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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
番外編その2
52/115

佐藤さんと僕の本質的な変化(1)

 吐く息が白い、クリスマスイブの昼下がり。

 コートのポケットに手を突っ込んで、僕は通りの向こうを眺めていた。佐藤さんが来るなら、必ずあちらの方向からだ。行き交う人の波に、もたもた歩く彼女の姿が紛れてしまわないよう、目を凝らしていた。

 電飾に飾られたアーケードと、葉の落ちた街路樹が並んだ駅前通りは、クリスマスイブとあってか人出が多い。皆の歩くスピードも心なしか速いようだ。かく言う僕も今月に入ってからはいろいろと気が急いている。眼前に迫った大学受験と、その先に迫り来る卒業のせいで。


 受験生なんだから、余計なことを考えてる暇なんてない――そうは言ってみても卒業後のことを考えると不安が過ぎる。卒業してからも佐藤さんとこんな風に約束をして、会うことが出来るんだろうか。環境の大きく変わる彼女に、僕のことを忘れずにいて貰えるだろうか。そもそも僕らはいつまで友達のままでいるんだろう。当たり前のように彼女の隣にいる日々を過ごしても、本質は何も変わっていない気がする。春先から比べれば僕らの関係は、確かに変わったはずなのに。

 僕らはあれから、確かに変わったはずだった。席替えがあって、僕と佐藤さんが隣同士の席じゃなくなっても、不安に思う必要はなかった。同じ教室の中で話が出来たし、休日に会う約束も出来た。メールや電話で言葉を交わすことも出来た。その間は楽しくて、とても幸せだった。

 でもそんな幸せも、今月に入ってからは目に見えて減っていた。教室でも話す時間が減ってしまったし、休日に会うのは久し振りだった。受験生の僕を気遣ってか、佐藤さんからの連絡は日を追うごとに少なくなっている。こっちはかえって勉強が手につかなくなるというのに。

 今からこんな調子で卒業してしまえばどうなるか。市内の大学を志望している僕と、隣町まで毎日通勤することになる佐藤さん。お互いに忙しくもなるだろうし、違う環境へ行って新しい交友関係が広がれば、高校時代の縁なんてすぐ疎遠になってしまう。そうならない為にも、本質的なところから変わらなくてはいけないと思う。鈍感過ぎる彼女を振り向かせて、どうにか友達の関係から脱却したい。

 だからこそ僕は、クリスマスイブに彼女を誘った。今日のデートで失敗は許されない。完璧な計画を立て、遂行し、成功させなくてはならない。


「山口くーんっ」

 不意に呼ばれて、僕ははっと顔を上げた。すぐに、通りの向こうから歩いてくる佐藤さんの姿を見つけた。

 人混みの隙間からこちらに手を振った彼女は、随分と大きな紙袋を提げていた。それを両手で持ち直して、こちらへもたもた近づいてくる。足取りが危なっかしい。

 何だ、あの紙袋。いやに大きいし重そうだ。ピーコートにデニムのスカートという彼女なりのおめかしスタイルにも全くそぐわない。というか、仮にもこれからデートだというのにあんなに荷物を持ってくるなんて、或る意味佐藤さんらしい気の利かなさだ。僕は内心でぼやきながら、彼女の方へと歩み寄る。

「ごめんね、待たせちゃって」

 紺色のピーコートを着た佐藤さんは、息を弾ませていた。額には汗も滲んでいる。紙袋をよいしょと抱えると、彼女は真っ赤な頬を緩ませた。

「意外と人出が多くてびっくりしちゃった。さすが十二月だね」

「そうだね」

 僕は頷いた。それからちらと抱えられた紙袋を見る。百貨店の名前が記された袋は、小さな丸いものによって膨らんで、はち切れそうなほどだった。中身は一体何なんだろう。そしてどうする気なんだろう、こんな大荷物。

「それ、何?」

 好奇心には勝てず、僕は単刀直入に尋ねた。すると佐藤さんはにっこり笑ってこう答えた。

「ええとね、まだ秘密。後のお楽しみ!」

「ふうん……」

 それならしょうがない、とばかりに無関心を装いつつ、胸裏には不安が過ぎる。

 何だろう。まさか、僕へのクリスマスプレゼントじゃないよな……? それなら気持ちはうれしいんだけど、紙袋の中身全部を寄越すとなるとさすがに厳しい。持って帰るのもそうだし、抱えて歩くのだって大変だ。いくら何でもあれ全部ってことはないだろう。いくら佐藤さんでも。

「持ってあげようか」

 尋ねたら、即座にかぶりを振られた。

「ううん、大丈夫。これ結構重いから、持つの大変だよ」

「だったら余計に、僕が持った方が……」

「いいの、後のお楽しみだから」

 どうでもいいようなことには頑固な佐藤さん。結局紙袋は彼女が抱えたまま、並んで通りを歩き出す。ふうふうと荒い呼吸で一生懸命歩く彼女を横目に、僕はそっと溜息をついた。

 ――これはどうやら、計画の練り直しが必要だ。


 何せ久し振りのデートだ。そして僕は受験生だから、今後しばらく約束も出来ない。だから計画には万全を期した、はずだった。ケーキを食べに行って、商店街をぶらついて、イルミネーションとツリーを見に歩いて、それから人気のなさそうな公園へ赴いて――とあれこれ考えていたデートプランは、あの紙袋一つにあっさりと打ち砕かれた。全く、何て破壊力だろう。

 ここに来るまでで既に息の上がっている佐藤さんを、あちこち連れ回す訳にもいかない。あれがもし本当に僕へのプレゼントなら、僕の方の体力と気力も考慮しなくてはならない。僕は泣く泣く今後の予定を組み直した。


 駅前通りのケーキ屋に入る。既にイートインスペースは混み合っていて、カウンター席しか空いていなかった。佐藤さんの隣に腰を下ろすと、彼女はちょっとはにかみながら言った。

「隣の席になるの、久し振りだね」

「本当だ」

 同意しながら、僕はまた溜息をつく。隣になるのはいいけど、ここではせめて向かい合わせがよかった。一つつまずくと他のことまでおかしくなるように思えるから堪らない。

 注文を終えると、佐藤さんはコップの水を一口飲んだ。例の紙袋は膝の上だ。額の汗を拭き拭き、僕に話し掛けてくる。

「こうして会うのも久し振りだよね」

 コートを脱いだ彼女は、黒いセーターを着ていた。案外と黒が似合う。そして一つ結びの髪を束ねているのは見覚えのあるピンクのリボン。

「この時期はどうしても忙しいしね」

 僕が答えると、佐藤さんも頷く。

「そうだろうね。受験勉強、大変じゃない?」

「もちろん楽じゃないよ」

「クラスの皆が受験モードだから、大変そうだなあって思ってたの。風邪とか、気を付けてね」

 そう言った佐藤さんは、受験生ではなかった。うちのクラスで進学を希望していないのは彼女だけだった。東高校は公立ながら、県下では指折りの進学校と言われていて、卒業生がそのまま就職してしまうのは珍しい。だけど佐藤さんは地元企業に就職を決めていて、そのせいかクラスでもどこか浮いていた。こればかりは少々羨ましい浮き方でもある。

「佐藤さんこそ、皆に気を遣わなきゃいけないから大変だろ?」

 僕の言葉に彼女は笑って、

「うん、大変ってほどじゃないけど、やっぱり気にしちゃうかなあ。『落ちる』とか『滑る』とか言わないようにしようと――」

 と、そこまで言ってから慌てて口を押さえた。

「ご、ごめんね。山口くんの前で言っちゃった……」

「いや、いいよ。僕は気にしないから」

 実際縁起を担ぐ方ではないので、僕は軽く笑っておいた。そんなものは信じない。

「気を付けなきゃ」

 言い聞かせるように佐藤さんが呟く。彼女は彼女でいろいろと大変なんだろうな、と思う。


 賑やかな店内で、店員たちは忙しそうに立ち働いている。見渡せば注文の品が届いていない客も結構いるようだった。この分だと僕らのケーキが届くのも遅くなるかもしれない。

 佐藤さんは、今は何よりも冷たい水の方が美味しいようだ。きっと少し遅れて届くくらいがちょうどいい。最近あんまり話せていなかったし、これはじっくり話をするいい機会だ。


「受験勉強、進んでる?」

 ようやく汗も引いたらしく、落ち着いた口調で佐藤さんが尋ねてきた。

「まあ、それなりにね」

 僕が曖昧に答えると、すかさずにっこりされてしまう。

「山口くんなら余裕だよね、きっと」

「そうでもないけど、切羽詰ってるってほどではないよ」

 余裕がないのは佐藤さんのせい。受験勉強が手につかないのも佐藤さんのせい。まるで他人事みたいに言われたけど、こっちの身にもなって欲しい――とは、もちろん言えない。

 逆に、言い返してみる。

「余裕があるって思ってくれてるなら、メールとか電話とか、遠慮しなくてもいいのに」

「え……? でも」

 佐藤さんは一度口篭ってから、

「勉強の邪魔しちゃ悪いかなって思って、控えてたの。山口くんは人知れず頑張る人だから、表に出ないところで一生懸命やってるのかなあって」

 そう言って、少し笑った。

「家でメールしてて、お母さんに怒られたりしない?」

「夜中じゃなければ大丈夫。勉強の邪魔にもならないから、どうぞ遠慮なく」

「うん、わかった。今まで通りにするね」

 彼女が頷くと、ピンクのリボンがひらひら揺れた。その度にそちらへ目を奪われる。

「やっぱり余裕って感じするなあ、山口くん」

「それほどでもないって」

 僕よりはずっと、佐藤さんの方が余裕ありげだ。受験勉強以外の面でも間違いなく。

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