第十話 獄卒の群
「…………」
翌未明 立っているとジンワリ冷えが四肢を伝ってくる朝霞の中、東門の前に一つの影が立っていた。
一番最初にこの集合場所へやって来たのは翁。いや、正確にはやって来たという表現は適切で無いかもしれない。
彼は一晩中外に居たのだ。雅と千賀丸の宿を出てから、翁はずっと町を巡回していた。
古今東西あらゆる戦術家が口を揃えて言うであろうが、戦を前にして警戒の余り睡眠を怠るのは愚策中の愚策である。
戦場で生き残り功を得るは、いつの世も爆音や銃声が鳴り響くなか鼾を掻ける大人物のみと相場が決まっているのだ。
がしかし、その相場もこの老剣士のみは例外だったらしい。
翁は一晩かけて弱肉強食な外の冷たい温度に身体を馴染ませていたのである。
意識を内に落とし、自らが踏んできた数々修羅場に立ち戻って、精神性を嘗て『都の飛夜叉』と恐れられていた時代に戻してゆく。
そうして研ぎ直された翁の精神は一夜の内に錆が取れ、嘗ての人の形した凶器としての鋭光を取り戻していったのだ。
「お早いですね。若しや、寝ていらっしゃらないのでは?」
目を閉じ、まるで朽ち果てた老木が如く動きを止め瞑想を行っていると、 人の声がした。
その声に瞼を開き視線を上げる。すると霞の向こうからボンヤリとした影と足音が近付いてきて、背に薙刀を背負った照姫が姿を現す。
予想通り、彼の次にこの場所へ来たのは照姫であった。そして彼女は門の前に立っていた老人の姿を見るなり 彼が不眠不休で町の巡回をしていた事を見破ったのである。
翁はその質問に対し否定するでもなく、しかし心配は無用であると返答を返した。
「まあの。じゃがワシは昔から一晩寝ていない位のほうが頭の回る質じゃ。……お主の方こそ、あまり熟睡は出来んかったと見える」
「ええ、無理にでも寝ようとはしましたけど多少ウトウト出来た程度で。戦ってる最中に寝ちゃったらごめんなさいッ」
「ホホホッ、冗談が言えるのなら大丈夫そうじゃの。まあお互い 今日を無事生き残った後に枕を高くし好きなだけ寝ようではないか」
照姫もまた戦いを前にとても熟睡は出来なかったらしく、目の下に微かな隈を抱えていた。
しかしそれでも確かに覚悟は決まっているらしく、隈の上の瞳に迷いは見付からず 言葉は力強さと適度な緩みを纏っていた。
そうして余裕を持ち早めに集合場所へ来た二人は、しばし世間話をして時間を潰す。
するとある時、もう大分薄らぎ始めた朝霧が、地響きの如き足音に揺れ始めたのである。
「 済まぁぁ″ん″″ッ!! 少し寝坊した、未だ行ってはいないだろうなぁ!!!! 」
ドスンッ!! ドスンッ!! ドスンッ!! ドスンッ!!
三番目に姿を表したのは、雷峰であった。
そしてそんな彼の格好は遅刻しているというのにかなり気合いが入っていて、上半身は裸、腰には化粧回しを付けその上に縄まで締めている。まるで今から土俵入りでも行われそうな出立ちであった。
そんな彼ら二人とは明らかに方向性が異なった覚悟の決まり方に、翁は笑い 照姫は呆れた様な表情を作る。
「まさか寝坊が出来て、化粧回しまで付けてくるとはッ。流石の器じゃのう地獄の大横綱」
「おはようございます翁殿!! 良かった……置いていかれてはいない様ですな。おお、照姫! 今日の化粧は一段と似合っておるぞ、もしや紅を変えたかッ?」
「……これから血塗れに成ろうってのに化粧なんてする訳ないでしょ。何処に目付いてんのよ」
「なに、ではスッピンでその美貌かッ!? 仙姿玉質とは正しくこの事だな、ガハハハハハハハハッ!!」
「本当に口の減らない男ね。耳が痛くなるからちょっと黙っててくれる?」
「おお、それは済まない。黙る、黙るぞーー!!」
「その黙るって言葉がもう喧しいわ」
翁へ挨拶をすると共に置いて行かれなかった安堵の溜息を付き、そこから流れる様に照姫の化粧を褒める雷峰。
しかしそもそも照姫は化粧をしていなかったという芸術的な墓穴の掘り方をみせ、彼は元々低かった彼女からの好感度を更に落としたのであった。
何はともあれ、これで三人集まった。
だが何となく皆が心配していた通り、あと一人がなかなか姿を現さない。
「あと来ていないのは…アイツだけか。案の定だな」
「遅刻で済めば良いけどね。私は当日に成っていきなりすっぽかす気がしてならないわ」
「ふむ、まあもう少し待ってみようではないか。この事を予期して集合を早めにしたのじゃからの」
雅が遅れる事を見越して作っておいた時間の余裕。
しかし、 そのまま彼が姿を現さぬまま時刻は許容時間のギリギリとなり 遂に日が東の地平線から昇り始めてしまったのである。
そこでいよいよ翁が宿まで呼びに行こうか、
そんな話になった所で まるで全員の神経を最も逆撫でするタイミングを見計らったかの如く、
その男が堂々と一切悪びれる素振りの無い足取りで姿を表したのであった。
「あ? なんじゃコラッ、なに人様をジロジロ見とる。斬り殺されたいか」
「「「「……………………」」」」
しかし、その足取り以上に彼らの目線を集めたのは、雅の手に何故か握られた縄とその縄が繋がった先。
「 あんたそれッ、 どういうつもりよ…」
皆を代表して照姫が、引き攣った顔でその理解不能な光景について雅に尋ねる。
「どういうつもりとは何の話じゃ。毎度口の足りん女じゃの」
「決まってるでしょッ。なんでその子を此処に連れてきたのか……しかもッ なんで縄で縛ってるのかって聞いてんのよ″″」
照姫は必死に感情を抑えつけ、雅の握る縄に身体を縛られ犬の散歩のように前を歩く千賀丸を指差した。
指差された少年は そりゃそーだよなーという顔。
しかし一方の雅は、依然として照姫が何に対して怒っているのか分からないという表情を貫き、渋々といった様子で説明を行う。
「あ、こいつの事か? これは生き餌じゃ。この小僧を木の高い位置に吊して鬼共を惹きつけさせる。そうして獄卒が大口開け喰らいつかんと伸ばした首をワシが横からズバァッと一刀両だ……ごふぅ!?!?」
ッガ′′″ア″ン!!!!!!!!
包み隠すどころか胸を張り、今から自分が行おうとしている最早児童虐待とかそいうレベルじゃない作戦の内容を話す雅。
そしてそんな彼の横面を、照姫が思いきり薙刀の柄でぶっ叩いた。
「ッ何するんじゃ女ァァ″″!! 貴様ワシが女だから手を出さんと思ったら大間違いじゃぞ!!!! お″#″☆″*″ッ、も″^″g°″7″>″$″→″〆″7″D″″!!!!
%″$″&″’~″~″&″%″&″$″%″&″″″!!!!」
「 千賀丸、貴方あんなクズと一緒に住んでて本当に大丈夫なの? 前にも言ったけど、何かあったら直ぐウチに移ってきて良いんだからね。というかもう何か起ってるんだからウチに来なさい。教育に悪いわ」
「アハハッ…考えとくよ。でもああ見えて旦那も良い所はあるんだぜ?」
「子供を木に括り付けて餌にするなんて発想ができる時点で良い所もクソも無いわよ。何食ってたらこんな事思い付くのあのクズ侍ッ」
横面を殴られた事に対して猿のように喚く雅を完全無視し、照姫は千賀丸の身体を縛る縄を解いた。
そして自分の家へ移ってくる様にと、本気で少年を説得しにかかる。
考えてみれば、いや考える必要もなく、一日を寝るか人斬るかして過ごしている男に子供を預けて良い訳がない。
「お前なぁ流石に子供を餌に使うのは駄目だぞ。子供は宝、宝を犠牲にしちまったら何守ってんだか分からなく成るだろうが」
「獄門衆風情が偉そうな口を………ワシも殺す気までは無かったわ。コイツが喰い付かれる寸前に敵の首を斬ってだなあッ」
「そういう問題じゃないのッ! 少しでも危険がある場所に子供を連れていけるその思考が先ず信じられないって言ってんのよ!!」
「フン、甘ったれた事を抜かすな。この地獄に危険でない場所など有るものか、壁の内に居ようと外に居ようと死ぬ時は死ぬもんじゃ。そもそもコイツが自分から何か手伝いをッ」
「 一先ず、この話は此処までじゃ。もう時間がない。幸運にも見送りの者が一人出来たという事で、そろそろ出立するぞ 」
放っておけば何時まででも続いてゆきそうな雅と照姫の口論を遮り、翁がそう告げた。
もう日は完全に昇り、朝靄は夢のごとく消え失せている。
そしてその言葉の内に秘められた自分を遠ざけんとする意志を、年の割に賢い千賀丸は確かに感じ取ったのである。
「……翁ッ 流石に獄卒を釣る餌は駄目でも、オイラ何だってして皆を助けるぜ! だからオイラも外に連れてってくれよ。絶対役に立つからさ!!」
「ならぬぞ千賀丸。お主は町の住人達と共に安全な場所へ避難しておってくれ」
「で、でもッ。オイラも皆んなと一緒に戦いたいんだ…!!」
此処へ来る前、 餌として雅に縄で縛られる際に千賀丸は全く抵抗しなかった。
それどころか、寧ろこの少年は自ら勧んで、命を道具にしてでもこの縁も所縁も無き町を守る力に成ろうとしたのである。
それは、彼の生まれ持った偉大な英雄的素質に起因する行動。
まだ器の成長が追い付いてはいない。
だがこの少年は、見知らぬ誰かの幸福を我が身と引き換えにしてでも願う事が出来るという、何より尊い素質を秘めていたのである。
そしてその瞳に燃ゆる英雄の火を認めた翁は、子供相手ではなく 一人の男として千賀丸に向かい合ったのだった。
「………………千賀丸、よく聞け」
「 うん 」
「先程 雷峰も言っておったが、ワシら武人はそれだけで存在する事はできん。守る物、宝があるからこそ戦う事が出来るのじゃ。そしてお主は此処に居る皆の宝。ワシにとっても、照姫にとっても、雷峰にとっても、雅殿にとってもな」
「あ? ワシの宝がこんな小便臭いガキなわけッ」
ッガ″″ア″ァンッ!!!!
「オイラが、宝?」
「そうじゃ。じゃからお主が後ろに居てくれるだけで、ワシらは幾倍もの力を奮い戦う事ができる。膝を突こうとも又立ち上がる理由となる。敵と対するのみが戦ではない…守るべき宝として、ワシら刃振るしか能なき者達の背を支てくれ。 小さき英雄よ」
面越しにでも鮮明に自らを見詰める二つの瞳を想像させてしまう翁の言葉。それを受けてしまっては、首を横に振ることなど出来る筈も無かった。
千賀丸は力に成れるのならと安全な場所で待つ事を約束。此処で彼らを見送る事とした。
そして東門が開き、 たった板壁一枚分の隔たりしか無いにも関わらずまるで空気感が異なる外の世界が、 その姿を表したのである。
「 では参るか 」
「…はいッ」
パンッ、パァンッ!!
「よっしゃああああああッ!!」
翁を先頭にその後ろへ照姫が続き、更にその後ろを力一杯に自らの身体を叩き気合入れた雷峰が続く。
…………………スタッ…スタッ…スタッ…スタッ
そして そんな力士の後ろをかなり離れ、散歩の如き力みの無い足取りで歩くもう一つの背中。
その唯一つへ向けて、千賀丸は大きな声で叫んだのである。
「旦那ァァッ!! 無事で帰ってこいよ、オイラ待ってるからなー!!」
「……………………………フンッ」
千賀丸の言葉に対し、雅が返したのはその鼻を鳴らす音一つ。
しかし、気のせいかも知れないが、少年にはそれが今まで聞いてきたどんな声とも異なる響きを纏っていた様に感じられたのであった。
こうして、四人のモノノフ戦場に立つ。
迫るは悲鳴に飢えた人喰いの悪鬼。この地の底を無間地獄たらしめる苦しみの群。
皆、己の罪状に対し今更申し開きなどはしない。しかし無辜の民謂れなき苦しみに喘ぐは耐え難しと、モノノフ共は営みと節理の間に立つ。
そして西方より来たる悪鬼、地底に落ちた獄悪人、この戦で争う双方の陣営が薄い木立を挟み向かい合った。
戦が、 遂に始まる。
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