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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
最後の秋の佐藤さん
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十月の佐藤さん

 秋が深まるにつれ、ようやく新しい席にも慣れてきた。

 僕が座っているのは佐藤さんの隣じゃない席だ。

 黒板を見るふりをして、彼女の後ろ姿が眺められる席でもある。


 夏休みが明けてすぐ、無情な席替えが行われた。さすがに三回連続の『隣同士』はあるはずもなく、僕と佐藤さんは離れ離れになった。今は最前列に座る佐藤さんを、後ろから二番目の席で眺めている。

 わざわざ横を向かなくても姿が見えるのはいい。でも後ろ姿だけじゃつまらない。相変わらずのひとつ結びの髪を眺めつつ、変わらないなとぼやきたくなる。

 高校生活も残すところ五ヶ月、だというのに佐藤さんは相変わらずだった。授業で指されるとつっかえることもあるし、体育の授業でクラスメイトの足を引っ張ることもあるし、追試で放課後に残されていたりする点も相変わらずだ。メッセージを打つのがものすごく遅いところも、服のセンスが微妙なところも、僕の言うことに対して笑ってしまうくらい鈍感なところも変わってない。

 変わったのはむしろ僕の方なのかもしれない。

 席替えをして隣同士じゃなくなった直後はさすがに寂しくてしょうがなかった。隣が佐藤さんじゃないというだけで、授業も休み時間もてんでつまらなくなった。だけどすぐに別のやり方を思いついた。

 席が離れてしまったなら、僕から歩み寄ればいい。


 昼休みが始まると、僕は佐藤さんの席に向かう。

 彼女はもたもたとノートを取っていることが多い。授業中に板書を写し切れない辺りも相変わらずだ。

 それでも僕が行くのをわかっていて、待っていてくれるようでもある。そこは大きな進歩だろう。

「あ、山口くん」

 顔を上げた彼女が屈託のない笑顔を見せる。

 佐藤さんは誰にでもこんなふうに笑いかける。それはわかっているけど、内心でつい浮かれそうになる僕がいた。

 平静を装って尋ねる。

「佐藤さん、昼休み空いてる?」

「うん」

 昼休みを一緒に過ごそうと誘うと、彼女は頷いてくれる。たまに斉木さんあたりと約束していることがあるから、成功率は七割ほどだ。ただ最近はクラスの女子たちも心得たもので、にやにやしながら僕に佐藤さんを譲ってくれるようになった。

 僕も黙って彼女たちの厚意にあずかり、こうして約束を取りつけている。

「ちょっと待ってね、書き写しちゃうから」

 もう一度、惜しみなく僕に笑いかけた後、佐藤さんは再びノートに向き合った。

 僕はその間に自分の席へ戻り、お昼ご飯と自分の椅子を取ってくる。彼女の席の隣に置く。

 ほんの短い間だけど、以前みたいに隣同士になれる。


 僕も佐藤さんもお昼ご飯はコンビニのパンだ。僕はサンドイッチ、佐藤さんはクリームパンとかメロンパンとか、チョココロネなんかを買ってくる。甘いパンをひとつだけなんて少食だなと思っていれば、ご飯の後で甘いお菓子を食べ始める。

 見ているだけで甘ったるいなと思いつつ、それでも彼女から目をそらせない。食べる顔をつい横目でうかがってしまう。

「山口くん、元気そうだね」

 今日はメロンパンにかじりつきながら、佐藤さんが言った。

「そう? 別にそれほどでもないけど」

 僕が肩をすくめると、彼女は気を遣うように声を落とす。

「ほら、昨日はすごく落ち込んでるみたいだったから。今日も暗い顔してないかなって心配してたの」

「……ああ、昨日はね」

 昨日のことを思い出すと、どうしようもなく気分は暗くなる。

 ホームルームで決まった文化祭の劇、ハツカネズミ役なんていう色物の役を宛がわれたことで、昨日の僕はかなり落ち込んでいた。

 今日だって完全に忘れてたわけじゃなく、ネズミ役を全うしようなんて殊勝な気持ちになれたわけでもない。どうせ何を言ったって変えようがないし、どうしようもないと諦め始めただけの話だ。高校生活最後の学校行事をネズミ役で締めくくるなんて、とんだ黒歴史になりそうだった。

「やりたくないのは今でもそうだよ」

 僕は包み隠さず答えた。

「でも、誰に言ったって替わってもらえるはずもないし、先生に頼んだって無駄だろ。あんな役、誰だってやりたがらない」

 実は新嶋、外崎あたりには冗談半分で『変わってくれないか』と持ちかけていた。新嶋は大道具だし外崎は城の兵士Bだから、当然ながら笑って拒否された。逆の立場だったら僕だって聞く耳持つはずがない。

 ステージに立つだけでも恥ずかしいっていうのに、あんな色物の役なんて誰がやりたがるだろう。昨日のホームルームでも裏方に人気が集中したのは、誰だってステージに立つのが嫌だからだ。注目を集める役柄のプレッシャーや、失敗した時の恐ろしさ、恥ずかしさを知ってるからだ。

 僕もそれはわかっている。ネズミ役を押しつける相手は見つけられないだろうってことも、僕一人が諦めれば丸く収まる話だってことも、ちゃんと理解はしている。だから、しょうがない。

「なるべく目立たないようにして、あまり笑われないようにするよ。それでも確実に笑いものになるだろうけど」

 そう話すと、佐藤さんはじっと視線を向けてきた。

 でも、珍しく黙っている。お節介らしいことを口にしない。

 彼女だってきっとわかってるんだろう。今の僕はどうしたって慰めようもないんだって、佐藤さんみたいに鈍感な子にさえわかるものなんだ。

 慰めの言葉は要らないから、この話題はもう終わりにしたかった。どうせ避けられない運命なら当分忘れておきたい。来週からはもう練習が始まるけど、それでもだ。


 それよりもっと楽しい話をしよう。

 最近気に入っている音楽とか、見たい映画とか、今度一緒に遊びに行こうとか――僕が思いついて口を開きかけた時、それよりもわずかに早く佐藤さんが言った。

「そうだ、山口くん。劇の衣装はいつ用意するの?」

 だから、忘れておきたい話題だったのに。

 蒸し返されたことに内心呆れつつ、僕は答えた。

「そのうち買ってこようと思ってるよ」

 全身タイツを。

 しかもハツカネズミだから白いやつだ。他の用途もなく文化祭が終わったら二度と着ないであろう品なのに、無駄な出費が金額以上に痛い。

「耳とか尻尾とかは自分でつける予定。馬のお面も手作りだよ、面倒だけどね」

 僕が答えると、佐藤さんはすかさず笑った。

「じゃあ一緒にお買い物行かない? 今度の週末にでも」

「いいけど……佐藤さんは貴婦人役だっけ。衣裳、大変そうだね」

 ドレスなんて値が張りそうな衣装、用意できるんだろうか。

 こんなお芝居だから本格的なものじゃなくてもいいんだろうけど。僕の心配をよそに、彼女はいたって明るく答える。

「ううん、布を買うだけなの。うちのお母さんのカクテルドレスがあってね、サイズがぴったりだから、それを着ようと思って」

 言いながら、やっぱりくすぐったそうにしてみせた。

「ただスカートが短めだから、スカートの部分だけ作り足す予定。その生地を買いに行きたいから、一緒にどうかなって」

 カクテルドレスがどんな服なのかは知らないけど、自前で用意できるなら羨ましい。僕のはそうはいかない。

 でも買い物にはどうせ行かなきゃならないし、佐藤さんと出かけられるなら悪くないな。無駄な出費の元は取れるかもしれない。

「いいよ」

 僕は迷わず頷いた。

 すると彼女は、ほっとしたように表情をほころばせる。

「よかった。お買い物のついでに、何か美味しいものを食べてこようよ」

「え?」

「あのね、安くて美味しいクレープ屋さんを見つけたの。一緒にどう? 美味しいものを食べたら気分転換にもならない?」

 佐藤さんはにこにこ笑っている。

 いつもの、誰にでも向ける明るい笑顔だ。だから今の誘いがどういう類のものかなんて推し量れそうにない。

 それでも期待したくなる。

 もしかするとこれは、デートの誘いなんじゃないか、とか。

「別にいいよ。今週末は暇だし、金銭的余裕もあるし」

 表向きはあくまで冷静に答えた。

 それで佐藤さんがにっこりして、そうしようよ、なんてはしゃぎ出す。僕はその様子を冷静に眺めていた、つもりだ。胸の奥で何を考えていたか、佐藤さんは知らないだろう。


 彼女は相変わらずだ。地味で、とろくて、気が利かなくて。

 一応は告白済みの僕の気持ちをわかっているのかいないのか、普通に友達みたいに接してくれる。

 空港からの帰り道、あれだけわかりやすく言ったんだから伝わっていないはずがないんだけど――あれからもう四ヶ月、僕らの関係も大きく変わった様子はない。

 でも、ふとした拍子に思う。

 もしかすると彼女は、僕を立ち直らせる一番の方法をわかってるんじゃないだろうか。ちゃんとわかってるからこそ、今回も誘ってくれたんじゃないだろうか。どうしても期待したくなる。

 ある意味、僕も相変わらずだ。

 十月になっても何も変わらず、佐藤さんが好きだった。


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