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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
番外編その2
54/115

佐藤さんとチョコレート

 佐藤さんから、宅配便が送られてきた。バレンタインデーの日のことだ。

 いきなり何事かと思って送り状を見れば、中身は『お菓子』と書いてある。

 多分、チョコレートなんだろう。くれるのはうれしいけど、どうしてわざわざ宅配便なんて使ったのか。同じ市内に住んでるんだし、呼んでくれたらすぐに飛んでいくのに。送ってくるなんて一言も言ってなかったし、なんなんだろう。

 しかもどうして、冷凍で送ってきたんだろうか。


 平日で、家には僕しかいない。それでも細心の注意を払い、こっそり自分の部屋で検(|あらた)めることにした。

 今日が自宅学習でよかった。もし今日が登校日で、僕が学校に行っている間に届いていたりしたら、両親に見つかって散々からかわれた可能性もある。女の子からお菓子が届くなんて、今日の日付を考えたらそういう意味にしか受け取れないだろう。

 だけど僕は内心複雑だった。

 贅沢を言うようだけど、手渡しがよかった。

 僕なら会う口実を作る為にも、相手を呼び出して渡すようにと考えるけど、佐藤さんにとっては違うのか。

 そもそも佐藤さんにとっては、僕はチョコレートを会って渡すほどの相手でもないのかもしれない。宅配便を使うなんて何だか他人行儀じゃないか。おまけにお金も掛かるし。そこまでして会って渡す以外の手段を講じたのかと思うと、複雑にもなる。


 佐藤さんは僕のことをどう思っているんだろう。

 クリスマスに会った時は彼女の気持ちがすごく伝わってきたようで、あんなに心配してくれる子も、あんなに僕のことを見ていてくれる子も他にはいないだろうと思った。僕もそれがうれしくて、安心もしたし、彼女にいい報告ができるように受験勉強だってがんばってきた。言われたとおり、睡眠時間には気をつけつつ。

 なのに、チョコレートは宅配便で届いた。

 もしかしてあれから、何か彼女を傷つけたり怒らせたりするようなことを言っただろうか。佐藤さんが怒ることなんて滅多に――というか一度もなかったような気がするけど、僕が何かしでかしてしまったのかもしれない。参ったな、全く心当たりがない。クリスマスに得た好感触も僕の思い違いだったんだろうか。さすがにきつい。

 ただ、お菓子をくれたこと自体は好意から来るものだろうと思いたい。

 困惑しつつも、僕は宅配便の箱を開けた。


 中身は、透明なセロファンに包まれたケーキだった。

 三個のケーキが紙製のカップに一個ずつ、納まっている。見た感じ、がちがちに凍っているけど。

 カードも添えられていた。佐藤さんの小さな字で、

『去年はとってもお世話になりました。これからもよろしくね』

 と記してある。

 年賀状みたいな文面だ。これにもある意味ショックを受けつつ、僕はケーキの方を検分し始める。

 スポンジの真っ黒いケーキだった。多分、チョコレートケーキだ。飾り気はなく、カップケーキみたいな形をしている。手作り、なんだろうか。佐藤さんの?

 不安多め、期待ほんの少しでセロファンを解いてみる。中のケーキはやはり、凍っていた。指でちぎることも出来そうにない辺り、凍ったまま食べるものではなさそうだ。さて、どうしようか。

 とにかくショックが大きくて、僕はしばらくケーキとにらめっこをしたまま、自分の部屋で呆然としていた。

 佐藤さんが何を考えてこのケーキを用意し、宅配便で凍らせて送ってきたのか、全くわからない。

 そもそも僕に何も言わずに送りつけてくるなんて、一体どういうことだろう。嫌われたんじゃないといいけど、嫌われる理由も思い浮かばない。自分で言うのもなんだけど、佐藤さんに対する失言はいつものことなので、感覚が麻痺しているのかもしれなかった。もっと優しくしておけばよかった。後悔先に立たずとはこのことだ。

 だけどいくら考えたって、心当たりもないんじゃ埒が明かない。彼女の意図と、このケーキの食べ方とを聞き出さなくてはならない。このままじゃ受験勉強も手につかないから、電話、してみようか。


 着信履歴とリダイヤル、どちらも先頭にある佐藤さんの名前。

 僕は深呼吸を三回繰り返してから、彼女に電話を掛けてみた。

「……も、もしもし」

 ぷつりと接続音がして、僕はすぐに口を開く。緊張のせいで声が上擦った。

『あ、山口くん! もしかして、届いた?』

 佐藤さんの声は明るく、いつもと同じように聞こえてきた。

 いや、電話越しだからまだわからない。気を緩めちゃいけない。

「届いたって言うのは、チョコレートのことだよね?」

 そう尋ね返すと、すぐに彼女も応じてくる。

『うん。私が作ったんだ。フォンダンショコラなの』

 佐藤さんの手作り。それはものすごくうれしいことに違いない。だけどここまでの経緯が僕の胸裏で警鐘を鳴らしている。喜ぶのはまだ早い。事の真偽を確かめる方が先だ。

「それはありがとう」

 僕はひとまずお礼を言ってから、続けた。

「でもその、どうして宅配便で? お金かかるだろ?」

『だって、学校では会えなくなっちゃったから』

「そうだけど……呼んでくれたら、佐藤さんの家まで行ったのに」

 言ってくれさえしたら、すっ飛んでいったのに。こんなよそよそしいことしなくたって。

『呼びつけたら悪いかなって思ったの。今、風邪がはやってるからね』

「少しくらいなら平気だよ。気をつかわなくてもいいのに」

 と僕は言ってみたものの、佐藤さんなら絶対に気をつかってくるだろうな、とも思った。気の利かない佐藤さんだから、かえって僕が困惑してしまうような心配りをしてくれる。僕はいつだって振り回されっぱなしだ。

『それとね、フォンダンショコラ、ちょっと形が崩れちゃってるから。顔を見て渡すのも恥ずかしいかなって……そういうの、変かな?』

 電話の向こうで彼女がちょっと笑った。

 その笑い方がかわいくて、耳にも心地よかった。

「別に、変じゃないよ」

『そうかな……でも、味は美味しいから安心してね。ちゃんと味見もしてるから』

「じゃあ、後で食べてみるよ」

『うん』


 佐藤さんは怒っているわけでもなく、いつもどおりの彼女だった。

 いや、いつもよりかわいくて、それからちょっとだけ大人っぽいかもしれない。気のせい、かもしれないけど。

 僕は今すぐ飛び出していって彼女の顔を見に行きたい衝動に駆られた。だけど、余計な気づかいをされた以上はそれもできない。

 つまり、今回も振り回されたわけだ。彼女の気の利かない心配りと優しさに。こっちは危うく勉強も手につかなくなるところだったっていうのに、困ったものだ。


「でもさ」

 一言だけ、これだけは言っておきたくて、僕はそうした。

「送るんだったら前もって、いつ送るって言ってくれたらよかったのに。いきなり届いたからびっくりしたよ」

『えっ? 私、言ってなかった?』

 驚いた様子の佐藤さん。

 当然、僕に覚えはない。

「聞いた記憶はないけど。いつ教えてくれた?」

『ええっと……そういえば、言ってなかったかも……』

 そういうことか。佐藤さんにも本当に困ったものだ。

『ごめんね、山口くん! 私、すっかり話したつもりになってたみたい』

「だろうね。いいよ、ちゃんと受け取れたから」

『でも、びっくりしたんじゃない? 確かめておけばよかった』

「さすがに驚いたけど、気にしなくてもいいよ」

 どうせ何言ったって直らないだろうし。直してもらうより僕が慣れてしまった方が早い。この先のことを考えたら必要不可欠なスキルだ。

「それより、ありがとう」

 チョコレート自体は、すごくうれしかった。だからお礼は改めて告げた。

「もらえると思ってなかったからさ。うれしいよ」

『そんな、山口くんにはお世話になってるもん。あげないなんてことないよ』

 ――お世話になってるから、なのか。

 その言い方もちょっと複雑だ。まあいいけど。

「ところでさ、これって、どうやって食べるのかな」

『あ、そのまま食べても大丈夫だよ。ちょっと温めた方がおいしいけど』

「凍ってるんだけど、ちょっと温めるだけでいいのかな」

『え? 凍って……る?』

 件のフォンダンショコラはまだがちがちに硬い。手で割るのも、指でちぎるのも無理そうだ。どうやって食べるんだろう。

「凍ってるよ。冷凍便で来てたし」

『冷凍っ!?』

 佐藤さんの声が引っくり返った。

 すっとんきょうなその叫びの後に、震える言葉がついてきた。

『やだ、私、間違えちゃった……! 冷蔵で送ろうと思ってたのに……』


 その後、彼女に聞いたところ、がちがちに凍ってしまったフォンダンショコラはしばらく冷蔵庫に置き、ある程度解けたところで電子レンジにかければ、問題なく食べられるのだそうだ。僕がほっと安堵したら、彼女もほっとしていたようだ。

 しっかり『冷凍』のところにマークのついた送り状、彼女の小さな字で記された自分の名前を見ながら、ふと思う。

 凍り付いてしまったものをゆっくり、ゆっくり解かしていくチョコレートは、僕らの関係に似ている気がする。時間は掛かるけど、いつかはちゃんと解けるだろう。その甘さを味わうことだって、きっと出来るに違いない。散々振り回されたりもしたけど、きっと、もうすぐ。


 ホワイトデーは卒業式よりも後にある。

 僕は彼女と同じ轍を踏まないよう、ちゃんと彼女の顔を見て手渡そうと思っている。

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