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呪いの森のお嬢様  作者: 石蕗石


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11/13

お嬢様と愉快な仲間達、襲来・上

ゲルト・アンゲラーは、大きな麻の袋をばさりと広げた。

その中に着替えと石鹸、お気に入りの枕、甘すぎてなかなか減らないキャンディの袋、新品の靴下、カレンダー、最近下っ端のチンピラから貰った変なタコのぬいぐるみまで、とにかく身の回りのあらゆるものを片っ端から詰めていく。

ゲルトは現在、夜逃げ準備絶賛真っ最中だ。

それというのも、どうにも最近趣味のこそ泥、もとい魔法道具の召喚成功率が低くなったのが原因である。

理由はおおよそ予測が付いている。目を付けていた魔法道具に、召喚を拒絶する保護魔法でもかけられていたのだろう。

ということは、ゲルトの悪事は既に魔法使い協会にバレていると考えたほうが良い。

ゲルトはとある塔にいる、魔法使いの弟子のうちの一人だった。

その塔主が寿命で交代する際、ゲルトは隙を突いて元塔主の魔法道具を盗んだ。使用者の力を底上げしてくれるその道具を使い、冴えない中年魔法使いだったゲルトはまんまと塔から逃げおおせることが出来たのだ。

次期塔主候補として一切名前が挙がらない程度の魔法使いだったゲルトではあるものの、道具作りや召喚術、魔獣の使役についての才能は、元塔主からも認められるほどのものだ。まあその魔法の腕をわざわざ悪事に利用するような性格だったから、誰からも支持されなかったのだが。

興味はあるが使用にリスクのある魔法道具を一般人に使わせてデータを収集する、なんていう非道を各地で行っているうちに、ゲルトはとある犯罪組織と意気投合した。

おかげで、片っ端から集めた魔法道具や、洗脳して従えたは良いものの、育てる場所に困っていた魔獣達を、金に換えることが出来た。ついでに魔法使いの先生とおだてられ、ゲルトの人生はここ最近は順風満帆だったのだ。


しかし、やっぱり悪事というのはそうそう上手くいくものでもない。

一体どこから情報が漏れたのかはわからないが、とにかく魔法使い達にバレてしまっているのなら、なるべく早い内に遠くまで逃げてしまわないと酷い目に遭う。魔法使い協会は身内から犯罪者が出た場合、手の空いている人間たちでそいつをフクロにするのが習わしなのだ。

強くておっかない魔法使い達が送り込まれる前に、さっさとこの場所をトンズラしてしまおう。そう思ってせっせと荷造りをしている最中、轟音が響いた。

ゲルトがいるのは、組織がアジトにしている廃村の一角だ。比較的損傷の少ない家屋を居心地良く改造したねぐらが惜しくはあるが、いよいよ一刻の猶予もないようだ。周囲はどんどん騒がしくなってきているし、金属をぶつけ合うような音もしはじめた。

ほどなく扉をどんどん叩きながら先生先生と必死な声をかけられ、ゲルトはうんざりと返事をする。


「わかってるよ。魔法使いが攻めてきたのか?」

「た、多分そうです! 村の周りをずっと囲むみたいに木が生えてきて、逃げられねえんだ! そのうえ兵士がその隙間からせめて来やがって!」


ここでゲルトは嫌な予感がした。扉を開け、こっそりと周囲を伺う。


「……おい、誰かその魔法使いの杖を見たか?」

「杖ですか? なんかこう、キラキラした黄色い宝石に、緑の宝石が葉っぱみたいについてる杖ですよ。綺麗な金髪の女でしたけど、おっそろしくて逃げてきやした」


その返事を聞いた瞬間、ゲルトは荷造りもそこそこに自分の魔法の杖を持ち出した。

木の枝を模した宝石の杖? 金髪の綺麗な女?

ゲルトが知る限りその条件に合致する一番有名な魔法使いは、常磐の塔の塔主、世界樹の魔女、ソフィア・アンブロシュだ。

いったいなぜそんな大物が、魔法道具のこそ泥なんかを捕まえに来たのか? ゲルトは内心首を傾げる。

いや、そういえば最近深淵の塔にあるという魔法道具を、ダメ元で盗もうとしたんだったか。実行犯にしようとした男が死んだと聞いて、それ以降忘れていたが、まさかあれが原因で? 深淵の塔主と常磐の塔主が懇意にしているという噂は聞いたことがあるが、深淵の塔主はもう死んでいるんじゃなかったのか?

などと考えてみるものの、それどころではない。一刻も早くどこかへ飛ばなくては、と杖を振ろうとした瞬間、周囲にざっと突風が吹いた。正確には魔法の風であるそれが建物の周りを通り過ぎていった途端、ゲルトの頼みの綱である増幅の魔法道具がふっと力を失ってしまう。正確には封じられたようだったが、細かいことはどうでもいい。


「くそっ!」


悪態をつき、ゲルトはチンピラをその場に残して、自力で転移魔法を使った。

ソフィアの魔法のせいでろくに飛距離を伸ばせないが、ひとまず村の一番奥にある廃教会の中へと移動する。ここは悪党どもも居心地が悪かったのか、元々誰もいなかったために静かなものだ。

転移が難しいなら、機動力のある魔獣を呼び出し、それに乗って逃げるのがいいだろうか。頭の中でピックアップを始めたゲルトは、背後からカツンと響いた足音に振り向いた。

割れた窓から月明かりが差し込む廃教会、その扉の前に、二つの人影がある。

一人は革鎧を着けた弓兵。もう一人は、長い黒髪を月光に照らされながら靡かせる、それはそれは美しい少女だった。


「ゲルト・アンゲラーさんですね?」


月の妖精のように美しい少女にあっけにとられたゲルトへ、鈴のような声がかけられる。


「はじめまして。私は深淵の塔の塔主、七海千尋と申します。どうぞお見知りおきを」


にっこり微笑む美少女は、場違いなほど優雅なお辞儀をした。



「弓兵の配置は終わったな? 斉射が終わったら木の陰にしっかり身を隠して次の弓を番えろ。……三、二、一、撃て!」

「歩兵、前へ! 二対一以上で相手をしろ! 逃げるものには構わなくて良い!」


アジト内の人員配置を的確に把握し攻めてくる兵士達に、密輸組織のチンピラ一同は哀れに逃げ惑っていた。

どこに行ってもまるでどこからか見えない誰かに監視されているかのように、ぐるりと兵士に回り込まれる。運良くそれを振り切っても、廃村を囲む奇妙な木々が行く手を阻む。しかもその木は兵士が通ったり弓を射かけるときだけ、都合良く隙間が空くのだ。

犯罪者にとって暴力というのは、手段のひとつではあるが専門ではない。しかし兵士にとって対人戦は訓練を受けて行う専門業務だ。戦力の差は明らかだった。

しかも、一番堅固な建物に捕らえていた魔獣たちが全て脱走し、逃げるだけならまだしも時に牙をむいてくるのだからたまらない。噛みつかれるのも恐ろしいが、ゾウに似た魔獣の側にいたチンピラなどは、鼻で転ばされて顔の上に座られ肛門へ頭がめり込み気絶していた。あまりにも恐ろしすぎた。さすがに目撃したチンピラたちは泣いて逃げた。頭や首が潰れなかっただけマシなどと考えられるほどには、彼らは前向きに人生を生きていない。

すれ違ったリスに似た魔獣に「お前の父親は無精子症」とエグめの暴言を吐かれたチンピラAは、泣きながらゲルトが使っている廃屋へと走って行く。この常軌を逸した事態にも、魔法使いなら対応できるのではと一縷の望みをかけたからだ。なおよい子の皆さんは犯罪者相手でもこのような罵倒をするのはやめましょう。

その扉の前には既に数人のチンピラがたむろしていた。が、その誰もが迷子の子供のように頼りなくウロウロしている。

チンピラAはチンピラBに話しかけた。


「なあ、先生は……?」

「わからねえ、どっか行っちまったらしい……」


しょぼくれた声で話すチンピラ達の元に、今度はチンピラCが駆け寄ってくる。


「おい! ボスが捕まっちまったらしいぜ! 先生は!?」

「いねえよ。もう逃げちまったのかな……」


がっくりと肩を落とすチンピラ達の中で、ふと一人のチンピラがはっと顔を上げた。


「そうだ、あっちの廃教会のほうはどうだ? 誰も使ってなかったから、ひょっとしてまだ兵士が少ないかもしれねえ」


チンピラDの思いつきに、だいたいAからKくらいまでいそうなチンピラたちは顔を見合わせた。どこからともなく現れる兵士達ではあるものの、なんとなくそっちならいないかもしれない。そうかもしれない。

特に根拠のない話ではあるものの、チンピラ達はその案に縋ることにした。ここに来るまでの間に大体全員が暴言リスに泣かされていたので、メンタルが弱っていたのも判断の雑さの原因だろう。

どたどたと廃教会に向かって駆け出したチンピラ達は、たしかにそちらに人が少ないと気付く。さては本当にこっちが包囲の穴だったか、と喜んだのもつかの間。教会が建つ小さな丘の麓に、二人の人影が月の光を背負って現れた。

片方は長剣を腰に差した金髪の騎士。もう片方は、黒衣を身に纏い細身の双剣を逆手に握った少女だった。

金髪のほうはチンピラ達が迫ってくるのも気にせず、少女へ心配の視線を向けている。


「ユーリア殿、やはり接近戦ではなく魔法での援護のほうがよいのでは……」

「いえ、ルードヴィヒさん。作戦に手を貸す魔法使いはソフィア師匠のみと決めましたから。ある程度戦力を絞らなければ、チヒロの作戦の良さをアピールできません。そのためにステラさんも参加していないのですし」


チンピラ達はその会話を頭にハテナを浮かべて聞く。彼らは与り知らぬことではあるが、塔主への緊急就任のためにチヒロの優秀さを見せつけるのなら、戦力が過剰ではいけない、という方針の結果がこの配置だった。今回ユーリアは魔法使いとしてではなく、チンピラ捕縛のためのいち兵力としてこの場に参加しているのだ。つまり、そうして問題ないだけの実力がある。

そんなことは知らないチンピラたちは、若い可愛い女を見かけたチンピラの条件反射として、下卑た笑みを浮かべた。


「おいおい、こんな場所にお嬢ちゃんが何の用だ?」

「へへへ、その兄さんの後ろに隠れてなくて良いのかい?」

「ひっひっひ、こいつを人質にして逃げようぜ! あとで売っぱらっちまえばカネにもなる!」


百点満点のチンピラ仕草をするチンピラA~Cに、ユーリアとルートヴィヒがゆるりと顔を向ける。

それまできりりとした無表情でいたユーリアが、その可憐な唇をニッとつり上げた。


「兄さんら、悪いことは言わねえよ。さっさと回れ右して兵士さんたちに挨拶しに行きな」


先程までは深窓の令嬢じみていたユーリアの雰囲気が、がらりと変わる。チンピラ達を見下す目つきも、片頬を歪める皮肉な笑みも、片手の中でくるりと短剣を回すその仕草も、妹弟子には一度も見せたことのないものだ。目の前のあまりにも格下の相手へ向けられるのは、ただただ哀れみだけである。

いっぽう、ルートヴィヒはユーリアに比べてもう少々物騒な変化を露わにしていた。


「いま発言した者は誰だ」


普段は気さくで陽気で品の良い声が、がちりと凍り付いた雪中の鉄扉のように冷え切っている。月光を背にした表情は暗く、影になった顔から表情は窺えない。しかしその目がチンピラどもを見据えていることは、ぞわりと泡立つような気配だけでも察せられた。


「剣を持つ身とはいえ、このような年若い娘を人質にし、あまつさえ売り飛ばすと言ったか?」


チンピラどもが息をするように自然に放った言葉に、ルートヴィヒは腹の底から怒っていた。どこまでも真っ直ぐで正義感に溢れ、周囲の人間を守るのは当然の事と思っている男にとって、彼らの軽率な暴言は完全に地雷だったのだ。

突然の豹変に驚きはしたものの、チンピラ達とて引く気はない。数ではこちらが完全に勝っているからだ。


「おう、だったらどうしたぁ? こっちは十人以上いるんだ、たった二人でなにができるってんだ」

「兄ちゃんはせいぜい、その嬢ちゃんが俺達に攫われるのを、指をくわえて見てな!」


なおも挑発をする無謀な男どもに、ルートヴィヒはすらりと剣を抜いた。冴え冴えとした刃に反射した月光が、剣に劣らず冷え切った瞳にかかる。


「万死に値する」


地獄の底から聞こえるような低い声の後、一番近くにいたチンピラの腕が長剣の一閃であっけなく飛んだ。放物線を描く自分の腕に目を見開いている男の横を、黒い影が通り抜けていく。真っ先に逃げ出そうと走り出した最後尾の男を軽々と追い抜き、ユーリアは男の足の腱を切り裂いた。

それを皮切りに、必死に己の武器を振り上げたチンピラどもは、瞬く間に切り倒されていく。逃げる逃げないに関係はない。上がる悲鳴と血しぶきに眉ひとつ動かさず、二人はその場でチンピラどもを悉く切り伏せた。

一応、即死した人間は居ない。全員動けないような怪我ではあるが、手当をすれば一命は取り留めるだろう。

これは人道的な措置というより、死ねば弔われることもなく呪いの森に引き寄せられかねない彼らが、千尋の仕事を無駄に増やすのを嫌ってのことだ。


「ま、うちの可愛い妹弟子のためなんでな。それにここで倒されておいたほうが、身のためさ」


肩をすくめてそう言うユーリアの向こう、丘の上に出ていた月は、ゆっくりと暗雲にその身を隠し始めていた。



弓兵一人を従えた少女に最初はあっけにとられたゲルトは、すぐに気を取り直した。

少女が持っている杖は、修行中の魔法使いが渡される白木の杖だ。

どうやら自分は見習いと一般人相手で十分だと思われているらしい。頭にくる話ではあるが、これはチャンスだとゲルトは気を取り直す。

いや、待てよ。この少女は深淵の塔の塔主だと名乗ったのだ。見習いが塔主になるなど、聞いたことが無い。たとえそれがかの悪名高い悪霊吸引クソ忌み地こと深淵の塔であろうともだ。いやいや、その深淵の塔だからこそ、そんな意味不明なことになっているのだろうか?

疑問ではあるが、どうしてそうなったの? とフランクに話しかけられるような状況でもない。ゲルトは杖を掲げてフンと鼻を鳴らした。


「たかが見習いに捕縛を任せるとは、見くびられたものだな! たとえ魔法道具を封じられようが、負けるはずもない!」


やれやれ、と首を横に振り、侮蔑も露わな視線を突き刺されようとも、千尋は礼儀正しい微笑みを崩さない。それどころかこっくりと頷いた。


「確かに、まだ見習いに過ぎない私が魔法使いの貴方に勝つだなんて、難しいことです。けれど、一人で戦うわけではありません」


確かに言い返す少女の後ろには、弓兵が控えている。しかし後衛一人雇ったところで、なんになると思っているのか。そう言ってやろうとゲルトが口を開き、しかしふと違和感を感じてそれを止めた。


「な、なんだ……?」


割れた窓から差し込んでいた月光が、にわかに空を覆い始めた暗雲にかき消され、ゆっくりと消えていく。

いや、それは雲などではなかった。どろりと重たく濁った色をした霧が教会を覆い、月の光を遮っているのだ。おわかりだろう。そう、泣く子も黙る呪いの森在住、悪霊集団の襲来である。

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