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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
最後の秋の佐藤さん
49/115

舞台に立つ佐藤さん

 高校生活最後の文化祭。

 建前上は、有終の美を飾るべき、晴れの舞台といったところだろう。

 でもそんなにご大層なことを考えてる奴はどのくらいいるだろうか。みんな、楽しめればいいとしか思ってないんじゃないだろうか。どうせ手作りの舞台で、演劇経験のない連中ばかりの劇で、感動させるシーンだってないんだから、観客の反応はたかが知れてる。みんなで楽しめて、観客も笑わせられて、幕が下りるまでにシンデレラが幸せになったらいい。そのくらいしか考えてないんじゃないだろうか。


 少なくとも、僕はそうだ。

 楽しめたらそれでいい。僕はネズミ役として魔法使いに捕まえられて、馬に変身させられて、シンデレラをお城まで運んでいけたらそれでいい。

 劇の練習を始めた最初の頃は、楽しもうという気持ちさえ起こらなかった。ハツカネズミの役なんて冴えないし、台詞は鳴き声三つしかないし、全身タイツは着なくちゃいけないし、最悪だと思っていた。笑われるのも嫌だった。こんな役、笑われるだけだろうと思っていた。

 それが、いつの間にやら気が変わった。笑われてもいいと思えた。多分、気にならないだろうと思った。

 ――彼女がいてくれたら。


 幕が開いた時には覚悟もできていた。

 体育館のステージには素人細工のセットが並んでいる。窓を覆う暗幕と、舞台を照らすスポットライトだけが劇場っぽさを醸し出している。ステージの下にずらりと並んだパイプ椅子には思いのほか観客の姿があった。

 ステージに上がった僕は、全力でハツカネズミを演じた。いやに眩しいライトの下で、ネズミの鳴き声も意気揚々と発した。観客には受けた。

 笑われた時、恥ずかしさは不思議となかった。

 何せ目的ができた。僕は是が非でも、シンデレラをお城に連れて行かなくてはならない。馬車馬になって馬車をお城まで引っ張っていかなくてはならない。やる気は十分だ。

 舞踏会に連れて行ってもらえず、悲嘆に暮れるシンデレラ。彼女を救う為に、魔法使いはカボチャとネズミに魔法を掛ける。魔法使い役の子がステッキを振ると、ネズミたる僕はごろごろ転がりながら舞台袖に一旦下がる。ここで馬の被り物を受け取って、白馬になって飛び出していく段取りだった。

 ステージ上から勢いよく舞台袖に転がり込む。ローリングし過ぎて頭がくらくらした。

 だけど、

「はい、山口くんっ」

 掛けられた声に眩暈が、一瞬で治まった。

 声の主は佐藤さんだ。僕にはすぐわかった。

 顔を上げても、ステージより暗い舞台袖では表情も姿もよく見えない。でも彼女がいるとは思わなかったから、はっとした。

 練習の時は大道具担当の新嶋が控えていたはずだ。なのに佐藤さんが待っていてくれた。馬の被り物を僕の手元へ差し出してくれた。膝をついた僕がそれを受け取ると、小声で彼女は言った。

「がんばって!」

 そう言われてがんばらないわけにはいかない。

 馬の被り物を装着し、ステージ上へと再び飛び出す。観客にはまた笑われた。その笑いがむしろおかしいくらいだった。

 僕は楽しんでる。楽しみながら、シンデレラをお城へと連れて行ける。

 シンデレラは王子様に会いにお城まで行くのだろうけど、僕は違う。

 佐藤さんに会いにお城まで行くんだ。こんなに楽しいことって他にあるだろうか。


 場面変わってお城には、貴婦人と紳士と、王子様が待っている。

 馬車はお城の前で停まり、ひらりと飛び降りたシンデレラが舞踏会へと突撃していく。いきなり現れた美しき令嬢に、王子様のみならず、貴婦人や紳士たちもが一様にどよめく。

 魔法の力で変身したシンデレラは可憐だ。継母も姉も気づかないくらいに美しく変わっている。水を打ったような静寂の後、居合わせた人々は口を揃えてシンデレラを褒め称える。賞賛の声に背を押されたように、王子様はシンデレラへと歩み寄る。ダンスの相手を申し込むべく。

 その時、黒いドレスの佐藤さんは言う。

「まあ、なんてきれいな方でしょう!」

 練習の時と同様に、やっぱり彼女の声は裏返った。

 客席からは笑いが起こった。

 だけど佐藤さんはどこか誇らしそうにしていた。

 馬車の陰から視線を送る僕に気づいていただろうか。僕が笑わなかったのもわかってくれているだろうか。赤い唇が少しだけ、照れたように笑んでいた。

 ステージ上でライトを浴びる佐藤さんは、きれいだ。

 黒いドレスを着こなして、すらりと立っている。動きの少ない役なのが幸いした。何もないところで転ばずに済む。舞踏会の片隅で、貴婦人のままでいられる。

 彼女の役名は貴婦人C。名前もない、台詞だって一つきりの端役だ。それでも彼女がきれいなことは、僕がちゃんと知っている。

 王子様はシンデレラに夢中だ。ダンスの誘いに了承をもらって、嬉々としてシンデレラの手を取っている。もう他の貴婦人たちには目もくれない。そういうストーリーだからしょうがない。

 でも僕は、佐藤さんを見ていた。

 王子様の目に留まることのない、黒いドレスの貴婦人を見つめていた。

 そりゃあシンデレラには敵わないだろうけど、貴婦人としては十分にきれいだ。そのことに気づけない王子様はかわいそうかもしれない。僕としては気づいて欲しくないけど。


 僕だけだといい。佐藤さんをきれいだと思っているのは、僕くらいのものだといい。

 佐藤さんのどうしようもなく世話焼きなところや、根拠もなく前向きなところや、気が利かないせいで真っ直ぐ過ぎるところは、誰もが知っていたっていい。でも、佐藤さんの顔や姿や表情や、外見と内面の全てをひっくるめて好きでいるのは僕だけだといい。他の誰にも見つけて欲しくはなかった。

 僕は、思っていることをその通りに口にするのが苦手だ。特に佐藤さんが相手だと、胸の内を全て打ち明けるのが難しい。余計なことばかりはすらすらと言えてしまうくせに、本当に言いたいことがいつも言えない。さっきだってそうだった。本番前に、着飾った佐藤さんを目の当たりにして、誉め言葉の一つも言えなかった。教室にいたから、みんなの目があったからというのも理由ではあるけど、でも。

 今日はちゃんと言いたかった。

 佐藤さんに素直に告げたかった。他の誰かに言われてしまう前に、僕が言いたかった。

 佐藤さんはきれいなんだ。見ようによっては。あと、手入れ次第では。

 美人ではないから、きれいでいる為には手間も掛かるし大変なのかもしれない。でもきれいな佐藤さんに傍にいられると、僕の方も結構大変だ。

 だから時々でいい、きれいでいてくれるのは。

 後はいつもの地味で、垢抜けない、野暮ったい佐藤さんでいてくれる方がいい。


 十二時の鐘が鳴り、シンデレラを家まで送り届けたところで、僕の出番はおしまい。

 魔法が解けるとシンデレラはぼろをまとった女の子になり、僕はネズミに戻ってしまう。

 それでも舞台袖に引っ込めば、まだ魔法の解けていない佐藤さんを見つけられた。慣れない目で必死に探して、ステージを見守る彼女の姿を留める。

 眩しいライトがかすめるように差し込む舞台袖で、僕は佐藤さんの横顔に目を凝らす。佐藤さんは劇の先行きを見つめている。王子様がガラスの靴の持ち主を探させるシーン。シンデレラがガラスの靴を履こうとする様子をじっと眺めている。シンデレラが無事に靴を履くと、安堵したように胸を撫で下ろす。そういう姿から、僕は目を離せない。

 目が離せないのは、今に始まったことじゃないけど。


 シンデレラの物語は幸せな結末を迎え、劇は滞りなく閉幕を迎えた。

 お約束のカーテンコールの時、僕は佐藤さんの隣に立った。

 佐藤さんがちらっと僕を見る。ちょっとだけ笑ったような気もしたけど、ステージの上ではライトが眩しくて、よくわからなかった。

 僕らは客席からの喝采や拍手や口笛を受け止めた。僕自身は達成感よりも感動よりも、無事に終わってほっとした気持ちのほうが強かった。ようやく全身タイツから解放されることもうれしかった。


 だけど僕がネズミ役を終える時は、つまり佐藤さんが貴婦人役を終える時でもある。

 それは少し名残惜しいなと、横目で彼女を見ながら思う。


 幕が下りた後で、佐藤さんは深い溜息をついてみせた。

 それから、貴婦人らしくない弾けるような笑みを僕に向けてきた。

「無事に終わってよかったけど、やっぱり、ちょっと寂しいね」

 囁かれた言葉は、全くもって同感だった。

 僕らは珍しく気が合ったみたいだ。



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