129話 わたしのねがい
「さて、せっかくの私の復活の時だ。少しばかり愉しませてもらおうじゃないか!」
少女が、かつて自らの仲間であったヴェネーフィクスの面々に向けて手を向ける。そして、少女の口元が静かに動く。
「闇の術式:黒球……」
少女の手の先に生成される黒い塊。大量の魔力がうねるように、集まったその黒い玉を前に、ルートは焦る。
――まずい!
自らの相棒、大剣を手に皆の前に立ちはだかったルート。同時に、少女の手元から、大量の魔力が渦巻いた黒い玉が発射された。
「光の術式! 光壁!」
アレクサンドラの声と共に、ルートの前に再び生成された光の壁。だが、少女の放った黒球は、光の壁を突き破り、そして、身の丈ほどもある大剣で防御態勢を取ったルートへと命中した。
「ぐあっ!」
爆音と共に、ルートの身体が宙を舞う。そのまま仲間達の後方へと吹き飛ばされたルート。
「イーナ~~ そろそろ、ふざけた冗談も終わりにしてよね~~」
たった今攻撃を放った少女に向けて、アマツが飛びかかろうとする。だが、その奇襲にも焦ることなく、今度は少女は近づこうとしてきたアマツに向けて、小さな手の平を向けた。
「近づこうとしても無駄だ!」
まるで見えない壁に跳ね返されたかのように、アマツの身体も宙を舞う。そのまま勢いで後方へと思いっきり吹き飛ばされたアマツ。
「炎の術式! 紅炎!」
間髪入れず、ルカが少女へと向けてはなった、炎の魔法。少女はここでも慌てる素振りもなく、ゆっくりと自らの手を上げる。
「闇の術式:黒盾」
少女の身体を覆うように黒い物体が生成する。ルカの放った炎の術式は、その黒い盾に衝突し、そして消滅した。
「無駄だ、私のこの闇の魔法の前には、いかなる魔法も無力……」
「うおおおお!」
起き上がったルートが、少女へと向けて剣を構えながら突っ込んでいく。だが、ルートは少女に近づくことも出来なかった。アマツの時と同じように、見えない壁に跳ね返されたルート。
それからも、何度だって試した。何か、通用する術はないものかと。何度だって試した。一番大切な人を助けられないかと。だが、闇の力を手にした少女を前にしては、ヴェネーフィクスのメンバー、そしてアマツも、アレクサンドラも、誰もが無力に等しかった。
既に、ルートも、アマツも、そしてアレクサンドラも、少女の闇魔法を前に、その身はボロボロであった。近づく暇すら与えてくれない。闇魔法を防ぐのに精一杯、そして、こちらから魔法で反撃しようにも、あの『黒盾』とかいう魔法で、遮られてしまう。
「ここまでとは……!」
何とか立ち上がろうとしたルート。だが、ルートももう限界に近かった。立ち上がろうとした瞬間、ふらついたルートは、何とか自らの剣で、身体を支える。
そんな、かつての仲間達の姿をあざ笑うような目で見ていた少女は、彼らに向けて口を開く。
「……これでも、全盛期の一割にもみたぬ力だというのに…… もうおしまいか! つまらん…… もう、遊びは終わりだ。まずは…… 憎き九尾の子孫のお前から……!」
少女の攻撃の矛先はルカだった。持てる魔力を出し尽くしかけていたルカ。そんなルカに向けて、少女が近づいていく。
「ルカ!」
「ルカちゃん!」
――イーナ様……
もうルカの身体も限界に近かった。魔法も満足に練られない。全ての力を出し尽くしたルカに出来たことは、アレナ聖教国に来る前、武器屋であるヴェインに作ってもらった、短剣を構えることだけだった。
「……ほう! そんなおもちゃのような剣で、私を仕留めるつもりか!」
自らに向けられた短剣を見た少女は、嘲笑にも似た笑顔を浮かべる。それでもなお、ルカは、震える足で、しっかりと地面に立ち、そして、力を込めて自らの武器を握りしめていた。
――おもちゃなんかじゃない! これは…… これは……!
………………………………………
…
……
「ルカ、こんな武器がいいとか…… 要望はあるか?」
「うーん…… あ! 私! イーナ様と同じ武器が良い!」
それは、賢者の谷での任務を終えて、魔鉱晶石の流通ルートを確保した後のことであった。当初の約束通り、ヴェネーフィクスのメンバー達の武器を作ってくれると言ったヴェイン。ヴェインはまだ武器を持っていなかったルカやテオに、どんな武器がいいか希望を聞いていたのだ。
「双剣か……。アレは…… ルカ、お前には少し扱いづらいと思うぞ……」
「えー! でもイーナ様の武器かっこいいもん!」
「……よし、わかった! だったら、見た目だけは似せて作ろう! 剣がいいんだよな? 任せとけ!」
「うん!!」
………………………………………
ヴェインから初めての武器を渡されたときは、涙が出そうなほどに嬉しかった。もちろんテオとお揃いだったのも嬉しかったし、何よりも、憧れのイーナ様に少しだけ近づけたような気がして…… だから私は、ずっとこの短剣を宝物のように、常に身につけていた。
それを…… それを…… おもちゃだなんて……
「イーナ様を返して!」
短剣を構えたままルカは少女へと突っ込んでいく。もはやそれはただの悪あがきにも等しかった。
「……やけになったか」
少女は全く慌てる素振りも見せずに、冷静に、自らへと向かってきた少女に向けて手を上げる。
――あの程度の攻撃…… 跳ね返すまでもない。
「黒盾!」
再び、少女の前に生成された黒い盾。余裕の笑みを受かべる少女。そして、ルカの構えた短剣が、少女を覆う黒い盾と交わったとき、少女にとって想定外のことが起こったのだ。
「なにっ!?」
ルカの短剣があたった黒い盾は、交錯したその場所から、塵と化すように、そのまま音もなく消滅していったのだ。想定外の出来事に取り乱した様子を見せた少女。少女は慌てて自らの左手を、ルカへと向ける。
「イーナ様を! イーナ様を!」
――間に合わない……!?
そして、ルカの短剣が少女の左の手の平へと突き刺さる。その瞬間、少女の身体に、今まで感じたこともないような激しい痛みが走ったのだ。
――何だ…… 何がどうなっている!?
まるで、手の平の傷口から、何かが流れ込んでくるような感覚。何者かの負の感情が、身体の血液に、そして神経に乗って、体中を巡る。
――憎い…… 許さない……
そんな幻聴が少女の頭の中に響き渡る。
――何だ…… 何が! 何が起こっている!? 身体に…… 力が…… 入らない……!?
「効いてる!?」
突然に苦しみだしたような少女を前に、ナーシェが声を上げる。その場にいた誰もが、圧倒的な力を持った目の前の存在に絶望を抱いていた。だが、その瞬間、絶望は少しだけ希望へと変わったのだ。
次第に、少女が纏っていたおどろおどろしいオーラが、少しずつおさまっていく。力なくその場にぺたりと座り込んだルカ。そんなルカを見下ろしていた少女の視線は、以前の優しい少女の視線へと戻っていた。
「……ごめんね、ルカ…」
………………………………………
「イーナ様!」
私へと抱きついてきたルカ。私もルカを優しく抱きしめ返した。
私が困ったとき…… どうにもならないと心が折れそうになった時、そんなとき、いつだって私のことを信じて支えてくれたルカ。そんなルカの存在は私にとってかけがえのないものなのだ。今回だって、ルカのお陰で、こうしてあいつを押さえることが出来たのだから。
だけど、そう長くは持たないだろう。すぐに、またあいつが私を支配してくるのは目に見えている。時間が無い。
――サクヤ、ごめんね。
――良いのじゃ、こうするしかない。それに、わらわとそちは、いつだって一緒に生きてきたではないか。ならば……
「おい! イーナ!」
珍しく冷静を失ったルートが、既にボロボロになった身体で、私達の元へと駆け寄ってくる。連れて、近づいてくる仲間達。
……ああ、私はなんて幸せ者なんだろうか。そう、かみしめる。
そして、私はその瞬間、決意した。私の願いをルートに託そうと。それに、ルートなら…… 私もルートに頼めるなら、なにも悔いは無い。
「ルート…… 頼みがあるんだ。きっとルートにしか…… できないこと」
もうルートも私が何を言いたいのかわかっているようだった。そして、ルートが珍しく取り乱したように声を上げる。
「まさか…… やめろ……! やめろ! イーナ!」
「……私を…… 私を殺して欲しいんだ、ルート」




