説明のようなもの。
まず何を話すべきでしょうか。
テーマは決まっています。
次ぐ、という概念。
準じる。2番目。
2番目という言葉にそこまで悪いものはないのに、二番煎じとなると、残念な感じになります。
亜流や亜聖もこれに含まれます。
流れがどんなに清らかだろうと、そこに亜がつけば価値は下がります。
聖人に亜がつけばマイナーに降格。
もちろん孔子は黄河文明の精神的基礎を作ったけれど、孟子も荀子も堂々たる聖人。
何をもって聖人とするか。単純に教科書に載ってるから、とか、派手なエピソードが知られてるから、聖人とは言えません。
その人の言葉や行動がどれだけ世界をステップアップさせたか。
結局はそれでしょう。
でも、世の中に自分の感情を自分の言葉で語れる人が、どれほどいるのでしょう。
ああ。こういう論法ってめっちゃ二番煎じで、凄く羞恥を覚えますね。
だって、否定というのは肯定よりも刺さるから。
何かを否定するとき、人はそれよりもマシだと思うけど、そんなことはないのですよ。
そして、自分をマシにしてくれるのは自分しかいないのです。
自分の感情を自分の言葉で語れる人は、世の中に溢れています。
でも、その人の言葉を否定するのは簡単で、しかも否定されるとそうかなあ、と思ってしまう。
そして、こんなに否定するってことは、この人の中には、レベルの高い何かがあるに違いない、とか期待してしまう。
占い師が金魚とか動物霊とか持出す論理に似てる。漠然とした不安につけこむ。
やだなあ。そんなのやだなあ。
さてこれを書いてるくろすろおどのくろすろおどは、英語でcrossroadです。
和訳すると十字路。左右を確認しないと何が来るのか分からない。
何かに出くわすかもしれない。自転車。自動車。トラック。丹頂鶴。烏。鳩。隕石。魔女。魔神。幸運。不運。悲哀。
確認しないと分からない十字型の空間。
そんな物語を綴りたく、名乗り始めた頃の十字路は、それはもう意気が鋭く盛んで、湯水の如く名作名文を生み出し、あっという間に大人気。
何てことはなく、ただ、そうですね。
文章を書くことは好きで得意だったのです。
ツィッターとかでも他の作者さんたちと交流したり今となってはよくわからない行き違いでトラブったりしました。もう何年も前です。
交流したり作品を読みに行ったりブクマしたりした方々の、結構な割合が書籍化しました。
素晴らしい。俺は、まあ、書籍化とか縁のない場所で、遠くからそんな皆様方の活躍に拍手と喝采をですね。捧げてきて、いやそれよりも、何か人気作になりそうな物書けよ無理だよ面白いのって書くの難しいんだよと自問自答しているうちに、年齢も40を過ぎ、身体に不調が出てきて、文章も書けなくなってしまったのです。
尿酸値と血糖値と中性脂肪が高く物忘れが激しく前頭葉の機能が落ちて、腎臓も悪い。
良かった。独身で。迷惑をかける家族がいなくて。いやあ、本当に良かった。
何かが起こるとき、誰かに迷惑をかけないかを、もしくはかけない方法を真っ先に考える俺は、そういう種類の痛みに弱いのでしょう。
で、とにかくそんな感じで脳機能的に物を書けなくなった俺は、それでも何かを書こうと思って、でも健康だった時みたいに無造作にノリノリで書くとか無理なんで、新しい方法を模索しております。
軽い掌編を30分で書く。ジャンルは問わないけど、テーマは設定する。
具体的には、
恍惚、喜び、平穏。
敬愛、信頼、承認。愛。
恐怖、恐れ、不安、服從。
驚嘆、驚き、放心、畏怖。
悲嘆、悲しみ、哀愁、拒絶。
忌避、嫌悪、辟易、後悔。
憤怒、怒り、苛立ち、軽蔑。
警戒、予測、関心、暴力。
結構ありますが、これは感情の輪ってやつです。他にも心理学的な物事に基づいて、何かを書いていきたいと思います。
それと雑学。性格占い。
まあそこらへんをミックスして、気軽で手軽な何かをひたすら書きたいのです。
ありきたりの二番煎じでどこかで見たような凡庸な文字の羅列を、暗い夜に独り生産したい。
俺は創作者と言える何かを喪って長いけど、でもまだこの手のひらに残されている能力を使って、作品に準ずるような何かを作っていきたいと思います。
そして、脳機能のリハビリ的な意味も兼ねているので、執筆した日時をタイトルにいれておこうと思います。
以上、手のひらで30分の説明? でした。
この病気が回復することはないのですが、それでも、何かを綴れるということに、どこかで、ええと。
小学校の時に、中古のゲームショップから買ってきたドラクエ3のカセットの包装を解いてファミコンの挿し込み口にプラスチックの端を押しこんだ瞬間のような、そんな果てしない予感のようなものを、感じております。




