悪役令嬢『……真剣ゼミ?』
その日、公爵令嬢であるカトレア・スカーレットはいら立っていた。
婚約者である王太子を探していたところ、偶然にも見てしまった。他にだれもいない教室で男爵令嬢と楽しげに話しているところを。
「なによ、あの女は……。殿下に色目をつかっちゃって」
王太子との出会いは幼少のころだった。婚約者として引き合わされ、それは公爵家と王家の間にある義務でしかなかった。しかし、カトレアにとって王太子は運命の相手であった。
優しげな笑みと落ち着いた態度や立ち振る舞いはとても同い年の少年とは思えなかった。カトレアはそれまでのわがままだった自分を見直し、彼に認めてもらうことを目標にがんばりつづけた。
王立学園に入ったあとでもそれは変わらない。
周囲の目ががあるときは公爵家の令嬢として振る舞い、将来の王妃として鷹揚にかまえることを心がけた。しかし、寮の自室に戻れば溜め込んだ怒りはこらえきれなくなる。
「殿下も殿下よ。婚約者のわたくしを差し置いて他の女性と仲良くするなど。でも、殿下はあのようなふわふわした性格の女が好みなのかしら……」
ぶつける相手のいない怒りは不安に変わっていく。内心の変化を見計らったように、ふいに紅茶のかぐわしい香りがカトレアの鼻をくすぐった。
「お嬢様、今日のお茶は気分を落ち着けるものを用意しました」
そっとカップを置いたのは、カトレア付きのメイドであるマリーベルであった。歳も近く、小さい頃から一緒にすごしてきた彼女はカトレアにとって姉妹のような存在でもあった。
「いい香りね。いただくわ」
カップを傾けて、温かさが体にしみこむにつれてカトレアは平静さを取り戻していく。
「マリーベル、ちょっと相談いいかしら」
「はい、何なりとおっしゃってください」
「最近、殿下と仲良くしている子がいるのだけれどね。あの娘にはすこし立場をわからせたほうほうがいいと思うの。手伝ってもらえるかしら」
「お嬢様の命令であれば何なりと……といいたいところですが、一体何をなさるおつもりですか?」
「そうね、まずはあの娘の教本を隠してやりましょう。授業中、教本がないことに気づいてきっと慌てるでしょうね!」
高笑いをあげるカトレアを見ながら、かわいらしいいたずらだと微笑ましい気分になった。彼女とは主従関係にあったが、昔からこうして頼ってくるのでかわいい妹のように思っていた。マリーベルにとっては仕事抜きに大事な存在であった。
「素晴らしいお考えだと思います。その後は偶然に階段から落ちる事故がおきてしまい、不幸にも打ち所が悪く命を落とすなんていうこともあるかもしれませんね」
「あの、マリーベル……?」
「殿下が気になっている相手をすべて消せば、自動的にお嬢様だけを意識するようになるはずです。現在確認している限りでは男爵家のご令嬢のほかにも数人いるようです。段取りについてですが―――」
具体的な場所や時間を挙げはじめたマリーベルの顔を見る。その表情をいつも通り仕事を真面目にこなす従者の顔であった。カトレアは慌てた。
「やっぱり、いたずらを仕掛けるのはなしの方向でいきましょう。そうよ、正攻法で殿下の関心をわたくしに向けるようにすればいいだけじゃない。そうよね、マリーベル!」
「さすがはお嬢様です。出すぎたことを口にいたしました」
「わかったならいいのよ。絶対だからね……?」
念を押すとうなずく自分の従者を見て、ほっとため息を吐く。
昔からカトレアの周囲では不思議なことが起きていた。それはマリーベルが自分の従者になってからだった。
意地悪をしてくる分家の男の子がいたが、怯えた顔で逃げるようになった。厳しい言葉を浴びせ続ける家庭教師の男が次の授業ではいつも貼り付けた笑みとへりくだった態度をとるようになっていた。
『よかったですね、お嬢様』
そう言ってにこりと微笑むマリーベルはちょっぴり怖かった。
「本当に恐ろしい子ね……マリーベル」
「恐縮です」
別の相談相手を探さなければいけなくなった。最初に思い浮かんだのは友人のミキだった。
声をかけたのは次の日の放課後。授業が終わり、クラスのものたちが散っていく中で呼び止めた。
「ミキ様、少し相談よろしいかしら」
「カトレア様、どうなさいましたの」
「落ちついて話せる場所に行きましょうか」
浮かない顔をするカトレアの相談の内容を予想しながら、ミキは誘われた先についていった。カトレアが選んだ先は学園にいくつか設置されているサロンの一つだった。そこはこじんまりとしていて人が少なく落ち着いて話せる場所だった。
「ミキ様、お付き合いいただき感謝いたします」
カトレアは対面にすわったミキを見る。浅黒い肌は日の光を弾いて輝き、二つの紅の目は宝石のようだった。彼女は砂漠の国からの留学生で、王国貴族にはない美しさがそこにあった。
「それでお話とはなんでしょうか。力になれるかはわかりませんが何でもおっしゃってください」
学園に来てからできた交友関係は多くあったが、そこはどうしても同じ王国貴族同士、その間にはいろいろなしがらみがあった。そんな中で遠い国からの留学生であるミキは打算なく付き合える相手だった。
「その前に、ミキ様はジョセフィン様との仲は最近どうですの」
彼女には学園に来てからできた婚約者がいた。伯爵家の長男でありながら、彼女への一目ぼれからの猛プッシュによって結ばれた関係だと聞いている。
「良好ですわ。故郷の家も彼のことを認めてくださいましたわ」
「それはよかったです」
「カトレア様は卒業後、殿下とご結婚なさるのですよね。もしや、なにか……?」
じっとこちらを見る彼女の視線に少しためらってから『じつは……』という言葉から切り出す。
「最近殿下との距離を感じるようになっていまして、信じていないわけではないのですがこのままでいいものかと少々気にかかっていますの」
そういって落ち込む顔をみせるカトレアにミキは安心させるようににこりと微笑んでみせる。
「殿下は学園でも人気者でいらっしゃいますからね。だれにでも分け隔てなく接する態度にみなが惹かれているだけですよ。卒業後は二人きりの時間もふえるはずです」
穏やかな声と笑顔でカトレアを励ますミキ。しかし、そんなミキにカトレアは距離を感じていた。
「あなたはいいですわよね。中睦まじい様子をみるたびに、すこしうらやましくなってしまいます」
ミキとの婚約を結んだジョセフィンは卒業後には入り婿となってミキについていくと公言していた。彼女のためなら今の地位など惜しくはないと弟に伯爵家の家督を任せたらしい。
そんな風に想ってもらえるミキがうらやましく、そんな風に思ってしまう自分を情けないとカトレアは悲しげに目を伏せる。
「カトレア様はこの学園に来てからの一番の友人だと思っています。ですから、あなただけにわたしの秘密をお伝えします」
「秘密、ですか?」
カトレアは想像する。ミキが砂漠の国に伝わる呪いや薬を使ったのではないかと。でも、必要ならそれを使うのもやぶさかではないと思いもした。
「実はですね。学園に入ったころ、ジョセフィン様のことは遠目でみているだけでお近づきになれるなんて夢にもおもっていませんでした。ですが、あるときみつけたアレのおかげですべてがうまくいくようになりました」
「それは……いったい……」
一縷の希望を見たカトレアの前に差し出される一冊の古びた本。装丁はシンプルな革の本でタイトルに【真剣ゼミ】とだけ書かれていた。
「……真剣ゼミ?」
「この本の書いてあるとおりのことを実践するようになってから、すべてがうまくいくようになりました」
「まるで預言書のようですわね」
「もしよろしければカトレア様にも使っていただきたいですわ。これは恋に真剣な乙女のためにのものですから」
半信半疑だったカトレアだったが、二人だけの秘密という友人の言葉が彼女への説得を容易にさせた。
部屋で一人になったカトレアは【真剣ゼミ】の表紙を見るが開こうとはしない。彼女はためらっていた。これを開けば認めてしまうことになる。今までの自分の努力が間違っていたと。
政治的な理由で結ばれた婚約で求められた立場をこなすことと、王太子から本当の愛情が成立することは自分には無理だとも思っていた。
だけど、と考える。
〝今まで通り”に頑張ってれば大丈夫と自分を誤魔化していた。まだ本気を出していないから、ここから取り戻せる……なんて自分から逃げていた。
王太子の心が離れていくのを感じながらも、カトレアは自分の心から逃げ続けていた。〝今まで通り”ではダメなことも薄々は気づいていたのだ。
今が残されたチャンスなのかもしれない。
そう思いながらカトレアはそっと【真剣ゼミ】のページをめくっていく。本の内容を読み進めていくうちに確信へと変わっていった。どうしてミキがこれを勧めてくれたのかを。
「マリーベル、わたくし、やれそうですわ!」
「また、そのような怪しげな本を。この前も同じような本を読んで、結局殿下から変な目で見られていましたよね」
「今度こそ、大丈夫ですわ!」
翌週、王太子とひさびさに二人でお茶の時間をすごしていた。マリーベルが給仕したお茶のカップを二人で傾けながら穏やかな時間を過ごす。以前であれば何か話そうと一方的にしゃべって空回りしていたカトレアであったが、今の落ち着いた態度に王太子は不思議そうにする。
「カトレア、なにかあったのかい?」
「いえ、ただ、殿下との時間をゆっくりと楽しみたいと思ったからですわ。お忙しい身なのですから時には静かな時間も必要ですわ」
王太子はカトレアの変化を驚きながらも、その成長にふっと笑みをこぼす。
ゼミを始める前のカトレアは、ペース配分ができていなかった。
婚約者になってからの彼女は毎日恋文を王太子に送り続けた。分厚い手紙がとどくたびに王太子はたちくらみを起こしていた。、同じぐらいの分量を送らねばならないと公務や厳しい教育の合間を縫って、寝る時間を削って婚約者への返事をしたためていた。
それが今の二人は心地いい時間をすごしている。
王太子と別れ自室にもどったカトレアは興奮気味にマリーベルにこの日のことを話して聞かせていた。
「やりましたわ! 殿下のあの表情をみましたか? まるで木陰でそよ風をうけながら午睡をしていらっしゃるような穏やかな顔。すべて【真剣ゼミ】にでていたとおりだわ!」
「よかったですね」
「すべて【真剣ゼミ】のおかげよ!」
今の時期は、一見ただのきままな学生生活をすごすものに見える。だけど、なによりも大事な時間だった。多くの貴族の子弟と顔をむすび、そして、将来の相手となる婚約者を見つける。
一年の間に何をなすか、それを決めるのは自分自身であった。学園に在籍中その意識によって差は開いていく。
『でも、大丈夫。わたくしには【真剣ゼミ】があるから!』
“婚約者”という立場にいれば、自動的に王太子との絆が深まっていくと考えていたカトレアはもういなかった。
カトレアはお礼をかねてミキに王太子とののろけ話を聞かせた。
「ミキ様、本当にどれだけ感謝してもたりませんわ。自分がこんな風に変われるなんて夢のようです」
しかし、浮かれ気味のカトレアにミキは眉をひそめる。
「カトレア様、すこしがんばりすぎじゃないでしょうか」
「えっ……?」
まさかのミキからの返答にカトレアは言葉を詰まらせる。
「自分なりのペースでできる。それが【真剣ゼミ】のいいところです。【真剣ゼミ】はとても便利です。ですが、最後はご自分で一歩を踏み出さなくてはなりません」
カトレアはミキの言葉に雷に打たれたように硬直した。そこから聞かされたのは過去に【真剣ゼミ】に頼りすぎた人間の話だった。
「わたくしみたいな人はいっぱいいたのですわね……」
「そうです。悩みはみんな同じですよ。大事なひとにもっと見てもらいたいというのは多くの女子の願いなんです」
「ということは、ここで頑張る人と頑張らない人で差がつくははずです。それなら……」
頑張ると口にしかけたカトレアの言葉にミキが「がんばらなくていいのです」とかぶせる。二人は顔を見合わせながら同時に笑みをこぼした。
「そうね、だって私には【真剣ゼミ】があるのだから!」
その後、学園には女子だけの間でつたわる言い伝えが残った。
自分は変われたのだろうか?
結局は妥協しただけで、現状維持しただけなんじゃないかって思う。
心の中はむなしさでいっぱいだった。言い訳しないで怖がらないであのとき、小さな一歩を踏み出していれば……。
すべてが終わって後悔しても、時間は絶対に戻りはしない。自分はまだ変われたのに……
『って、おもってらっしゃるそこのあなた。そんなあんたにはこの【真剣ゼミ】がおすすめですわ!』
その言葉と共に恋する令嬢の元に一冊の本が舞い降りてくるという―――




