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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
同棲編
99/115

ふたりで夕飯

 お盆が過ぎても、僕の夏休みはまだ続く。

 夏休みの間に駆け回ったインターンシップも、ひとまず今回が最後の案件だ。九月初めにお世話になったその企業は市内にある割と大きな印刷会社で、マーケティングや広報の業務を体験させてもらえることになっていた。

 以前他社で参加したインターンでは営業の仕事に興味を持った。今回広報を選んだのは、自社及び自社製品のアピールという点で、営業と広報は役割がよく似ているからだ。ただ営業が実際の取引を業務とするものなのに対して、広報は企業や製品の知名度、認知度の向上を主な業務としている。そういう意味で、こちらも体験しておきたかった。


 三日間のインターンで、僕は広報の業務をあれこれ教わった。

 まずは取扱商品についてレクチャーを受けた後、その情報をSNSで発信したり、展示会に同行させてもらったり、クライアント向けの商品説明のノウハウを教わったり――業務内容は想像以上に多岐に及んでいた。他社へのインタビューの仕事もあったりして、それを学生にぽんと任せてくるものだからがちがちになりながら挑んだ。後で録音を聴き返したら、自分の緊張ぶりに自分で笑ってしまった。

 でもインターンシップがそういうものだということはすでに学習済みだ。全くの初めての頃と比べたらましになってきたと思うし、スーツ姿もだいぶ馴染んできた、ような気がする。


 その企業には社員食堂があって、僕は三日間そこで昼食を取った。

 実はみゆの勤め先のお店もすぐ近くにあったものの、外出許可をもらうのが少し面倒そうだったのであきらめた。休憩時間が合うとも限らないし。

 でももしこの辺の会社に就職したら、みゆと一緒にお昼を食べたりもできるかな――などと、ちょっと不純な動機も持ってみたりする。それだけで志望先を決めたりはしないけど、志望理由のひとつには十分なりえた。

「三日間お疲れ様。広報の仕事、だいぶ慣れました?」

 最終日、昼食に同席した広報の社員さんがそう尋ねてきた。

「はい。実践的な仕事を体験することで、広報という業務への理解も深まりましたし、商品のよさを宣伝していく力も身についたと思います」

 僕が就活生らしいコメントで答えると、園田さんという社員さんは明るく笑った。

「そんな面接みたいに答えなくても大丈夫!」

「あ、すみません」

「ううん、本番でそれが言えたらきっと満点です」

 インターンを受け持つ担当の園田さんは、とても朗らかで気さくな方だった。僕にもいろいろと親切にしてくださって、この三日間すっかりお世話になりっぱなしだ。

「山口くんは、まだ広報志望とまでは決めてないんでしたっけ?」

「はい」

 尋ねられ、僕は姿勢を正した。

「先日は営業のインターンにも参加してきたんです。企業や製品、あるいは業務内容についてのセールスやブランディングに興味があり、まずは実地で学ばせていただくのがいいかと思いまして」

「そっか、営業と広報なら似通ったものはありますよね」

 園田さんの口調はフランクと丁寧を行ったり来たりしていて面白い。

「うちは特にBtoBの営業だから客単価も多いし、その分契約までにかかる時間も、あるいは契約後のお客様とのやりとりも長くなりがちです。それを営業の人たちだけで背負うのは大きな負担になりますから、広報の仕事が大切になってくるんですよね。契約に結びつく足場づくりの仕事、と言えばいいかな」

 話しているうち、園田さんの語りにも熱が入ってきたようだ。

「だから広報は広報ですごくやりがいのある仕事ですよ。自社のいいところを様々な形で公にアピールして、反響があった時の達成感は大きいです。他社の方と話す機会も多いので刺激にもなりますし、何より製品知識を深める過程で推したい製品が出てきた時、そのよさを伝えていくのが楽しいんですよね」

 その口調には自分の仕事に対する強い責任感と自負もうかがえた。

 これまで数社で話を聞いてきたけど、だいたいどこの企業にもあって花形部署と言われているのは営業だ。営業なら契約の成立という形で達成感も得られるだろうし、それはそれでやりがいのある業務だろう。

 でも僕は、広報の業務にも魅力を感じ始めていた。このインターンの間でも学んだように、発信する作業のバリエーションは豊富だし、展示会では他社の方と話す機会もたくさんあり、刺激になるというのも事実だろう。コミュニケーション能力は問われるだろうけど、もともと人と話すのも接客をするのも嫌いじゃない。

 何より『推したい』製品があったら――そんな会社に勤められたら、広報の業務はさぞかしやりがいがあるだろう。

「褒め上手な人に特に向いているお仕事ですね」

 僕は、みゆの受け売りでそんなことを言ってみた。

 たちまち園田さんが笑顔になる。

「そうですね。山口くんは褒め上手な方ですか?」

「僕は……そうありたいと思います」

 そうです、と自信をもって答えられるほどではない。

 でもみゆがそう言ってくれたから、そうありたいと思う。

「じゃあ向いてますよ。おすすめです!」

 園田さんはあっさりと太鼓判を押した。

「確かに、園田さんに教えていただいたことで広報の業務への興味が深まりました」

「ですよね! 山口くんは真面目だし、社交的そうだし、うちに来てくれたらうれしいなあ」

 それはありがたいお言葉だ。

 僕がお礼を言おうとすると、それより早く園田さんが立ち上がった。

「そうだ! 午後の時間は空いてるし、せっかくだからうちで模擬面接もしときます?」

 この会社では模擬面接の予定まではなかったはずだ。もちろん就活生としてやってもらえるならありがたいけど、ご面倒ではないのだろうか。

「え、よ、よろしいんですか?」

「もちろんです。じゃ、人事に話つけときますね!」

 遠慮をする隙もなかった。

 さすが広報の人は瞬発力がすごいようだ。


 昼食の後、僕はなんと人事課長にお会いして、直々に模擬面接をしていただいた。

 貴重な機会をいただけて、インターンに行って本当によかったと思う。逆にここまでしてもらって志望しなかったら悪いなという気持ちも毎回なくはないものの――でも結局、決めなくちゃいけないのは僕自身だ。

 できれば自分の納得できる道を選びたい。そう思う。


 その日は僕の方が先に帰ったので、夕飯を用意してみゆの帰りを待った。

 本日のメニューは豚肉の冷しゃぶ。切って茹でて冷ましたら、あとは大根おろしとポン酢をかけていただくだけ。簡単なのにおいしいし、野菜もたくさん摂れるのがいい。

「篤史くん、疲れてるのに大変じゃなかった?」

 帰ってきたみゆは食卓を囲むなり、そんなふうに気づかってくれた。

「みゆだって仕事の後にご飯作ってくれたりするだろ。僕なんて仕事でもないし、このくらいするよ」

 僕は笑って応じたけど、実際ちょっと疲れてはいた。

 仕事ではないとは言っても、本物の企業という慣れないところで実践的な業務に携わるのはどうしても緊張するし、くたびれもする。冷しゃぶ以外作る気が起きなかったというのも事実だった。

 これで僕の方も働きはじめたら、夕飯作りはさらに大変になりそうだ。たまに外食するとか、そういう息抜きを大事にしよう。

「今日は広報のお仕事してきたんだよね?」

「うん。けっこう面白かったよ」

 一緒に夕飯を食べながら、僕は今日教わったことなどを彼女に話して聞かせた。園田さんの瞬発力にはみゆも驚いていたし、笑いながら『会ってみたいな』と言っていた。

 そして、僕の志望先については――。

「前に言ってもらったろ、『営業は褒め上手な人が向いてる』って。同じことが広報にも言えるなと思って、少し興味を持ったよ」

 僕はそう語ってから、でも、とさらなる本音を打ち明ける。

「でも、まだ納得できるほどの動機にまではなってなくてさ。やってみたいとか興味ある仕事はあったけど、それでいいのかなって二の足を踏みたくなる。まだ三年だから迷っててもいいんだろうけどさ……」

 みゆは僕の話を、夕飯時にはふさわしくないほどの真剣さで聞いてくれた。

 そして、

「私もね、就職先を決める時は迷ったよ」

 自分自身の経験談を明かしてくれた。

「事務のお仕事って難しそうだったし、働きながら学べばいいとは言われたけど、ご迷惑かけちゃうんじゃないかって心配だった。でも意外と、なんとでもなったよ」

 当時、みゆはまだ高校生だった。

 その歳で自分の就職先を決めて、踏み出せたのはすごい。僕の知らないところで彼女も悩んだり、迷ったりしたはずなのに、そんな様子はおくびにも出さなかった。

 そうして今では僕にとって、立派で尊敬できる社会人の先輩になった。

「なんとでもか……僕もそうならないとな」

 羨望を込めて僕が言うと、彼女はまるで労わるように微笑む。

「篤史くんはまだ一年あるんだもん、焦らなくていいんだよ。それに、悩んだり迷ったりしない人なんていないんだから、それをよくないって思うこともないよ」


 まったく、みゆは立派な先輩だ。

 僕が欲しい言葉をくれて、勇気づけてもくれる。ふたりで食卓を囲むひとときに、こんな悩み相談はそれこそふさわしくないだろうに、ちゃんと真面目に考え、答えてもくれる。

 場違いな感想かもしれないけど。

 今、幸せだなって思った。


「ありがとう。もう少し、じっくり考えてみるよ」

 感謝を込めてそう告げる。

 すると彼女はにっこりして、

「うん。応援してるね、篤史くん」

 と言ってくれた。

 だから僕も改めて思う。

 焦らず、あきらめずに、自分の納得できる道を見つけてやろう。それが何よりも、彼女の応援に報いることになるはずだ。

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