13.襲撃(前)
いつも騒がしい宮廷内の護衛官用詰め所は、今日はどこかひっそりとしていた。
詰め所と言うより長テーブルの立ち並ぶ大衆食堂のようで、普段は雑然として、口角泡を飛ばして話しながら煙草を吸ったり、時には昼から強い酒も嗜む男たちであふれかえっていた。
ここに集うものは、内面に問題があれど、確かな腕と主のために死する覚悟がある者は、身分や酒癖や脛の傷によらず雇い入れられ、高い報酬が与えられた。
だが、その実態は所詮烏合の衆である。その言動の低俗さや見た目から、貴族たちから眉をひそめられることも多々あった。お上品な隠語として、詰め所は貴族らに『巨大くずカゴ』と呼ばれているが、誰も気にとめる様子はない。事実そうだと笑っていた。
ところが今日は、そんな彼らがみな長いすに背筋を伸ばして座し、あろうことか文学書など嗜んでいるのだ。時折り上下逆さまに読みふける者もいたが、見る者が見れば、天変地異の前触れに違いないと触れ回るだろう光景だった。
「あれ? こんなとこで何してるんだよ隊長」
フェリックスは、整然と並ぶ長机の一角で、難しそうな古書に黙々と目を通すターバン男の背中に声をかける。
「俺がここにいると、何か問題でもあるのか、フェル」
「まあ単に珍しいってのと……詰め所が葬式場になる。なあ?」
振られた護衛官は、一瞬首を立てに振ろうとして、即座に怯えたように肩を竦めて全力で首を振って否定していた。出て行くに行けず、下手なことをして怒りを買うのも恐ろしいらしい。
どうやらこのターバン男が、このだだっ広い詰め所を、水を打ったように静まらせている原因らしかった。
それもそのはず。本を読んでいるだけだというのに、ハーディのその目は驚くほどギラつき、殺気のようなオーラすらにじみ出ている。烏合の衆といえど、彼がいるときだけは一致団結したように息を潜めて大人しくしていた。
「それよりさ、もうあいつらの監視はいいのか?」
フェリックスは長いすにまたいで隣に腰掛けると、お気に入りの地獄ブラックジュースを呷って気楽そうに息を吐いた。色こそインパクトはあるが、甘い子供向けの飲み物である。
ハーディは古書に目を通したまま、淡々と口を開いた。
「別に怪しいのは奴らだけじゃねぇ。この宮廷内には、三の皇子を付け狙う輩が多いからな」
「そんなこと言って、本当はルナちゃんたちが本気で皇子の治療に当たってるって、気づいただけだろう?」
突如、ハーディはバンッと大きな音を立てて本を閉じた。何人もの護衛官がびくりとして、本を取り落とす。
「奴らに『あのこと』を話しただろう」
『あのこと』でフェリックスにはピンと来た。第一皇子と第三皇子が同じ病にかかっているという疑惑のことに違いない。
口調からして、かなり怒っているらしいと判断した。さすがのお気楽男も、敏感に空気が鋭く変わっていく様を感じて焦り始める。
「え……? 何で? 何が? 全然喋ってないけど?」
「奴ら、こそこそ嗅ぎ回ってるらしいじゃねぇか」
フェリックスは誰がチクったんだと、周囲を軽くにらみ付け、
「……ちょっとでも参考になればって思ったんだよ、悪いか?」
「当たり前だ、アホ」
本をフェリックスに投げつける。だがフェリックスは、いとも簡単にそれを受け取った。
「アホは言い過ぎだろ、隊長」
立ち上がって大剣を腰に差すハーディに抗議する。
「アホじゃなけりゃ大馬鹿野郎か。妙な動きを見せておいて、あの方が黙っていると思うか……」
「女帝か?」
「そんな呼び方をするんじゃねぇ。皇帝閣下はあくまでお一人だ」
「二人とも」
ちょうど怒りが頂点に達しようとしていたハーディは、声をかけた身分の高い連絡係すらにらみ付けるように振り返った。
「げ、元老院からお話がある。今すぐ行くように……してください」
そう言い残すと、ハーディの視線から逃れるように、そそくさと帰っていく。
「元老院からだと?」
護衛官が元老院議長に呼び出されるなど、大規模な式典や国外渡航以外ではそうあることではない。護衛官らの人事権を握る彼らに呼び出しを食らったとあらば、八割方何かをやらかしたことによるお叱りに違いなかった。
「お前の出過ぎた真似の尻ぬぐいじゃなきゃいいがな、フェル」
フェリックスも聞いているのかいないのか、やれやれと立ち上がった。
「もう一度……お話をお聞かせ願えますか」
ハーディともあろう男が、命令を二度聞くことなどあり得なかった。だが、厳かな元老院室にて、円卓に座る老人たちの口から次々と発せられることに、思わず耳を疑う。
「じゃーかーらー、お前たち二人でルナ様を襲えと言っておるのじゃ」骸骨の元老院議長は、心なしか嬉々としている。「三の皇子にしっかりと見せ場を作るようにな」
「本当に傷つけるなよ」
「だが迫力は忘れるな」
ついに呆けたかという一言を、ハーディは何とかして嚥下する。
「そのラ……作戦」
「ドキドキラブラブキラキラ作戦、略してドキラブ作戦じゃ。ドキドキのドキとキラキラのキラがくっついてじゃなぁ」
「つまり狂言をしろ……と? 私が」
「その通りじゃ。恋のキューピットになってくれ、二人とも」
呆然とするハーディの隣で、フェリックスが肩を小刻みに揺らしている。声だけは抑えているものの、笑いはどうしても堪えられないらしかった。
それもそうだ。元老院からの呼び出しと聞いて、即座に駆けつけたというのに内容はこれだ。こんなことなら、書庫へ本を返しに寄ってから来れば良かったと後悔した。
「なぜ……こんな……三の皇子はッ」
「三の皇子も承知なさっている」
「……」
最後の砦が承諾済みとあらば、もうハーディに抵抗する理由がない。
「目つきの悪いキューピットだな、隊長」
そう軽口を叩くフェリックスの足を、せめてもの思いで目一杯踏みつけた。
○$○$○
「第一皇子のカルテは、やはり見つかりませんか」
チリ一つ無い豪奢なアーケード外廊を歩きながら、アルキスは細い顎に繊細な手を当てて難しい顔をした。
「ええ。あっちこっち調べまくったけど、やっぱり情報がない……というより、無くなってる。誰にそれとなく聞いても『知らない』の一点張りだし……何より最近、すごく怪しまれ始めてるわ」
ジェイド皇子の治療に加え、連日資料を探し回っているルナは、大きくのびをしてそう言った。
「そうなればなるほど、怪しく見えてくる。第一皇子とジェイはやっぱり」
「お嬢様」
傍を通るご婦人方の姿に、慌てて話題を変える。
「あとはすりつぶしたノイの実を入れて、二、三日再乾燥させれば完成……どうも、おほほほ」とやり過ごし、「こうなったら、あの人に接触するしかないわね」
「嫌な予感しかしないフレーズです」
アルキスは狭い額に手を置いて、渋面を貼り付けた。
「第一皇子が無くなったとき、ジェイド皇子はまだ幼かった。でも、第二皇子なら」
「藪の中の蛇を、踏みつけに行くようなものですよ、お嬢様」
「患者のためなら、たとえ火の中、水の中!」
彼女を傍で見てきたアルキスは、その言葉が一分の偽りも孕んでいないことを知っている。止めたところで絶対に聞かないだろう事も。
「それで、血の契約まで交わされたのですか」
ルナの顔が面白いほど引きつった。
「ど、どうしてそれを……」
「私に隠し事をするなんて、百年早いですよ」
「私のカバンの中の契約書見たのね?」
ルナはミニトランクを抱きしめ、ムッと口をとがらせて背の高いアルキスを見上げた。
「まあ、そんなところです」
皇子に聞いたことは伏せておいた。それで二人の関係がぎくしゃくするのも良くないだろう。
(しかし、まさか本当に血の契約を結んでいたとは。皇子は治療をさせる代わりに、どんな契約をされたのか)
師匠心もしらず、ルナはふて腐れたままトランクを抱きしめていた。
「お嬢様、その後、ジェイド皇子とは何か進展が?」
「進展……? な、何を唐突に」
「熱烈なアプローチは功を奏しているのかと、気になりまして」
「わ、私たちはただの医術師と患者ってだけだもん! それに向こうは、私じゃ無くてムドーの医術が狙いなの!」
「もう少しご自分に自信を持たれては?」
アルキスはいつもルナにそう言っていたが、ルナは到底そんな気持ちになれなかった。
「自信……って言われても」
一人で部屋に戻る途中、ルナは廊下の大きな鏡に目をとめた。外廊を歩いて乱れた髪を整え、誰もいないことを確認してから腰に手を当ててポーズを取ってみる。だが、今ひとつピンとこない。
魔界の女たちは、皆驚くほど美人でスタイルがいい。色白も、褐色肌も、ブロンドも赤毛も関係なく、一様に美しかった。
自分がジェイドなら、こんな寸胴で髪を適当に纏めただけの女など、好くはずは無い。それがこの国の上流階級ともあろうものなら尚更。
「そりゃ、本当に私を好きだって言ってくれてるなら嬉しいけど……」
鏡に映る何の取り柄も無い自分を、美麗な皇子が見初めるなど夢物語もいいところ。自分など、平均的な容姿の、平均的な身分の男が一番よく似合うと思っていた。夢は見たいが、現実は分かっている。
ため息をついて顔を上げると、鏡が一瞬映し出した窓の外の光景に目を見開いた。
「今のって……第二皇子? どうして」
振り返り、急いで追いかけようとして誰かにぶつかった。というより、こちらは避けたのに向こうが追いかけてきてぶつかった。
何だと見上げると、『いかにも怪しい』覆面男らが二人、自分を見下ろすように佇んでいた。
「えっと……すみません、ちょっと急ぐので」
だがそんな妙な格好をしている輩など、この世界では珍しくない。二人を押しのけ、小さくなっていく第二皇子の背中を慌てて追いかけようとした。
「こ、この小娘めー! どこに目の玉つけてやがる。ぼ、ぼやぼやしてるんじゃねぇー」
心なしか、台詞っぽい上に棒読みだ。
「は? そっちがぶつかってきたくせに、何の言いがかり? 急いでるんで」
「いやあの……ちょっとだけ待ってお願い」
「あのね、私は……」
振り払った拍子に男の覆面がとれ、見覚えのあるブラウンの瞳の青年が顔を見せる。
「フェル……!」
「あ……いやこれは」
慌てて顔を手で覆うが、時既に遅し。
それにもう一人のターバン男も、ルナは見覚えがあった。確かジェイド皇子の部屋に一度入ってきたことのある――
「そこで何をしている、くせ者ども!」
ジェイドが意気揚々と剣を手に飛び出してきたが、タイミングが明らかに悪かった。
ルナが外を確認すると、もう第二皇子の姿はない。次にいつお目にかかれるか分からないというのに、折角のチャンスが台無しだと、大きく息を吐いた。
「ねぇジェイ? 一体何なのこれは」
「いや……だから」
「劇の練習ならよそでやってくれない? 私を巻き込まないで、忙しいの!」
「ちょっと待ってくれ、ルナ。これには訳が……」
ギャアアアアアアアア――!
けたたましい咆哮が響いたかと思うと、何枚ものガラスが一斉に割れた。小山のような影が壁をぶち抜いて転がり込み、ガラス片が舞う。
「な、何?」
「ドラゴン」
ハーディの目が鋭く窄められる。
ギャアア、アアアアアアア!――
ブルードラゴンが、けたたましい声を上げて暴れまわる。尾を振り回して壁を傷つけ、その破片が一瞬霧のように舞った。
「くそ、何だ!」
「我を失ってやがる」
「皇子、こちらへ」
大勢の護衛兵があっという間に集結し、ジェイドを取り囲んで安全な場所へと押しやる。
「おい、何をする! 放せ! ルナ!」
「先生も早く」
「ちょっと待って。あの子はどうなるの」
護衛官に手を引かれそうになりながらも、ルナはその場に踏みとどまってそう尋ねた。
「ブルードラゴンは普段は大人しいが、一旦暴れると手におえねぇ。たとえ餓鬼でもな」
近衛兵の赤い腕章をベルトに挟んだ青年、フェリックスが臆することなくドラゴンの方へ向かう。
「フェル、何をするの!?」
「迅速な処分が好ましい」
「処分――?」
驚くルナの視界に、ぬらりと光る銃口が滑り込んだ。
フェリックスが真顔でドラゴンに銃を向けている。ふざけた口調の彼とは別人のようだった。これでこそ、護衛官に引き抜かれた男の顔。
「まだガキンチョなのに可哀そうにな。せめて苦しまないようにしてやるよ」
冷たい目をしたフェリックスが、引き金を引く。
「待って!」ルナが銃を持った手に飛びついた。
銃弾は逸れて、壁の像の手首をもぎ取る。音に驚いたドラゴンがけたたましく鳴いた。
「ちょ、おいルナちゃん、何すんだ! 危ないだろう」
「フェル、ちょっとでいいから時間を」
「はあ?」
「女は下がってろ。邪魔だ」
ターバン男がドラゴンに殺気を向けて剣を抜こうとした瞬間、ルナはその腕を強く掴んだ。
「私にやらせて! あの子は興奮しているだけ、鎮静術を施せば大丈夫」
ハーディの、研ぎ澄まされた刃のような視線がルナに突き刺さる。烏合の衆を取りまとめる男の視線を前に、ルナは一歩も引かなかった。
「ほう、獣に同情たぁ、上等な精神の持ち主じゃねぇか、女医術師」
「私は」
「いや、間抜けの間違いか。鎮静術は直接相手に触れねぇと発動しねぇ。あれに触って、さらに術を施すってか。その前に誰かが死ななきゃいいがな」
ギッとハーディの瞳孔が萎縮する。
「み、見くびらないで。直接触れなきゃって言っても、一瞬でも触れられればあの子を落ち着かせられる」
だがそんな答えで納得させられるほど、護衛官の長は甘くは無かった。
「だから……もし失敗したら……私ごと斬ればいいじゃない」
ハーディは、途中まで抜いた剣を勢いよく納めた。
「さっさとしろ。俺は気が短い」
ルナはハーディをにらみ付けるように、ドラゴンの元へ走った。
「隊長、言い過ぎだ」
「やるって言ったからには、女だろうとやってもらわねぇとな」
だがその彼の手は、大剣から一瞬たりとも離そうとはしていなかった。
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