38話 なんかこの変態の木、おかしくない?
「さて、ついたぞ」
大神の背中に揺られることしばらくの後、俺達を乗せてくれていた大神が突如として足を止めた。だが、目的地に着いたはずであるのに、周りに生き物が住んでいると言ったような様子は全く見られない。目の前に広がるのは、今までと変わらないうっそうと茂った木々だけであり、俺は、大神の「ついた」という言葉を全く理解できずにいたのだ。
「ついたって…… 周りには木しかないけど……」
大神の背から降りた俺は、ここまで俺達を運んでくれた大神へと話しかけた。一瞬、罠かとも思ったが、俺達を襲ってくるような素振りも見られなかったし、どうやら嘘をついているというわけでもなさそうである。
「ヤキネは警戒心が強い奴でな。自らの家に簡単に近づかれないよう、家の周りを「囚われの木」と呼ばれる植物で囲んでいるんだ。住処を知らなければ絶対にたどり着くことは出来ないというわけだ」
「囚われの木? 私、文献で読んだことがあります! 動くものを標的にする、世界でも珍しい動く植物で、一度捕まえた生き物は、息絶えるまで決して話すことはないという伝説の植物です…… まさか本当に実在していただなんて……」
ナーシェの言葉に、ルカやテオの表情が一気に固まる。思っていたよりも一回りも二回りも物騒な植物であるようで、俺もつい戸惑ってしまった。だが、冷静に考えればヤキネがここに住んでいるという以上、抜けるための方法はあると言うことである。
「なるほど……? じゃあここからヤキネの家にたどり着くにはどうしたらいいの?」
「そんなに恐れることはない。大人しくしていれば、勝手に木々が運んでくれる。反対に暴れるような素振りを見せようものなら…… その女の説明の通りだな。ヤキネからのちょっとした歓迎という所だな」
「ちょっとしたどころじゃないけどね…… とんだ歓迎だよ…… 全く……」
「先に俺が抜ける。同じように着いてくると良い。どんなことがあっても慌てるなよ。大人しくすると言うことを忘れるな」
2匹いた大神のうち、一匹が先に目の前に広がる木々へと近づいていく。大神が木々に近づくと、先ほどまで動くような素振りがなかった木がざわざわと揺れだし、そして、凄まじいスピードで、大神の周りに木の枝がまとわりついていった。
そのまま、動く枝は大神の巨体をすっぽりと包み込み、大神を包んだ植物の球体は森の奥の方へと動きながら消えていった。なかなかに衝撃的な光景に、俺達も完全に言葉を失ってしまった。「慌てなければ大丈夫」とは言われたものの、仕組みを知らなければ絶対に暴れていただろうし、仕組みを聞かされた今でも冷静を保っていられるような気は全くしなかった。そして、残ったもう一匹の大神が、ただ1人平然とした様子で、立ちすくんでいた俺達へと声をかけてきた。
「まあ、そういうわけだな。誰から行くんだ?」
「……俺から行く」
真っ先に声を上げたのはルートである。一歩、また一歩と先ほど大神が植物に包み込まれたポイントへと近づいていくルート。大丈夫だという大神の言葉を聞いてはいたが、言葉ではわかっていても、それでも、俺達の間には緊張が走っていた。
そして、奥まで行ったルートの身体の周りに、先ほどと同じように植物がまとわりついていった。こちらを振り返りながらぽつりと呟くルート。
「先に行って待っているぞ」
その言葉と同時に、ルートの身体は完全に植物に囲まれ、先ほどの大神と同じように、森の奥へと姿を消していった。そして、残された俺達もいつまでもここで躊躇しているわけにはいかない。
「……次は私が行く」
大人しくしていれば大丈夫。大人しくしていれば大丈夫。そう心の中で何度も繰り返しながら、一歩また一歩と木々に向かって足を進める。そして、目の前に立ちはだかっていた木々の目の前にたどり着いた瞬間、周りの森がざわつくのを肌で感じた。
――来る……!
一気に自分の身体に向かってまとわりついてくる枝。思わず動きそうになってしまうが、先ほどの大神の言葉を頭の中で反芻し、何とか心を落ち着かせる。肌に枝が触れてくる感覚が走る。こちらの様子を伺うように、肌の上を走る枝。それでも、心を乱さないように、深く呼吸をしながら、俺は冷静を保とうとしていた。
気が付けば、身体の周りは枝に完全に包まれ、もう周りに広がっていた森の風景も見えなくなっていた。見えるのは幾重にも重なった木々の枝のみ。うねうねと動く大量の木の枝を見ているとつい発狂してしまいそうになったが、それでもなお、平静を保とうと、目を瞑り、呼吸をすることだけに集中する。
――慌てるな。冷静を保つんだ…… 冷静を……
必死に冷静を保とうと、自分に言い聞かせるように心の中で何度もその言葉を繰り返す俺。だが、そんな俺の心理状態をあざ笑うかのように、まとわりついてくる木々の枝。肌に触れる木々の枝の感覚に、つい身体を動かしてしまいそうになるが、必死でこらえる。
タチの悪いことに、枝はこちらを何とか暴れさせようと、肌の上を動いていく。
――おい、イーナどうなっているのじゃ。こやつの動き、妙ではないか!!
――そうだけど…… 暴れたら死ぬって……!
そう、それでもなおこちらは耐えるしかないのである。俺は必死に呼吸をすることだけに集中し、気持ちを乱さないように自らに言い聞かせ続けていた。
………………………………………
どの位の時間がたったのだろうか。木々に囲まれたまま、ぎりぎりのところで何とか平静を保っていた私は、だんだんと自らの身体の周りを囲っていた枝が数を減らしていくのに気が付いた。そして、その矢先、ふと私の耳にかすかな声が届いた。
「……ナ!」
声はだんだんと大きくなっていく。聞き覚えのある声。私の名前を呼んでいたのはルートであった。
「イーナ!」
身体の周りを纏っていた枝が数を減らしていくのにつれて、周りの風景が私の目に入ってくる。目の前にいたのはルートと、2匹の大神、そしてテオだった。どうやら、まだナーシェとルカはたどり着いていないようである。
「ずいぶん時間がかかったようだが…… 大丈夫か?」
「……うん、まあ…… 必死だったっちゃ、必死だったけど……」
心の平静を保つというのがこれほどまでに大変だったとは想像もしなかった。おそらく私よりも後に入ったはずのテオや、もう一匹の大神が先に囚われの木を抜けていたというのも、私よりも、彼らの方が平静を保てていたと言うことなのだろう。
ようやくあの狭い空間から解放され、広々とした世界に戻ってきたことに安堵した私。緊張が解けたからか、一気に身体から力が抜けていく。思わずぺたりと座り込んでしまった私の足は少しだけプルプルと震えていた。
「おい、イーナ、本当に大丈夫か?」
「うん…… 大丈夫。 ちょっと緊張しすぎてしまっただけだから……」
むしろどうして、ルート達は平然としていられるのか、そのことが私には全くわからなかった。まあ、そもそもルートについては私とは踏んでいるであろう場数が全く違うのだろうし、こんな事では動じないほどの精神力も鍛えているのだろう。
「お、ちょうどナーシェやルカもついたようだな……!」
ルートが視線を送った先には、2つの枝に囲まれた球体が森の奥から現れたのだ。そして、だんだんと数を減らしていく枝。奥にはナーシェとルカの姿が見える。どうやら皆無事に、ヤキネの歓迎もとい悪趣味な洗礼を抜けられたようで、一安心である。
例によってナーシェもルカも、すっかり疲れ切ってしまっているような様子であるが…… まあ、暴れれば死ぬと言われていて、尚且つ身体の周りを木々に囲まれているような状況で、平静を保ちつつづけるというのはそう容易な事ではないだろう。
そして、囚われの木による歓迎を乗り越えたことを安堵していた私達の元に、近づいてきた一匹の大神の姿があった。私達と共にいた大神よりも遙かに強力な魔力を放つその大神の正体は、一目見ただけで明らかであった。四傑の1人とされる、ヤキネである。




