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妹が恋人になりました。  作者: 蒼龍 葵
ー弘樹 論文発表会編ー
14/26

第十四話「恋の挑戦状」

『うぅ……ぐすっ』


 真っ暗な空間で雪が泣いている。一体どうしたんだろう――?

 その横から手を伸ばしたのは俺の手ではなく、三宅君。

 待て…雪……?どうして――……どうして三宅君と――?


「――雪っ!?」

「わっ……」


 がばっと起き上がった瞬間、驚いている嶋さんと目が合い、ここは自分の家ではないことを思い出した。

 俺は寝ぼけて雪の名前を大声で呼んでしまったことに赤面しながらごめん…と呟く。

 疲れてるのね、と笑いながら発表原稿と、それに付随するスライドのコピーを俺に渡してくれる。


「弘樹君、疲れてたみたいだから纏めておいたよ。後は、その黄色いマーカーの所質問来ると思うから、明日にでも考えましょう?」

「あ、あぁ……ごめんね嶋さん……って、うわぁ…俺1時間も寝てたのか…本当ごめん」


 彼女でもないのに、一人暮らしの女性の家で堂々と寝てしまうなんて不覚すぎる……

 もう本当に穴があったら入りたい気分だ。それなのに俺の醜態を咎めるでもなく、嶋さんはまだクスクスと楽しそうに笑っていた。


「いいって、いいって。弘樹君帰れる?」

「大丈夫。なんか頭ぼーっとしてたの治ったし。また明日」


 玄関まで見送ってもらいながら、俺は嶋さんと何の話をしていたのか記憶が朧げで欠落していることが気がかりだった。

 ――そうだ、テニスコートの近くでキスをしてきたことを聞いたんだ。

 でも、彼女が何と言っていたのか殆ど覚えていない……だからと言って、もう一度聞くのも気が引ける。

 俺は小さくため息をつきながら、まぁいいやと自分の中で消化して駅の方へと足を向けた。




*************************************************




「ただいま……」


 玄関で靴を脱ぐと、雪以外の女性の靴を発見する。

 そうだ、今日は麻衣ちゃんが泊まりに来てたんだっけ。まだ早い時間だから挨拶だけでもしておこうと俺はゆっくりと階段を上る。

 何故か俺の部屋の電気がついていたので、訝し気に思いながらもドアを開ける。


「ただいま?」

「ひ、ひろちゃ……」


 俺の顔を見るや否や、雪の表情が一気に曇った。眉尻は下がり、恐怖に怯えているようにすら見える。

 一体何があったのか状況が分からない俺は雪をただ静かに抱きしめている麻衣ちゃんの方を見るが、彼女も首を振るだけだった。


「雪……一体どうした?」

「ひ、ひろちゃん……ユキ、ユキ……」


 喉の奥がひっついたようにうまく声が出ない。雪は鼻をぐずぐずさせながら俺の胸に飛び込んできた。

 いつものように雪の背中を優しく擦る。それでも雪は泣き止むことなく小さく震えていた。

 どうしたのだろう、と思いふと視線をパソコンに向けると、デスクトップに置いていた黄色のフォルダが消えていることに気付く。


 俺は少しだけ雪の肩を動かし、まさかと思いながらパソコンを操作する。

 ゴミ箱からも消えた俺の論文資料――あれには今回の論文発表会で使うスライドや発表原稿、それに皆で考えた質疑応答の内容が全て入っていた。

 あれが無ければすべて1からやり直しになってしまう。あと5日しかないのにこの大失態……

 俺は無言で頭を抱えた……こんなこと、一体誰が……。


「ひ、ひろちゃん……ユキね……言わ、れて……」

「――いいよ、もう」


 俺は小さなため息をつくと震えている雪をもう一度強く抱きしめた。

 こんなにも雪が泣いている。雪は正直で騙されやすい子だ……絶対に自分から俺を貶めるような行動は取らない。

 それだけは、俺と雪の間にある昔からの絶大な信頼関係だ。

 誰が雪をこんなにも深く傷つけた……俺は自分の軽率な行動で雪を何度も泣かしていることが辛かった。

 ごめんな…と抱きしめていると、同じく部屋で佇んでいた麻衣ちゃんがお邪魔しましたと小さく笑い、雪の肩をぽんと叩いた。


「雪ちゃん、私今晩雪ちゃんのベッド借りるから。弘樹さん、どうぞ雪とゆっくり朝までお休みくださいね」

「ま、麻衣ちゃん!?」


 俺はまだ泣いている雪が心配だったので、それを訂正することも出来ず、麻衣ちゃんは手を振ると俺の部屋から出て行ってしまった。

 二人きりになったので、俺は雪の顎を掴み上を向かせる。真っ赤になった目尻の涙を指の腹で拭い、額にそっとキスを落とす。


「――雪。気にするな。あんなのは誰かがバックアップ取ってるもんだし、明日嶋さんとこでデータまたもらってくるよ」

「……ごめんね…ひろちゃん……」


 嶋さんの名前を出した瞬間、雪の身体がびくりと動いた。――酔っぱらった醜態を見せた経緯もあるので、俺も迂闊だったと思う。

 雪の頬にちゅっと音を立てて口づけ、唇を離してもう一度震えている雪の顔を撫でる。


「……雪は何も心配するな。論文発表会、絶対見に来いよ?」

「うん……っ」


 えへっと嬉しそうに微笑んだ雪の唇をそっと塞ぐ。角度を変えて唇を吸い上げると雪は眉を寄せて頬を紅潮させて俺にしがみついてきた。

 ――大丈夫……もう、雪を悲しませたりなんかしたない……

 細い雪の身体を抱きながら、俺達は静かにベッドの上に移動する。

 どちらからともなく顔を近づけ、じゃれ合うように何度も甘いキスを繰り返していた。




*************************************************




 翌日――


 俺は嶋さんのところに電話し、発表原稿と質疑応答のバックアップの依頼をした。

 その間に、俺は不足してしまったデータの補充の為、再び大学へと足を向けて図書館で調べものをしていた。

 文献の裏付け資料を自分のパソコンに保存していたのだが、まさかそれまで消されるとは……


 昨日の雪は何も語らなかったが、間違いなく誰かに言われてデータを消したのだろう。

 自分の電話に発着信の履歴は残されておらず、雪に誰に強請られたのか聞こうにも、泣いてしまって話にならなかった。

 彼女が語れない相手――それは俺の関係者であることは間違いない。

 それが、テニス愛好会の人物なのか、はたまた全く関係ない人物か……。


「雨宮~。お前発表会の前に勉強?」

「あ、御岳さん……どうしたんですか、珍しいですね図書室で会うなんて」


 御岳さんはテニス愛好会の部長で、俺と雪の関係をきちんと知っている人だ。

 何やら周囲の目線を気にしていた様子で、ちょっと…と言い俺の腕を掴んで図書室から連れ出された。

 一体何事かと思い、俺は図書室の裏側で御岳さんが口を開くのをじっと待つ。


「最近さあ、雪ちゃんと何かあったか?」

「えっ……?いや、別に……どうかしました?」

 

 雪と何かあったかと訊かれても泣かしてしまっているので何となく言いにくい。

 俺が言葉を濁していると、御岳さんは頭をがりがり掻きながら三宅のことなんだけど…と口を開いた。

 しかしタイミングの悪いことに、神崎さんが物凄い形相で御岳さんと俺の間に入って来た。


「あっ…雨宮君、丁度良かった。雪音ちゃんが大変なのよ…!」

「どうしたんですか、一体何が……」

「雪音ちゃん、三宅君に最近ずっと付きまとわれてて…雨宮君の悪口ばっかり雪音ちゃんに言うから、彼女ちょっと精神的に弱ってるのよ」


 また三宅君か……俺はあまり関わりのない彼がどうして俺を毛嫌いしているのかその理由がよく解らなかった。

 別に俺を嫌いなだけなら雪まで巻き込まないで欲しい…あんなキスまでして、雪を傷つけて。

 思い出しただけで腹が立ってきた。俺は唇を噛みしめて拳にぎりっと力を込める。

 その姿を見た御岳さんが、俺の手首をぐっと掴んできた。


「……やめろ雨宮。お前がもし三宅と喧嘩になったら、お前の将来が潰されるぞ。あいつの狙いはそこなんだから」

「…………はい……」


 三宅君は怪我で将来もテニスを続けるという夢を絶たれて現在は趣味程度のサークルテニスで汗を流している。

 だからこそ、何となく上手く行っている俺のことが嫌いなのだろう。

 俺だって、今の薬剤部でここまで頑張ってきたのは努力と、雪がずっと側で支えてくれたからなのに――……


 俺は御岳さんの手を離して大丈夫です。と頷き、心配そうに来た神崎さんと一緒にテニスサークルへと足を向けた。

 少しだけコートに近づいてみると、雪が少し寂しそうな顔でベンチに座ってる。いつもだったら誰かとペアで打ち合いをしているのに今日はそれもない。

 中に入るには時間が無かったので、俺は金網の外からコートの様子を眺めていたが、その姿を遠くから見ていたらしい三宅君がくくっと笑っていた。


「あっれぇ~お忙しい雨宮先輩じゃないですか。今日はどーしたんですか?」

「……君に話があってね。俺を嫌うのは勝手だが、雪を巻き込むな」

「ふ、ははっ……兄貴面して…そうやってあちこち愛想振りまいてるトコが大嫌いなんだよ……」


 面と向かって大嫌いと言われるとある意味清々した気分になった。

 俺は出来るだけ冷静を装いながらもぎゅっと握った右手にさらに力を込める。

 殴ったらダメだ。怒りを殺せ…彼を殴ってしまったら――1年近く仲間と続けてきた論文が水の泡になる。


「三宅君が俺を嫌いになったところで俺がテニスサークルを抜ければ良い話だから構わない。雪に余計なことを吹き込むな」

「はっ。いつも雪ちゃんを泣かせてるやつが何様だよ。お前みたいな奴が兄貴で雪ちゃんは可愛そうだ……」


 ちらりと彼はぼんやりとラケットを握りながら沈んだ顔をしている雪を見つめていた。

 俺もまさか自分が居ない時に雪があんなにも寂しそうな顔をしているなんて知らなかった……


「……論文発表会で、お前が男らしいところを雪ちゃんに見せられなければ、俺は雪ちゃんをもらう」

「……え?」

「気づいていないなんて言わせねぇぞ……俺は雪ちゃんが好きだ。最初は何だこいつ?って思ったけど、あの子は純粋で、真っすぐで……」


 止めないといくらでも雪の魅力的な点を暴露しそうになっていた三宅君が妙に可愛く見えてきた。

 俺はふふっと思わず笑ってしまったが、それがまた彼を激昂させていた。顔を真っ赤にしながら俺に向けてびしっとラケットを向けてくる。


「と、とにかくっ!発表会が終わったら覚えておけよ……!」

「はいはい」


 逃げるようにコートの方へ向かっていった三宅君と正反対の方向へ俺も踵を返した。

 雪をしょんぼりさせたり、泣かせたり――

 確かに俺は雪にとっていい彼氏でも兄貴でもないだろう。

 だからと言って、この関係に終わりをつける気は全くない。


 ――突き付けられた恋の挑戦状を受けた俺は、データが消えて塞ぎ込んでいたことも忘れ、残り4日間で論文をどう締めるか考えることが楽しくなっていた。

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