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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
卒業後の話
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僕たちの修学旅行リベンジ(2)

 八月後半のある土曜日、僕たちは朝早くから旅に出た。

 日帰り旅行となれば気楽なもので、切符は当日券売機から購入した。乗り込んだのは特急でも何でもない普通の電車だ。行き先は電車で六駅ほど向こうの港町、はっきり言って学校の宿泊研修なんかよりもずっと近場。でもそういう近場こそ機会でもなければ滅多に行かないものだし、有名な観光地より目新しかったりもする。せっかく二人きりの旅行なんだから、乗り換えやら接続やらで時間を取られるのも嫌だった。

 港町なら当たり前だけど海があるし、美味しい店もあるようだったし、あとガイドブックには寺か神社がいくつか載っていたから、見るものがなくなったらそっち回ろうと思って決めた。僕独自の提案を佐藤さんも二つ返事で賛成してくれた。まあどこでも反対はしないだろうと思ってたけど、すんなり決まったのはうれしかった。


 二人掛けの席に並んで座った。

 電車が動き始めた途端、佐藤さんがリュックサックからお菓子を取り出した。全くこういう時だけは迅速だ。

「山口くん、どれ食べる?」

 以前からそうだったけど、佐藤さんは荷物が増えたり重くなったりしてもあんまり気にしない子だった。今時の女の子というやつは大抵、何が入ってるんだろうというくらい小さいバッグを持ち歩いてるものなのに、彼女は山でも登るつもりみたいなリュックサックを持ってきた。

 別の意味で、何が入ってるんだろうと思う。佐藤さんの服装が微妙なのは今に始まったことじゃないし、いいんだけど、くたびれないのかな。

 佐藤さんは行商人のようにお菓子を次々取り出しては、僕に見せた。

「クッキーと、おせんべいと、ポテトチップスと……あ、チョコレートは外出ると溶けちゃうから、早めに食べちゃおうね」

「たくさん買い込んできたんだね……」

 そのラインナップの豊富さに圧倒されてしまう。本気で登山するつもりなんじゃないだろうか。三日は持ちそうだ。

 僕はと言えば無難なスナック菓子の他はガムくらいしか買ってこなかったので、佐藤さんの張り切りぶりには正直、恐れ入った。

「山口くんと食べるんだったら、たくさんの方がいいかなって」

 彼女は照れ笑いを浮かべ、更に別の袋を取り出す。

「あと、これも大事だよね。カリカリ梅」

「ああ、酔い止めとか?」

「そうそう。せっかくの旅行なのに、乗り物酔いだなんて嫌だもん」

 今のはしゃぎっぷりを見るに酔う暇すらなさそうな佐藤さんだけど、そこで梅を買ってくるところは何と言うか、やっぱり今時の女の子っぽくない気がする。

 確かに効果はありそうだけど……僕なんか、名前聞いただけでもう酸っぱくなってきた。

「それとね……」

 まだ何か出てくるのか。

 リュックの中を覗き込んだ佐藤さんは、呆れる僕に気づかずに、

「山口くん、みかん好きだよね」

 やぶからぼうな質問をぶつけてきた。

「え? うん、まあ、好きと言えば好きだけど」

 僕が訳もわからず頷けば、たちまちうれしそうな顔をしてみせる。

「そう思って用意してきたの。冷凍みかん」

 今時の女の子っぽくない、という表現は控えめ過ぎたようだ。いくら旅行とは言え、デートに冷凍みかんを持ってくる女の子はそうそういまい。少なくとも僕は想像もしてなかった。

 そういえば、去年のクリスマスプレゼントの一つもみかんだったな。ああそうか、それで佐藤さんは、僕がみかんを好きだと思って、わざわざ持ってきてくれたんだろうか。

「これ、手作り?」

 手渡されたみかんは表面がひんやりと冷たく、ところどころに薄い氷の膜が残っていた。佐藤さんはわざわざクーラーバッグに入れてきたらしい。気が利くと言っていいのかどうか。

「うん。上手く氷が張ってるでしょ?」

 そして佐藤さんが得意げに笑うから、僕もつられて、脱力しつつ笑ってしまう。

 彼女の手作り冷凍みかんは、既製品のお菓子類よりもはるかに美味しかった。八月の旅行にはぴったりの品だ。でもちょっと褒め過ぎたかもしれない。

 佐藤さんは僕の反応に気をよくして、

「また作ってくるね!」

 などと言い出した。

 次のデートの行き先もよく吟味しなくちゃいけないようだ。彼女のことだ、どこへ持ってくるかわかったもんじゃない。

 何にせよ、リベンジ修学旅行の滑り出しは上々だ。

 二人して車窓の景色も見ず、食べたり喋ったりばかりしていたけど。

「こうしてると、旅に出たって感じがするね」

 僕にお菓子を分けてくれながら、佐藤さんがうきうきと言う。

 一つ結びの髪と無邪気な表情。見ていて飽きないのは修学旅行の頃と変わらない。

 変わったのはそんな彼女を、穏やかに眺めていられる僕の方なのかもしれない。


 大学には、佐藤さんみたいな子はいなかった。

 そうそういないだろうなと思っていたけど、本当にいなかった。

 もしかしたらどこかにはいるのかもしれない、僕の目によく留まるような『今時の』垢抜けてる女の子たちの陰に隠れて、佐藤さんみたいな大学生もひっそり存在しているのかもしれない。だけどそういう子を見つけられたとしても、佐藤さんの代わりには出来っこないだろうし、探すこと自体が全くの無意味のはずだ。

 なのに僕の目は、いつも佐藤さんを探していた。

 隣じゃなくても、どこかにいそうな気がしていた。

 少なくとも今まではそうだったから。あの騒がしいC組の教室のどこかには佐藤さんがいて、あまりにも地味で垢抜けないからどんな女子生徒よりも真っ先に目について、それでたまたま彼女も僕の方を見ていたりすると、子供っぽく笑ってくれたり、小さく手を振ってくれたりした。

 大学の、ようやく通いなれてきた構内や、席順の決まっていない講義室や、びっくりするほど人の集まる食堂や、あるいは一気に増えた新しい友達と馬鹿なこと言い合ってる時も、僕はいつの間にか佐藤さんを探していた。抜けない癖みたいに、皮膚感覚で。いつもすぐ隣にいるような気がするのに、でも絶対目には留まらなかった。当たり前だ、佐藤さんはもうクラスメイトじゃないし、大学生にはなってない。一緒の道に進んだ訳じゃないんだから、いつでも隣にいるなんてこともない。

 ――そう気づく度に、無性に寂しくなった。

 それからいつも、佐藤さんに、じかに会いたくなった。

 今日はそんな思いをすることもない。日帰りの小さな旅だけど、終わるまではずっと隣にいられる。古い記憶も新しい寂しさもあっさり吹き飛ばしてしまえるような、楽しい楽しい旅行になるといい。こればかりは素直に、そう思う。


 所要時間、二時間弱ほどで目的地に到着した。

 港町の駅はさほど大きくなく、売店と食堂が何件かずつ軒を連ねているだけだ。客入りもいまいちといった様子ではあるけど、僕たちもそこには用がなく、改札を抜けた後はさっさと駅を出てしまった。

 外は日差しが強かった。わかりやすく潮の香りもした。

「あっつーい」

 佐藤さんですら思わず呻くほど、暑い。

 潮風は爽やかどころかむわっとした熱風でしかなく、駅前のレンガ色っぽい石畳はからっからに乾ききっている。街頭のデジタル温度計が忌々しい数字を叩き出しているのを見て、僕は電車で食べた冷凍みかんを恋しく思う。

 こんなところで立ち止まっていたら、あっという間に干からびそうだ。

「どこへ行こうか?」

 僕はガイドブックを開き、

「涼しいところがいいね」

 それを覗き込んでくる佐藤さんは、少しばかり情けない笑みを浮かべている。相当暑いんだろう。背負ってるリュックが心配になる。

「じゃあ夏らしく、海でも目指してみる?」

「いいね。もうちょっと涼しい風に当たりたいかも」

「なるべく涼しいところとか、日陰を通ってさ。途中で小休止を取りつつ」

「わあ、それいい。のんびり行こうよ、まだ時間たっぷりあるし」

 例によって二つ返事の佐藤さん。

 僕も提案が受け入れられたことに気をよくしつつ、まずはガイドブックから海までのルートを導き出す。

 いくつか事前に目星をつけていたので、適当な道はすぐに見つかった。駅の近くの川沿いにサイクリングロードがあって、その道は川の流れを追いかけながらやがて海岸通りまで繋がるとのことだ。

 駅近郊には貸し自転車の事務所もあり、観光客向けらしく決して安価ではないけど、でも知らない街で自転車を乗り回すっていうのもなかなか愉快そうだ。

 それにほら、自転車ならリュックサックも邪魔にならないだろうし。

「自転車を借りようよ、佐藤さん」

 すると佐藤さんは怪訝そうに聞き返してくる。

「そんなこと、出来るの?」

「あるんだって。ガイドブックに書いてある」

「山口くんすごーい。よく見つけられたね!」

 何やらものすごく感心されてしまったので、僕は『昨日までみっちり読み込んでたから』という言葉をついに口に出来なかった。

 別に是が非でも打ち明けたかったことでもないから、いいんだけど。

 ただ、修学旅行なら事前の予習ってやつは大切じゃないか。


 僕たちはその足で自転車を借りに行き、それから川沿いのサイクリングロードを走り出した。

 佐藤さんが自転車に乗れなかったらどうしようかと思っていたけど、いくら彼女でもそこまで酷くはなかった。ただ決して上手い訳でもなかったから、じっくりのんびり漕いでいくことにした。


 途中、何度か休憩を取った。

 サイクリングロードの合間合間に小さな、緑に囲まれた公園があって、そこの木陰で一息ついたりもした。そのうちの一つで、また上手い具合にソフトクリームの売店があったりもして、僕たちはまんまと商売戦略に引っかかってしまった。

「食い倒れの旅って感じがしてきたな」

 僕がぼやくと、佐藤さんはむしろ大歓迎って顔つきでえへへと笑う。

 その頬骨の辺りにソフトクリームがついているのを見つけて、何でそんなところについちゃうんだろうなあ、と僕は思う。佐藤さんらしい。

 しかしこの旅は、実に、実にのどかだ。

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