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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
同棲編
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ふたりで模索

 後から少しだけ、みゆはお父さんのことを教えてくれた。

 亡くなったのは彼女が中学生だった頃の話らしい。

「交通事故でね」

 ぽつりと短くそれだけ言って、多くは語らなかった。

 僕も尋ねず、彼女の言葉の続きを待った。

「これは話してたよね? 私、中学の時はここに住んでなかったの。高校に入る時におじいちゃん、おばあちゃんと同居することになって、それでこっちに引っ越してきたんだ。だからお父さんのお墓は、向こうの街にあるの」

 電車を二回乗り継いで、片道だいたい一時間半くらい。

 ちょっとした小旅行になるね。そう言って、みゆはようやく微笑んだ。

「それほど大きな街じゃないから、見るものはあんまりないかも。篤史くんは行ったことないんだよね? おいしいお店くらいは知ってるから、空いた時間で案内するね」

「楽しみにしてるよ」

 僕は心からそう答えた。

 みゆがずっと話せなかった過去を、僕に打ち明けようとしている。それは悲しい過去だけど、それでも僕には教えておきたいと思ってくれたことはうれしい。これから先も一緒にいるからこそ、僕も彼女の意思を受け止め、支えていきたいと思う。


 僕の方はと言えば、今まで身内を亡くしたことがない。

 父方も母方も祖父母は健在だし、ふたりとも一人っ子だから親戚はあまり多くない。だから彼女の気持ちになって考えるのは難しい。訃報に触れたことがない人間として、みゆに無神経な言葉をかけるような真似はしたくなかった。

 どうしたら彼女の心に寄り添えるか。

 夏休みの計画を立ててから、ずっとそのことばかり考えていた。


 そうこうしているうちに僕は無事、大学三年の夏休みを迎えた。

 講義がないからといってだらけた生活を送るつもりはなかった。みゆは夏休みもなく仕事があるから、朝はいつもどおりに起きて朝食を用意し彼女を見送る。夜もなるべく彼女を出迎えられるよう予定を立てて過ごす。幸いバイトに家事にサークルの練習、あと一応勉強と、やっておくべきことはたくさんあったので退屈することはなさそうだ。

 それと、申し込んでおいたインターンシップも。


 八月の初め頃、僕はたまたまみゆの職場近くにある会社でインターンに参加した。

 一口にインターンといっても内容は千差万別で、五日間フルタイムでみっちり働くところもあれば、就活体験講座としてエントリーシートを見てくれたり、模擬面接をしたりするところもある。僕はまだ業種を絞り込み切れておらず、ひとまず幅広く申し込んで自分に合うものを見つけたいと思っていた。

 今日参加したインターンシップは二日間の日程で、内容は営業の体験だった。半日ほど正社員の人に付き添い、営業の現場を見せてもらう。体験とはいえ本物の客先に行くわけだからビジネスにふさわしい服装を求められたし、コンビニバイトとは異なる接客では緊張もひとしおで、夕方五時に終了した時にはもうくたくただった。

 ちょうどみゆの仕事が終わるのと同じくらいだったから、駅で待ち合わせて一緒に帰る約束をしていた。一足先に駅に着いた僕は、コンコースの一角で彼女が来るのを待っていた。


 みゆがやってきたのは駅構内に人が増え始めた五時半過ぎだ。

 僕を見つけるなり表情がぱっと輝き、少しだけはにかみながら駆け寄ってきた。

「お疲れ様、篤史くん!」

 真っ先にそう言ってくれた後、彼女は目をしばたたかせる。改めてしげしげと僕を見た。

「本当にお疲れみたいだね……大丈夫?」

「まあ、初めての現場だったからね」

 僕もどうにか笑ってみせたものの、表情筋が引きつり、こわばっているのがわかる。さすがに疲れた。フルタイムで働いた彼女の前では言えないけど。

「今日は営業体験だったよね。どうだったの?」

 駅のホームから電車に乗り込んだところで、みゆが尋ねてきた。

 ふたりで並んで吊革を掴む。再来年の今頃はこうして帰るようになってるかもしれない――などと想像をめぐらせつつ、僕は答える。

「やっぱり緊張したよ。目の前にいるのは本物のお客さんだしさ、接客はコンビニでもやってるけど単価は桁違いだろ。変な真似したらおおごとだって、ずっとかしこまってた」

「かしこまってたんだ」

 みゆがくすっと笑う。

「ネクタイも久々に締めたし、ジャケット脱いでも暑かったな」

 クールビズが謳われ始めて久しいけど、営業職となるとまだまだノーネクタイでは困るというところもあるようだ。今日お世話になった会社もそうで、おかげで首のあたりが窮屈だった。

 同じ車両にはやはり会社帰りのサラリーマンが大勢いて、そのうち長袖ネクタイ率は四割くらい。ネクタイをゆるめている人も何人か見かけたけど、僕はタイミングをつかめずそのままにしている。

「篤史くんは営業希望なの?」

「まだ決めかねてる。今日の会社は、感触は悪くなかったけど」


 コンビニで一通りの接客は身に着いたし、人と話すのが嫌いなわけでもない。だから表に出る業種もいいかなと思ってインターンシップに申し込んだ。先輩社会人さんの働きを見ていて、これならやれるかも、という自信が持てたのも事実だ。

 でもまだ確固たる意思ではないというか、絶対に営業がやりたいと思っているほどでもない。せっかくだから他の業種も見てみて、それから判断したかった。

 迷うだけの時間はまだある。

 今から焦ったっていいことは何もないはずだった。


「私は篤史くん、営業に向いてそうだと思うな」

 ふいに彼女がそう言って、僕は隣を見た。

 通勤時は私服のみゆは、ミントグリーンの半袖カーデに台形スカートといういでたちだ。電車が揺れると吊革を掴む剥き出しの腕がぶつかってきて、ちょっとどきっとする。他の人とはぶつからないで欲しいと思う。

「営業って、要は自社製品を褒めるお仕事でしょ?」

 その彼女が、社会人の先輩らしい落ち着いた口調で続けた。

「お客様に、『こんなところがいいところです、おすすめです』って伝えて回るんだよね。篤史くんは褒め上手だから、そうやって褒めてアピールするのは向いてる気がするよ」

「僕が褒め上手?」

 意外な評価に、僕は思わず聞き返す。

「あいにくだけど、そんな自覚はないなあ……」

「褒め上手だよ。私のこと、ほんのちょっとしたことでも褒めてくれるもん」

 みゆはそう言うけど、本当に自覚はなかった。

 むしろ僕ほど根性のねじくれ曲がった、口の悪い奴はなかなかいないと思う。それも高校時代がピークではあったけど、未だに完治したとは言いがたい。

 褒め上手というなら、むしろ彼女の方だろう。

 みゆは昔から僕のことを何でも褒めてくれた。授業で指された時に答えを教えてあげたことやノートを貸してあげたこと、携帯を打つのが早いなんてことまで褒められて、喜ぶより戸惑いが先立ったのを覚えている。そのくせ僕がバスケでシュート決めた時は見てなかったり――まあそれは、今となってはどうでもいいけど。

「それはみゆのことだろ。昔から僕のこと何かと褒めてくれてたし、僕より向いてるかもよ、営業」

 僕は笑って応じた。

 でも彼女は、笑わず真面目な顔で続けた。

「ううん、本当に思うの。篤史くんはね、私が化粧をしたり服を変えたりしたら気づいてくれるし、人に笑われるようなこと言っちゃっても、篤史くんだけは笑わないで『発想がユニークだね』みたいに褒めてくれるよ。私はそういうの、いつもすごくうれしく誇らしく思ってるんだ。それも篤史くんの才能じゃないかな」

 才能、なんてあるのかな。

 やっぱり褒め上手のみゆに言われて、二十歳になっても僕は戸惑う。僕が彼女を褒めるのは本当にいいと思った時だけだ。お世辞を言って必要以上に持ち上げたり、機嫌を取ったりはしない。だからそれほど褒めている自覚もない。

 そりゃ高校時代に比べたら、僕のひねくれ根性もだいぶ矯正されてきたとは思うけど――。


 そこまで考えて、ふと気づく。

 もしかしたら僕は、みゆの褒め上手がうつってしまったんじゃないだろうか。

 彼女がよく褒めてくれるから、それがなんだかんだでうれしくて、僕もそうしようって無意識のうちに思うようになったのかもしれない。

 そうでもないと、褒め上手のトップランナーみたいなみゆに認められる説明がつかない。

 結婚して一緒に暮らしてると似てくるものだ、なんて話を聞いたことがあるけど、案外僕らもそれが始まりかけているのかもしれない。


「他でもないみゆがそう言ってくれるなら、自信になるな」

 思い直した僕の言葉に、彼女はにっこりしてみせる。

「うん。自信持っていいと思うよ」

「ありがとう。営業を志望するかはわからないけど、もう少し模索してみるよ。前向きに」

 なんなら彼女から褒め方を学んでいくのもいい。せっかく身近なところに素敵なお手本がいるんだから、吸収しない方がもったいない。彼女の隣にいることが就活にも役立つなら、こんなに素晴らしい一石二鳥もないだろう。

 そのうち僕らも、似たもの夫婦なんて言われるようになるだろうか。

 そんな気の早い想像をしていると、みゆが唐突に言った。

「篤史くんってスーツ似合うね」

「え?」

 本当に唐突だった。

 思わずまた隣を向けば、彼女はうつむきながらも横目で僕を見る。そしてはにかむ。

「駅で会った時から、格好いいなって思ってたんだ」


 やっぱり、みゆの方が褒め上手だ。

 たった一言で僕はどぎまぎして、電車の中だというのに落ち着かなくなる。

 高校時代からずっとこうだった。未だに僕は戸惑わされてて、敵わない。

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