思いに蓋をして、私は今を生きる。
※逆ハー少女ことヒメ・メシープル目線。
『ヒメ、愛してる』
『ずっと俺の傍に居て』
『他の男なんて見ないでよ。何で、あいつとそんな話してるの』
『ヒメは俺のでしょう。何で、何で、何で―――――!』
ずっと頭の中に残ってる。目を閉じればあの必死な声が、表情が、私の中で鮮明に思い出される。
彼は私を一心に愛してくれた。その愛が心地よかった。愛されている事が嬉しかった。私も彼が愛しくなった。
だけれども彼の愛は重かった。
友人と話しただけで、スキンシップを取っただけで優しい表情がこわばる。
彼は本気で私には自分だけでいいと思ってた。だから他の男と話さないでと言っていた。それは私には重たすぎる独占欲だった。
いつしか彼の目を見れなくなった。あの私だけを見て、冷たく光った瞳を見れなくなった。
いつしか彼の声に耳をふさぎたくなった。あのどうしようもなく独占欲を帯びた声に耳を塞いだ。
いつしか彼の手を拒んでしまうようになった。狂ったように怒りをぶつける彼の手を拒んだ。
彼が好きだった。
だけれども恐くなった。
いつしか好意よりも恐怖心の方が勝ってしまった。
彼の傍に居るのが辛くなった。怖かった。彼の愛は重すぎたのだ。
ちっぽけな私にとっては。
彼への恐怖心に私は生徒会長であったカイト達に縋った。
別れた後も彼は私に執着した。元の彼に戻ってほしかった。重すぎる愛を前面に出さない彼に。そうだったなら私はきっと―――――…。そう考えても仕方がないけれどもそう思った。
その後、私はカイトと共に他の学園に転入した。国内にある私たちが通っていた学園より1ランクレベルの低い学園に。
彼の元を去ってから彼が元通りに戻ったという噂を聞いて、私が彼を狂わせてしまったのかと胸が痛んだ。怖くて私が周りに縋り、大事にしたせいで彼が学園で浮いてしまった。それに冷静になってから罪悪感が浮かんだ。
カイトとの恋は穏やかなものだった。そりゃ嫉妬ぐらいはするけれども彼のような狂うほどの愛をぶつけてくることはなかったから。
私はカイトと共に過ごせて幸せだった。
心の奥底で彼のことが気になっていた。でもその思いに蓋をして私は今を生きていた。
あのどうしようもないほどに重い愛を忘れようと思った。あの私を呼ぶ優しい声を、幸せそうにこちらを見る顔も、その私を好きだと前面に出していた彼を忘れようと思った。
恐怖心でいっぱいになって離れたのに、離れたら離れたで幸せだった日々ばかりが頭をよぎるなんて馬鹿らしいと思った。大好きな恋人がいるのに彼のことを思い出してばかりはいけないと思った。
だから私は思いに蓋をした。
開かないような重い蓋を。
カイトと付き合いだして二年ほど、ずっと蓋をした思いが開く事はなかった。彼を思い出す事もなかった。
だけどある時、カイトが言った。
「そういえばあいつ、今あのリサ・エブレサックと付き合っているらしいぞ」
カイトは何気なく言っただけだった。
きっと彼がもう私を愛していない、だから執着されなくてすむ、安心していい。そんな風に言いたかったんだと思う。
私も安心したかった。
恐怖心がなくなったという安堵だけ感じていたかった。
だけどそんな思いよりも虚無感が勝った。
きつくしめていた蓋が開かれた。
一気に、ずっとしまいこんでいた彼との幸せだった思い出が胸一杯に広がった。
彼は優しかった。
そして彼は不器用だった。
彼は人に思いをぶつける事を躊躇っていた。
好意を前面に出した声や態度を見ると幸せだった。
傍にいればその重すぎる愛に逃げたくなるのに、恐ろしくなるのに、離れていれば幸せだった日々を思って何処か恋しくなっている。
その蓋をしていた事実に気付いて、なんて自分勝手なんだろうと自分のことが嫌になった。
彼を好きになって、彼と付き合いはじめた時、私は自分の手で彼を幸せに出来ると思っていた。それどころか周りの人全てを不幸になんかせずに生きられるのだと思ってた。
私は貴族の庶子で、それなりに大変な思いはしてきた。だけれどもそれでも私の世界は優しかったのだ。人生上手くいきすぎていた。未来を信じて疑っていなかった。
だけどずっと一緒に居たいと願った彼の傍に私は居ない。自分から離れた。彼と共に居る事を自分から放棄した。
本気で救おうと思えば、誰でも救えると思ってた。本気で相手を思っていれば、ずっと一緒に居れると思っていた。
今ならそんなのありえないってわかるのに。彼と出会ったあの学園に転入した頃の私は馬鹿みたいにそれを当たり前みたいに信じてた。
それが違うのだと知ってしまった。
だから私は今は昔のようにそれを信じられないし、私は昔と変わったと思う。
私は隣にいるカイトを見る。
あの頃の私を好きになってくれたカイトは今の私を見て、どう思っているのだろうか。自分自身で変わったと自覚出来るほどに私は変化している。そんな私の傍にカイトは居てくれる。
それだけでも私は救われた。
変わった私を周りがどう思うか、それを考えると少し怖かったのだ。
だからカイトが変わらず私に接してくれて、私を好きだといってくれて、傍にいてくれるのに安心して、それが心地よかった。
カイトが優しいから、私を受け入れてくれるから、心地よさを私に与えてくれるから私は彼に感じていた気持ちに蓋をすることができた。
カイトは優しい。私のことを守ってくれて、温かくて、だから好き。
カイトと過ごす日々は穏やかで、彼との付き合いとは違った。
彼はカイトとは違って、弱さがあった。こちらから支えなければならないような不安定さがあった。私は彼を支えたかった。それでも彼への接し方が途中でわからなくなってしまった。ちょっとしたことで独占欲をあらわにする彼に不安ばかりが募った。
不安が多かった。苦しさが多かった。恐さが多かった。
今のカイトとの付き合いとは違って、幸せと甘さよりもそれが勝っていた付き合いだった。
だけれども重い蓋をしなければ鮮明にいつでも胸に広がって、思い出されるような強烈さがあった。
新しく恋人が出来た彼は、もう私にあれほど強烈な愛を向けることはないのだろう。私ではなく新しい恋人にあの執着心とも取れる独占欲に満ちた愛を向けているのだろう。
リサ・エブレサックという女子生徒のことは私も少なからず知っている。
あの学園の有名人で、誰もが憧れる美しき侯爵家令嬢で、幸せに満ちたような少女。私が聞き知っていた彼女は、彼の愛を受け止められるほど強くはなかった。だから心配だった。
彼女も私と同じように彼への恐怖心に満ちているんじゃないか。そう思った。
だから、
「……見に行こうよ。心配だよ、私」
私はカイトにそう言ったのだ。
カイトはそれに頷いた。
「シィク、今日はあそこに行きましょう」
「うん。行こう」
久しぶりにあの学園に赴こうとして、学園の近くにある大きな商店街をカイトと二人で歩いていた時のことだ。
私は思わず聞こえてきた会話に、手を繋いでいたカイトの手を引いて隠れた。
そして、ちらりっと視線をそちらに向ける。
そこには幸せそうな顔をした彼と彼女が居た。仲良さそうに歩く姿に、昔の私と彼のような姿はない。
それになんとも言えない気持ちが浮かんだ。どうしてこんな気持ちが浮かぶのかわからなくて、自分がわからなくなりそうで、ぎゅっとカイトの手を握り締めた。
視界に彼が映る。
彼は笑ってる。彼女が好きだと前面に出して笑ってる。
昔私に向けていたあの笑みを、今は彼女に向けている。
彼は私に向けたあの異常な独占欲を彼女には向けていないのだろうと思った。だってそんなものを向けられてなお、彼女があんな風に優しい笑みを彼に向けられるはずがないとそんな風に思っていたから。
だけれどもその後、昔の学園での知人に聞いたらそれは違うと言われた。
「シィク様はリサ様に独占欲を向けて居ますわよ。貴方に向けていたのと同様に。でもそれでもリサ様は逃げなかった。きっとリサ様だから出来たんですわ。あの方ほど優しい方は居ませんから」
「リサ様が彼と付き合う事、反対だった。実際に何度かもめてたの見たことある。でもリサ様が幸せそうだから許せる」
「貴方と居た時と同じように彼は暴走してましたわ。本当にリサ様はどうしてあのような方と……。まぁ、そうはいってもリサ様が望む事を邪魔は出来ないんですけど」
そんな風に皆笑ってるんだ。
反対していてもあのリサ・エブレサックが望んでいる事だからって。それだけ彼女は慕われていて、好かれていた。
驚いた。
あんな異常な執着心を、愛を向けられておきながら恐くならない事に。
それでもなお、傍にいる事が幸せだとでも言うように笑える事に。
どうして、と思った。彼は重すぎると思える愛を愛する人に与える人なのに。それがどうして耐えられるのかとわからなかった。
私には重くて、恐かった彼の愛が彼女にとってはそうでないとでも言えるのだろうか。
私が彼の思いや行動に恐怖して離れた時、誰もそれを咎めなかった。彼のことを非難した。彼はその時、悲しそうな顔をした。私を見て。
それでも私は恐くて彼の傍に寄らなかった。
彼の傍に居る事が耐えられなかった。
恐怖したのは私で、彼から離れたのも私。
だけれどもどうして彼の幸せを心の底から願えず、どうしようもない思いばかりが胸いっぱいに広がっているのだろうか。
彼のことを気にしてた気持ちにずっと蓋をしてた。
それでも何処かで私は彼への気持ちを消してはいなかったのかもしれない。
そんな事、今更気付いても仕方がないけどただそれを実感した。
私が恐怖しなければ、私が彼を救えただろうか。彼の傍にいれただろうか。そう思ってももうどうしようもないことだ。
私には傍に居てくれるカイトが居る。そして彼には彼を受け止めてくれる彼女が居る。
だから、胸に湧いた思いにはまた蓋をしてしまおう。
それが互いにとっても一番良いことだ。それにその気持ちに気付いたからといって、私の中にある彼への恐さはなくなっていないのだ。こんな私が接触するだなんてしてはいけないことだ。
「――――カイト、帰ろう」
私はカイトの腕に手を絡ませる。
「いいのか?」
「うん、もういいの。彼女も彼も幸せそうだから」
私はそういって笑みを作った。
胸の痛みが広がりそうで、これ以上此処に居たくなかった。だから昔は決して出来なかった、そんな作り笑顔に嘘を吐いて、私は言った。
そうしてそのまま、私は彼と彼女を見る事もせずその場をカイトと共に後にするのであった。
――――――思いに蓋をして、私は今を生きる。
(私は幸せだよ。優しいカイトが傍にいてくれるから。今のままでいい。だから湧いた思いに蓋をしてしまおう)




