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妹が恋人になりました。  作者: 蒼龍 葵
ー弘樹 論文発表会編ー
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第二十五話「食えない女」

 バスを乗り継ぎ、家に着くまでの間、俺と雪は会話らしい会話が無かった。

 あの麻衣ちゃんの姿を見て、お互い何かを感じていたのかも知れない。

 いつもは口数の多い雪がこんなにもしおらしい姿を見せるなんて珍しい。

 家に到着して、玄関に入った瞬間、雪はドアに背中をつけたまま立ち止まっていた。


「雪?」

「ひろちゃんは、どっか行かないよね?」


 俺には雪が感じている不安の意味が分からなかった。

 昔から雪は言葉が足りなくて、しかもその表情からも真意を読み取るのが難しい。

 靴を脱いだ俺はゆっくりと玄関で佇んでいる雪に近づき、その細い身体をしっかり抱きしめた。


「何処も行かないよ。そんな不安そうな顔するな」

「……うん」


 しっかりした仕事について、雪を守れるようになってから俺は雪と正式に結婚したいと思っている。

 それは、あまりにも遅いのだろうか。

 彼女をここまで不安にさせたくはないのだが、どうも俺は行動が遅い所為で誤解されがちだ。


 まだ不安そうな表情を見せる雪の顎を掴み、上を向かせる。


「雪、しっかりこっち見て」

「うん……」


 触れるだけのキスを落とし、雪をさらにきつく抱きしめる。

 きゅっと眸を閉じた雪もおずおずと俺の背中に手を回してきたので、自然と重なる唇は深くなった。




*************************************************




 ――論文発表会――


 年に1回開催される大学4年生の一大イベントだ。

 論文は支持している教授とそのチームメンバーと共に約1年間かけて作成。そして実習等も自分達で企画して病院に行かせて頂くという特殊なシステムを流用している。

 お陰で海外研修の論文を発表するチームや、地方と都心の医療現場の違いや、薬や副作用等皆発表内容は様々だ。

 このイベントの一番の報酬は、最優秀賞に選ばれるとチームへ100万円の賞金とトロフィーが与えられる。


 講堂に集まっていた観客は1000人以上を超えていた。もはや小ホールでの発表レベルだ。

 あまりの人の数に、嶋さんと寺内さんは緊張しきっていた。


「うぅ~緊張するっ。ってか、何でこんなに今年人多いの?」

「そりゃあ7班の海外研修とか、9班の地方と都心の医療現場の違いとか?面白いネタ多いもんな今年」

「うちらだって先進国と現状日本の薬の効果・副作用と今後の展望についてよ?なかなか興味惹かれない?」

「まぁ、そりゃあいい内容だと思うよ?溝口教授に何十回論文突き返されたか」


 論文が纏まらず、何度も教授との一夜を過ごしていた森田は、辛い過去を思い出してこめかみを押さえていた。


「いよいよね、弘樹君」

「よろしく、嶋さん。みんなのお陰でいいものが出来たと思うよ?」


 俺の声に仲間達がこくりと頷く。次の出番の前にステージ裏で控えながら、俺達は小さな円陣を作り、気合いを入れた。


『ありがとうございました。次は6班・薬剤部4年、発表、雨宮弘樹、スライド、嶋由紀奈……演題は――』


 司会の紹介と共に、俺は緊張しきっている嶋さんの背中をトンと叩いて気合いを入れる。

 力強く頷いた彼女と共に演題に上がる。何度も何度も練習してきたこの舞台。必ず結果を残す。


「はじめに、我が国日本は先進国と薬について……」


 10分の発表は何のトラブルもなく終了し、質問は想定内のものだった。

 外部の来賓からは興味深い、海外との抗癌剤の効果、データの比較と今後日本での導入についての質問があったものの、俺は消えてしまったデータの殆どを網羅していたので、特に恐れることなく淡々とデータを説明した。

 あまりにも落ち着いたその発表に会場から多少のどよめきが起きたくらいだ。

 嶋さんも自分が雪を使って消したデータを、俺が完璧に把握しているとは思っていなかったらしい。

 驚愕に目を丸くしながら、彼女はじっと俺を見つめていた。



「お疲れ弘樹っ!すっごい良かった~。あれじゃあ皆が弘樹に惚れるのも分かるね」


 寺内さんの率直な感想と少し上気した頬を見た森田は少しだけ悔しそうに舌打ちをしていた。

 俺はそんな二人の様子に苦笑しながらお疲れ、と声をかける。


「はぁ…緊張した」


 漸く終わった発表にほっと胸を撫で下ろし、発表チームの席に座った。

 雪の姿を探したかったのだが、とても人が多すぎて見えるわけがない。

 残りの6班の発表を聞きながら俺達は最後に理事長の話を聞き、論文発表会は終了となった。


 30分の休憩の後、閉会の式と優秀賞と最優秀賞が発表となる。

 休憩時間の間俺はぼんやりと椅子に座ったまま待機していたが、その姿を目ざとく見つけた法学部の三好さんがニヤニヤと笑いながらこちらに近づいてきた。


「弘樹君~。良かったよぉ?論文!まさか、アーサー博士のデータあんなに詰めてるなんて感動しちゃった」

「三好さん、法学なのに興味ありなんですか?」

「うん。あの人って研究がかなりストイックよね。まっ、私の場合は兄さんがアメリカの方で医者やってるからそれでね」


 三好さんの家は医者と教師、弁護士が揃うエリート一家だ。成程、確かに貪欲な知識がどこからでも飛んで来そうだ。

 しかし、彼女の視線は明らかにアーサー博士や俺達の論文について話をしたい様子では無かったので、俺は出来ればこの場から立ち去りたかった。

 だからと言って、彼女は同じテニス愛好会のメンバーなので、あまり邪慳にも出来ない。


「――それが本題じゃないですよね?」

「あら?やっぱり王子の目は騙せないか」


 ぺろっと舌を出した三宅さんは、楽しそうにアーサー博士について語っていた表情から、仕事モードのような真面目な顔へと変わった。

 目をゆっくりと細めながら、その唇が何かを呟く。


 三宅君と、喧嘩したんでしょう?


 やはり情報の早い法学部。俺は黙ってても仕方がないと思い、小さく頷いた。

 その反応に満足したのか、彼女の口角がつりあがる。


「へぇ、弘樹君が人を殴るなんて。――で、誰?女でしょ?喧嘩の原因」


 テーブルに肘をついてにこにことこちらの真意を探ってくる彼女の目はただの好奇心だけではない。

 今後の仕事に生かす為に、人の深層心理を探っているのだ。

 なかなか食えない女だと思いながら、俺は椅子に深く腰掛けて彼女からわざと視線を逸らす。

 二人の不穏な空気をいち早く悟った寺内さんが、弘樹~と叫びながら席に戻ってきた。

 救世主の登場に俺も寺内さんに笑みを返す。


「あっ、三好さん~?ダメよ勝手にこの席座らないでちょーだい?」

「もうっ冷たいなぁ寺内サン。――じゃあね?弘樹君。またサークルで」


 ひらりと手を振って意味深な笑みを浮かべて去った彼女に、とりあえず手を振り返す。

 その姿が見えなくなったところで俺は寺内さんにありがとうと頭を下げた。


「……本当、食えない女よねアイツ。弘樹のこと狙う気満々の顔じゃん。あの女肉食だから気を付けなよ?」

「肝に銘じておきます」


 寺内さんに救ってもらえたことに安堵したのも束の間で、俺と寺内さんが結果待ちの間二人で過ごして居る姿を遠目で見ていた森田が、何処となく寂しそうな顔をしていた。

 さらに少し待っていると講堂がざわつき始める。いよいよ発表の瞬間だった。

 壇上にはトロフィーと賞金の入った封筒が用意される。それだけで生徒達のテンションは急上昇していた。

 ざわつく会場を諫める為に再び司会が何か話をしている。理事長が再度壇上に上がった瞬間、会場は再び静寂に包まれた。


『えーそれでは発表します。優秀賞――……』


 2つの論文が優秀賞として発表され、どちらも好評価を得られていた。俺達は手を握りしめながら最後の最優秀賞の発表を待つ。


『最優秀賞――薬剤部4年、6班!』


 会場が一気にどよめく。俺達は自分達が呼ばれたことに一瞬気が付かなくて周囲から背中を叩かれて漸く現実を受け止めた。


「弘樹、行きな!」

「やったねっ!!」


 俺は森田に背中を押されて再び壇上に上がる。理事長からトロフィーと賞金を受け取り、この場で見てるであろう雪に向けてそれを大きく掲げた。

 大歓声のうちに発表会は無事終了し、講評としては質問に対しての詳細なデータ分析と、根拠に基づいた適格な内容であること、今後の展望・医療の発展に向けて大いに期待できる内容であると夢のような評価を得た。

 これも全てみんなで苦労しながらデータを集め、泣きながら何度も論文を突き返されては立ち向かった日々のお陰だ。

 戻ってきた俺を迎えてくれた仲間達はみんな号泣していた。


「おい、田嶋酷い顔だぞ」

「うるへえ~!森田だって酷いぞ」

「んなことねぇぞ!俺は泣いてないんだからな」



 まさかの、最優秀賞を授与した薬剤部4年・6班チーム。

 こうして、俺の大学4年生の論文発表会は終わりを迎えた。

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