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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
同棲編
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ふたりの月曜の朝

 月曜の朝は、いつも六時に起きる。

 といっても大学三年にもなって月曜一限の授業を取ったりはしない。僕は入学したての頃にそれをやってしまい、月曜の朝が来るたびに後悔する羽目になった。幸い単位を落とすまでには至らなかったものの、大学の知り合いの中には月曜のせいで落とした奴がちらほらいる。

 今日は三限からだから朝はゆっくりしていけるし、洗濯に掃除も済ませられる。ちょっと早めに出て外で昼ごはんもいいかな、なんてプランを練る余裕すらある。

 ただしそれは、彼女をちゃんと仕事に送り出してからの話だ。


 身支度を整えた後、僕はキッチンでいつものように目玉焼きを作り、レタスをちぎり、パンをトースターにセットした。

 そして目玉焼きが焼き上がり、トースターのタイマーが切れたところで、寝室にしている僕の部屋へ向かう。


 まだきっちりとカーテンが閉まった薄暗い部屋で、僕はベッドに歩み寄った。

 ベッドには一人分のふくらみがあって、僕が抜け出た分の空白もある。彼女はまだぐっすり寝入っているようだ。僕のいたあたりに手を伸ばし、すがるように布団の端をつかんでいるのがかわいい。

 そっと覗き込めば、相変わらず起こすのをためらいたくなるほど幸せそうな寝顔が見えた。でもここでためらうと、みゆは仕事に遅れてしまう。

 僕は心を鬼にして声をかけた。

「みゆ、朝だよ」

「んん……」

 みゆが小さくうなる。

 僕は布団に包まれた彼女の肩を軽く揺すってみた。

「朝ごはんできたよ、起きて」

 すると彼女は瞼をぎゅっとした後、恐る恐るというように目を開ける。何度かまばたきをした後、僕を見上げて少し悲しそうな顔をした。

「篤史くん……今日って月曜?」

「そうだね、昨日が日曜だから」

「わあー……」

 僕が正直に答えれば、みゆは悲鳴のような声を上げて布団にもぐり込む。

 そして世を儚むみたいな弱々しい声で言った。

「月曜が来ちゃった……どうして月曜なんてあるんだろうね」

 仮に月曜がなかったらなかったで、土日の次にやってくるのが火曜日になるだけだ。そして今度は火曜日が憂鬱になってしまうから『どうして火曜日なんてあるんだろうね』と言うようになるんじゃないか――という面白くもない持論を月曜の朝からぶつけるのはよくない。彼女はけっしていい気分にはならないだろう。

 その辺は呑み込んで、代わりに僕は肩をすくめた。

「目玉焼きは作ったし、パンも焼けてるよ。おいしいうちに食べたほうがいい」

 すると彼女はのろのろと、それでもちゃんと起き上がり、寝起きの顔で答えた。

「食べる」

「起きれてえらいね、みゆ」

 褒めて伸ばすつもりの僕に、パジャマのみゆは目をこすりながら微笑む。

「うん。おはよう、篤史くん」

「みゆ、おはよう」

 僕も笑って応じた。

 お互いに笑顔で朝を迎えられるのはいい。休みが明けた月曜の朝なら尚のこと、悲しい顔よりも笑った顔が見たいと思う。


 二人暮らしを始めるまで、みゆの寝起きがよくないことを僕は知らなかった。

 高校の修学旅行や宿泊研修は当然ながら男女別だったし、誰の寝起きが悪いなんて話もありふれすぎてて噂になるほどじゃない。同棲する前はお互い実家暮らしだったから、どちらかの部屋に泊まるという機会もなかった。泊まりがけで旅行もしたことなかったし――ちょっと考えたことはあったけど、実現させる前に同棲を始めてしまった。

 とにかく、一緒に暮らしはじめてわかることもたくさんあるものだ。彼女と比べると僕は寝起きがいいほうらしいってことも最近気づいた。これは実家にいた頃、親の出勤時間が早すぎて僕を起こさず出ていくことが多かったからだろう。頼れる相手がいないと自然に起きられるようになるらしい。

 つまり彼女も、頼れる相手がいるから寝起きが悪いままなのかもしれない。

 僕としては頼りにしてもらえるのもうれしいから、僕が学生のうちではこのままでもいいかな。働きだすようになったらちょっと考える必要がありそうだけど。


 トーストの上に目玉焼きを載せた朝ごはんを済ませた後、みゆは出勤の準備に入る。

「篤史くん、先に洗面所使うね」

「いいよ」

 必ず一言断ってから洗面所に向かう彼女を、僕はソファーから見送った。たいていの朝は彼女のほうが先に家を出るから、先に使ってもらうのは全然構わないんだけど、そうやって毎回断ってくるところが彼女らしい。

 出勤の際、みゆは一応メイクをしていく。といっても同世代の女の子たちと比べたら本当に『一応』で、ファンデを塗って眉を描いて申し訳程度に睫毛も上げて、あとはほんのり色づくリップで彼女らしいナチュラルメイクに仕上げている。あんまり親しくない相手が見たら、メイクをしてどこが変わったのかと首をひねるほどかもしれない。

 でも僕には違いがわかる。

 洗面所を出てくるみゆは、ちゃんとメイクを済ませて大人っぽくなっている。

「終わったよ、篤史くんどうぞ」

「ありがとう」

 僕は彼女が起きる前に顔を洗っていたし、寝癖もしっかり直しておいた。洗面所ですることと言えば歯みがきくらいだからすぐ終わる。同棲しているとはいえ、まだみっともないところはあまり見せたくない。休みの日に一緒に起きた時はしょうがないとしてもだ。

 洗面台で歯を磨いていると、鏡の中にはしっかり髪までセットしている僕がいて、これも今だけなのかなとこっそり思ったりする。


 今だけ、同棲始めたて限定のことって実はけっこうあるのかもしれない。

 みゆが僕に起こされてようやく目を覚ますのも、僕が彼女の寝ているうちに身だしなみを整えてしまうのも、もしかしたら今だけのことかもしれない。

 そのうちに僕らは二人暮らしにも慣れてしまって、彼女はひとりでするっと起きられたり、平気で寝癖のまま過ごしたりするんだろうか。父さんが言うには、僕もあと何年かすれば毎日ひげを剃るようになるそうで――父さん自身がそうだったらしく、それが事実なら無精ひげのまま彼女の前で過ごす僕が、この先の未来にはいるかもしれない。あんまり想像つかないけど。

 でも僕は、変わってしまうことを恐れてはいない。

 なぜかって、僕と彼女はすでに長い時間を一緒に過ごしてきた。高校二年の頃、隣の席になったばかりの僕がどんな子だったか、彼女がどんな子だったかを記憶に焼きつくほどよく知っている。あの頃の僕たちと今の僕たちはずいぶん変わったと思うし、少なくとも僕は僕自身と彼女の変化をすごく楽しんでいる。

 だからこの先の変化も、今だけしかないことも、僕はどちらもきっと楽しめるだろう。

 みゆも同じように思っててくれたらいいんだけどな。


 毎朝七時半に彼女は家を出る。

 バスに乗って駅まで向かい、そこからは電車で職場のあるオフィス街へ。このアパートからバス停までは徒歩五分で着くから、だいたいこのくらいに出れば余裕で間に合うそうだ。

「さすがに高校時代よりはのんびりできないけどね」

 そう言いながら玄関へ向かう彼女を、僕も見送りのために追いかける。

 みゆの出勤スタイルはベージュのコートに地味めのワンピース、それとヒールの低い靴だ。スーツ着用義務はないそうだし、そもそも職場では制服を着るらしい。僕はまだ職場の制服姿のみゆを見たことがないけど、彼女曰く『ちょっと色合いが派手で恥ずかしい』とのことだ。

 バレエシューズみたいなぺたんこの靴を履いた後、みゆは振り返って僕を見上げる。

「行ってらっしゃい」

 僕が言うと一瞬にこっとしてから、急にもじもじと目をそらした。

「なんか……篤史くんのほうがちゃんとしてるね」

「何が?」

「もう髪も整ってるし、そのまま外に出れそうなんだもん。すごいなって」

 それはもちろん早く起きて整えたからなんだけど、別に彼女が引け目を感じる必要なんてない。僕がやりたくてやってることだ。

「みゆだってきれいにしてるだろ、かわいいよ」

「そ、そういうことじゃなくて……うれしいけど」

 僕の言葉にみゆはあわてつつ、もごもごと続けた。

「私のほうがだらしなくしてる時間長い気がして。篤史くんがかっこいい分、私ももっとちゃんとしたほうがいいなって思ったの」

 別に彼女のこと、だらしないとまで思ったことはないけどな。

 でも、気になるって言うなら。

「なら僕も、たまにはだらしなくしてみようかな。寝癖のままで見送ってみたりとか」

 試しにそう言ってみた。

 とたんに彼女は意外そうに目を見開き、それからふっと優しく笑う。

「だらしない篤史くんって想像つかないな」

「見たければ見せるけど、愛想尽かされないか心配かな」

「そんなことない。私、どんな篤史くんでもいいよ」

 みゆはきっぱりと言い切った。

 僕が思わず言葉を失うほどの、直球だった。

 そのくせ自分で言ったことにすぐ自分で照れ始めて、

「じゃ、じゃあ行ってきますっ」

 真っ赤になりながらあたふたと玄関を出ていく。


 ドアが閉まり、ひとりぼっちになった玄関で、僕はしばらく立ち尽くしていた。

 頭の中ではさっきのみゆの言葉をぐるぐる繰り返しつつ――やっぱり彼女も変わったなと思う。あんなにもはっきりと言ってもらえるとは想像もしてなかった。

 きっとこの先も、僕たちは変わっていくだろう。お互いにだらしない姿を見せあうようになるかもしれないし、それ以上に知らなかった一面を見て、改めて惚れ直すこともたくさんあるはずだ。


 そういう未来を思い浮かべつつ、僕はいい気分で玄関を離れる。

 とりあえず、洗濯と掃除だ。

 今朝は特別楽しくこなせそうだった。

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