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隣の席の佐藤さん  作者: 森崎緩
最後の秋の佐藤さん
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ミスキャストな佐藤さん

 高校生活最後の一年も、気がつけば折り返し地点を過ぎていた。

 僕の日常はおおむね平穏で楽しい。受験勉強はまあまあ順調だし、予備校で受けた模試の結果も悪くはなかった。クラスの雰囲気も卒業を意識してか団結ムードで、来月には文化祭が控えているとあって、十月のうちからずいぶんと盛り上がっている。

「最後の文化祭だし、ステージでお芝居とかよくね?」

 ホームルームでそう言い出したのはお調子者の新嶋で、

「やっぱわかりやすくてハッピーエンドがいいよね、シンデレラとか!」

 演目を提案したのはいつも朗らかな斉木さんだった。

 高校生にもなってお芝居なんて、と内心引いていたのは僕だけだったのかもしれない。クラスはあっという間に団結して、あれよあれよという間に文化祭でシンデレラを演じることが決まってしまった。

 ただ実際のところ、僕も反対はしなかった。

 なぜなら、

「シンデレラって素敵なお話だよね。やっぱりドレスも着るのかな? 着飾るところ見てみたいかも!」

 佐藤さんがこの件に好意的な反応を見せていたからだ。子供みたいに目を輝かせて見たい見たいと言っていて、それが正直、ちょっとかわいかった。

 だから、彼女がいいなら僕もいいか、くらいの気持ちで賛成に票を投じた。


 ところで、僕はくじ運がよくない。

 C組は席替えも全部くじで決めていたけど、これで自分の希望どおりの席になれたことなんてない。去年はそれで『地味でとろくて気が利かない子』の隣の席になってしまったし、今はその子と隣がいいのにすっかり遠く離されてしまった。

 そして出し物を決める時はあんなに盛り上がっていたクラスメイトたちも、いざ配役となるとなかなか立候補が出ない。大道具や小道具、照明に音響といった裏方ばかりが大人気で、ステージに立って演じる役は誰もやりたがらなかった。かく言う僕も人前でお芝居なんて格好悪いし、できれば裏方がいいなと思っていた。

 やる気もないくせに不純な動機で賛成票を入れた罰なんだろう。

 僕が引いたくじはよりにもよって、ハツカネズミの役だった。


「嫌だ、やりたくない……」

 くじ引きを終え、自分の席に戻った僕は頭を抱えた。

 ハツカネズミはシンデレラの家の台所でネズミ捕りに引っかかり、魔法使いに魔法で馬にされてしまう。どっちにしても動物にしかしてもらえないとんだネタキャラだ。

 劇中ではこのネズミから馬への変身を、被り物一つで表現することになっている。ネズミ耳から馬の被り物へと付け替えることで魔法使いの魔法のすごさを見せつける、というシーンなのだそうだ。

 そして被り物の下、身体には全身タイツを着ておくことが義務づけられている――全身タイツって。僕の好きな子も見るんだぞ。誰がそんなものやりたいって言うんだ。

「山口くん、元気ないね」

 失意のまま突っ伏していた僕の耳に、当の好きな子の声が聞こえた。

 とっさに顔を上げると、佐藤さんが僕の席の横に立ち、少し心配そうに僕を見下ろしている。

 そして佐藤さんの肩越しには教壇の前に集うクラスメイトたちの背中が見えた。教室内は今もくじ引きで盛り上がっている。シンデレラや王子様など、主役級の配役が決まっていないということで、まだくじを引いていない連中が囃(|はや)し立てられている。何引いたってもうハツカネズミは出ないんだから心配しなくてもいいのにな。

「そりゃそうだよ」

 僕は溜息をついて佐藤さんに答えた。

「あんな役、誰が好き好んでやりたがるんだ。もっと違う役がよかった」

「そうだったんだ。どの役がやりたかったの?」

 佐藤さんは優しいまなざしで、じっとこちらを見下ろしている。慰めてくれようとしているのが何も言われないうちからわかる。

 その心づかいがうれしい反面、情けなさに拍車がかかる。

「やるなら裏方がよかったな」

 彼女以外は誰も聞いていないのをいいことに、僕は愚痴をこぼしてみた。

「ステージに上がらなくて済む役が一番いいに決まってるよ。僕もそういうのがよかったのに」

 一番人気の裏方は当然、倍率も高かった。男女を問わず立候補者が相次ぎ、じゃんけんで勝った奴だけに割り振られた。

 そして裏方の仕事にありつけなかった僕らには、劇の配役を決める恐怖のくじ引きが待っていた。シンデレラにはいろんな登場人物がいる。シンデレラ、王子様、意地悪な継母と姉、魔法使い――僕はそのどれもやりたくなかった。強いて言うなら街の人とか、お城の兵隊とか、そういう失敗の目立たない、無難な役がよかった。祈りながらくじ引きに挑んだ。なのに。

「でも、ネズミって悪い役じゃないと思うな」

 フォローするみたいに佐藤さんが言った。

「台本見たけど、台詞が少ないよね? 山口くんの役」

「三つだけ」

 短い台詞が三つだけ、楽と言えば楽なのかもしれない。

 魔法使いに魔法をかけられた時に言う『ちゅうちゅう』と『ぶるるるる』、前者はネズミの鳴き声、後者は馬に変身した後の台詞だ。ちなみに三つ目の台詞は夜十二時を回って魔法が解けた直後の『ちゅうう』というネズミの声となる。恥ずかしさで言ったら史上最悪レベルだ。

「じゃあいい役だよ。台詞をたくさん覚えなくて済むし」

「よくないよ、皆の笑いものになるだけだ」

 僕がすねると佐藤さんは一瞬うつむき、だけどすぐに明るくとりなしてくる。

「大切な役じゃない。シンデレラも、山口くんがいないと舞踏会に行けないんだよ」

 それはわかる。ネズミがいなければシンデレラの幸せは叶わない。

 でも全身タイツを着たら、今度は僕が不幸な目に遭う。高校生活最後の文化祭で、好きな子の前で恥を掻くという不幸だ。

「衣装が全身タイツって時点で嫌なんだよ」

 言い切る僕を、当の『好きな子』が取り成そうとしてくる。

「ほら、山口くんはスタイルがいいから。全身タイツでもきっと似合うよ」

「そんなの似合ったってうれしくない」

「そ、そう? でもかわいいネズミさんになれると思うなあ」

 嫌だ。絶対に嫌だ。佐藤さんの前で全身タイツは着たくない。

 どれほど強く思っても、配役は既に決定済みだ。黒板にはハツカネズミは山口としっかりと記されている。


 そうこうしている間にも、ホームルームでは次々とくじ引きの結果が決まっていく。

 どうやらシンデレラ役を引いたのは湯川さんらしく、はにかみながら黒板に自分の名前を書いていた。

「やだもー、主役とか聞いてないから! 恥ずかしいな……」

 それを聞いて僕の気分はまた沈む。

 主役なんてまだ人間だし、服を着られるからいいじゃないか。こっちはネズミだ、全身タイツだぞ。

「元気出して、山口くん」

 佐藤さんはそう言って、僕の肩をぽんと叩く。

「山口くんならどんな役でも、立派に努められると思うな」

「僕にネズミの役がお似合いだって思う?」

 思わずそう聞き返した。

 もちろん似合わないって思っていて欲しかった。佐藤さんの中の僕のイメージは、ハツカネズミなんていうネタキャラじゃなくて、もっと無難な役柄であって欲しかった。

 だけど彼女は屈託なく答える。

「私がやる役よりは合ってるんじゃないかな? 山口くんは、縁の下の力持ちって感じがするもん。かぼちゃの馬車を引いて、シンデレラをお城に連れて行ってあげるの、ぴったりだと思う」

 縁の下の力持ち。上手い言い回しがあったものだ。

 だからといって気が楽になったということもないけど、それよりもふと疑問がよぎり、僕はふてくされるのもやめて聞き返す。

「そういえば佐藤さんもくじ引いたんだろ? 何役だった?」

 とたんに彼女はもじもじして、

「えっとね、あれ……」

 言葉を濁す代わりに教室の前方を指差す。

 配役が列記された黒板の中に、僕は彼女の名前を探した。


 佐藤さんの名前は端の方にあった。

 三人の貴婦人A、B、Cの中の、貴婦人Cが佐藤さんだ。


「貴婦人って、舞踏会の出席者?」

 うろ覚えの僕が聞くと、彼女はぎこちなく顎を引く。

「うん。ドレスを着て舞踏会に出る役なの、おかしいよね」

 お城で開かれる舞踏会に居合わせる、ドレス姿の女性たち。そのうちの一人が彼女の役らしい。

 制服の着こなしは校則遵守、私服も至って地味、おまけにいつもひとつ結びの佐藤さんが、貴婦人よろしくつんと澄ましてドレスを着る。お嬢様っぽい高笑いもするんだろうか。ちょっと想像できなかった。

「台詞もあるんだよ、『まあ、なんてきれいな方でしょう』って言うの」

 佐藤さんは照れながら、棒読みの台詞を口にする。

「それ、どのシーンの台詞?」

「シンデレラがお城に登場した場面。私の台詞、それだけなんだ」

 そう言って、彼女はくすぐったそうに首を竦めた。

「貴婦人なんて役、私には全然合わないもん。私の方こそみんなに笑われちゃうかも」

 そんなので笑われるわけないだろ、と思う。

 僕のネズミ役に比べたらよっぽどマシだ。佐藤さんには似合わないと言い出す奴はいるかもしれないけど、それでも笑われるほどじゃない。

「まさか、笑われるはずないよ」

 だからそう返したら、佐藤さんは意外そうに目を瞬かせる。

 それからちょっとだけ笑った。

「……ありがとう、山口くん」

 ありがとうと言われるようなことをした覚えはない。僕は戸惑ったけど、それよりお礼を言うのはこちらだと気づいて、あわてて言った。

「いや、こちらこそ。励ましてくれてありがとう」

「うん」

 佐藤さんが素直に頷く。

 わざわざホームルーム中に駆け寄ってきて、励ましてくれるくらいには、佐藤さんと僕の距離は縮まっている。

 それが今はうれしくて、僕の心の支えにもなっていた。

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