドは今すぐ彼女を会場から連れ出して抱きしめ、口づけしたい衝動に駆られた。彼女の何もかもが、ジェイドにはまるで食べ頃の果実のように思え、胸の鼓動が高まっていく。

 ――「あれはどちらの令嬢だ?」

 ――「まさか三の皇子の恋人では」

 ――「あの女性嫌いのジェイド皇子が?」

 だがジェイドは、女嫌いで有名な自分が、女であるルナと親しげに話す様子を、物珍しげに見られていることに気づいていた。

 そんな中で、デレデレと『今日は一段と美しい』などと言い放つ自分が彼らの目にどう映るかなど、想像しただけで寒気がする。

「ま……馬子にも衣装……だ」

 そわそわとしてジェイドの感想を待っていたルナは、カチンときたように、口を真一文に結ぶ。

「ああそうですか。それはどうも」

「待て、どこへ行く」

 もっと見ていたいのに、と慌ててルナの白く柔らかい細腕を掴む。

「勝手に回りますから、ついてこないでください」

 冷たく腕を払われても、なおしつこく食い下がる。

「ルナ、お前は俺がエスコートするからこっちへ」

 こんなにも魅力的に着飾った彼女が、いつまでも他の男と腕を組んでいる所を見ていられない。アルキスは仕えるべき主であり弟子である彼女を、そんな風に見ていないと言うが、奴とて男。どうなるか分かったものではない。

「ほら、早く」

 普段は周りを振り回す美麗なジェイド皇子が、逆にことごとく女に振り回される様に、いよいよ注目が集まり始める。だが自分が注目されるなどと思ってもいないルナは、声もひそめることなく、

「お断りします。馬子にも衣装な女じゃなく、どこかの美人さんでもエスコートなさっていればいかが? たしか、綺麗で胸の大きい女性がお好みでしたよね? ほら、この会場にたくさんいらっしゃるじゃありませんか」

 会場は大勢の人で溢れていたとはいえ、貴族は上品に小声で話すもの。それをすっかりいつもの調子で話す庶民丸出しのルナの声は、やけに響いて聞こえた。

「それは……だから」

 今更本当は綺麗だと思っていたと言ったところで、嘘くさいと言われるのは目に見えている。現在も書類処理に追われるロイが聞けば、『ざまあみろ、因果応報ですわ』と笑い転げただろうと思うほど無様だった。

 惚れた弱みか、彼女だけは思うように翻弄できない。

 一旦背中を向け、どうしたものかと考え込んでいる間に、ルナの姿はかなり遠くの方へ遠ざかっていた。

 

 

「ったく、お世辞の一つもいえないのかしら、バカ皇子」

 本人の気づかぬうちとはいえ、公衆の面前で『あの』ジェイド皇子を盛大に振ってしまったルナは、噂好きな賓客らの好奇の視線を一身に浴びていた。だが、それにすら気づかないほど、先ほどの皇子の一言に腹を立てているらしい。

「そう仰らず。ジェイド皇子には皇子なりの事情があったのでしょう」

「だってムドー! ……ちょっとぐらい、褒めてくれたって」

 寂しそうにドレスのスカートを摘まんで俯くルナに、アルキスは「まさか……」と思った。

(お嬢様も、ジェイド皇子を……?)

 だとしたら、ジェイドは何とも間の悪い男だとアルキスは思う。ルナとの心の距離を縮められる、絶好の機会を逃したのだから。

「いえ、今はそれより大ボスよ大ボスッ!」

 落ち込んだかと思えば、倍以上に気合いを込めて鼻息を荒げる。そんな彼女を『らしい』と思いながら、アルキスは天鵞絨ビロード色の双眸を鋭く窄めた。

「目的の方が、お出ましのようです」

 ギイと会場の正面扉が開いた瞬間、会場の空気が変わった。まるで薄暗い洞窟の中のようにヒンヤリと冷え、誰もがおしゃべりを止めて口をつぐみ、静寂とした会場をただカツカツと床を叩くヒールの音が響く。

 一直線にルナの元へ歩く人物に、人々は邪魔をしてなるものかと、まるで草をかき分けるかのように道を空けていった。

「よく来てくれた、クロエ医師」

 強さのある鋭い声が、真っ赤な唇からルナに向かって発せられた。

「ご、きげんよう。アナベル様」

  緊張気味に引きつった笑顔を見せるルナに、アナベルは右の口角を上げ、白い歯を見せるように笑った。

 女帝の後ろには、正装姿のクラティス第二皇子の姿もある。相変わらず、目つきも顔色も悪い不気味な青年。

「クロエ医師、ここでは落ち着いて語り合えぬ。さあ、こちへ」

 女帝の声に導かれるように差し出されたクラティス第二皇子の腕に、ルナはアルキスから離れ、緊張で震える手を乗せた。

(さっそく語り合いだなんて……)

 ルナとアルキスに緊張が走った。互いに目配せし、小さく頷いて彼女らに付き従う。

「ああ、できればクロエ医師一人で来てもらいたい」

 振り返ってアルキスにそう言い放つ女帝に、彼の美しい眉間に薄い溝が浮かんだ。

「大丈夫よ。少しお話するだけだから」

 ルナは腹を括る。一瞬こちらへ寄ろうと人混みをかき分けるジェイド皇子の姿が見えたが、さっきの恨みもあって、心配不要とばかりにあっさり目をそらして会場を後にした。

 


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