220話:本人が望まないTSが一番美味しいんじゃから
教皇の、光が見えない瞳が私を見据える。彼女は魔力を漏らしながら私に「誰」と問うた。おそらく返答しだいでは攻撃するという意思。緊張状態。ぷるぷる。
不穏な空気を察したナスナスが応接間へ飛び込んできた。すぐさま氷魔法を放つ。私は氷の檻で捕らわれた。え? わち?
「無礼を。お赦しください」
ナスナスは教皇へ敬礼をした。無礼されたのは私なんだけど。
「大切にされているようですね」
「これでも、自分の義姉になる予定ですので」
気色悪いセリフに身震いをした。ぷるるっ。
隣の妹シリアナもぷるるっしていた。それもそうだ。妹シリアナはPTSDを患っている。カンバの精神魔法によって落ち着いたが、先日も夜会で襲撃を受けたばかりだ。そんな状態で、姉である私に婚約者であるナスナスが魔法を使ったら、震えもするだろう。
と、思ったら、両腕で自身の体を抱き、「さむっ」と呟いた。ただ魔法の氷の檻の冷気が寒かっただけのようだ。思ったより余裕あるな。
ということは、全て私の勘違い。教皇は私を攻撃する意志はなく、ナスナスは「またこいつなんかやらかして教皇様を脅かしたのか」と思ったのだろう。なんて失礼な。またというほど私はやらかしていない。むしろやらかしたことなんかない。全て計算づくだ。全てわかっていた。私の背後の殺意に敏感なハンターであるソルティアちゃんも何も警戒していなかったからな。
ふふん。私は胸を張った。
私は髪の毛を使って氷の檻をよっこいしょとどかして、ぽいっちょした。檻はナスナスに続いて部屋に入ろうとしてきたロリックスおじさんに当たった。すまんこ。
「二人だけで話しませんか」
教皇テアは私にそう申し出た。教皇に言われて断れる者などいない。妹シリアナは「またねー」と言って部屋を出ていった。私と教皇、二人だけが応接間に残される。二人きりだね。えへへ。
教皇はなおもその目が私から離れない。ドキドキ。美少女に見つめられて心臓が止まりそう。
「あなたは男ではありませんか」
ドキン! 私の心臓は止まった。
私が死んでいる間に、教皇はなおも続けた。
「いえ率直に言います。エイジス様ではありませんか」
はぁ……はぁ……わ、私がエイジス……?
あり得るかありえないか。その線は少しだけ考えたことはある。なぜなら私は前世がおっさんであったということ以外にほとんど覚えていない。前世の思い出が回想されることはある。しかしそれは呼び起こされた記憶であり、私は誰で何者かという答えではない。
私がエイジス教創始者の生まれ変わり。その線は薄くはない。いや、教皇に言われたことでかなり濃くなった気がする。いやもうこれ私はエイジスなのではないか? そうかわちがエイジスじゃったのか……。
私はこくりと頷いた。
「や……やはり!」
教皇ちゃんは両手の指を合わせて私を拝んだ。
エイジス教とは月の女神を崇める宗教であるが、その名の通り預言者エイジスの教えを守るものだ。エイジス教徒に取ってエイジスとは推しのような存在である。教皇ちゃんが魔力を漏らしてまで緊張してた理由がわかった。
「も、申し訳ありません。わ、わたくし緊張と喜びのあまり魔漏らしして……は、恥ずかしいですっ」
魔漏らしって。いや、魔力を漏らすことは恥ずかしくない。そうじゃないと常に漏らしてる私は恥ずかしい存在となってしまうからな。
「気にすることはない。今の私は精霊姫ティアラ・フロレンシアだ。そして前世があるとしても多くの記憶を失っている」
「記憶喪失ですか!? それもエイジス様の伝承で聞き及んでおります! 女神に記憶を奪われし聖女、それがロアーネと!」
ん? そこでロアーネが出てくるの? おーいどうなの? 私は脳内に呼びかけてみた。しかし反応はない。そういえば最近出てこないなあいつ。
「初代ロアーネの話だな。残念ながらそれも記憶にない。だが呼び起こされて思い出した記憶もいくつかあるんだ。もしかしたら、エイジスの伝承を聞いたら思い出すかもしれん」
教皇テアは「はい! 喜んで!」と満面の笑みで答えた。
「聖書に残されているお話はご存知だと思いますので、文章に残されない口伝の内容をお話します」
待てよ。そもそも表のエイジス物語もそんな知らんが、まあ裏話的なものの方が私がエイジスであった記憶を思い出せるかもしれん。
「エイジス様は『恥だから後世に残すな』とおっしゃった話がいくつかあります」
待って。それが口伝で残ってる時点でエイジスの教え守れてなくない? 文章にしてないから良いって話なの? これ私の恥部を語られる流れなの?
「エイジス様が女神を恨んだ理由。それは女神によって体を女性にさせられたからです」
な、なんだと……?
「女神がそうした理由は『本人が望まないTSが一番美味しいんじゃから』だったと」
私は思わず頭を抱えた。
これわいちゃうわ。わいエイジスちゃうわ。だって一番最初の記憶が「美少女になりたい」だったもの。わい望んでたもの。わい美少女なりたいンゴ言ってたもの。
しかもそのことをエイジスは恥と思ってたんだろ? 私は恥じゃないもの。美少女ライフ楽しんでるもの。
しかし、エイジスが女神を恨む理由はわかる。本人の意志なくTSさせられるのは辛かったであろう。やっぱ邪神女神なんじゃねえの? だが、私も女神の言い分もわかる。そうだ。TSジャンルは本人が望んでいない展開の方がね、見てる分には美味しいんだ。困ったことに、エイジスが女神を恨んだ理由の言葉に私は同意してしまった。
「何か思い出しましたか?」
頭を抱える私を見て、教皇からはそう見えたのだろう。違う。私は自意識過剰勘違いをどう誤魔化そうか考えているのだ。しかしこれもう、素直に言うしかない。
「わかったことはある」
「はい」
「私はエイジスではない」
教皇は「そんなっ」と悲痛な顔となる。推しだと思った相手がモノマネタレントだった感じだ。さぞ辛かろう。
「しかしまだ可能性もっ!」
「いや0だ。間違いない」
TS願望ない子が美少女になって最初は拒絶するもかわいいと言われ続けるうちに女の子もいいかなってなってしまうのが一番美味しいんだから!
だがエイジスはそうならなかった!
待てよ、その可能性に思い当たる節が一つある。
「聞きたいことがある。言い伝えによるエイジスの姿は、かわいかったのか?」
そうだ。さきほど「体を女性にされた」と言っていた。もし見た目そのままでの女性化だったとしたら……? 俺だって激怒する。TSっていうのはね、美少女にならなくちゃいけないんだ。最低でも目立たない地味っ子。だけど女性として磨いたら輝く宝石の原石。それが最低限。
「そこまで詳しくは……」
「ちっ」
私は思わず舌打ちした。絶対重要な部分じゃん。なんでそこ残しておかないの。しかたなし。私はエイジスの姿の宗教画や像を思い出してみた。いや、あれ、エイジス様って男だったよな?
「エイジス様は男で描かれていなかったか?」
「はいその通りです。エイジス様は男としてこの世界に降り立ちました」
「???」
???
教皇ちゃんは人差し指と中指を立てた。
「エイジス様は二度TENSEIされたことはご存知でしょう」
そうなの? そうだったかも。
チキューでのイエッさんが二度復活したみたいに、エイジッさんは二度転生したらしい。
「エイジス様の残した本当の言葉は『二度TSした』でありました」
私はガンと机に頭をぶつけた。
な、なんてことを……。つまりエイジスという男は一度美少女(仮)にされたあとTSメス堕ちせず男に戻ったということか! そんなの絶対に許さん! 女神が赦しても俺が赦さん!
私は女神教徒となった。
「悪いが……」
「はい」
私はゆっくり顔を上げた。教皇ちゃんと目が合わせる。私はこれから辛い決断をしなければならない。
「私は女神に付く。エイジスのことが嫌いになった」
「な、なぜ?」
教皇ちゃんは困惑している。それはそうだろう。アンチ女神同志から突然裏切られたのだ。しかし私もそうせざるを得ない理由がある。
「話を聞いていてわかった。女神は自分勝手で、酷い奴だ」
「でしたら!」
「だが!」
私は机を髪の毛でドンと叩いた。
「人には神の試練をも乗り越える可能性がある!」
「ですからエイジス様は女神の非道に抗って男性に戻り、この地にエイジス教を広められたのです」
あ、あれ? エイジス様って神の試練乗り越えた側じゃん。どうしよう。
私と教皇ちゃんは見つめ合った。
教皇ちゃんはこくりと頷いた。
「わかりました。やはり精霊姫教は異端として」
「まって」
ちょっと待って。それはなしで。やっぱ女神は悪い奴だわ。エイジス様万歳!




